第3話 運命の悪戯
「それでは行ってらっしゃいませ」
エミリーの声を背中に受けながら、俺は屋敷の扉を出た。
乗り込んだ馬車がフォルテス領の門を抜け、石畳を進む。
窓の外では、初めて見る街並みが次々と流れていた。
石造りの建物に色とりどりの屋根瓦が光り、道脇の草原が風に揺れている。
赤、青、黄色……現実ではありえない髪色の人々が、馬車の横を通り過ぎていく。不思議な光景なのに、なぜか違和感はない。
「……本当に、異世界に来たんだな」
思わず呟いた言葉は、自分でも驚くほど震えていた。
当たり前に俺は緊張しているのだ。
「もうすぐ学院に着きますよ」
御者の声に、はっと我に返る。
学院――そこでの生活がどうなるのか、想像もつかない。
せめて記憶さえ戻ってくれていたら、もう少し気楽にいられたのかもしれないのに。
「……そういえば、レオンって知ってますか? 最近、何か変わったことは……」
学院での生活への不安を振り払うように、御者に尋ねてみた。だが、御者は首を横に振る。
「さあ……? 私は学院のことはあまり……」
期待外れの返事に、思わずため息が漏れる。
やっぱり、自分で何とかするしかない。
だが正直うまく行くとは思えなかった。
今までイジメてきた相手が突然謝罪をしてきたら?
俺だったら何か意図があると勘ぐる。そもそも謝られたくらいで許すわけもない。
……はっきりいって不安である。
そんな中、馬車が緩やかに止まり、御者が扉を開けた。
「着きましたよ、アラン様」
眼の前には高くそびえる石造りの壁、重厚な門。
そしてその奥にはまるで城のような建物が見える。
「ここが……王立セレスティア学院」
息を一つ吸い込み、俺は王立セレスティア学院の壮麗な門をくぐった。
——王立セレスティア学院。ゲームじゃ何度も聞いた名前だが、実物は想像以上だ。
広大な敷地には、城のような校舎がいくつも並び、生徒たちの活気ある声が響き渡っている。
まさにイメージ通りの光景がそこにはあった。
まずはレオンを探さないと。あいつ、確か騎士科のはずだ。
俺は人波を避けつつ、目星をつけた騎士科の校舎と思しき方へと足を向けた。
——その時、ふと周囲の空気が変わったことに気づいた。
さっきまでの喧騒が、僅かに凪いだ。
そして突き刺さる、無数の視線。好奇、侮蔑、そして隠そうともしない嘲笑。まるで、俺の存在そのものが異物であるかのように、周囲の生徒たちが遠巻きにこちらを見ている。
「ほら、フォルテスの坊ちゃんだ」「また問題起こすぞ」……そんな囁きが、嫌でも耳に入ってくる。
背中にじわりと冷汗が滲み、制服の襟がぺたりと肌に張り付く。
これが、“無能貴族”アラン・フォルテスに向けられる視線か……。
内心で苦い笑みを零す。
想定はしていたが、実際に浴びると想像以上の圧迫感だ。
足が竦みそうになるのを、なんとか堪える。ここで立ち止まったら、それこそ彼らの思う壺だ。
そう叱咤した途端、思わず口の中で「うわあ」と声が漏れ、慌てて唇を噛んだ。十歳の喉は、緊張すると簡単に裏返る。
自業自得とはいえ、毎日こんな視線に晒されていたら、そりゃ性格も歪むだろうな……。
「……ふう」
気を取り直して学院の敷地内を歩きながら、レオンがどこにいるのかを探そうとした。
目に付く建物へ一つ一つ確認していく。
あそこが騎士科の訓練場、だよな?
となるとあそこが教官棟で……あれ?
「……えっと」
半ば勢いで学院まで来てしまったが、具体的な計画があったわけではなかったことに思い至る。
レオンに謝罪する、その強い思いだけが先行し、肝心のその後のことを何も考えていなかったのだ。
生憎と原作でも学院は出ていたが、授業のシーンなんてない。
くそ、どうする……? 完全に無計画だった。エミリーにでも聞いておくべきだったか。
己の杜撰さにじっとりと汗が滲む。
とりあえず、誰かに聞くしかない。
そう思い辺りを見回すが、他の生徒たちは明らかに自分を避けているように見え、とても話しかけられるような雰囲気ではなかった。
こういうところは、やはり誰彼構わず話しかけられるゲームとはかなり勝手が違う。
その時、視界の端に、木陰で一人静かに本を読んでいる女子生徒の姿が入った。他の生徒たちの輪から離れている。彼女なら、あるいは……。
——レオンを探すには、まず誰かと口をきかないと始まらない。今の俺に、プライドなんてものは二の次だ。
俺は意を決し、その女子生徒へと近づいた。
「あの……すみません」
なるべく穏やかな声で話しかける。
しかし、女子生徒は俺の姿を認めると、びくりと肩を震わせた。
その瞳には、明らかに怯えと困惑の色が浮かんでいる。
「……フォルテス様? 何か用、でしょうか?」
女子生徒は、視線を伏せながら絞り出すような声で言った。まるで、話しかけられること自体が予想外だったかのように。
「えっと、その……少し、お聞きしたいことがあって……」
できるだけ警戒させないようにゆっくりと、優しく言葉を続ける。
しかし、女子生徒の警戒は解けない。それどころか、ますます怯えの色が濃くなっていく。
「わ、私に、何か……?」
女子生徒は、本を胸に抱きしめ、後ずさりする。
その様子から、俺との接触を避けたいという気持ちが痛いほど伝わってきた。
これは、無理そうだ。
とても話ができるような状態じゃなかった。
これ以上、問いかけようものなら泣かれてしまうのではないかと思うほど。
それほどまでにアランという人物は嫌われているのだ。
「……悪い、やっぱりなんでもない」
このままでは返って悪評を広めてしまいかねない。
そう判断した俺は早々に話を打ち切り、女生徒から距離を離す。
「……はあ」
小さく息を吐いた。
まさか会話もままならないとは想像以上だ。
ならば、次は教師辺りに話しかけようか。
教師、教官なら、あそこまで怯えられることもないはずだ。
「アラン様? こんなところで何をしてるんですか?」
そんな俺のもとに声を掛けてくる者がいた。
振り返ると、そこにいたのは夢の中で見た人物、アランの取り巻きの一人だ。
鳶色の癖っ毛を揺らし、そばかすの目立つ顔立ちの少年は、無邪気な笑みで俺の顔を覗き込んでいる。
「お前は……アスターか」
記憶の中から何とか絞り出したその名を口にする。
アスター・リバス。
アランの取り巻きとして常に傍にいる、地方貴族の次男坊だ。
ゲーム内においてもその立場は変わらず、アラン登場の際には必ず傍にいるキャラだった。
とはいえアランほど目立った存在ではなく、人となりまでは良く分からないというのが正直なところである。
「はい、おはようございます。もうお身体は大丈夫なんですか?」
「ああ……大丈夫だ」
アスターの屈託のない笑顔に、わずかに警戒心を抱きつつも、平静を装って頷いた。
彼とはいわゆる悪友であり、これまでの、そしてこれからの悪事もきっと共有することになるだろう。
今後のことを考えれば、できれば関わるべきではない人物。
しかしこの状況で頼れるのは、今のところ彼しかいなかった。
「そうなんですね! 良かったです! いやぁ、アラン様がいないと暇で暇でしょうがなかったんですから!」
そう言って笑うアスター。
そこにはイジメをしていた時のような邪悪さの欠片もない。
「そういえば、レオン……あいつはどうしてる?」
俺は単刀直入に切り出した。
「あれ? 知らないんですか?」
アスターは、心底驚いたように目を見開いた。その表情には、嘲笑や軽蔑の色はなく、ただ純粋な疑問だけが浮かんでいる。
そう言われても俺に心当たりはなにもない。
「――レオン・アルディは昨日退学しましたよ?」
「……は?」
その衝撃的な告白に俺は言葉を失うしかなかった。