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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第28話 騒動後②

 降り注ぐ午後の陽光が、ラーム村の質素な部屋の床に淡い模様を描いていた。

窓の外からは、子供たちのはしゃぐ声や、農作業に勤しむ村人たちの声が微かに聞こえてくる。ゴブリン襲撃の爪痕はまだ残っているものの、村は少しずつ日常を取り戻しつつあった。



 しかし、この部屋の中だけは、時間が止まったかのように静かだった。


 ベッドの上で眠り続ける金色の髪の少年――アラン・フォルテス。


 あれから一週間。

 あの日、祠近くでの戦闘で意識を失って以来、彼は一度も目を覚ましていない。側頭部の打撲による脳震盪だろう、というのが、駆けつけた村の薬師の見立てだった。

 幸い傷自体は深くなく、出血もすぐに止まった。だが、彼の意識だけが、深い眠りの底から戻ってこないのだ。


 ソフィア・メティスは、ベッド脇の簡素な椅子に腰掛け、静かにその寝顔を見つめていた。

 肩の傷は、ダラスと名乗る謎の冒険者から受け取った軟膏と、自身の持つ回復薬のおかげで順調に回復している。だが、心のざわめきは未だ収まっていなかった。原因は、目の前で眠り続けるこの少年の存在そのものだ。


 そっと右目に意識を集中させる。淡い黄金色の光が、彼女の青い瞳に宿った。

 『天眼』。万物を見通す、神より与えられし力。

 ソフィアの視界には、通常の人間のそれとは違う情報が付加される。対象の生命力、精神状態、魔力の流れ、そして――天恵。



 しかし彼だけは違う。

 何度試みても、『天眼』が捉えるアランの情報は、まるで霧の中を歩むかのように曖昧で、不確かだった。



 生命力――。呼吸や顔色を見る限り、かろうじて安定しているようには見える。だが、『天眼』が示すはずの明確な数値や状態を示す光は、なぜか彼の上にだけは淡く揺らぎ、確かな情報を与えてはくれない。まるで、その存在自体が世界の法則から僅かにずれているかのように。


 精神状態――。意識の深淵は計り知れず、昏睡状態なのか、あるいは全く別の状態にあるのかすら判然としない。ただ、深く、静かに沈んでいる。悪夢に苛まれている様子はないのが、せめてもの救いだろうか。


 そして、魔力――。これだけは、異常な『空虚さ』として感じ取れた。グレイン邸で微弱ながらも観測できたはずのそれは、完全に消失している。まるで、燃え尽きた灰のように、欠片すら残っていない。


 最後に、天恵――。これは以前と変わらない。歪み、滲み、形を成さない。まるで解読不能な暗号のように、彼の根幹を成すはずの力は、依然として『天眼』の力を拒絶していた。


 ソフィアは眉根を寄せる。あの戦闘の光景が脳裏に蘇った。


 大怪我を負いながらも、最後にはゴブリンを打ち倒した彼の姿。

 特に最後の、あの異常な力。


 ゴブリンの棍棒を掌底で受け止め、弾き飛ばしたあの技。


 アラン自身の叫びと、ガルドが後から推測した名を統合すると、『強撃衝』――『強撃』の派生であり、本来は相応の訓練と経験を積んだ熟練の戦士がようやく体得できる境地とされるスキル。

 ガルドは「坊主がそんな大技を使えるわけが……いや、しかし……」と、自身の目で見ていないが故に半信半疑ながらも、状況証拠からそう結論付けていた。

 

 ソフィアであっても、実際にその瞬間を目にしていなければ、到底信じられなかっただろう。

 アランの普段の様子や、彼の評判、そして彼自身の言葉からも、特別な戦闘訓練を受けていたとは考えにくい。

 ガルドとの短い特訓だけで『強撃』の基礎を掴んだこと自体が驚きだったが、そこから『強撃衝』へと至る飛躍は、常識では説明がつかなかった。


 そして何より。


 彼の左手に一瞬宿った、魔力とは明らかに異なる、だが強力な金色の光の残滓。


 ソフィアはその光景を思い出す。

 確信があるわけではない。

 ましてや『天眼』で確認したわけではない。


 ソフィアはアランの顔へと視線を戻す。

 『天眼』をさらに深層へと向け、彼の存在の根幹を探ろうと試みる。

 やはり、天恵を示す部分は歪んでいる。滲んだ文字のように、幼い子どもが落書きで書いた線のように、明確な形を結ばない。

 読み取れない。識別できない。


「……あれが、きっと」

 

 らしくないと思いつつも、直感的にある一つの仮説に至っていた。

 確証はない。論理的な飛躍もある。

 だが、これまでの不可解な現象を説明できる唯一の可能性。


 ――天恵。


 彼の読み取れない天恵の本質が、あの力なのではないか。

 魔力を源とせず、あるいは全く異なる法則で発動する力。

 人によって千差万別であるその力の数々をソフィアはその目で見てきた。


 読み取れない、という事態は初めての経験だったが、可能性として考えられないわけではない。

 特に、彼の魔法の発動原理――魔力操作なしに、詠唱のみで現象を引き起こすという特異性を考え合わせると、辻褄が合うようにも思える。

 あの『強撃衝』も、本来のスキルとは異なる原理、例えば彼の天恵が彼の意志や記憶に呼応し、既存の技を模倣、あるいは再現した結果なのかもしれない。


 ならば、この魔力の完全な消失は……?


 ソフィアは再び『天眼』でアランの身体の深部を探る。

 生命力は安定しているが、何か、根源的なエネルギーが枯渇しているような感覚。まるで、燃料を使い果たしたランプのようだ。

 あの異常な力を使った代償として、彼の微弱な魔力、あるいはそれ以上の何か――生命力そのものの一部を消費してしまったのではないか?


 言うまでもなく、天恵は強力であるが、無制限に使えるものではない。

 通常、天恵の使用には精神力や、時には魔力を消費する。身体能力系の天恵であっても、過度な使用は肉体に大きな負担を強いる。

 彼の場合、その代償が魔力の完全消失と、この長期の昏睡状態を招いているのだとしたら……。それは、極めて危険な、諸刃の剣のような力だ。


 ソフィアは思考を巡らせる。


 天恵の儀で読み取れなかった理由。魔力操作なしで魔法を使う原理。そして今回の、魔力の完全消失と異常なスキルの発動。

 点と点が、まだ明確な線では結ばれない。

 しかし、その全てが「アラン・フォルテス」という存在の異常性を示していることは確かだった。


「あなたは一体……」


 無意識に、声が漏れていた。

 彼は一体、何者なのだろうか。

 フォルテス家の三男。無能と噂され、素行にも問題があったとされる少年。

 それが、ここ最近、別人になったかのように振る舞い、不可解な言動と、常識外れの力を見せる。天恵の儀での一件は確かに、彼の人生における大きな転換点だったのかもしれない。だが、それだけで全てが説明できるとは思えない。


 ソフィアはアランの寝顔をじっと見つめる。

 まだ幼さの残る顔立ち、少しだけ開かれた唇から漏れる穏やかな寝息。戦闘時の激しさや、時折見せる大人びた表情とは裏腹に、その寝顔は年相応の無垢さを感じさせた。


「……私の『天眼』でも、全てを見通せるわけではない、ということですか」


 ソフィアは小さく息を吐き、右目の黄金色の光を収めた。

 これ以上の分析は、現状では意味をなさないだろう。彼が目覚め、彼自身の口から何かを語らない限り、あるいは、再びあの力が発現する瞬間を捉えない限り、真実にたどり着くことは難しい。


 椅子から立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。

 窓の外では、ランド・ガリオンの姿が見えた。彼は村の他の子供たちとは距離を置き、一人で黙々と木の棒を振っている。あの日以来、彼は以前にも増して強さへの執着を見せるようになった、と村長が心配そうに話していた。アランが見せたあの異常な力と、ダラスという圧倒的な強者の存在が、彼の心を強く揺さぶったのだろう。


 そして、ダラス・エリオット。

 あの特級冒険者は、ゴブリン騒動の後、村に数日滞在し、負傷者の治療や村の復旧にさりげなく手を貸した後、風のように去っていった。最後までフードを取ることはなく、その目的も素性も謎のままだった。



 分からないことが多すぎる。

 謎の護符、ゴブリンの襲撃、眠り続ける少年。そして謎の冒険者。

 今回のラーム村への遠征は、予想もしなかった波乱と、多くの疑問をソフィアにもたらした。


「……早く、目を覚まして説明していただきたいものです」


 ソフィアは窓の外の空を見上げ、小さく、しかし確かな苛立ちを含んだ声で呟いた。

 補佐役のはずが、これではどちらが世話をしているのか分からない。


 その時。


「……ぅ……」


 ベッドの方から、微かなかすれた声が聞こえた。

 ソフィアははっとして振り返る。

 金色の髪の少年、アラン・フォルテスの瞼が、ピクリと微かに震え、ゆっくりと持ち上がり始めていた。


 一週間ぶりに訪れた、確かな変化の兆し。


 眠りの底に沈んでいた彼の意識が、ようやく浮上しようとしているのかもしれない。

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