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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第25話 兆し

「――強撃!!」


 叫びと共に放たれた俺の拳は、体勢を崩したゴブリンの脇腹に深々と突き刺さる。

 骨が砕けるような硬質な感触と、粘ついた肉を叩いた嫌悪感が、拳から腕、そして背筋へと一気に走った。


 ――やった、のか?


 勢い余って数歩踏み込み、振り返る。

 そこには、俺の拳を受けたゴブリンが、くの字に体を折り曲げ、まるで時間が止まったかのように静止している姿があった。


 そして次の瞬間、その緑色の身体は急速に黒ずみ始め、ボロボロと崩れながら黒い粒子となって霧散していく。地面には、昨日見たものと同じ、くすんだ灰色の魔石が一つ、コトリと転がり落ちる。



「はぁっ……はぁっ……!」


 緊張感が一気に抜け、俺はその場に膝から崩れ落ちそうになるのを、なんとか堪えた。

 全身が鉛のように重い。特に、ゴブリンを殴りつけた右拳は、ジンジンと痺れるような痛みが走り、まるで自分の腕ではないかのように感覚が鈍い。これがスキル、あるいはそれに準ずる力を使った代償なのか。

 しかし何より、成し遂げたという達成感が全身を包んでいた。



 ギャアッ! ギャアアアッ!



 しかし、感傷に浸る時間は与えられなかった。

 仲間が目の前で二人も倒されたことに逆上したのだろう、残る二体のゴブリンが、血走った目で同時に襲いかかってきたのだ。一体は負傷したソフィアへ、もう一体は木の棒を振り回すランドへと。


「ソフィア!」


「くそっ、しつけえ!」


 俺の声とランドの悪態が重なる。

 ソフィアは肩の痛みに顔を顰めながらも、短剣で巧みにゴブリンの攻撃を受け流している。だが、明らかに動きは鈍く、防戦一方だ。


 ランドは木の棒を滅茶苦茶に振り回し、ゴブリンを近づけさせまいと必死に抵抗している。その瞳には先ほどの恐怖は消え、代わりに怒りと必死さが燃え盛っていたが、武器の差は歴然。ゴブリンの錆びた剣が、何度も彼の体を掠めている。このままでは時間の問題だ。


――どうする!? もう一度、さっきの……!


 俺は再び拳を握りしめ、先ほどの「強撃」を再現しようと試みる。


 ガルドさんに教わった力の込め方、踏み込み、腰の回転……。あの、身体が勝手に動いたような感覚を呼び覚まそうとする。


 だが、ダメだ。


 再現できない。先ほどは、体勢を崩したゴブリンが目の前に現れるという、あまりにも都合の良い状況があったからこそ、咄嗟に身体が反応しただけだ。

 今の俺では、しっかりと体勢を整え、タイミングを見計らわなければ、あの技は出せない。そして、今の乱戦の中、そんな隙もタイミングも見つけられそうになかった。


 もはや悩んでいる時間はない。

 状況は刻一刻と悪化している。


 両手を前に突き出し、俺は意識を集中させた。

 震える指先を無理やり抑え込み、脳裏に焼き付いた呪文を紡ぎだす。ターゲットは、負傷したソフィアに襲いかかるゴブリンだ。


「空を渡る見えざる流れ、息吹となりて敵を裂け――」


 震える唇から紡ぎ出される呪文。

 この状況で、長い詠唱が必要な魔法に賭けるのは無謀かもしれない。だが、スキル俺に残された攻撃手段はこれしかない。

 狙いは負傷したソフィアに襲いかかるゴブリンだ。せめて一撃でも――!


 しかしその切なる願いは、無情な現実よって遮られた。


「――っ!」


 突然襲いかかった側頭部への鈍い衝撃と、脳髄まで響くような激痛。

 一瞬、世界が白く染まり、何が起こったのか理解できなかった。

 視界がぐらりと揺れ、熱いものがこめかみを伝う感覚。


 地面に叩きつけられそうになるのを、反射的に片手をついて堪えたが、頭の中が嵐のようにかき回され、目の前が星屑のようにチカチカと点滅する。


「……っ、ぐ……!」


 紡ぎかけていた魔法の詠唱は、思考と共に衝撃で霧散する。

 足元には、鈍い光を放つゴツゴツとした棍棒が転がっていた。

 どうやらこれを背後から投げつけられたらしい。


 ゴブリンにしてはヤケクソの一手だったのかもしれない。

 だが、未だ幼い俺にとってそれは致命的な一手だ。


 意識が急速に遠のいていく。

 考えがまとまらない。頭が割れるように痛い。視界の端から黒い靄がかかってくるようだ。


 ――これで終わりか?


 ゴブリンごときに……こんな辺境の村で……?

 ゲームの筋書き通りに、無様に嬲り殺される?

 何のために、俺はここにいる? 何のために足掻いてきた?


 遠くで、ソフィアの悲鳴に近い声が聞こえた気がした。ランドの必死の叫びも。

 そうだ、二人はまだ戦っている。俺が招いたこの危機の中で、必死に生きようとしている。


 それなのに、俺は――。


 苦痛と諦観と、絶望と、そして苛立ち。


 ――ふざけるな……ッ!


 苦痛と諦観に沈みかけていた意識の底から、灼熱のマグマのような感情が噴き出した。

 それは、死への恐怖ではない。

 このまま何も成せずに終わることへの、どうしようもない理不尽さへの、強烈な怒りだった。


「ソフィア!」

 

 俺は全身全霊で声を上げる。

 彼女と目が合った。


「護符だ!」


 向こうが道具を使うのなら、こちらも使えば良い。


「投げつけろ!」


 ぶつけられたのだから、ぶつけ返せば良い。


 至極当然の摂理だ。


 ソフィアが、一瞬だけ驚いたように俺を見たのが分かった。だが、彼女はすぐに俺の意図を理解したのだろう。あるいは、もはや他に打つ手がないと判断したのかもしれない。

 彼女は負傷していない左手で素早く懐を探り、小さな革袋を取り出した。


「――っ!」


 ソフィアは短く息を吸い込むと、迫りくるゴブリンの棍棒を紙一重で避けながら、革袋から取り出した古びた木彫りの護符を、もう一体のゴブリン――ランドを追い詰めている個体へと、力強く投げつけた。


 ひゅん、と風を切る音と共に、小さな護符が宙を舞う。

 それはまるで、時がゆっくりと流れているかのように、俺の瞳に映り込んだ。


 護符は、ランドに襲いかかるゴブリンの額へと正確に吸い込まれるように命中した。


 パァンッ!


 乾いた音と共に、古びた木彫りの護符が砕け散る。

 いや、違う。砕けたのではない。護符は眩いばかりの淡い黄金色の光を放ち、その衝撃でゴブリンの身体を弾き飛ばしたのだ!


 グギャアアアアアアッ!?


 ゴブリンは、まるで目に見えない壁に叩きつけられたかのように後方へ吹き飛び、地面を数回転がり落ちる。

 そして、その身に纏わりつくように残った黄金色の光の粒子を嫌悪するように、苦悶の叫びを上げながら身を捩らせていた。明らかに動きが鈍り、先ほどまでの凶暴性が嘘のように怯えている。


 『魔除け』――その力は、魔物に対して直接的なダメージを与えるものではないのかもしれない。だが、魔物が最も嫌うであろう、聖なる力、あるいは強い拒絶の力を放ち、対象を退ける効果があるのだろう。


「……今だ!」


 俺は砕け散るような頭の痛みを気合でねじ伏せ、大地を蹴った。

 護符の効果で一体が怯んでいる。残るは、ソフィアに襲いかかっている最後の一体。

 彼女は負傷し、もはや限界に近い。ここで俺がやらなければ!


「うおおおおおおっ!」


 雄叫びを上げながら、一直線にゴブリンへと向かう。

 右拳はまだ痺れ、力が入らない。ならば、左だ!

 ガルドさんに叩き込まれた基礎的な体術の型。踏み込み、腰の回転、体重移動。

頭部のダメージで視界はまだ霞み、足元も覚束ない。だが、身体に染み付いた動きと、この状況を打開するという強烈な意志だけが、俺を突き動かしていた。


 ソフィアを庇うようにゴブリンの前に躍り出る。

 ゴブリンは、突如現れた新たな邪魔者に驚きつつも、棍棒をさながら盾のように構えた。


 ――クソッ。


 直感的にこのままでは、ダメだと悟る。

 この未熟な身体ではそれを貫くほどの威力は出せない。

 もう少し歳を重ねていれば、倒れることだって、力不足に嘆くことだってなかった。


 ――クソッ!!


 力不足、修行不足、年齢不足、経験不足、今の俺には全てが足りない。


 それは努力だけでは決して覆せない、時間という理不尽かつ平等な壁。

 もし、あと数年、いや一年でも成長していれば。

 もし、もっと早く転生し、修行を積む時間があったなら。



 ――冗談じゃない!


 

 時間が足りない? 経験が足りない?


 俺は一体誰に言い訳をしてるんだ。

 これはゲームじゃない。

 後悔なんてしてるくらいなら、今、全力を出し切るしかないだろ!


 怒りが、渇望が、俺の中で渦を巻く。


 ――足りない? なら、補えばいい。

 

 経験も、知識も、過去も、全部だ。



 ――カチリ――



 頭の奥深くで、錆び付いた歯車が、数多の時を経てようやく噛み合ったような、確かな感覚があった。


 もはや思考ではない。本能が、魂が、叫んでいる。


 踏み込み、腰を回し、左拳を突き出す。それは先ほどまでと同じ動作のはずなのに、全く違う。身体の芯から湧き上がる熱量が、尋常ではない力を拳に宿らせる。

 ガルドから叩き込まれた基礎。だが、その動きは既に、もはや模倣ではない。


「――強撃――」


 それは、確かにあの時と同じ技の名。

 だが、拳がゴブリンの棍棒に触れる寸前、俺は無意識に、しかし確信を持って、その拳を開いた(・・・)


「――インパクト!!」


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