第23話 相性
翌朝、俺は叩き起こされる形で目を覚ました。
眼の前には呆れた表情でこちらを見下ろすソフィア。
その態度を見て察する。
どうやら俺はこんな大切な日に寝過ごしてしまったらしい。
あまり自覚はなかったが、やはり初仕事の疲労が溜まっていたのだろうか。
「お、おはよう……」
気まずいながらも挨拶をすると、ソフィアは大きなため息を一つ、これ見よがしに吐いた。
「もうとっくに日は昇っています。予定では一刻も前に出発しているはずでしたが?」
冷ややかな、それでいて有無を言わせぬ圧のある声。その青い瞳は「言い訳は聞きません」と雄弁に語っている。
ぐうの音も出ない。完全に俺の落ち度だ。
まさか、ここまで熟睡してしまうとは。
「す、すまない……すぐ準備する!」
俺はベッドから飛び起き、慌てて昨日脱ぎ捨てた旅装へと着替え始める。顔を洗う時間すら惜しい。水差しに残っていた水を乱暴に顔にかけ、手ぬぐいで拭うと、急いで部屋を飛び出した。
階下では、ガルドさんや他の護衛騎士たちが既に準備万端といった様子で待機していた。俺の姿を見るなり、ガルドさんはニヤリと笑う。
「よう! アラン坊主、お寝坊さんだったようだな! ソフィア嬢に叩き起こされるとは、いいご身分じゃねえか!」
「……すみません」
ガルドさんのからかいに、俺は縮こまるしかない。護衛の騎士たちも苦笑いを浮かべている。ソフィアはそんな俺たちを一瞥すると、さっさと家の外へと歩き出してしまった。
「ほら行った行った! ソフィア嬢を待たせるな!」
ガルドさんに背中を叩かれながら俺はその後を追った。
騎士たちや、村長夫妻に生暖かい視線を向けられながら見送られ、俺達は早朝のラーム村を歩き出す。
目指すは、昨日見つけた村はずれの祠だ。
ソフィアは前を黙々と歩いている。その背中からは、まだ不機嫌なオーラが漂っているように感じられ、俺はどうにも声をかけづらい。
「あの……ソフィア」
意を決して話しかけると、彼女は僅かに振り返り、
「何ですか?」
と、温度のない声で応じた。
「昨日の護符のことなんだが……やっぱり気になる。あれが本当に魔除けだとして、どうしてあんな場所に、忘れられたように置かれていたのか」
話題を変え、彼女の興味を引きそうな話をする。効果は覿面だったようで、ソフィアの表情がわずかに和らぎ、思考するような色を見せた。
「実際に見てみないことには何とも言えませんが……考えられる可能性はいくつかあります。最も可能性が高いのは村の結界が更新され、古い護符が不要になった。でしょうか」
「まあ、そうだな」
俺は頷く。理屈としてはそれが一番自然だ。
しかし自分で振った話題ではあるが、『魔除けの護符』が置かれていた理由は正直あまり興味がない。
俺が本当に知りたいのは、なぜゲームで『古守の護符』があった場所に、この『魔除けの護符』があるのか、ということだ。
世界そのものが違うのか、あるいは何者かが意図的にすり替えたのか。
もし後者なら、その目的は何なのか。そして、本来あるはずだった『古守の護符』はどこへ行ったのか。
「…あるいは、何らかの理由で意図的に隠された、とも考えられます。例えば、悪用を恐れて、とか」
ソフィアは可能性を列挙するが、俺の疑問の核心にはまだ触れない。まあ、彼女にゲーム知識はないのだから当然だ。
そんなことを考えながら歩いているうちに、昨日見つけた村はずれの祠へとたどり着いた。
朝の光の中で見ると、その古びた姿はより一層際立って見える。苔むした石肌、崩れかけた屋根、絡みつく蔓草。まるで長い眠りについているかのようだ。
「ここですか」
ソフィアは祠を観察するように見回し、静かに呟いた。その青い瞳には、いつもの冷静さに加えて、未知の対象に対する学者のような探求心が宿っている。
「ああ。昨日、中を少し見ただけだけど、かなり古いものみたいだ」
俺が答えると、ソフィアは頷き、慎重な足取りで祠へと近づいた。彼女はまず、祠の外観を丹念に観察し始める。苔むした石の表面にそっと触れ、崩れかけた屋根の構造を確認し、時には屈み込んで基礎部分を調べている。
「……使われている石材、それにこの様式。かなり古いですね。おそらく、この村が成立するよりも前の時代のものかもしれません」
やがて彼女はそう結論付けた。俺にはただの古い石積みにしか見えないが、彼女の目には、その歴史や価値が見えているのだろう。
「それじゃあ、やっぱり言い伝えにあった『村ができる前の神様』っていうのも……」
「可能性はあります。この祠自体が、古代の信仰の対象だったのかもしれません」
ソフィアはそう言うと、今度は祠の内部へと足を踏み入れた。俺もその後に続く。
昨日と同じ、かび臭く埃っぽい空気。差し込む朝の光が、舞い上がる埃をキラキラと照らしている。
ソフィアは、昨日俺が護符を見つけた中央の祭壇へと真っ直ぐ向かった。そして、護符が収められていた窪みに視線を落とす。
「この中に、あの護符が?」
「ああ、そうだ。石の蓋がしてあって、隠されていた」
俺が答えると、ソフィアは再び右目に淡い黄金色の光を宿らせた。
『天眼』だ。彼女はその瞳で、窪みの内部をじっと見つめる。
「この傷は貴方が?」
ソフィアは、護符が隠されていた窪みの縁を指差しながら、俺に尋ねた。窪みの石材には、確かに真新しい、僅かな擦り傷のようなものが付いている。
「ああ、多分……そうだと思うけど」
俺は曖昧に答える。
正直、昨日暗がりで蓋を開けた時に、自分がつけたのかどうか確信は持てない。
「……そうですか」
ソフィアはそれ以上追及せず、再び窪みの内部へと視線を集中させる。
黄金色の瞳が、壁の石材、積もった埃、そして空気中に漂う微かな魔力の残滓までも見透かそうとしているかのようだ。数秒間、彼女は微動だにせず、ただ鑑定に集中していた。
やがて、彼女の瞳の輝きがゆっくりと収まった。
「どうだった?」
俺は期待と不安の入り混じった声で尋ねる。何か手がかりは掴めたのだろうか。
「生憎と目新しい情報は何も」
ソフィアは静かにそう告げ、瞳の輝きを収めた。やはり、そう簡単にはいかないか。俺は内心で肩を落とす。
「そうか……まあ、仕方ない」
『天眼』も万能ではない。
今ある事実を見ることができるわけで、隠された真実までも見抜くのはまた別の力だ。
「では、貴方の私用を――」
――ガサッ! バキッ!
静かな朝の空気を破るように、祠のすぐ近く、木立の奥から枝を踏み折るような鋭い音が響いた。
俺とソフィアは同時にハッとして音のした方へ振り返る。
「……誰かいるのか?」
俺は警戒しながら声をかける。野生動物か、あるいは……。
茂みが再びガサリと揺れ、そこから姿を現したのは、見覚えのある少年だった。
燃えるような赤髪、鋭い眼光。
昨日、この場所で遭遇した少年――ランド・ガリオンだ。
「……またお前か、ここで何してる?」
ランドは、茂みから半身を乗り出したまま、昨日と同じように鋭い視線で俺たちを睨みつけてきた。
「昨日の祠が気になってな。お前こそ、こんな朝早くから何を?」
できるだけ穏やかな口調を心がけランドに問いを投げた。
ランドは、俺と、俺の隣に立つソフィアを交互に睨みつける。特にソフィアに対しては、その明らかに上質で聖職者を思わせる装束に、より一層の警戒心を抱いているようだった。
「……別に、お前らには関係ねえだろ。それより、まだ何か用があんのかよ、この石ころに」
吐き捨てるように言うランド。やはり祠自体には何の興味もなさそうだ。だが、俺たちがこの場所にいること自体が気に入らないらしい。
「いえ、既に用事は済みました……ところで貴方は昨日の天恵の儀にいらしていなかったようですが」
俺が答えるよりも先にソフィアがきっぱりとした口調で答えた。
彼女はランドの敵意にも動じることなく、冷静な口調で淡々と言葉を繋げる。
僅かだがその瞳には黄金の色が見え隠れしていた。おそらく、再び『天眼』を使っている。
「……くだらねえ、他人の天恵なんかに興味なんてねえよ」
ランドはそう吐き捨てる。
「そうですか、まあ個人の自由ですので強制しませんが、来年は必ず参加するようお願いします」
ソフィアの淡々とした、しかし有無を言わせぬ口調。それは、まるで決定事項を告げるかのように、静かな圧力を伴っていた。
「……何だと?」
ランドの声に、明らかな敵意と反発の色が宿る。彼はソフィアを睨みつけた。
「いえ、単純に来年、貴方は十歳を迎えるようにお見受けしましたので」
ソフィアの言葉は、まるで針のようにランドの心に突き刺さったようだった。彼は目を見開き、僅かに息を呑む。俺ですら知らなかった彼の年齢を、ソフィアは『天眼』で正確に見抜いたのだ。
それで俺も納得した。
天恵の儀に参加しなかった理由をだ。
てっきりレオン含め、俺とランドは同じ歳だと思っていたのだが、一つ年下だったのか。
「……っ、なんで、お前が……」
ランドの声が微かに震える。動揺と、自分の内側を見透かされたことへの恐怖、そして反発心がないまぜになった複雑な感情が、その赤い瞳に渦巻いていた。
「それが私の天恵ですので。来年の儀式には必ず参加を。貴族であろうと平民であろうと、天恵を授かる機会は平等に与えられるべきものです。拒否することは許されません」
ソフィアは畳み掛けるように、しかしあくまで冷静に告げる。
その言葉は正論であり、グレイン家(ひいては聖教会)の立場からの通告でもあるのだろう。だが、今のランドには、ただの押し付けがましい権力の言葉にしか聞こえないはずだ。
「うるせえ! お前に指図される筋合いはねえよ!」
予想通りランドは言葉を荒らげ激昂した。
そういえばゲームにおいても、この二人の関係は最悪だった気がする。
サブキャラ同士ながら、専用のセリフがあるくらいには。
「二人とも、その辺にしておけ」
俺は堪らず仲裁に入った。このままでは、ただでさえ悪いランドとの関係が、修復不可能なレベルまで悪化してしまう。それに、今回に限ってはソフィアもやや言い方が悪い。天眼で相手の素性を一方的に探り、有無を言わさず正論を突きつけるやり方は、反発を招いて当然だ。
「貴方は黙っていてください。これは彼自身の将来に関わる重要なことです」
しかしソフィアは俺の制止をぴしゃりと撥ね退けた。その瞳はランドを真っ直ぐに見据え、一歩も引く気はないようだ。
冷静なソフィアらしくない一面。
それは逆に言えば初めて見たソフィアの子どもらしい部分だった。
「将来だぁ? くだらねえ! 俺の将来は俺が決める! お前らみてえな奴らに決められてたまるか!」
ランドの怒りは収まるどころか、さらに燃え上がった。彼は握りしめた木の棒をソフィアへと向け、威嚇するように一歩踏み出す。
まさに一触即発。
間接的にだが、俺の浅ましい願望でこの自体を招いた。
もはやランドとの和解は考えるべきではないのだろう。
「いい加減に――」
俺が再び声を張り上げ、二人の間に割って入ろうとした、その瞬間だった。
カン、カン、カン! カン、カン、カン!
村の方角から、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。それは昨日、天恵の儀の開始を告げた穏やかな音色とは全く違う、不規則で、切迫した響き。
緊急事態を知らせる、警鐘の音だった。
直後、ランドとは逆の草むらから妙な気配を感じ取る。
そして俺は目を見開いた。
「ご、ゴブリン……ッ!」




