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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第21話 護符

 夜更け。

 ようやく天恵の儀の後始末が一段落ついた頃、村長宅には村長夫妻と俺を含めた遠征組の面々が揃っていた。


 囲炉裏の火がぱちぱちと音を立て、部屋の中を暖かく照らしている。

 先ほどまでの興奮は少し落ち着き、安堵と疲労感が入り混じった、穏やかな空気が流れていた。


「いやはや、ソフィア様、アラン様、ガルド様、そして騎士の皆様。この度は、まことに、まことに……」


 村長は、食事が一段落したところで、改めて深々と頭を下げた。

 幾度となく聞いたその感謝の言葉は、それほどまでに此度の天恵の儀は彼らにとって天恵だったのだと思わされる。


「おいおい、そんな何度も頭を下げなさんなって、村長殿」


 ガルドさんが、空になった木の杯を置きながら、豪快に笑って村長の肩を叩いた。


「俺たちは仕事で来ただけだ。それに、めでたいじゃねえか! まさか『剣聖』とはな! あのエルモって坊主、将来が楽しみだぜ!」


「はい、まことに……身に余る光栄でございます……」


 村長は感極まった様子で再び目頭を押さえる。

 その隣で、村長の妻も静かに涙を拭っていた。この村から、歴史に名を残すかもしれない英雄が生まれたのだ。その喜びと、同時に未来への責任感が、老夫婦の肩に重くのしかかっているようにも見えた。


「しかし、ソフィア様の『天眼』、まことに素晴らしいお力で……」


 村長の視線が、静かに食事を進めていたソフィアへと向けられる。


「大したことではありません。定められた役目を果たしたまでです」


 ソフィアは顔色一つ変えず、淡々と答えた。その落ち着き払った態度が、かえって村長には神々しく映るのかもしれない。


 食事は質素なものだったが、心のこもった温かいスープと、焼きたての香ばしいパン、そして村で採れたらしい野菜の塩漬けなどが並び、長旅と今日の緊張で疲れた体には何よりのご馳走に感じられた。


 ガルドさんは慰労の挨拶から自身の武勇伝を延々と語り聞かせ、村長夫妻と騎士の方々は楽しそうに、俺は関心を持って、そしてソフィアは少し距離を置いて、各々が終始和やかな雰囲気のまま食事会は進んだ。


 会話が一段落し、村長が囲炉裏の火に薪をくべるために立ち上がった、そのタイミングだった。俺は意を決して口を開いた。


「あの、村長さん。一つ、お伺いしたいことがあるのですが」


 俺の声に、その場の全員の視線が集まる。ガルドさんが「ん?」と眉を上げ、ソフィアも静かにこちらを見た。


「実は昨日、村はずれを少し散歩していた時に、古い祠を見つけまして……」


 俺は懐から、例の小さな革袋を取り出した。


「その祠の中で、これを見つけたんです。古い護符のようですが……もしかして、村のどなたかの物、あるいは、何か謂れのあるものでしょうか?」


 俺は革袋から木彫りの護符を取り出し、村長に見せた。囲炉裏の明かりを受けて、古びた護符が鈍い光を放つ。


「……はて、祠、とな? 村はずれにそのようなものはあっただろうか」


 村長は首を傾げ、記憶を探るように天井を見上げた。その隣で、彼の妻がはっと息を呑む。


「あなた、それってあの丘の……古い石のことじゃない?」


 妻の声には、驚きと共にどこか懐かしむような響きがあった。


「おお、そう言えば、丘へ続く道の脇に、そんなものがあったような……。だが、もう何十年も尋ねておらんな。わしも子供の頃に一度行ったきりで……」


 村長は、妻の言葉でようやく祠の存在を思い出したようだ。


「して、その護符が……?」


 村長は改めて、俺の手の中にある木彫りの護符に視線を落とした。囲炉裏の火の明かりだけでは細部までは見えないのだろう、彼は身を乗り出してそれを覗き込む。


「ふむ……このような物は、見たことがないのう。少なくとも、村の誰ぞの持ち物ではないはずじゃが……」


 彼は護符を手に取り、指先でその古びた表面をなぞる。


「昔、祖父から聞いた話なんですが」


 不意に、村長の妻が口を開いた。彼女は遠い昔を思い出すように目を細めている。


「昔々、この村ができた頃の話だって……村を守る小さな神様がいて、その力が宿ったお守りがあったって。でも、いつの頃からか忘れられて、祠も荒れ放題になっちまったって……」


「ほう、そんな言い伝えが……」


 ガルドさんが興味深そうに相槌を打つ。


「ええ。まあ、ただのおとぎ話だと思ってましたがねぇ。でも、こうしてアラン様がそれを見つけなさったとなると……」


 村長の妻は、護符と俺の顔を交互に見比べ、何か不思議なものを見るような眼差しを向けた。


「わしらが粗末にしとったせいで、神様の力が弱まってしもたんじゃろうか……近年、魔物もよう出るようになったし……」


 村長は護符を見つめながら、悔恨の念を滲ませて呟いた。その言葉に、俺は少し胸が痛む。ゲームでは村は滅びる運命だった。それは単なるゲームのシナリオだと割り切っていたが、こうして目の前の人々の生活や想いに触れると、そう簡単には考えられなくなる。


「だとしたら、この護符は、俺が持っていていいものでは……」


 俺が言いかけると、村長はかぶりを振った。


「いや、アラン様」


 村長は俺の目を見て、きっぱりと言った。


「それは、あんた様が見つけなさったものじゃ。そして、こうして正直にわしらに見せてくださった。これはきっと、何かの縁じゃろう。忘れられていた神様が、あんた様を介して、わしらに何かを伝えようとしてなさるのかもしれん」


 村長はそう言うと、護符を丁寧に俺の手のひらに戻した。


「どうぞ、お持ちくだされ。それが、この護符にとっても、あんた様にとっても、一番良いことのように思えるでの」


「……いいんですか?」


「ああ。わしらが持っていても、ただ仕舞い込むだけじゃ。あんた様のような方が持っていてくだされば、あるいは、その力が再び目覚めることもあるかもしれん」


 村長の言葉には、迷信深い田舎の老人の言葉、と片付けるには重すぎる、誠実な響きがあった。彼が心の底からそう信じているのが伝わってくる。


「……分かりました。ありがとうございます。大切にします」


 俺は護符をしっかりと握りしめ、深く頭を下げた。革袋に入れ、再び懐の奥へとしまい込む。これで心置きなく、この『古守の護符』の力を借りることができる。


「それにしても、アラン坊主。お前さん、運が良いのか、物好きなのか……」


 ガルドさんが、呆れたような、それでいて面白そうな顔で俺を見る。


「俺もガキの頃はよく探検したが、そんな曰く付きの物を見つけたことはねえぞ」

「はは……たまたまですよ」


 俺は苦笑いで誤魔化す。まさかゲーム知識でピンポイントで見つけたとは言えない。


 護符の件が一段落し、再び和やかな空気が戻る。

 囲炉裏の火が揺らめき、夜は静かに更けていった。

 話の流れの中で、俺はそれとなく切り出してみた。


「そういえば、昨日、村はずれで赤い髪の少年を見かけたんですが……この村の子ですか?」


 俺の言葉に、村長夫妻は顔を見合わせ、わずかに表情を曇らせた。ガルドさんも「赤い髪?」と首を傾げている。


「ああ……ランドのことかね」


 村長が、少しだけ声を潜めて言った。


「あの子は……少し、気難しいところがあってな。数年前に両親を流行り病で亡くしてからは、三人の兄妹だけで肩を寄せ合って暮らしておる。村の者も気にかけてはいるんじゃが、あの子自身があまり関わろうとせんので……」


 その言葉には、ランドに対する同情と、同時に持て余しているような響きが混じっていた。やはり、彼はこの村でも孤立しているらしい。

 とすると、あの時ランドに呼びかけた声が、その兄妹の誰かなのだろう。


「そうなんですか……」

「何か粗相でもありましたかな?」


 村長が心配そうに尋ねてくる。


「いえ、そんなことは。ただ、少し話をしただけで……。でも、強い目をした子だな、と」


 俺がそう言うと、村長はふっと息をついた。


「強い目……そうかもしれん。あの子は、人一倍『強さ』にこだわっておるからのう。それが、良い方に向かえば良いんじゃが……」


 それ以上の情報は得られそうになかった。だが、ランドがこの村でどのような立ち位置にいるのか、その一端を知ることができただけでも収穫だ。彼が抱える孤独と渇望が、将来の彼を形作るのだろう。


 やがて食事会はお開きとなり、俺たちは村長夫妻に改めて礼を述べ、それぞれの部屋へと戻った。護衛の騎士たちは、交代で見張りに立つようだ。


「……それを見せていただいてもいいですか?」


 階段を上り、二階の自室に戻ろうとした時、隣の部屋の扉の前に立つソフィアに呼び止められた。


「ああ、これか?」


 俺は懐から、村長から譲り受けたばかりの革袋を取り出し、中から古びた木彫りの護符をソフィアに見せた。


「はい、少々気になりまして」


 流石だと思った。

 彼女の嗅覚は、この護符に宿る力を本能的に察したのだろうか。


「……貴方のことですから、ゴミをわざわざ拾ってくるとは思えませんし」


「……ゴミって」


 感心した気持ちを返してほしい。

 ソフィアの率直すぎる(そして若干失礼な)物言いに、俺は思わず苦笑いを浮かべるしかなかった。


 しかしそんな俺を差し置いて、彼女は瞳を黄金に輝かせる。


 

「……これは本当にその祠にあったのですか?」



 しばらくしてソフィアからそんな言葉が飛んできた。


「え? そうだけど」


 理由はどうあれ、そこに嘘偽りはない。

 しかしソフィアの反応は芳しくなかった。

 いつにも増して難しい表情を浮かべ、護符と俺の顔の間で交互に視線を向ける。


「何だ?」


 堪らず尋ねる。


「いえ……どうもこれは少々特殊なものでしたので」


「特殊?」


 ソフィアの言い淀む言葉に問いを投げる。

 確かに特殊効果はあるのだろう。だが、そこまで動揺されるものという認識はなかった。


「これは『魔除けの護符』。村に魔物が寄り付かないようにする、つまり、簡易的な聖域の役割を持つものです」


「……え?」


 その答えは、俺の想定するものとは、確かにズレていた。

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