第20話 祝福
広場の視線が、最後の一人である少年、エルモに注がれる。
村長の隣で固くなっていた彼は、深呼吸を一つすると、意を決したように前へ進み出た。その足取りはわずかに震えているが、瞳には強い意志の色が宿っている。
エルモが水晶球に手を触れる。ひんやりとした感触に、彼の肩が微かに跳ねた。
ソフィアの右目が再び淡い黄金色に輝き、広場の空気は水を打ったように静まり返る。村人たちの祈るような視線が、ソフィアの唇に集中していた。
「エルモ・キース。貴方の天恵は……」
そこで初めてソフィアが言い淀んだ。
その光景はまるで俺自身の天恵の儀の光景が思い浮かぶようで、思わず息を呑む。
「――剣聖です」
ソフィアが絞り出すように告げたその二文字は、先ほどの『豊穣』とは比較にならないほどの衝撃をもって広場を打ち、一瞬の完全な静寂をもたらした。
「け……剣聖……?」
村長が、信じられないといった表情でかすれた声を漏らす。
他の村人たちも、言葉の意味を理解できずに呆然としている。
その反応は無理もない。剣聖——それは数多ある天恵の中でも最高位に位置づけられる、伝説級の才能。歴史に名を残す英雄たちが有したと言われる、まさに「聖」の名を冠するにふさわしい力だ。
このような辺境の、貧しい村の少年が、そんな天恵を授かるなど、誰も想像していなかっただろう。
そして俺もまたその事実に衝撃を受けていた。
剣聖はゲームにおいても最強クラスの天恵だ。
攻守に優れたスキルを習得し、特に剣を用いた戦闘においては比類なき強さを発揮する。
『セレスティアル・サーガ』シリーズを通じて、この天恵を持つキャラクターはたった一人しか記憶にない。
聖騎士ロイド・アーウィン。
父マルク・フォルテスが指揮するセレスティア王国騎士団の副団長であり、王国最強の盾と称される青年。性格は穏やかで正義感が強く、誰からも慕われる、まさに騎士の鑑のような人物だ。作中では、その圧倒的な防御力と、多彩な剣技で、幾度となく主人公たちの窮地を救った。
そんな最強と言っても良い天恵が、今目の前で明かされた。
その歴史的瞬間ともいえる場面に立ち会えたなんて、幸運以外のなにものでもないだろう。
「おお……! なんということだ……!」
「エルモが……剣聖……!」
数秒の静寂の後、堰を切ったように歓声が沸き起こった。
安堵と驚愕、そして純粋な喜びが爆発し、広場は先ほどまでの厳かな雰囲気から一転、興奮のるつぼと化す。エルモの両親らしき夫婦が泣き崩れながら息子に駆け寄り、村人たちが次々と祝福の言葉を投げかけていた。
しかし、俺の心には興奮とは別の、冷たい疑問が渦巻いていた。
今もなお水晶の前で戸惑いの表情を隠しきれていない少年、エルモ・キース――その名に、俺は一切心当たりがなかったのだ。
『セレスティアル・サーガ』シリーズにおいて、サブクエストのNPCに至るまで、膨大なキャラクターが登場した。その中でも「剣聖」という最高位の天恵を持つ者は、ロイド・アーウィンただ一人のはず。このエルモという少年は、少なくとも俺の知るゲームの歴史には存在しない人物だった。
いくら天恵が優れていても、当人の努力や環境次第でその才能が花開かない可能性はある。それこそ辺境の村で才覚が埋もれてしまった、なんてこともありそうだ。
だが、流石に『剣聖』クラスの天恵となると話が変わってくる。そんな才能を持つ者が、歴史の片隅で誰にも知られずに生涯を終えるとは考えにくい。何かしらの形で物語に関わる《《べき》》存在だ。
――いや、これも転生者としての傲慢な思考か?
俺は首を振り、悪い癖を自覚する。ゲームの知識はあくまで参考情報であり、この世界の全てではない。この世界は俺の知るゲームとは違う、独自の歴史と運命を持っているのかもしれないのだ。
ふと、俺は広場の隅に立つ、あのフードの人物に視線を向けた。
彼もまた、この奇跡に立ち会えた幸運な人物の一人に違いない。
そんな彼は相変わらず木陰に静かに佇み、腕を組んだまま広場の熱狂を眺めていた。
そのフードの下の表情は窺い知れないが、特に驚いた様子も、興奮した様子も見られない。まるで、この「剣聖」の誕生すら、彼の想定内であったかのように。
あるいは全く興味がないのか。
その微動だにしない姿が、かえって不気味さを際立たせていた。
「……以上で、ラーム村の、天恵の儀を終了します」
興奮冷めやらぬ中、ソフィアは静かに、しかしよく通る声で儀式の終了を告げた。
彼女は水晶玉を丁寧に布で包み、脇に控えていく。
「この度の鑑定、誠にありがとうございました!」
「エルモのこと、どうか……どうか、お導き下さい!」
エルモの両親と思しき二人の男女が涙ながらにソフィアに詰め寄る。
村長も、深々と頭を下げ感謝の言葉を繰り返していた。
ソフィアは動じることなく、冷静に受け止めながら口を開く。
「天恵をどう活かすかは、本人次第です。ですが、彼の才が正しく導かれるよう、ヘレナ様にはご報告させて頂きます」
ソフィアは淡々と、しかし確かな約束を告げた。
その言葉に両親と村長は感極まった様子を見せる。剣聖の才能を正しく導くには、村の力だけでは到底足りない。グレイン家、ひいては聖教会や王国の支援が不可欠になるだろう。
それこそフォルテ家としても、欲しい人材であることは間違いない。
俺は、記録係としての仕事を終え、椅子や筆記用具を片付け始めた。
広場にはまだまだ祝福の興奮が覆い尽くしているが、儀式そのものは無事に終えたと言ってもいいだろう。
補佐官としての最初の仕事は、まあ、十分に果たせたのではないだろうか。
「――良いものを見させてもらった」
広場の喧騒の中、、片付けをする俺の背後からかけられた、静かで落ち着いた声。
ハッと息を呑み振り返ると、そこにはやはり例のフードを被った男が立っていた。
「あ、ああ、楽しんでいただけたようで何よりです」
俺は努めて平静を装い、補佐役としての笑顔を貼り付ける。
「剣聖、か。まさかこのような辺境の地で、そのような天恵が目覚めるとは。まさに奇跡と言うべきだろう」
フードの男は、広場の中心で村人たちに囲まれ、祝福と戸惑いの入り混じった表情を浮かべている少年――エルモへと視線を向けながら、感慨深げに、しかしどこか他人事のように呟いた。
相変わらずその立ち振舞や声音からは、興奮や動揺の色は感じられない。
「そうですね……我々も驚いています」
事実として正直な感想を告げる。
「そしてその天恵を見抜いたあの少女もまた、素晴らしい才を持っているようだ」
次に男が言及したのは、ソフィアについてだった。
「まあ……そうですね」
俺は曖昧に相槌を打つ。
確かに彼女の力もまた『剣聖』に負けず劣らずの特異なものだが、この男の前に迂闊なことを言えない。
やはりその怪しい風貌が、俺の警戒心を刺激していた。
「それに君もだ」
「……え?」
不意に、フードの男の視線が俺に向けられた。
予想外の言葉に俺は戸惑いの言葉を漏らす。
「齢十そこそこと見受けるが、君もまた不思議な存在だ。妙に落ち着いた態度に、理性と知性を感じる。この歳にしては不釣り合いなほどに」
フードの男の言葉は、確かに、しかし確実に俺の心の壁を叩いた。
革新を疲れたような感覚。背筋に冷たい汗が流れる。
「ああ、変な意味ではなくてね」
俺の動揺を察したのか、フードの男はわずかに肩を竦め、言葉を続けた。その声には、先ほどまでの冷徹さとは少し違う、まるで老獪な学者が未知の対象を観察するような、純粋な好奇の色が混じっているように聞こえる。
「ただ、君のような子供は珍しいと感じただけだ。この辺境の村には不釣り合いな、洗練された雰囲気も持っている。……あるいは、最近の子たちは皆、君たちのように聡明なのかな?」
「買いかぶりですよ。俺は……まあ、他の人より色々とあっただけです」
少しだけ本音を交えつつ、要点だけは濁して答えた。
「ふむ……色々、ね」
フードの男は、俺の言葉を吟味するように顎に手を当てた。
「……ああ、そうだ自己紹介がまだだった。私はこういうものだ」
不意に、フードの男はそう言うと、懐から一枚の銀板を取りだし俺に差し出した。
それは身分を示すための証明証なのだろうか。俺は訝しみながらもそれを受け取る。
「冒険者――ダラス・エリオット」
俺はその銀板に書かれた名前を読み上げる。
冒険者――それは特定の国や組織に縛られず、依頼を受けて各地を旅し、時には危険な魔物討伐や未踏地の探索を行う者たち。自由だが、実力がなければ生きていけない厳しい世界。その頂点に立つ特級冒険者ともなれば、一国の騎士団長に匹敵する力を持つとも言われている。
そして、四公爵家の一つ、サンティス家が彼らを統括する冒険者ギルドの後ろ盾となっていることは、貴族社会では広く知られた事実だった。
貴族社会から追放されたレオン・アルディが、生活費を稼ぐために生業とした職業であり、魔人族侵攻前においては、それなりに地位を確立していたようである。
「……冒険者の方だったんですね」
俺は警戒心を解かずに尋ねた。
銀板を返しながら、彼の反応を伺う。
「……それだけかね?」
しかしそこで初めて彼が困惑を見せた。
「え?」
俺が聞き返すと、ダラスと名乗った男は、ふっと短く息を吐き、すぐにいつもの落ち着きを取り戻した。
「いや、何でもない。少し驚いただけだ。……君は、私の名を知らないようだ」
そして沈黙が流れる。
初めて彼の予想外を引き出せた、といえば聞こえが良いが、俺の無知が晒されただけという見方もできる。
警戒心などよりも、今は気まずさがこの空間を支配していた。
「……何をしているんですか?」
その沈黙を破る声があった。
声の主はもちろん、儀式を終え、こちらへ近づいてきたソフィアだ。
「ああ、この方が見学をされていて、少し話を――あれ?」
俺は振り返り、ソフィアに男を説明しようとする。
しかし、先ほどまで俺の目の前に立っていたはずのフードの男――ダラス・エリオットの姿は、忽然と消え失せていた。
「何か?」
「いや……あのフードを被った人と話してたんだけど……」
だがその姿はどこにも見当たらない。
ソフィアも怪訝そうにこちらを見るだけだ。
「……ちなみに、冒険者ダラス・エリオットって名前に心当たりは?」
唯一の手がかりをソフィアに尋ねる。
するとソフィアは少し呆れたような表情でこちらを見た。
「特級冒険者の名前ですが」
その言葉に、俺は今度こそ本当に言葉を失った。特級冒険者——それは王国に数えるほどしか存在しない、英雄級の実力者たちのことだ。
なるほど、あの妙な反応はそれが原因か。
改めて己の無知を知ることになった。
「それが何か?」
「いや……その人がそう名乗ってたんだ」
「見間違い、ではなさそうですね」
ソフィアは特に驚いた様子も見せず、淡々と受け止めた。
「少し気になりますが……生憎と今は余裕がありません」
チラリと広場に視線を向けるソフィア。
そこにはようやく落ち着きを取り戻し始めた広場の姿があった。
「ああ、そうだな」
俺は首を振り思考を切り替える。
今はグレイン家、ソフィアの補佐として最後まで役目を全うするべきだ。
そうして俺達は無事に幕を閉じた天恵の儀の締め作業をするのだった。