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第17話 ラーム村

「おい、ラーム村が見えてきたぞ!」


 夕暮れ、馬上で先行していたガルドさんの声が、馬車の窓越しにもハッキリと聞こえた。

 昨日のゴブリン騒ぎ以降、より一層警戒を強めていたが、幸いにもそれ以上の魔物との遭遇はなく、旅は比較的順調に進んでいた。

 とはいえ筋肉痛の残滓と慣れない長旅の疲労は確実に蓄積している。

 そんな俺にとって、ガルドさんの声はまさに待ちわびた吉報だった。


「間に合ったようで何よりです」


 ソフィアもまた、一つ息を吐いて呟く。

 顔には出さないが、彼女も彼女でそれなりの疲労を抱えていたのだろう。


 俺は窓の外に広がる景色に目を凝らす。

 街道は緩やかな下り坂になっており、その先に、こぢんまりとした集落が見えてきた。赤茶けた土壁の家々、藁葺き屋根、畑を囲む簡素な木の柵。遠目にも、昨日立ち 寄った城砦都市ヴァラとは全く違う、素朴で、やや貧しい印象を受ける村だ。


「ここが……ラーム村」


 思わず呟く。

 ゲームでは荒れ果てた廃墟と、村の名前が記された看板だけが残る場所。

 だが今目の前にあるのは、確かに人々の生活が息づく村の姿だ。

 畑では農作業に勤しむ人影が見え、村の中心部からは細く白い煙が立ち上っている。

 何だかとても感慨深い気持ちになった。


「ソフィアはこの村に来たことがあるのか?」


 特に反応も示さない彼女に問いを投げかける。


「いえ、ありません」


 彼女は首を横に振り、視線を窓の外に向ける。


「寂れた村ですね」


「まあ、そんなもんだろ」


 辛辣に言ってのける彼女に、俺は苦笑するしかなかった。


「……貴方は他の村に行ったことが?」


 ふと、ソフィアが俺に視線を戻して尋ねてきた。その青い瞳には、純粋な疑問の色が浮かんでいる。俺の「そんなもんだろ」という相槌が、まるで経験に基づいたもののように聞こえたのかもしれない。


「いや、ほとんどないよ。でもまあ……フォルテス領ってこんな感じだから」


 事実と知識で嘘を誤魔化す。

 フォルテス領は軍事中心の領地であり、他の四公爵家と比較すると都市も比較的小規模だった。どちらかと言うと都市よりも要塞が多いくらいだ。


「なるほど、そうですか」


 ソフィアはそれ以上追求することなく、再び窓の外へと視線を戻した。



 やがて馬車は村の入り口に到着した。

 村の入り口には、粗末な木製の柵があるだけで、門番のような存在は見当たらない。ヴァラのような堅牢な城壁とは比べるべくもない、無防備な様子だ。これでは、昨日のようなゴブリンの襲撃にすら耐えられないのではないだろうか。



 俺たちが乗ってきた立派な馬車と、グレイン家の紋章は、この素朴な村ではかなり目立ったのだろう。農作業の手を止め、遠巻きにこちらを窺う村人たちの姿が見える。その視線には、好奇心と共に、どこか警戒の色も混じっているように感じられた。貴族や聖職者といった存在は、彼らにとって日常とはかけ離れた異質なものなのかもしれない。


「よし、着いたぞ! ソフィア様、アラン坊主、降りてくれ!」


 ガルドさんが馬から降り、馬車の扉を開ける。

 俺たちは促されるままに馬車を降りた。長時間の移動で固まった体を軽く伸ばす。土と、家畜の糞と、薪の燃える匂いが混じった、いかにもと言った匂いが鼻をついた。


「ようこそお越しくださいました! 聖女様からの御一行とは……このような辺鄙な村に、まことにもったいないことで……」


 ガルドさんの後ろから、慌てた様子で一人の老人が現れた。痩せてはいるが、目つきはしっかりとしている。身なりは他の村人と変わらない粗末なものだが、おそらくこの村の村長なのだろう。彼は深々と頭を下げ、恐縮しきった様子で俺たちを迎えた。


「ヘレナ様より預かってきた書状だ。受け取られよ」


 ガルドさんが懐から取り出した羊皮紙の巻物を、村長に手渡す。村長は震える手でそれを受け取り、恭しく押し頂いた。


「ははーっ、ありがたき幸せにございます……。まさか、我らのような村の子供たちのために、わざわざグレイン家の方が……」


 村長の言葉には、深い感謝と共に、隠しきれない安堵の色が滲んでいた。

 それだけ、明日の天恵の儀は、この村にとって重要な意味を持っているのだろう。貧しい村だからこそ、子供たちの未来を左右する天恵に大きな期待をかけているのかもしれない。


「長旅でお疲れでしょう。ささやかですが、宿をご用意しております。こちらへどうぞ」


 村長は再び深く頭を下げ、俺たちを村の中心部へと案内し始めた。護衛の騎士たちは手際よく馬車を移動させ、周囲の警戒を怠らない。

 村の中心と言っても、広場のような空間があるだけで、特に目立った建物はない。一番大きな建物ですら、俺が今まで見てきた貴族の屋敷の使用人小屋ほどの大きさだ。


 道すがら、何人かの村人とすれ違う。彼らは皆、俺たちを見ると足を止め、驚きと好奇の入り混じった視線を向けてきた。中には、幼い子供の手を引き、慌てて家の中に引っ込む者もいる。俺たちのような「よそ者」、特に貴族風の人間に対する警戒心は根強いようだ。



――祠は、どこだろうな。



 俺は周囲の景色に注意を払いながら、内心で呟く。『古守の護符』があるという古い祠。ゲームでは村はずれにあったはずだが、この村の地理は全く分からない。明日、儀式の前に少し時間があれば探せるかもしれないが……。



――それと、ランド・ガリオン……。



 もう一つの目的。あの特徴的な赤髪と、年齢にそぐわない鋭い目つきを持つ少年。村の子供たちの姿もちらほら見えるが、それらしき雰囲気の子は見当たらない。まあ、焦る必要はない。まだ着いたばかりだ。


「こちらが、宿になります。村で一番マシな家でして……お気に召さないかもしれませんが……」


 村長が案内してくれたのは、やはり村長の家だったようだ。他の家よりは少しだけ大きいが、それでも昨日止まった宿よりは質素な造りであることに変わりはない。


「いや、十分だ。感謝する」


 ガルドさんは村長の肩を軽く叩き、豪快に笑った。その屈託のない態度に、村長の強張っていた表情がわずかに和らいだように見えた。

 こういう時は、彼の豪胆な性格が頼もしい限りだ。


「それより、明日の儀式の件だが、対象の子供たちは何人いるんだ?」


 ガルドさんが尋ねると、村長は居住まいを正し、指を折りながら答えた。


「はい、今年は三人おります。皆、この日のために一生懸命準備をしてまいりました」


 その声には、子供たちの未来を案じる親のような響きがあった。やはり、この村にとって天恵の儀は、数少ない希望なのだろう。


「そうか、三人か。それは楽しみだな」


 ガルドさんは頷き、村長に促されるまま家の中へと入っていく。俺とソフィアもそれに続いた。

 家の中は土間になっており、奥に囲炉裏が見える。壁には農具や干し草などが掛けられており、生活感が溢れていた。決して裕福ではないが、綺麗に掃除されており、村長の人柄が偲ばれる。


「どうぞ、こちらへ。お嬢様とお坊ちゃまには、二階の部屋をお使いください。狭くて申し訳ありませんが……」


 村長は恐縮しながら、奥にある急な木の階段を指し示した。二階があるのは、村の中でもこの家くらいなのかもしれない。


「では、私がこちらの部屋を」


 ソフィアは階段に近い方の部屋を選んだ。

 なので俺は自動的にもう一方の部屋を使うことになる。


 村長に礼を言い、軋む木の階段を上る。二階には、小さな廊下を挟んで二つの部屋があるだけだった。ソフィアが手前の部屋の扉を開け、静かに中へ入っていく。俺も奥の部屋の、年季の入った木の扉を開けた。


 部屋の中は、予想通り狭かった。昨日泊まったヴァラの宿屋の半分もないだろう。壁は土壁がむき出しで、小さな窓が一つあるだけ。家具は、藁が詰められた簡素なベッドと、小さな木の台だけ。


 それこそ俺の前世のボロアパートよりも質素かもしれない。


 だが、意外にも不快感はなかった。部屋は綺麗に掃き清められており、ベッドの藁も新しいもののようで、干し草の良い香りがする。窓からは、村の裏手に広がる畑と、その向こうの緩やかな丘が見えた。夕陽が丘の稜線を赤く染めている。


「……案外、こっちのほうが落ち着いたりして」


 思わず独り言が漏れた。豪華さはないが、静かで落ち着ける空間だ。長旅の疲れを癒すには十分だろう。

 俺は荷物を床に置き、ベッドに腰を下ろす。ギシリ、と藁が軋む音がした。

 窓から吹き込む涼しい風が心地よい。



 ――さて、どうするか。



 少し休みたい気持ちはあるが、『古守の護符』があるという祠と、ランド・ガリオンのことが頭から離れない。

 特に護符は、今後のことを考えれば是非とも手に入れておきたい。状態異常攻撃は、この世界の戦闘において非常に厄介だからだ。

 そしてランドについても、もし彼がこの村にいるのなら、接触しておきたい。

 原作での彼の強さと影響力を考えれば、今のうちに関係を築いておくメリットは計り知れない。たとえ、彼が将来どのような道を選ぶとしても。


「……よし」


 俺は小さく呟き、意を決して立ち上がった。ギシ、とベッドが再び音を立てる。

 まずは『古守の護符』がある祠だ。ゲームの記憶通りなら、村はずれにあるはず。場所さえ特定できれば、回収は明日でも可能かもしれない。そして、祠を探しがてら、ランド・ガリオンの姿も探そう。あの特徴的な赤髪は、遠目にも目立つはずだ。


 問題は、勝手に動き回っていいものか、ということだ。護衛もいる手前、あまり不審な行動は避けたい。

 俺は部屋の扉を開け、廊下に出た。

 隣のソフィアの部屋の扉は閉まっている。ノックすべきか一瞬迷ったが、やめた。彼女は彼女で、明日の儀式の準備や、これまでの旅の記録整理などで忙しいのかもしれない。わざわざ邪魔をするのも気が引ける。


 階段を下りて土間に戻ると、ガルドさんが村長と何やら話し込んでいるのが見えた。護衛の騎士の一人も、入り口近くで周囲を警戒している。


「ガルドさん」


 俺が声をかけると、ガルドさんは話の途中だったが、すぐにこちらを向いた。


「おう、坊主。どうした? 部屋が気に入らなかったか?」


「いえ、そういうわけじゃなくて……少し、村の様子を見てきてもいいですか? すぐに戻りますから」


 俺がそう言うと、ガルドさんは顎に手を当て、少し考えるそぶりを見せた。村長も、わずかに不安そうな表情で俺を見ている。


「まあ、構わんが……あんまりウロチョロするなよ。日が暮れかけてるし、護衛も一人つけるか?」


「いえ、大丈夫です。村の中だけですし、何かあればすぐに」


 護衛をつけられると、祠探しがやりにくくなる。俺はできるだけ自然な笑顔を作って断った。


「ふむ……まあ、大丈夫か。問題ないかな、村長殿?」


「ええ、少なくとも村の外に出なければ、危険はありません」


「よし、決まりだ。暗くなる前には必ず戻ってこいよ。分かったな?」


「はい、ありがとうございます!」


 俺はガルドさんと村長に礼を言うと、足早に家の外へ出た。

 夕暮れの空気はひんやりとしていて気持ちがいい。村の中心部には、家路を急ぐ村人たちの姿がまばらに見えるくらいで、昼間よりも静かになっていた。


 さて、村はずれ、か。

 ゲームのマップを頭の中に思い浮かべる。確か、村の奥、丘へと続く道の途中にあったはずだ。

 あそこはギリギリ村の外……ではないはず。

 まあ行っていれば分かることか。


「こっちの方角、だったはずだが……」


 記憶は曖昧だ。ゲーム画面の俯瞰視点と、実際に自分の足で歩くのとでは、見える景色も距離感も全く違う。何度か細い脇道に入り込んでは行き止まりになり、その度に引き返す。


 すれ違う村人はもうほとんどいない。家々の窓からは夕食の支度をしているのだろう、暖かい光が漏れ、話し声が微かに聞こえてくる。その光景が、よそ者である俺の孤独感をわずかに際立たせた。


「あった……!」


 何度目かの角を曲がった時、ようやくそれらしき道を見つけた。他の道よりも少しだけ広く、丘の上へと緩やかに登っていく道だ。道の脇には雑草が生い茂り、あまり人が通っているようには見えない。


 その道を少し進むと、道の脇、木立に隠れるようにして、古びた小さな祠がひっそりと建っているのが見えた。

 石造りの祠は苔むしており、屋根の一部は崩れかけている。入り口には蔓草が絡みつき、長い間、人の手が入っていないことを物語っていた。


「これだ……間違いない」


 ゲームで見た祠と寸分違わない。記憶の中の風景が、現実となって目の前に現れたことに、俺は軽い興奮を覚えた。

 周囲を素早く見回す。幸い、人影はない。

 俺は足音を忍ばせ、祠へと近づいた。


「だれだ、お前」


 背後からかけられた、低く、そして敵意のこもった声。

 思わず心臓が跳ね、俺は勢いよく振り返った。夕暮れの薄闇の中、祠の入り口近くの木陰から、一人の少年が姿を現した。


 年の頃は、俺と同じくらいだろうか。

 ボロ切れのような服を着ているが、その体つきは引き締まっているように見える。

 そして何より目を引くのは、彼の髪の色だ。夕陽を受けて燃えるような、鮮やかな赤色。

 その赤い髪の下から、鋭い光を宿した瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いていた。


 ――間違いない。


 直感的に、確信に近いものが胸をよぎる。


 この子どもこそ、『セレスティアル・サーガ』における、裏主人公。


 ランド・ガリオン。


 その人だった。


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