第11話 魔法と現実
ソフィアの定期検査の後、俺は裏庭へと向かっていた。
魔法の練習をして良い時間になったからだ。
屋敷内を歩いていると、確かにソフィアの言った通り、グレイン邸の屋敷内は幾分落ち着きを取り戻しつつあるようだった。
行き交う神官や使用人たちの動きにも、以前のような切迫感は薄れているように見える。
となると、次の天恵の儀の日程も決まったのだろうか。
まあ……俺の儀式がどうなるかは不明だが、正直もう二度と受けたくはない。あの視線と疑惑の渦中に再び身を置くのは、精神的にかなりキツい。
そんなことを考えながら裏庭に出ると、もはや見慣れた光景が広がる。
手入れの行き届いた芝生、季節の花が咲く花壇、そして裏庭という概念を覆しかねないほどの十分すぎるスペース。
故に魔法の練習を遠慮なくできるのだが、まあ流石に攻撃魔法を使うのは無茶だ。
「さて、やるか」
俺は小さく呟き、意識を集中させる。
まずは基本の復習からだ。
学院で習った魔力操作。
身体の中にあるとされる魔力を感じ取る練習だ。
俺は小さく呟き、意識を集中させる。
まずは基本の復習からだ。
学院で習った魔力操作。
身体の中にあるとされる魔力を感じ取る練習だ。
目を閉じ、精神を統一する。血液の流れとは違う、もっと微細なエネルギーの流れがあると教わった。それを意識し、捉えるのだ。
…………そして十分後。
「……分からん」
大きく息を吐いて肩の力を抜く。
相変わらずこれだけは理解できない。
確かに、集中すると体内に何か微かな温もりや脈動のようなものを感じる"気"はする。だが、それが本当に魔力なのか、気のせいなのか判別がつかないし、ましてやそれを意識的に操作するなんて、どうすればいいのか見当もつかない。
基礎技術と言われるくらいなのだから、習得しておきたいのだが、独学では限界があるのだろうか。
「次だ」
時間も限られている。俺は早速次のメニューへと移った。
腕を前に突き出し、ゲームの記憶にある詠唱を口にする。
腕を前に突き出し、ゲームの記憶にある詠唱を口にする。
「散り行く星の残光、集いし希望の灯、空白を満たす光の欠片よ、吾が意思に従い形を成せ——光球!」
呪文を唱え終えると同時に、掌の上に淡い黄金色の光球が現れる。大きさも安定しており、最初の頃のように明滅したり、すぐに消えたりすることはない。
やはりこっちは、この五日間の練習の成果が確かに出ているようだ。
「奔流する青の飛沫、万物を映す水の鏡、形なきより形を成す潮の力よ、吾が掌に集いて渦巻け、水球!」
今度は、掌の上に透き通った水の球体が現れる。
さながら表面張力で形を保ち、空中をゆらゆらと揺らめいていた。
これも問題なく制御できている。
光、水、風……これまでに試したのは、主に生活魔法や初級の属性魔法に分類されるものだ。攻撃的な魔法は避けているが、それでも着実にレパートリーは増えている。
しかしだ。
あくまで戦闘で使うことを想定した話だが、重大な問題がある。
それはすなわち、詠唱が長すぎる、ということだ。
格好良いのは認めるし、言葉に力が宿る感覚は少しだけ快感ですらある。だが、戦闘中に悠長にこんな詩のような呪文を唱えていられるだろうか? いや、絶対に無理だ。
『セレスティアル・サーガ』の魔法には、詠唱時間として数秒から十数秒の待機時間、ゲーム的に言えば「キャストタイム」が存在していた。ターン制バトルだったから気にならなかったが、現実の戦闘では致命的な隙となる。
それに、詠唱を聞かれれば、どんな魔法を使おうとしているのか、ある程度予測されてしまう。「灼熱の業火よ!」なんて叫べば、火の魔法対策を取られるに決まっている。
「……やっぱり、このままじゃ実戦では使い物にならないか」
俺は生成した水球を消し去りながら、溜息をついた。せっかく手に入れた力なのに、宝の持ち腐れになってしまうかもしれない。
「……何か、方法はないのか?」
しかし早々に可能性を捨てることはできない。
ゲーム上においては、ターンを待たずに魔法を放てる者もいたのだ。
つまりできないことはない。
後はそれをどうやって現実に落とし込むか。
例えば、詠唱を省略するとか、短縮するとか。
いくらでも考えようはある。
試しに、キーワードだけで発動してみよう。
「光球!」
俺は短く叫び、掌に意識を集中する。
……しーん。
何も起こらない。
掌の上には、先ほどまであったはずの光の温もりすら感じられなかった。
「ダメか……じゃあ、少しだけ短縮して――光の欠片よ、形を成せ——光球!」
今度は詠唱の後半部分だけを切り取って試してみる。
すると、一瞬だけ掌が淡く光ったものの、すぐに霧散してしまった。
まるで火花が散るように、不安定な光の粒子が辺りに漂い、消えていく。
「やっぱり、正規の詠唱じゃないと安定しないのか……?」
頭を抱え、ぶつぶつと呟いていると、ふと背後から声がかかった。
「……何をしているのですか?」
振り返ると、そこにはソフィアが立っていた。
ついさっき振りだが、たまたま通りかかったのだろうか。
「……いや、ちょっと魔法の実験を」
「実験、ですか。詠唱を短縮しようとしていたようですが」
なるほど、見ていたのか。
「ああ。戦闘じゃ詠唱が長すぎると思ってな。でも、短くすると上手くいかなくて」
俺が正直に話すと、ソフィアは少しの間、俺と俺の手元を交互に見るように視線を動かし、やがて静かに口を開いた。
「相変わらず奇妙なことを考えますね。ただハッキリ言って無理です」
「なに?」
ソフィアの言葉は明確に不可能であると言った。
「正しくは、"人間"には不可能、ですが」
「人間には……?」
そう言われてハッとする。
確かにゲーム上においてターン消費なく魔法を使っていたキャラは人間ではなく――
「森人か」
そうポツリとついた言葉。
「はい、知っていたんですね」
ソフィアは静かに頷いた。その青い瞳は俺を真っ直ぐに見つめている。
「森人族——エルフと呼ばれる種族は、生まれながらにして自然との親和性が高く、体内の魔力を極めて精緻に操る術に長けています。彼らは、我々人間が呪文という“型”に頼らなければ引き出せない魔力を、自身の意思と感覚のみで編み上げ、事象を変化させることができる。それが、彼らの無詠唱、あるいは短縮詠唱を可能にする原理です」
ソフィアの説明は、俺の知るゲーム設定よりもさらに深く、具体的だった。まるで魔法学の講義を聞いているようだ。
「対して、人間が魔法を使う場合、体内の魔力を“呪文”という型にはめ込み、特定の効果を引き出すプロセスを経る必要があります。呪文は、魔力を効率よく引き出し、安定させるための補助装置のようなもの。それを省略したり、一部を変えたりすれば、当然、魔法は不安定になるか、そもそも形を成さずに霧散してしまう。貴方が先ほど体験した通りです」
ソフィアの説明は明快で、反論の余地がないように思えた。
「まあ、長い歴史を持つ森人族と、比較的新しい種族である人間との、魔力に対する理解と技術の差、という側面もあるのかもしれませんが」
ソフィアは淡々と付け加えた。その淀みない説明からは、彼女の知識の深さが窺える。
この世界の「常識」が、そこにはあった。
「……なるほどな」
俺は小さく息を吐いた。
ゲーム知識だけでは見えてこない、世界の深い部分に触れた気がする。無詠唱や短縮詠唱への道が閉ざされたのは残念だが、理由が分かっただけでも収穫だ。無理なものは無理だと割り切るしかない。
「むしろ、できなくて安心しました」
ソフィアが、ふとそんなことを呟いた。
「え?」
「もし貴方が森人族でもないのに短縮詠唱や無詠唱ができたなら……また天恵の儀のような騒ぎになりかねませんから」
「あ……」
確かにそうだ。
ソフィアの言う通り、人間には不可能なはずの魔法を使えば、「人間ではない」という疑惑に再び火をつけることになる。下手をすれば、魔人族疑惑が再燃し、今度こそ取り返しのつかない事態になるかもしれない。危うく自分で自分の首を絞めるところだった。
「ただし、私の目がその疑惑を許さないのですが」
そう言ってソフィアは軽く一礼し、今度こそ静かに立ち去っていった。
一人残された俺は、ソフィアが去った方向を見つめながら、彼女の言葉を反芻する。
人間には不可能。森人族は魔力操作で可能。
「……待てよ」
ふとした疑問が頭をもたげる。
俺は、魔力操作ができない。少なくとも、意識して制御することはできていない。
それなのに、詠唱さえすれば魔法が発動する。
これは……ソフィアが説明した「人間」の魔法原理とも、「森人族」の魔法原理とも違うのではないか?
人間は、詠唱を補助として魔力を引き出し制御する。
森人族は、魔力操作そのもので魔法を編み上げる。
では、俺は?
詠唱という「言葉」そのものが、直接的に魔法という「結果」を引き起こしている?
まるで、言霊のような。
もしそうだとしたら、それはこの世界の法則から逸脱した、俺だけの特異性だ。
そして、これこそが、俺の天恵が『天眼』で読み取れず、魔力も観測できない理由なのではないだろうか。
ソフィアの『天眼』は、この世界の法則に基づいた力を見るものだとしたら、法則外の俺の力は捉えられないのかもしれない。
「……なるほど。つまり、俺の魔法は、俺自身の天恵そのもの、あるいはその一部って可能性もあるのか?」
そう考えると、腑に落ちる点が多い。
無能貴族アランが、突然魔法を使えるようになった理由。
魔力操作ができないのに、魔法が使える矛盾。
しかし、それが分かったところで、詠唱が長いという問題は解決しない。
やはり戦闘で魔法を主力にするのは難しいか。スキルと組み合わせるか、あるいは別の使い方を考えるべきか。
「……よし、今日の練習はここまでにするか」
新たな課題と、自身の特異性についての考察で、頭がいっぱいになってきた。
それに、明日はヘレナ様との会談が控えている。
そちらに備えて、少し頭を整理しておくべきだろう。
俺は裏庭を後にし、与えられた客室へと戻る。
石造りの静かな廊下を歩きながら、明日のことを考えた。
ヘレナ様は、一体何を話すのだろうか。
天恵の儀の続き? それとも、俺の今後の処遇について?
グレイン家での奉公が決まるのか、あるいはフォルテス家に戻されるのか。
もしかしたら、俺の特異性について、何か分かったことがあるのかもしれない。
期待と不安が入り混じる。
どちらにせよ、このグレイン家での奇妙な保護期間が、新たな段階に進むことだけは確かなようだ。
俺は小さく息を吸い込み、自室の扉を開けた。
バッドエンドを打ち砕くための戦いは、まだ始まったばかりなのだ。