第10話 準備期間
王都セレスティリウム、聖堂一区グレイス邸。
フォルテス邸とは趣の異なる、白を基調とした優美な客室。その窓辺に立ち、俺ことアラン・フォルテスは、どこか落ち着かない気持ちで中庭を眺めていた。
あれから五日。
忌まわしい天恵の儀での出来事が、まるで昨日のことのように蘇る。
天恵不明、魔人族疑惑、そしていじめの露呈。
希望を授かるはずの儀式で降り注いだのは、これ以上ないほどの絶望と悪評。
まるで、このアラン・フォルテスという存在の「業」そのものを突きつけられたかのようだった。
そんな怒涛の一日を終えて、早五日。
今の状態を一言で表すなら。
「暇だ」
それに尽きる。
天恵の儀の後、ヘレナ様――聖女ヘレナ・グレインの提案に、父マルクは驚くほどあっさりと頷いた。
聖女ヘレナ・グレインの計らい(あるいは父マルクの体面か)で、俺はこのグレイン家に身柄を預けられることになった。
表向きは「特異性の原因究明と保護」。
だが、その実、別の意図があるのではないかと勘ぐってしまう。
父は俺をグレイン家、もとい教会で奉仕させることで、悪名を雪ぎたいのではないか。いわゆる出家、隠遁というやつだ。
きっと聖堂での厳しい修行や、質素な食事、延々と続く祈りの日々が待っているのだろう……そう覚悟していたのだが。
しかし待ち受けていたのは、「丁重なる放置」だった。
ヘレナ様をはじめ、グレイン家の方々は、前代未聞の儀式中断の後始末に忙殺されているのだろう。王国中に広がったであろう俺の悪名……その火消しに奔走している姿を想像すると、居心地の悪さは増すばかりだ。
「……このままじゃ」
窓ガラスに映る、金髪碧眼の美少年の顔。
いつまで経っても慣れないこの顔で、ただ無為に時間を過ごすわけにはいかない。破滅の運命は、刻一刻と迫っているはずなのだ。
放置されているなら、それを好機と捉えるべきだ。
できることは限られているが、何か行動を起こさなければ。
まずは情報収集か、それとも……。
コンコン。
思考を遮るように、控えめなノックの音が響いた。
この五日間ですっかり聞き慣れた音。
「どうぞ」
椅子に座り直し、応える。
静かに扉が開き、白銀の髪を持つ少女――ソフィア・メティスが入ってきた。質素な見習い神官服が、彼女の神秘的な雰囲気を際立たせている。
「早速ですが、失礼します」
ソフィアは淡々と告げ、慣れた様子で俺の前に立った。
彼女の右目が、淡い黄金色に輝き始める。
『天眼』。
それが彼女の天恵の名だ。
万物を見通す力。
その力は、物理的な障壁や偽りだけでなく、時に人の心の奥底や、先の未来すら垣間見ると言われている。
ゲームにおいても破格の性能を誇っており、敵のステータスや弱点、隠されたアイテムや通路、戦闘における命中率、回避率の向上といったパッシブ効果まであった。
その優位性こそが彼女の強み。プレイヤーたちから人気を博していた要因でもある。
「……今日もやるのか」
俺が尋ねると、ソフィアは小さく頷く。
魂の奥底まで見透かされるような感覚には、まだ慣れない。
「もちろんです」
この五日間、毎日行われている鑑定だ。
俺の中に宿る(かもしれない)天恵の正体を探るための。
それから数瞬の沈黙の後、ソフィアの瞳の輝きが収まった。
「……どうだった?」
正直、期待はしていない。だが、聞かずにはいられない。
「ダメですね」
しかし、返ってきたのは予想通りの、そして少しだけ落胆させられる答えだった。
「……そうか」
俺は短く息を吐いた。
これでまた一日、何も進展なしか。
しかしそこで終わってしまうのも勿体ない。
「ちなみに……どう見えてるんだ?」
俺はソフィアへと質問を飛ばした。
それは純粋に好奇心からの問いだ。
「……正確な表現は難しいですが、強いて言えば、インクが滲んで判読不能になった文字でしょうか。そこに『何か』があるのは確かですが、それが何であるか、識別できない状態です」
確か天恵の儀でも似たようなことを言っていた気がする。
要は彼女の目にはゲームのステータス画面が表示されていて、文字化けでおかしくなっているような状態なのだろうか。
「……なるほど、つまりバグってるのか?」
思わずそう口をついて出た。
「……ばぐ?」
ソフィアが、初めて明確に不思議そうな表情を見せた。
白銀の髪の下で、形の良い眉がわずかに寄せられる。彼女の淡々とした雰囲気が、ほんの一瞬揺らいだように見えた。
「え、あ、いや……なんでもない。こっちの話だ」
慌てて取り繕う。この世界に「バグ」なんて概念があるはずがない。
コンピューターが存在しないのだから当然だ。下手に説明しようものなら、さらに怪しまれるだけだろう。
ソフィアは、俺の慌てぶりと、先ほど口にした奇妙な響きの言葉を吟味するように、じっと俺を見つめた。その黄金色が消えた青い瞳には、好奇の色が浮かんでいるように感じられた。
「……そうですか」
数秒の沈黙の後、彼女はそれ以上追及することなく、再び淡々とした口調に戻った。
だがソフィアのことだ。
きっと今の余計な一言はしばらく引っかかりとして残ることになるのだろう。
「ですので、貴方の天恵は『存在しない』のではなく、『読み取れない』状態にある、というのが私の見立てです。つまりは……私の力不足、ということになります」
ソフィアはそう結論付けた。
「いや、そんなことは……」
まさかの答えに俺は咄嗟に否定する。
「気になさらないでください。事実を述べたまでです」
ソフィアは静かにそう言うと、軽く一礼して部屋を出て行こうとした。いつもと同じ、淡々としたやり取り。
「ああ、そういえば」
扉に手をかけたソフィアがふと足を止め、僅かにこちらに視線を向けながら呟く。
「魔法の練習をしていると聞きましたが」
「え、ああ、少しだけだけど」
もちろんこの五日間何もしなかったわけじゃない。
俺は僅か一時間ほどだが、グレイン邸の裏庭を借りて魔法の練習をする許可を得ていた。
そこでゲーム上に登場する魔法をいくつか試していたのだ。
「順調なんですか?」
「まあ、一応は」
結果は上々だった。
あの学院での講義と同じく、ゲームの記憶にある詠唱さえ行えば、俺は問題なく魔法を発動できた。光球だけでなく、微風を起こしたり、小さな水球を作り出したり。
僅か三日程度で、これだけの魔法を習得できたのはかなり大きいことではないだろうか。
もちろん、攻撃魔法のような危険なものは試していない。
ここでも事件、事故を起こして立場を悪くするわけにはいかないからだ。
ただ気になることとして、日によって魔法が使えないことがあるということ。
魔法が使えることは良いのだが、日ごとにムラがあるのは普通に困る。
「そうなんですか……」
しかしソフィアの声色は感心というよりは、どこか不可解な響きを含んでいるように聞こえた。
「何か気になることが?」
俺が尋ねると、ソフィアはこくりと頷く。
「実は貴方のことで私が識別することができないのは、天恵だけではないんです」
「え?」
俺は思わず聞き返す。
「そのうちの一つが魔力なんです」
「魔力が……分からない?」
何しろ俺は、魔法を発動する際に体内のエネルギーを操っているとか、魔力を練り上げているといった実感がないのだ。
学院の教師や教科書が言うような「魔力操作」というものが、どうにもピンと来ていない。
俺の使った魔法は、あくまでゲームの記憶にある「詠唱」ありきなのだ。
「通常、魔法を行使する者の体内には、その源となる魔力の流れが観測できます。量や質、属性の偏りなどは人それぞれです。私の目はそれを文字として数値として見ることができる……はずでしたが」
そう言ってソフィアは俺に視線を向けた。
「私の目にはとても魔法を行使できるほどの魔力を、貴方から確認することはできません」
ハッキリとした物言いでそう告げるソフィア。
それは果たしてアランとしての無能さの現れなのか、バグの影響なのか。真実は分からない。
「ただ貴方は魔法が使えている。私にしてみれば不可解この上ないですが、前向きに考えれば識別できない=存在しない、ということではない証明でもあります。貴方の天恵も、同様かもしれません」
ソフィアは淡々と、しかし明確にそう言った。
それは慰めではないのだろう。
彼女の『天眼』をもってしても捉えきれない未知の現象に対する、冷静な分析結果。
だが、その言葉は今の俺にとって、暗闇の中に差し込んだ一筋の光のように感じられた。
見えないだけで、無いわけではない。俺の中には、まだ解明されていない何かが眠っているのかもしれない。
「……そうか。ありがとう、少しだけ、気が楽になった」
俺が素直な気持ちを口にすると、ソフィアはわずかに目を見開いたように見えたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「……やはり貴方は奇妙な人ですね」
ポツリと、彼女はそう呟いた。それは呆れか、あるいは純粋な興味か。
「ではこれで失礼します」
「では、これで失礼します。……ああ、言い忘れていました」
ソフィアは思い出したように付け加える。
「明日、ヘレナ様が、お話があるとのことです」
「え?」
思わぬ言葉に、俺は顔を上げた。
ヘレナ様が?
「内容は伺っていませんが、ようやく天恵の儀への対応も収まりつつありますので、これからの方針などを決められるのかもしれません」
そう言い残し、ソフィアは静かに部屋を出て行った。
パタン、と扉が閉まる音だけが、やけに大きく部屋に響く。
「ようやくか……」
儀式の後始末が落ち着いた、ということは、いよいよ俺への本格的な対応が始まるということだろう。
それがどんなものになるのかは分からない。厳しい処遇か、あるいは……。
どちらにせよ、この奇妙な放置期間は終わりそうだ。
グレイン家での新たな日々。
それは、運命を変えるための、本当の第一歩になるのだろうか。
俺は窓の外に目をやる。
相変わらず重く垂れ込めていた灰色の雲の隙間から、ほんの僅かだが、午後の陽光が差し込んでいるのが見えた。