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第18話 月明かりの誓い

 ひんやりとした風が吹きはじめる夜。先日の視察騒ぎも落ち着いた頃合いで、コレット家の屋敷はいつも以上に静まり返っていた。


 レイナーは領地改革の打ち合わせを終え、帰りがけに広い中庭を横切っていた。敷石の上を歩く足音が、夜の静寂に溶けてゆく。彼は隣領の貴族子弟としてパルメリアを支援しており、近頃はこの屋敷に足を運ぶ機会も増えている。ただ、ここまで夜が更けるのは珍しい。


 すると、不意にパルメリアの声がかかり、足を止める。静かな夜、月明かりに照らされながら二人きり――そんな状況に、一瞬戸惑いを覚えた。彼女は山ほどの書類を抱え、月光を受けて金色の髪を淡く輝かせている。その顔にはわずかに疲れの色が浮かんでいた。


「遅くまでお疲れさま。僕に手伝えることがあれば、何でも言ってほしい」


 レイナーの申し出に、パルメリアは軽く書類を持ち上げてみせ、微笑む。


「ありがとう。でも、この資料は私が目を通しておく必要があるの。……それより、いつもあなたが来てくれるおかげで、助かっているわ」


 彼女と目が合った瞬間、レイナーは思わず息をのむ。幼い頃の面影を残しながらも、すっかり大人びたその瞳。そこには、揺るぎない意志と変わらぬ優しさが宿っていた。


「最近、いろいろ苦労が多いんじゃないか? 王太子殿下の件も、革命派の動きもあるし……正直、心配になるよ」


 レイナーが素直な気持ちを口にすると、パルメリアはどこかからかうように笑う。


「せっかく注目されているんですもの。それを有効に使わない手はないでしょう?」


 一見冗談めかしているようでありながら、その瞳が一瞬だけ揺れるのを見て、レイナーは胸が切なくなる。かつてはか弱い一面を見せることもあった彼女が、今では多くの重責を背負い、周囲の目に晒されながら一人で立ち向かっている。


「強い人ほど、一人で何もかも背負い込もうとする。でも……僕だって、何もできないわけじゃない。一緒に支えさせてくれ」


 握った拳に、自分でも驚くほど熱がこもる。公爵令嬢と下級貴族の次男では身分差があることは重々承知だ。それでも、彼女への想いだけは誰にも譲れない。


 パルメリアは彼の言葉に驚きを見せたが、すぐに表情を引き締め、目をそらした。


(……私だって、彼への気持ちがただの友愛ではないことはわかっている。でも、今の私にはそんな感情に向き合う余裕はない)


 心の中でそうつぶやきながら、パルメリアは静かに口を開く。


「あなたがいなければ、ここまで来られなかったと思う。本当に感謝しているわ。だけど……」


 レイナーが何かを言おうとするのを遮るように、パルメリアは夜空に視線を向ける。月明かりに揺れる彼女の髪が、どこか儚げに見えた。


「今はまだ、恋なんて考えている余裕はないの。これからやらなければならないことが山ほどあって、それに集中しないといけないから……わかってくれる?」


「……わかるさ。わかっている。だけど……」


 かすれた声でそう答えるものの、それ以上言葉を続けることはできなかった。彼女を取り巻く状況――王太子の存在、改革への圧力――それらを背負うなかで、恋愛という感情に向き合う余裕がないのは理解している。頭ではわかっていても、胸の奥でざわつく思いは止められない。


「いつか、本当に私が一息つける日が来たら……その時、ゆっくり話をさせて」


 パルメリアの言葉には、どこか期待が混じっているように聞こえた。それがかえって、レイナーの胸を締めつける。同時に、小さな希望が芽生えた気がして、彼は言葉にならない思いを抱えながら立ち尽くした。


 夜風が中庭を吹き抜け、遠くで警備兵の足音が微かに響く。この場でさらに言葉を重ねれば、自分の感情があふれ出してしまう――そんな気がして、レイナーはそっと視線を落とす。


「……わかった。これからも、君を支えていくよ。もっと強く」


「ありがとう。頼りにしているわ」


 パルメリアは小さく微笑むと、抱えていた書類を持ち直し、踵を返して歩き出す。レイナーは、夜の闇に溶けていく彼女の背中をじっと見つめていた。


 幼馴染として助けてきたはずの彼だが、今のパルメリアは公爵令嬢として多くの人々の未来を背負う存在だ。ほんの少し手を伸ばせば届きそうで、それでいて遠く感じられる――その矛盾した距離感が、彼の胸を苦しめる。


(いつか、あの背中に並んで立てる日が来るのか。この想いが、僕の原動力になるんだろうな)


 レイナーはそう静かに誓いながら、ゆっくりと夜の中庭を後にした。その複雑な感情と決意は、やがて物語が大きな転機を迎えるなかで、さらに強く彼を突き動かしていく――今はまだ、誰もそれを知らないままに。

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