第16話 互いに探る視線
一行は、公爵家の馬車にパルメリアとロデリック、そして必要最低限の護衛を乗せ、村へと向かっていた。
移動中、馬車の窓越しに見える再舗装された街道や整備された排水路、手入れされた田畑に目を留めながら、ロデリックは熱心に質問を投げかける。
「この用水路は以前のものとは全く設計が違うようだ。水の流れを効率化する工夫が見えるが、どのような技術を使ったのだ?」
パルメリアは冷静な口調で答える。
「クラリスという学者の協力を得て、地形に合わせた設計を行いました。奥の畑では輪作を採用して、土の栄養を保つ仕組みも取り入れております」
ロデリックは軽くうなずき、興味深そうに視線を落とした。その態度に、パルメリアは肩透かしを食ったような気持ちになる。もっと高圧的な態度を取られると思っていたが、彼はむしろ純粋に好奇心を抱いているようだ。
「なるほど。ならば、この技術を他の地域にも広めるつもりはないのか? ここだけで終わらせるのは惜しいと思うが」
その問いに、パルメリアは一瞬だけ考え込むようにして答える。
「検討はしておりますが、各領地の承諾を得るのは容易ではございません。人員や費用の問題もございますので、むやみに広めれば混乱を招きかねませんわ」
「そうか……確かに、そう簡単にはいかないものだな」
ロデリックは小さく息をつきながらも、納得した様子で返す。その声音には、単なる牽制や皮肉ではなく、改革への純粋な興味が感じられた。馬車の中で、パルメリアはふとロデリックの横顔に目をやる。
(本来なら保守派の立場にいるはずの彼が、なぜこんなにも興味を示すの……。利用するつもりなのか、それとも……)
そんな思いが胸をよぎる間に、馬車は村の中心へと到着した。農民たちが集まって一斉に頭を下げ、ロデリックも慣れた手つきで軽く挨拶を返す。村人たちの表情には明るさが漂い、以前の荒廃した光景が嘘のような活気が広がっていた。
「なるほど。噂以上に、領地が変わっているらしいな……ここまでとは驚いた」
ロデリックの声には称賛の響きが混じっていたが、パルメリアはあえて冷ややかな表情を浮かべ、皮肉を込めて返す。
「殿下は、私が荒々しい手段ばかりを使っているとお考えだったのでしょう?」
軽い挑発とも取れる言葉に、ロデリックは微かに視線を伏せて微笑んだ。
「確かに、そういう噂を耳にしていたのは事実だ。しかし、実際に目にすると、非常に理に適った方法で改革を進めているのだとわかった。……そして、君自身にも興味を抱いているよ、パルメリア」
その言葉に、一瞬驚きを見せたパルメリアだったが、すぐに冷静さを取り戻し、静かに微笑む。
「私などにご興味をお持ちいただくなんて、少々戸惑ってしまいますわ」
軽く流すように返した彼女の言葉に、ロデリックは肩をすくめて答えた。
「君らしい答えだな。だが、この国には新しい風が必要だ。それを起こすのが誰なのか……見極めたいと思っているだけだ」
二人の視線が短い間交錯する。その瞬間、周囲の喧騒が遠のいたように感じられた。護衛や村人たちの存在すら薄れ、互いの存在だけが際立つ奇妙な空気が流れる。
「……それが私かどうかは、いずれわかることです」
パルメリアがそっけなく返すと、ロデリックは微かに笑みを浮かべた。
「そうだな。この視察で、その答えが少しでも見えるのを楽しみにしている」
ロデリックの言葉には、明らかな好奇心がにじんでいた。その様子を目にして、パルメリアは高まる鼓動を抑えるように曖昧な微笑みを返す。言葉の応酬はどこか表面的なものに留まっているが、その下には互いを探る静かな駆け引きが隠されていた。
夕暮れが迫り、学舎の見学を終えた後、公爵家の館へと戻ったロデリックは再びパルメリアとの会談を望んだ。執務室に通されたロデリックの瞳には、隠しきれない情熱の光が宿っていた。
「……いかがでしたか? 当家の領地の様子は」
「予想以上だった。民の生活は確実に改善している上、これほど実行力があるとは思わなかった」
ロデリックは机上の資料に目を落とした。整然とまとめられた農業や教育に関する計画書や報告書を、一つひとつ確かめるように視線を走らせている。
その様子を見守りながら、パルメリアは冷静に問いかけた。
「殿下が直接ご覧になって、何かお気づきのことはございましたか?」
「人々の噂と、実際の君の姿にはずいぶん違いがあるようだ……。私の目には、ただ領地のために尽くしているようにしか見えないが」
「あいにく、周囲の噂に振り回される気は一切ございませんわ。私は私の方法で歩みを進めているだけ。最終的な結果こそが、全てを物語るはずです」
パルメリアの冷ややかな言葉に、ロデリックは真剣な眼差しを向ける。
「そうか。だが、君のように新しい試みを形にしている者は少ない。その理由を知りたい気持ちがあるのは否定できないな」
「殿下のもとには有能な方々が多くいらっしゃるはずですが、なぜ私などにご関心をお持ちなのでしょう?」
「既存の枠内だけで動いている者ばかりでは、いまの国は変えられない。だからこそ、君の大胆さと実行力が気になっているのだ」
交わされる短い言葉の中で、二人は互いの真意を探り合っていた。腐敗した体制を支える王太子と、体制そのものを揺るがそうとする貴族令嬢――二人の間には、まだ明確な信頼も敵対も存在しない。それでも、胸の内に芽生えた微かな絆が、やがてこの国の行く末を左右するほどの波紋を広げる――そんな予兆を漂わせていた。静かな執務室には二人の呼吸だけが響き、そのわずかな間合いには、緊張感と期待が入り混じっていた。