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第7話 ハイジャック、そして宣告



 老人を撃った男は、客室の備え付けマイクを乱暴に取り上げると、お道化た様子で言い放った。


「お静かに~願いますぅ。当機はこれより地獄へ直行いたしますぅ。一足早く地獄に行きたいお客様以外は、前方のシートに両手を乗せて頭を伏せてくださぁい」


 その声は抑揚の効いた芝居口調だった。低く渋い声に、微かにスペイン語訛りが混じっている。精悍な顔に薄く髭を生やし、グレーのスーツに濃紺のシャツを合わせた姿は、ぱっと見はどこにでもいる中堅ビジネスマンだった。


 だが──目が違った。


 あの目は、撃つと決めた相手を必ず撃つ目だ。久我はかつて見た警察特殊部隊の狙撃手の目を思い出した。


 間違いなくプロだ。


 その言葉に騒然としている機内は静まり返る。英語を理解できる者から順に指示に従い、理解できない者は恐れと焦りに染まった表情で周りに合わせる。


 ダグも慌ててドタドタと音を立てながら席に戻り指示に従う。腹の脂肪が邪魔して窮屈そうだ。

 渉は状況をあまり理解していないのか同じ姿勢を大人達が滑稽なのかニコニコと笑っているが、母親に促されて楽しそうに頭を伏せる。両手を伸ばしても前方に届かないので頭の上に乗せた。


 久我も現状を打破する術は今のところ無いため大人しく従うが、頭を伏せる前に関西弁白人CA(エミリー)を探す。久我の視線が縦横無尽に客席を検索した。


 危機的状況に処理能力が向上した久我の頭脳は、先ほどのエミリーのメモを無意識に反芻し意味を瞬時に理解した。

 分かってしまえば何のことはないダジャレみたいなものだった。

 "どじょう”は同乗。ええはアルファベットのAだ。つまりA同乗。


 一般人がそのまま聞いてもイニシャルトークをしているとしか思えないが、その筋の者が聞けば震え上がる符号だ。“A”といったらカテゴリーの種別でしかありえない。

 つまり、さっきのドジョウの絵はカテゴリーAがこの飛行機に乗っているという警告ということだ。

 そんな情報を持っているエミリーは合衆国機関から派遣されたエージェントであろうと久我は確信した。


 ……本物だ。あのCAはただの乗務員じゃない。―――だとしたら、目立ちすぎる行動も含めて作戦のうちか?


 その見立てを裏付けるようにエミリーは素早い動きでハイジャック犯の背後の|カーテンで隠されたCAの作業場ギャレーに身を隠す。一瞬久我にアイコンタクトを送ってきた。その目は、チャンスを作れと彼に伝えていた。


「ご協力~感謝いたしまぁす。ついでと言っては何ですが、お客様の中にスカイマーシャル様はいらっしゃいませんかぁ!?」


 急病人が機内で発生した時に医者を探す様なトーンで銃を持った男はアナウンスする。

 生殺与奪の権利を掌握している状況が楽しくてたまらないという恍惚の表情をしている。


 乗客は静まり返っている。そもそもスカイマーシャルという言葉の意味を知らない一般人は多いから当然の反応だ。


 久我もまだ動かない。

 まず間違いなく実行犯は複数いる。あの男を制圧している間に背後から撃たれればひとたまりも無い。今出ていけば無駄死にである。

 頭はオーバーヒートするほどに回っているが、感情は冷徹と言えるほどに冷えている。非常時には冷静さが物をいう事を経験から久我は学んでいた。


 ふと、後ろの客席からヒソヒソ話が聞こえる。コスプレカップルだ。

 無理もないがかなり狼狽している。


「ど、どうしよう!?」

「まだゲートが遠くて魔力供給が少ないからどうしようもないよ!」


 魔力という訳の分からない事を言っいるが、気が動転して現実とフィクションの区別がつかなくなっているのだろうと久我は切り捨てた。


 また、片言だった言葉が急に流暢になっている違和感が思考のノイズとなったが、今考えるべき事ではないと瞬時に判断し、ハイジャック犯の制圧方法を考える事に集中する。


「おかしいなぁ。いることは分かっている。かくれんぼがしたいのかな? では、こうしよう」


 男はにやりと笑い、おどけた口調から低音でドスの効いた声に代わる。


「このままスカイマーシャルが名乗り出てこなければ、乗客を5分毎に一人殺す」


 乗客達が息をのみ、震えが止まらない者も多い。本当は周りの人間と不安を共有したり、スカイマーシャルの心当たりを探りたいところだが、下手に動けば殺されるという状況がそれを許さない。


「さて、最初は誰にするか」


 乗客を見回す男は今にも舌なめずりを始めそうな表情だ。乗客達は一様に体を限界まで小さく丸め、男の視線から逃れようと息を潜めていた。同時に名乗り出てこないスカイマーシャルなる人物に恨みにも似た感情を抱く者も多かった。


「野蛮だな……無闇に人を殺すなんてナンセンスだと思わないのか」


 男の背後から唐突にその声は届いた。ビジネスクラスの乗客の一人が発したようだ。


 声の主はゆっくりと立ち上がる。世界的テック企業のCEO、その人だ。

 テロリストの目を盗んで、その姿を確認した久我は溜息をつきそうになった。


 倹約家でファーストクラスに乗らないとは聞いていたが、俺と一緒の便に乗るなよ。―――こうなるだろうが。


 いかにも実業家らしい余裕のある風体で、こんな状況でも堂々としている。年齢は中年ではあろうが、異様に若々しく見え、この世界の全てを自分の思うままに操れると心底信じている雰囲気だった。

 恐らく奴等のターゲットはこいつで、金目当てだろうなと久我は判断した。


 そして、心の中で舌打ちする。

 久我は研修と経験から極限状態で人が様々な異常行動をするのを学んでいる。自分がヒーローになる妄想に囚われて、凶悪犯を無駄に挑発するのもその一例だ。

 正にそれが目の前で起ころうとしている。その勇気は買いたいが、素人の蛮勇は状況は悪化させることはあっても好転させることは決してない。久我はまた自身の運の悪さを感じていた。


「……立候補ありがとうございます!」


 男は振り返り実業家風の乗客を拍手で迎える。

 顔は笑っているがこめかみに青筋が立っていて、明らかにイラついている。


 実業家はなおも悠然と立っていたが、犯人の反応は意外なものだった。


「流石、世界を牛耳る男は格が違うなぁ! 俺のアカウントの株価表示も、お前のせいで常時真っ赤っかだったよ」


 ハイジャック犯はニヤリと口を歪めると、ズボンの腰に差した予備の拳銃を引き抜き、ゆっくりと実業家に差し出した。


 相当、油断している。予備の武器を手放すなんてありえない。あと少しで必ずチャンスは来る。


 久我は集中して呼吸を整え始めた。


「この便には社長様みたいな大事なお客様も乗ってる。勝手には殺せない。だから──社長に選んでもらおう。選ぶのは得意だろ? 確かそういう偉そうな本も出していたよな」


 機内に再び緊張が走る。犯人の目が本気だった。


「さあ、撃て。誰でもいい。女・子供でも俺達は差別しないぞ。そうしないと……」


 男はゆっくりと機内を見渡し、笑顔のまま銃を自分のこめかみに押し当ててみせる。


「5分後に、お前以外全員殺す」


 乗客が息をのむ音だけが聞こえる。

 静寂を裂くように、機内後方から別の声が上がった。


「なんでお前は粛々と仕事を進める事ができないんだ?」


 立ち上がったのは、ついさきほどまで怯えていたはずの男。白人の金融屋を思わせるフォーマルな服装。ヒスパニックの犯人と同じ拳銃の銃口を、一切のブレなくCEOに向けている。


 その構え方が妙に様になっていた。両肘はしっかりと締められ、脚は肩幅に開いて体重が安定している。反動を見越しているのか、微妙に体を引き気味にしており、銃を“撃てる姿勢”のままだ。


 軍か、あるいはPMC(民間軍事会社)か。素人の“持ち方”じゃないな。


 久我は冷静に分析した。


「無闇にリスクを増やすな」


「黙って見てろ、マニュアル野郎。あの得体のしれないキモい奴にずっとこき使われてきたんだ。たまにはストレス発散させろって」


 最初の男が苛立ったように言い返す。意見の対立も隠せていない。雰囲気からいって一人ひとりは間違いなく”プロ”ではあるが、チームの練度は低いと久我は冷静に分析する。


 潜伏していた仲間が名乗りを上げ、“指示役”がいることまで暴露してくれた。久我は伏せたままわずかに口角を上げ、空気を漏らすだけの囁き声でマイクに囁いた。普通のマイクなら拾える音量ではないが、ダグを信じてみることにした。


「隊長、仲間の一人がボロを出した。二人目も立った。まだ全体像は不明だが、連携は粗い。使える」


 そして、前方で銃を突きつけられているCEOの顔が強張っていく。


「そんな……私が……」


 犯人は身の毛もよだつような笑顔を浮かべながら、ねっとりとCEOにつげる。


「もう2分経った。あと3分でどうせ皆死ぬぞ」


 実業家の唇が震える。こめかみに汗が伝い、足が微かに揺れていた。

 席を見回して乗客の顔を念のため確かめてみる。だが、死んでも良い人間、犠牲になるべき人間、それを一目見ただけで判断できるはずがなかった。


 彼は今まで重要な決断をいくつも下してきた。その決断はビジネス的には概ね正しかったのだろう。だから、世界的企業に成長した。その過程では、他人の人生をめちゃくちゃにするような、あるいは間接的に人生に幕を閉じさせるような決断もあったに違いない。

 だが、あくまでもそれは間接的にだ。自分が引き金を引いて、他人の人生を終わらせた事は一度もない。ましてや、それが自分の競合相手ではなく、何の罪もない人間であれば、いかに決断力に優れる人間でもできるはずがなかった。


 こうして、名乗り出たのは、『自分は殺されないだろう。うまくいけば自企業に莫大な利益をもたらす宣伝になるかもしれない』という打算的な考えがあったからだ。

 彼は今、激しく後悔していた。後悔に支配され、最早目の焦点も合わない。


 CEOがパニックに陥る中、前方の客席から静かに誰かが立ち上がった。


 久我だ。


「なんだ、また立候補か! 死にたがりが多いな、この便は」


 ヒスパニック系の男は金融屋に久我に銃口を合わせるように目線で指示ながら、大げさに驚いて見せる。


「その通りだ。俺は自殺するために渡米するつもりだったんだ。いっそ空中で死ねば、誰の迷惑にもならなくていいな。死体は海にでも投げ捨ててくれ」


 CEOが思わず顔を上げる。その真意を探るように虚ろな久我の目を見る。冗談を言っているようには見えなかった。


 久我はあらゆるシチュエーションに備えた訓練を実施している。その辺の俳優よりも人を信じ込ませる演技はうまかった。


「誰かのために犠牲になって死ねるなんて上出来すぎる……ご褒美としての、せめてものお願いだ。楽に死ねるように心臓を狙ってくれ」


 CEOの銃口が直接肌に触れるような距離まで近づき、絞り出すような声で久我は告げた。死に際の切なる願い。その場にいる誰もがそう聞こえた。


 だが、久我の瞳の奥には鋭利な冷たさが宿っていた。死にいくもののそれでは決してなかった。


 ヒスパニック系の男は嬉々として奇声をあげ、金融屋は不快感を露わにした。だが、その間も決して銃の照準ははずさない。そこは確かにプロを感じさせた。


 CEOは意を決したようだった。ゆっくりと銃を構え、震える指が引き金にかかる。久我の勇気に応えるために目は潰らない。確かに左胸を狙う。


 一瞬の静寂。


 そして―――乾いた銃声。


 久我の体が糸が切れたように崩れ落ちた。



 だが、その胸からは──


 血が……出て、いなかった。

 

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