第6話 “災厄”の預言と銃声
@機内 コックピット
スコットは操縦席で目を瞑り、状況を整理する。
なるほど、平和ボケの日本でも国防の精鋭は流石に優秀だ。
恐らく今後は自分は容疑者として扱われるだろうが、大勢に影響はない。計画通りノイズを取り除く。
『機内にSMがいる。休暇中らしいが特定して無力化しろ』
乗客に紛れた組織構成員にスマホに似た通信端末のチャットで指示を出す。
『手段の指定は?』
『任せる、無力化できればいい。例の素材も問題なかったか?』
『お前、ホント何者だよ。保安検査完全スルー。見た目も手触りも完全に金属製なのに……まさか玩具か?』
『お前達が知るべき事じゃない。ちょうど良い性能テストだ。存分に遊べ』
『……了解』
スコットは右胸ポケットからラミネート加工されたボロボロのメモ用紙を取り出してじっと見つめ、目的達成に不要な雑念を振り払う。
重要な任務の時、今まで何度もそうして、自分を鼓舞してきた。
そのメモの紙質は粗悪でくすんだ色をしており、書かれている文字も滲み読み取るのがやっとなほどで、歴史的遺物のようですらあった。
”20241128 AAC108便に大いなる災厄を齎す者あり”
それはスコットが元居た世界で意味も分からず受けた神託であり、この世界で孤独な戦いを強いられる切っ掛けでもあった。
@機内 エコノミークラス 客席
「ヘイブラザー」
デカい図体が近づいてくるのを、久我は早めに察知していた。
いつでも動けるように警戒はするものの、文庫本から目を離さずに不快感を露わにして応える。凶事の予感がする中では面倒はできるだけ避けたかった。
「ブラザーじゃない。アニメの話なら隣の渉君としたらどうだ?」
久我は両親の影響で、アニメは子供が見るものだという古い価値観を持っていた。
話を振られた渉がダグを上から下までゆっくりと観察し目を輝かせる。
「わあ、おじさん、大きいねえ! クマさんみたい」
ダグは苦笑いする。彼は子供とどう接したらいいか分からない。更には日本語だから渉が何を言っているか本当に理解できていない。
「それでクマおじさんは何の用なんだ?」
久我が渉の言いたかった事を翻訳して補足する。
「おいおい、俺はまだ23だぜ。おじさんは勘弁してくれ」
「23でその体か……。俺と5歳しか違わないじゃないか。早死にするぞ。運動した方がいい」
「ブラザー、お前は俺のママか? 俺が今まで何回それを言われたと思っている? 今更そんなことを言われて、ナイスアイディアだ! 運動した方がいいな、今から客席をハムスターみたいに走り回ろう! そうだ、走れダグ! 名作映画のフォレストのように走って人生を切り開け! 素敵な人々との出会いが待ってるぞ、ってか? 俺からしたら運動する奴の方がアホだ。いかに楽をして生きるのか、それが人類の命題だ、ブラザー。この飛行機だってそうだ。お前はスーパーマンみたいに空を飛べるのか? 飛べないだろ。だから、飛行機に乗る。俺に運動をしろって言うのは、自分で空を飛んでフロリダに行けって言うのと一緒だぜ?」
ダグはジェスチャーを織り交ぜて早口でまくし立てる。渉はその様子を見て、きゃっきゃっと笑っている。久我は面倒くさいので折れた。
「分かった、分かった。俺が悪かった。で、用件はなんだ?」
「分かってくれたか、ブラザー! じゃあ、これを耳につけてくれ」
ダグはピアスと思われる小物を渡してきた。米粒ほどしかない小さなものだ。久我はそれを不審げに見回しながら、冗談めかして言った。
「なんだ、俺に気があるのか? 申し訳ないが俺はノーマルだ」
「HAHAHA、面白い冗談だぜ。俺にだって嫁がいる。遠く離れた場所にいるけどな」
「そうか、それはビックニュースだな……是非、SNSで発表してくれ。きっとバズるぞ」
「まぁ、次元が違うといろいろ苦労も多いけどな」
次元? と久我は眉を顰めるが、自分の知らないスラングか何かだろうと思ってスルーした。
「で、これはなんだ?」
「いいから、つけてみろって。危険はない、保証する。俺が嘘ついたことあるか、ブラザー」
「今日初めて会っただろ」
「おいおいブラザー、つれないな。しかし、アイツの言ったとおりだな」
「アイツ?」
「いや、こっちの話だ。ブラザーは疑ってかかるから、こう伝えろと言われたんだ。”クウテロ”と」
ダグはたどたどしい日本語でキーワードを言うと、久我の目の色が変わる。素早い動きでピアスを耳にはめる。久我はあらゆる変装に対応するためピアス穴は空けていた。
『休暇を楽しんでいるか、久我』
ドラゴン。その呼び方だけで相手が松永だと久我は瞬時に理解する
久我のフルネームは久我悟空。悟空が活躍する超有名漫画の名をもじり、揶揄ってそう呼ぶのだ。
松永はその渾名に満足していた。驚異的な検挙率で暴れまわる久我にピッタリだったからだ。ただ久我は正直、センスが無いなと思っている。
俺はカンフーは使わない。
「楽しさと不安が1:9くらいでしたけど、今、0:12になりました」
「鮮明すぎて隣にいるみたいだろ? 愛の囁きだって拾う特製のピアス型骨伝導イヤフォンマイク。俺はただのデブじゃないんだぜ?」
ダグが空気を読まずにはしゃいでいるが、緊急事態であることを久我は察して目を瞑り渋い顔をする。
怪しい奴を介して怪しい手段でわざわざ連絡してきて、それが忘年会のお誘いであれば大いに笑えるが、やはり松永にそのセンスは無いだろうと久我は断じた。
「始末書ものじゃないですか? 降格も有り得ますよ。非合法の手段で休暇中の俺に連絡を取るなんて」
「更に聞いて驚け。司法取引でそのデブのサイバー犯罪を揉み消す予定だぞ」
久我がダグを睨みつけると、彼は何を勘違いしたのか誇らしげに胸を張る。
「それより本題に入りましょう。よっぽどまずいんでしょう?」
悪い予感が案の定的中して、何故か妙な安堵を久我が感じた所で、機内に大きな声が響く。
「おい、肩がぶつかったのに謝らないのか!?」
先ほど、渉がぐずったのを最初に非難した老人が、トイレから出てきたヒスパニック系のビジネスパーソンと揉めている。トラブルを起こす奴は何度もでも起こすな、と久我が辟易して立ち上がろうとした瞬間、老人の怒鳴り声よりも迫力のある音が機内に響く。
銃声だ。
男が拳銃を取り出し、老人の額を打ち抜いたのだ。
老人の体が崩れ落ちると機内は悲鳴に包まれる。
「俺達はいつも手遅れですね。隊長」
そう呟きながらも久我の脳は、少しでも多くの市民を救うためにその処理速度をトップギアに入れていた。
「状況開始」
“状況”すなわちSMが任務を開始せざるを得ないシチュエーションが始まった事を、久我は冷静に松永に告げた。