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第3話 離陸《テイクオフ》:混乱の序章


@機内 エコノミークラス 客席



 離陸前の待機時間が長すぎる。多分、いや絶対俺のせいだ。申し訳ない。


 久我に過失は無い。が、自分の不運のせいだと確信があった。

 理由が分からず待たされるのは、大きなストレスになる。機内には不満の空気が漂いつつあった。敏感な久我が警戒レベルをあげるほどに。

 数列前に座る幼児が退屈に耐えかねたのか、あるいはシートベルトが窮屈だったのかぐずりだしてしまう。


 あれはさっき飛行機を眺めていた子だな。外から見る分には面白いが、中は退屈だろう。


 母親があの手この手で必死に宥めようとするが、効果はいまひとつのようだった。

 久我には母親がこうした事態に不慣れに見えたが、この殺気だった雰囲気のせいだろうと結論づけた。


 そして―――ついに風船が弾けた。

 それまで険しい顔をしていた高齢男性が、大仰にため息をつきながら、わざとらしく聞こえるように言い放った。


「大人しくしていられない子供を飛行機に乗せるなよ」


 乗客の中で高齢者はマジョリティだ。非難する声が波紋のように広がっていく。


 落伍者を皆で叩くのは庶民の最高の娯楽だからな、ほんと趣味が悪い。


 見かねた乗務員の責任者(チーフパーサ―)が割って入ろうとした所で久我が自席でおもむろに立ち上がる。


「私は子供の泣き声が大好きなので、是非私の隣へどうぞ」


 言い切った直後に、久我は口をつぐんだ。


 ……しまった。これはまずい。この発言は完全に小児性愛のサディストだ。


 周囲の乗客が、まるで“地雷を踏んだような”表情で固まっている。

 無論、方便()だ。子供の泣き声など久我はむしろ嫌いであったが、何の罪もない母子を寄ってたかっていじめる者達に立腹した故の行動だった。


 任務搭乗を繰り返し、警察官としての悔しさが蓄積していた事も理由となった。

 SMは重大事件しか対応できない。乗客同士の小競り合いや小さなトラブルなど、警察官として介入すればすぐに解決できそうなトラブルを今までいくつも見過ごしてきた。それは正義感の強い久我には耐えがたい苦痛だった。


 だから、言葉遣いを少しだけ後悔しているものの、行動自体を間違っているとは彼は思っていない。 


「よ、よろしければ、そうさせていただいても……」


 母親の一言に一同はホッとした。ここで彼女が断れば機内は微妙な空気に包まれていただろう。


 CP(チーフパーサー)は母子の安全のため、洗練された所作で久我の身なりをさりげなく確認し、顧客に見えないように手元のタブレットでDPAX(ディーパックス)を開く。


 ちなみに久我のDPAX情報はフェイクだ。SM(スカイマーシャル)に就任した瞬間に、警察官の身分はプライベートでも秘匿される。警察内でも空テロの人事情報は発表されない徹底ぶりである。


 当たり障りのない偽経歴に彼が危険人物ではないとCP(チーフパーサー)が判断すると、母子を久我の隣へスムーズに案内した。


 久我はその段取りを見て感心する。この乗務員は仕事ができる(珍しく当たりだ)、と。

 例の如く不運により大概はハズレで、久我は任務時に冷や汗をよくかいていた。乗務員の質の悪さは乗客の死のリスクを高めるからだ。有事に影響力ゼロならまだまし。下手するとマイナスになる。


「あの、ありがとうございます」


 母親は席に座ると、躊躇いがちにそう言った。その瞳には複雑な感情が宿っている。助けてもらった事への感謝、久我への若干の警戒心、旧友に意外な所で遭遇したような驚き、それが混ざったものだ。


「いえ、礼を言われるような事は何も」


 母親の表情が気になったが、久我はぶっきらぼうに応える。人助けはするが、できるだけ人に関わらない。それが不運を避けるコツだ。久我はそれで会話を終わらせようとしたが、子供の方が話しかけてきた。


「おじさん、子供の泣いている声が好きなの? 絵本で見たワルモノと一緒だね。おじさん、ワルモノなの?」


 幼児は少し怯えた様子だった。まだヒーローとワルモノの区分の存在を信じている目だ。


「いや、どちらかと言うと正義の味方だ。少なくとも俺はそう信じている」


 幼児は目を輝かせる。


「えー! すごい! 変身とかするの?」

「変身しなくても十分強い」


 子供に対して口調を合わせることなく淡々と答える久我に、母親は吹き出す。


「あっ、すみません。本当は子供、苦手なんですよね?」

「いえ、そんなことは……」


 それから自己紹介や旅行の目的など他愛の無い世間話をした。

 

 断続的な会話の中、久我は、四海の話し方にふと引っ掛かりを覚えた。声のトーンは柔らかいが、抑揚が妙に整っている。 目線の動きが少なく、子供に向ける視線もどこか“段取り臭い”。


 ……演技か? いや、考えすぎか。


 気づかぬふりをして、久我は目を逸らした。


 さっきから飛行機がやけに揺れている?


 久我が落ち着いて周囲を見渡すが、異常はない。否、異常はあった。自分の体に。寒気でも発熱でもない。だが背中にじっとりと汗が滲み、鼓膜がじんわりと内側から押されるような違和感がある。


 飛行機には何度も乗っているが、初めての症状だ。


 凶事が起きることを激しく主張しているのか?。不運へのアレルギー反応!?


 答えの出ない問いに久我はただ静観することにしたが、震えが収まることは無く離陸の時が近づくほどに、久我の顔色は悪くなっていった。


「ヘイ、ヒーロー! そんなに青い顔してどしたんや? ワシがいる限り、このフライトはめっちゃええ感じやで! 泥舟に乗ったつもりでおればええで、しらんけど」


 脂汗を書いている久我を見かねたのか、ブロンドの白人CAが気さくに日本語(関西弁)で話しかけてきた。左胸の名札にはエミリーと表記されている。

 CAエミリーの過度な気さくさに久我は鼻白む。惚けた顔で黙ったままの久我を見かねて彼女は続ける。


「舟ちゃうやろ!!! ってツッコんでくれなアカンわー。兄ちゃん、ノリ悪いで」

「……いや、飛行機と舟の違いよりも泥である事の方が、問題だろ。泥舟は溶けて……沈む」


 久我は気分が最悪ながらも冷静に問題点を指摘した。エミリーの顔が輝く。


「ええやん! やればできるやん、自分! これプレゼントや。お守りにしたって」


 エミリーは久我に航空会社のロゴが印刷された紙袋を押し付けて、すぐに次の客へと絡んでいく。2列先に座る、巨漢黒人(ダグ)とアニメの話で意気投合したようだ。


 この便はおかしな奴が多い……やっぱり俺のせいなんだろうな。


 なお、ダグの規格外の体は2席分スペースを取っているが、彼はしっかり2席予約している。根は真面目なのだ。


 久我はその様子を見て溜息をつきながら、紙袋の中身を慎重に(あらた)める。まるで任務中のようだ。

 確かに任務中であれば「乗務員から何かを受け取る」=「業務上重要なメッセージ」の式が成り立つ。強烈な不運の予感に備える久我は、既にこの搭乗を任務だと認識を変えていた。武装していないのが何とも心もとない。


 紙袋の中身はメモと普段、機内食に添えられているプラスチック製のナイフとフォークだった。メモには「ええドジョウ」と幼児のような字で書き綴ってあり、添えられたイラストは彼女なりのドジョウなのだろうが、どう見てもウツボにしか見えなかった。

 

 久我は首を傾げる。


 合衆国のセンスはよく分からない。……まさか、「虎の屏風」のとんち話のオマージュか? 一休、マニアックすぎる。


 そんなことより付随品の方が大事だった。丸腰の久我にはこんなものでも心の拠り所にはなった。


 紙袋に()()()()戻して網状のシートバックポケットに無造作に放り込み、ナイフとフォークは袖口に隠しポケットへと収納した。そこへ機長のアナウンスが入る。


「大変、お待たせいたしました。当機はこれより離陸いたします」


 離陸準備の整ったジャンボジェット機のスピードが上がっていく。微かに重力加速度を体に感じるのを切っ掛けに、不安が頂点に達する。飛行機の揺れ以上に体が芯から震えていた。


 ふと、左手に温もりを久我は感じる。


 左隣に座っていた四海の息子が手を握ってきたのだ。左手は母親、右手は久我、それぞれの手を握り目を瞑って必死に恐怖を抑え込んでいる。


 飛行機が浮力を得る。


 連動するように久我への重荷プレッシャーが緩和される。人の温もりには、他者を安心させる作用がある。

 ましてや、こんな小さな子供が恐怖を克服しようと戦っているのに自分が怯えているわけにはいかなかった。


 久我は正義の味方なのだから。



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