第20話 命を懸ける証明
@空テロ オペレーションルーム
「隊長、やはり自衛隊機の独断要請は不可能です。権限が──」
「分かってる」
オペレーターの声を制した松永の目は、宙をさまよっていた。焦りを隠し、表情は平静を保つが、脳裏ではフルスロットルで可能性を探っていた。
久我の言葉が、まだ耳に残っている。
──乗客は必ず助ける。
何か有益な情報はないかと、思わず指が机の上の資料を無造作にかき分け始めた。
データではなく、紙の方だ。思考が切羽詰まっている時、人は無意識に“手応え”を求める。
ふと、数枚のスケジュール帳の隙間から、分厚い一枚の演習予定表が滑り落ちた.
目に飛び込んできたのは、大きく印刷された文字。
『令和6年 日米合同統合演習:西太平洋空域/共同即応訓練(J-FLAG)』
──今日だ。
本日の空の一大イベントだったのに、緊急事態の連続ですっかり頭から抜け落ちていた。
今この瞬間、自衛隊と米軍の合同訓練が“西太平洋”──バミューダ寄りの空域で実施されている。
「演習中の自衛隊機! 通信できる機体を即確認!」
「はい! 空自第4輸送航空隊、第403飛行隊所属C-130H──“こだま07”が、該当空域にいます!」
「責任者は?」
「機体責任者、高城隼人二等空佐!」
その名に、松永の眉がわずかに動いた。
──高城。かつて、東日本の地震災害時、被災地への空中物資輸送ルートの開拓で無理を通してくれた男だ。
お互いに命令違反すれすれの判断を通した。だがそれで、何人もの命が救われた。
「すぐに繋げ」
数十秒後、音声が回線に乗った。
「こちら、警視庁東京国際空港テロ対処部隊隊長の松永だ。緊急の用件がある」
《こちら“こだま07”、高城だ。松永……懐かしい声だな。こんな時に緊急回線とは、よっぽの事か?》
「今、この空で民間機が危機にある。状況は後で説明する。頼む、指定座標で旋回待機してくれ。乗客を空中で引き取ってもらう」
《……空中での“引き取り”?》
「詳しくは往路で説明する。多くの命が危機に曝されているんだ。頼む」
一拍の沈黙。通信の向こうで、わずかに苦笑するような吐息が漏れる。
《……了解。どうせ、久我が関わってるんだろ?》
件の災害時には管轄外であるも久我が現場警備のために緊急派遣された。信じがたい事だが、火事場泥棒は実在する。その対処のためだ。そこで八面六臂の活躍を見せて自衛隊にも久我の名前は轟いている。
松永は一瞬、言葉を飲んだが、静かに返す。
「……ああ。アイツのヒキにはいつも驚かされる」
《ホント、ついてるな》
「ついてる? ついていないの間違いじゃないのか?」
松永は首を傾げる。
高城は皮肉を言うような奴ではないはずだが。
『いや、久我に助けられる人達の事だ。奴がいなきゃまず助からない』
松永はハッとした表情で頷く。
そうだ、そういう見方もできる。久我が巻き込んでいるんじゃなくて、久我は救っているんだ。人々の危機に、颯爽と現れるのではなく、既にそこにいるヒーロー。それが久我の運命なのかもしれない。
「その通りだ」
《座標を送れ。動く》
その言葉に、松永の肩がすとんと落ちた。安心と共に、何か熱いものが喉に込み上げた。
「ありがとう」
《……その言葉は全員助けられた時のためにとっておけ》
通信が切れたあと、松永は資料の山を整え、深く椅子に腰を沈める。そして、ひとりごとのように呟いた。
「……情けは人のためならず、か」
混沌の空の下で、かつて交わした不器用な信頼が、またひとつの命の橋を架けようとしていた。
@機内 エコノミークラス中央
死がその背中に迫っている時、人の根源的な欲求が暴れ出す。すなわち、生存欲求だ。怒声、混乱、泣き叫ぶ声。誰もが生きたいと叫び、誰もが他人を信じられなかった。
「私が先に行くべきだ!」
「冗談じゃねぇ! 順番なんて待ってられるか!」
「そんな魔法みたいな技術あるわけない!」
「どうせ全員死ぬんだ……」
限界だった。久我は、一度だけ深く息を吸い──ゆっくりと拳銃を抜いた。
それは、以前テロリストから奪ったものだ。機体が混乱に陥ったあの時、命を賭してもぎ取った武器。
思えばそれが乗客達の最初の恐怖。忘れ去っていた死を顔を出した。安堵したのも束の間、飛行機と共に命運を共にするか、未知の技術に命を預けるかの選択を迫られている。混乱は無理もない。
久我はそれを重々承知していた。だから、言い争う彼らを醜いなどとは思わない。ましてや救う価値などないと吐き捨てることは絶対にない。
生きたいと意識してしまうことは、この国において異常なのだ。誰しも当たり前に明日が来ることを疑わない。平和ボケ、大いに結構。そういう社会であり続けてほしい。
久我がいつも願っていることだ。
「静かにしてくれ」
彼の信念を込めた声は低かったが、音の波に飲まれることなく、空気を叩いた。彼が拳銃を手にしている事も大きく影響した。
「──信じられないのは、分かる。けど、これだけは言わせてくれ」
そう言って、久我は拳銃を自らの右手に向けた。自分達に向けられると思っていた乗客達は疑問の表情を浮かべる。
「……!?」
誰かが息を呑んだ。
次の瞬間──
乾いた銃声が機内に響き渡る。
悟空の右掌が、真っ赤に染まる。弾は貫通し、彼の手は指の間から血を滴らせていた。
叫びたくなるような激痛だが、久我は歯を食いしばって耐える。
その異常な行動に周囲の空気が凍りつく。誰もが、ただ呆然としていた。
久我は深呼吸をすると、よく通る声で言い放つ。
「俺は命を懸けてる。誰一人、見捨てる気はない。これがその証拠だ。さぁ次はどこを撃てば信じてくれる? 足か? 腹か? 頭や心臓でもいいぞ。それで、皆が指示に従ってくれるなら安いもんだ」
混乱は止まった。誰もが、叫びを忘れ、ただその男の覚悟を見ていた。
仲間であるダグやアルヴィン、セリスも信じられないという表情で久我を見つめている。
通路の少し奥。壁に背を預けて見つめていた四海が、かすかに目を細めた。
「自分を犠牲にしても、人を救う。あの時と……何も変わっていませんね、久我さん」
静かに、吐息のように呟く。
その言葉は、誰にも届かなかった。ただ彼女の胸の内だけに、確かに染みていた。
それは数秒だったかもしれない。久我には永遠にも感じられたしばしの沈黙の後、乗客の一人がおずおずと久我に応える。
「……そこまでするなら俺は信じるよ。アンタ達の言う通りにする」
その声に追随するように乗客達は口々に同意を示す。完全に納得する者ばかりでは無かったが、乗客集団の中で久我に従うことが是とされる空気ができた。その群集心理に反してまで、反対する者は居ない。
「自衛隊、真下に来たぞ! こんな近くに……すげぇ操縦技術だ」
ダグがMECをハックした端末に表示された情報を見て叫ぶ。
「転送準備、完了しました!」
タイミングよくセリスからも声がかかる。ここまで来たら後は実行するだけだ。久我は最初に転送する乗客を視線で選定した。
選ばれたのは、年配の女性だった。
高齢のうえ、人工呼吸器の携帯型を使用しており、術式の影響を受ける可能性も高かったが、そこには、久我の冷酷な判断もあった。万が一、失敗した際の影響だ。ひどい有り体に言ってしまえば、彼女は普段から死が間近にいる人間だからだ。
「……構いません。順番に不満などありません。信じます、あなた方を」
そう呟いて座席を立ったその瞬間、魔法陣の中央が光を放つ。
セリスが詠唱を始め、周囲の空間に微細な揺らぎが生じた。
重力が曖昧になったような浮遊感。光が一点に収束し、女性の姿が淡く滲んで──
消えた。
ほんの一秒後。
《こっ、こちら“こだま07”……! 転送対象、無事確認……到着、確認! 命に別状なし!》
通信越しに、救出機に搭乗している自衛官の声が響く。久我がスピーカーにそれを通すと、一瞬の沈黙の後、機内が盛大に沸き立った。
「……マジかよ」
「ほんとに、行った……」
「死んでない……!?」
「助かってる……!」
やがて、小さな拍手がどこかから起きた。それが広がり、歓声と共に全体を包み込み始める。
だが、浮かれている暇はない。
「次。二人目、三人目──速やかに移動を!」
久我の号令に、セリスもすぐ構え直す。
転送が一人、また一人と進んでいく。
船酔いにも似た浮遊感に涙を流す者。
祈るように指を組む者。
術式で送り出された仲間が向こうに届くたび、歓喜と感嘆が折り重なっていく。
このままだ。このまま何事もなく終わってくれ!
が、久我の願いも虚しく、およそ半分の乗客の転送が完了した時だった。
機体が、ぐらりと大きく揺れた。
「な、なんだ……!?」
「機体が斜めに──!?」
「窓の外を見ろ……! あれ……!」
誰かが指さしたその先には、激しく渦を巻く雲の裂け目が見えていた。
──乱気流。しかもただの不安定な気流ではない。
「これは……魔力干渉型の……乱流?」
アルヴィンが顔を青くする。
「“接続”が深まってる証拠です。異世界空間とのズレが、空に歪みを生じさせてる……!」
久我が眉をひそめた。
「……こっちは、100メートル以内に護衛機を随伴させてる状態だ。乱気流でぶれたら即、衝突だぞ」
「本来なら、ここで転送中止です……。接近継続は不可能だと思います」
彼女の唇がわずかに震えた。魔法使いであるはずの自分が、命を賭けると約束した自分が"限界”を口にする屈辱が彼女の体中を走る。
セレスの絶望的な声を通信越しに聞いた自衛隊機の長、高城が返事を返す。
『こちらの心配はするな。必ずそちらに合わせる。久我、どうするんだ?』
その声に驕りは一切なかった。可能な事を可能だと淡々と言っているだけ。
それを聞いた久我はインカムに叫んでいた。
「ダグ!! 続行だ!!」
「はああああああああ!? こっちは素人パイロットだぞ! まじで俺を未来から来た猫型ロボットだと思ってないか!?」
「お前のどこが猫だ! いざという時に役に立たないあのポンコツ青狸より、お前の方がよっぽど優秀だろ」
ダグは端末に集中して答えない。
次の瞬間、機体がふたたび、ぐらりと横滑りした。
警報ランプが赤く点滅し始め、乗客の歓声が再び恐怖へと引き戻される。機体は今、異世界と現実の狭間で、文字通り“命の綱渡り”をしていた。




