第15話 空の異物、影の正体
@F-22ラプター コールサイン:レッドフォックス1 コックピット
キャノピー越しに、彼はそれを見た。
「……冗談だろ」
だが、彼が積んだ経験と生存本能が即座に、それを現実として彼の脳に受け入れるように強制した。パイロットである彼の訓練された視線が、飛翔物のシルエットと挙動から“敵意”を確信するまで、数秒もかからない。
「コントロール、こちらレッドフォックス1。対象確認──翼展、20m以上。外見は……鳥類型。明らかに大型生物だ。機械構造なし。形状は……プテラノドンに類似」
『繰り返せ、フォックス1。大型生物だと?』
「Yes, sir。羽ばたいて飛行。推進機関もジェット音もなし、赤外線シグナルも生体反応に近いが、速度と運動性が異常。AAC108の進路に直進中」
『AAC108が目標なのか?』
「恐らく当該機の撃墜が目的だと思われる」
数秒の沈黙が通信に混じったあと、上層からの指令が届いた。通信士官の声には、今や迷いはない。
『レッドフォックス1。対象はFlight AAC108を明確に脅かす存在と認定。これ以上の接近は許容できない。対象の撃墜をオーダーする』
「Roger that. フォックス1、エンゲージに入る」
操縦桿を引き絞る。視界を流れる青空が、狙いへと変わった。
「正体が何であろうと──この空は渡さねぇ」
F-22の機体がGを受けてうなりを上げる。機首が跳ね上がり、鳥型魔物を真正面から捕捉した。
その瞬間──
魔物が反応した。ありえないほどの加速と共に、翼をひと振り。大気が歪む。機動が、速すぎる。
「っち……なんだコイツ、化け物か!?」
魔物の体が反転し、まるで意思を持った戦闘機のように進路を変え、急上昇から急降下──斜めに突っ込んでくる。
すれ違いざまに、巨大な鉤爪がラプターの機体すれすれを薙ぐ。
「……いいぜ。遊んでやる」
レーダーが警告を発する。ドッグファイトが──始まった。
@機内 ビジネスクラス 前方ギャレースペース
F-22と巨大な飛翔体の空中戦が続く中、機内の空気もまた、別の意味で凍り付き始めていた。
ギャレースペースに設けられた仮設制御席──そこにいたダグは、いつものように「俺が神だ」的な独り言をぶつぶつ言いながら作業していた。が、その背後から──
──カチッ。
金属の冷たい音。
「動かないでください」
その声は、あまりにも穏やかで。
「私があなたの代わりに制御します」
銃口が、ダグの首筋にぴたりと当てられていた。
その手に握られているのは、明らかに民間人が所持するはずのない軍用拳銃。しかも、安全装置が既に解除されている。
それを構えていたのは──四海麻衣。
久我と世間話をした時の優しげな口調とはまるで別人のような静けさで、彼女は告げる。
「航路はそのままバミューダへ。進路変更は許可しません」
「はああ!? 何してんのアンタ!? え、え、ちょ、撃たないでって! ワイまだ嫁に会えてな……!」
ダグの叫びは無視された。その刹那、久我が到着する。銃を構える四海の姿を見て、即座に緊張状態に入った。
「……まさか、お前もテロリストの一味だったのか……」
だが、四海は表情ひとつ変えなかった。ただ、その言葉にだけ、わずかに眉を寄せる。
「一緒にしないでください。私たちは私利私欲では決して動かない。言うなれば、“世界の進歩”そのものに仕えているんです──ただ、それだけです」
その言葉は、平常時に聞けば冗談にしか聞こえなかったが、今の状況と彼女の態度がそれを真実と語っていた。久我は察する。四海の目は躊躇なく撃つ者の目だ、と。
「私の任務は、この機体を“向こう”へ送り届けること。必要なら、すべてを犠牲にしてでも」
久我は、絞り出すように問いかけた。
「……子供はどうした。渉君は?」
──沈黙。
四海は、ほんの一瞬だけ視線を落とす。まるで心の底に沈んだ感情が、言葉として浮かび上がるのを拒んでいるかのようだった。だが、次に目を上げた時、その光は決然としていた。
「……彼は訓練された孤児です。身寄りのない子どもたちの中から、“役”に最も適した者が選ばれた」
「ッ……」
「子供連れはまず疑われません。それだけのための駒です」
拳銃を構えながらも、四海の指先が微かに震えていた。わずかな後悔が彼女の全身を駆け巡る。
──こんな未来を、私は望んでいたの?
あの夏の日、焼けたアスファルトに膝をついて、泣きじゃくっていた少女、四海に手を差し伸べた青年、久我。
『……立てるか? 今だけじゃない、未来を生きる力を──お前は、持ってる』
その言葉を信じて、私は選んだ。誰かを守る力を手にする道を。けれど今、私がその力で引き金を向けているのは──希望そのものな気がする。
私の選択は、間違っていなかったと──そう言い切れる日が、来るのだろうか。
それでも、任務は遂行されなければならない。
久我は、四海の目を見つめながら、言葉を選んだ。
「……あんたは本当に、それが正しいと思ってるのか」
「愚問ですね。見ている世界が違います」
それが、彼女の覚悟だった。
四海麻衣の任務。それは、“異世界Chaosへの物理的接続手段の掌握”。彼女の所属する組織は、その圧倒的な情報網で当該機が異世界に通じると事前に察知し、その関係者に接触した。
魔法が具現化されている異世界との接続に成功すれば、資源、エネルギー、戦略資源において世界は大いになる進歩を手に入れる。この世界の技術とあちらの世界の素材が組み合わされて、金属探知器に察知されない拳銃が開発され、この機内に持ち込まれたのが良い例だ。
その進歩のためなら──飛行機一機分の全人生程度は安い代償だ。
それが、彼女の組織の判断だった。
@上空三万フィート Flight AAC108 近傍空域
急旋回──Gが臓腑を圧迫する。レッドフォックス1のラプターは、空を切り裂くようにバレルロールで回避行動をとった。
「ッ……この機動、読まれてる!?」
魔物は常識外れだった。旋回半径は戦闘機並み、それも第四世代機すら振り切るほど鋭い。なにより、“先読み”でもしているかのように、こちらの行動に的確に追従してくる。
「くそっ……ゴジラの方がましだぜ!」
機体を海抜1万フィートまで落とすフリをして、高速で急上昇──クラシックなベイト機動。魔物は食いついた。
だが直後、翼を一閃。予測不可能な反転で、射線から外れた。
『レッドフォックス1、距離が詰まりすぎています。ミサイルは非推奨!』
「分かってる……奴の加速に、通常弾は追いつかねぇ!」
バルカンを巻き散らす。ガガガッと連なる閃光が空を貫くが、魔物は最小限の動きでそれを避ける。パイロットは馬鹿にされている気分になる。
「こいつ……知性があるのか……!?」
その瞬間、翼の一閃。風圧が爆風のように機体を打ちつける。視界が揺れ、フラップがきしみ、HUDに警告灯が連続点灯する。
「ダメだ、このままじゃ機体がもたねぇ……!」
そして彼は決断する。 教本にはない──だが、彼自身が数え切れぬ実戦と訓練で磨いた「裏技」。
「──超低空突入。地形フェイントだ」
F-22が機首を下げた。AAC108の下をすり抜け、海面へと一直線に突っ込むような降下。数千フィート下、波頭の揺らぎが見える。
「付いてこいよ、プテラノドンもどきが──!」
魔物も追う。羽ばたきで加速しながら、真後ろへ。
パイロットはそれを……待っていた。
低空、海面すれすれ──F-22が突如、逆バンクをかけながら一瞬のフラットスピン。
「──今だッ!」
機体が水平に滑り込みながら、機首が魔物の胴体に正面を向けた。
──発射。
短距離赤外線ミサイル、AIM-9X。
最短レンジ、最短時間、最小回避──
逃げようがない。
炸裂。
轟音が空に走る。
魔物の巨体が一瞬バランスを失い、空中でのけぞるように軌道を逸らす。
──が、それでも落ちない。
「……チィッ、硬いな。だが──!」
直後にバルカン連射。閃光の雨が、魔物の翼を断ち切った。
そして──
神のような巨大な鳥は、天から、墜ち海に沈む。
F-22のコックピット内に、静寂が戻る。
「……レッドフォックス1、目標撃破。Repeat. 目標、撃破完了」
深く、酸素を吸い込む。
「一体、何だったんだ」
パイロットの呟きは空に溶けていった。