第14話 11万分の1
@機内 ビジネスクラス前方 ギャレースペース
モニターにはライブ配信の画面。その右上には、現在の視聴者数──「12」の表示。当然、コメントなどは皆無だ。
「……なぁ」
「言わなくていい、分かっている。ちなみにバグじゃない。マジで“12人”だ」
久我が眉間にシワを寄せたまま画面を覗き込む。機内で起きている事態を世界に伝えるべく、ダグは各種SNSとライブ配信サイトを一斉同時接続し、発信を開始した。だが──
「こんなセンセーショナルな配信なのに、なぜ話題にならないんだ?」
ダグはノートPCのキーボードをカチャカチャと叩きながら、小さく息を吐いた。
「いや、見ねぇんだよ。発信者に影響力がなければ……いま世界で同時配信されてるライブは、11万件をゆうに超えてる」
「……11万?」
「そう。猫がピアノ弾いてる配信も、バカなキッズのおふざげ動画も、エアロビ踊る中年も、戦争の現場も、ぜーんぶ並列だ。 この配信も、その中の“ひとつ”ってだけだ。“無名アカウントが命懸けで喋ってる”じゃ、だーれも見ねぇよ。そんな時代さ」
久我はその辺には疎い。SNSもひとつもやっていない前時代的人間だ。不運のために敬遠しているのもある。久我がSNSをやれば十中八九乗っ取られて犯罪利用されるのがオチだ。
「フォロワー数ゼロのやつが“世界の終わり”って叫んだって、誰も見向きしねぇ。発信者の“格”が要るんだよ」
「格?」
「有名人。セレブ。大企業の顔。今の世の中は正しいかどうかじゃない。“誰が言うか”で決まるんだ。クソみたいな世の中だけどな。」
久我はしばし黙ったあと、ふと口を開いた。
「……たとえば、“世界的テック企業のCEO”なら、格とやらは十分か?」
ダグが鼻で笑う。
「はは、そんな都合よくこの機に──……」
しかし、発言の途中で何かを思い出したように目が見開かれる。
「……いる。いたな!? あの白髪のおっさん!」
「ロジャー・ハリス。確か世界7位の資産家。さっき、俺を撃った張本人だ」
「うっそだろ、どんだけ濃い乗客構成してんだよこの便!」
@機内 エコノミークラス 座席
久我とダグは座席を抜け、ある人物のもとへ駆け寄った。
その男──銀縁眼鏡に白髪の短髪、簡素だが仕立ての良いスーツを着こなした紳士は、すでに異変を察していたかのように、静かに二人を見上げた。先ほどのショックからはだいぶ回復しているように見える。
「ロジャー・ハリスさんですね。……ご協力を願えますか?」
「……また貴方を撃ってくれという願いでなければ、聞きましょう」
ロジャーの冗談を愛想笑いでスルーして、久我は耳打ちする。
「この機体は、あと二十分で撃墜されます。テロリストによる制圧の影響で、米軍が“敵性航空機”と見なしている」
ハリスの眉が微かに動いた。
「それはまた……苛烈な論理だ」
「その現実を世界に知らせる必要がある。あんたの“名前”を貸してほしい。発信力が要る。俺たちには、それがない」
ハリスはわずかに笑い、タブレット端末をスーツの内ポケットから取り出した。
「この事態で私が何もしないほうが──よほど罪でしょう」
よほど、先ほどの久我を撃った件が響いたのか、笑顔が苦しげな表情に変わる。
「もう見捨てる側にはなりたくない。それに恐らく私にも責任がある」
「責任? どういう意味です?」
久我はケヴィンの事があるので乗客の発言には敏感になっていた。視線がロジャーを刺す。
「いや、自慢じゃないですが、私には敵も多くてね……政府の中枢にもいるかもしれません。確証はないですが、私が搭乗していることが決定を早める要因になったかもしれない」
「なるほど、そういうことですか。なら、話が早い。敵の思惑を打ち砕いてください。貴方の得意分野ですよね」
久我がにやりと笑うと、ロジャーもつられて笑う。
「やれやれ、また敵を作ることになりそうだ」
ダグがそのやり取りの間にタブレットをWEBにつなげていた。CEOの公式アカウントでライブ配信が開始される。
@機内 ビジネスクラス前方 ギャレースペース
視聴者数が、文字通り跳ね上がった。まさに指数関数的に増えていく。
「5万……7万……15万ッ……やばい、コレ止まらねぇ!」
配信画面はロジャー・ハリスの静かな訴えから始まり、その後ダグが改めて状況説明を行う構成。
『──私はこの便に乗っています。ここには乗客100余名の命があります。だが、あと十数分でそれは消えるかもしれない。なぜか? テロによってではありません。脅威は既に排除されました。今、勇気あるもの達が飛行機のコントロールを取り戻すために必死で戦っているのです。しかし、その戦いの結果も待たず、我々は、見捨てられようとしているのです──誰にか? 我々を守るべきはずの政府にです』
配信開始から数秒、最初のコメントが流れた。
そして次の瞬間──まるで堰を切ったかのように、画面上に文字の洪水が走る。
《FlightLover1987》
え、今のハリス? あのCEO本人が機内から配信してるのかこれ?
《skywatch_NY》
マジでリアルタイムか?合成じゃないよな?
《GoPro_Marine》
スーツに皺あるし、あれ現場だろ。やべぇなこれ。
《Just_A_Coder》
この機体、ホンモノだ。フライト番号照合できる。
《politruthbot》
政府は見殺しにしたってこと?これヤバくね?
《FlySafeOrg》
どこの政府機関がGo出したのか、徹底的に検証されるべきだ。
《涙腺死亡中》
「今、勇気ある者達が──」ってセリフで泣きかけた。ほんとに頑張って……
《Conspirologist999》
ほらな? 言っただろ、これは“選別”だよ。あいつらわざとやってる。
《NINJAFAN03》
あの女の人、機体の外這ってるの?なにそれ映画じゃん……てか助かって……
《PatchGod88》
FinalPatch神、今すぐそのコードGitに上げろ。俺らがミラーする!
《公式アカウント_BreakingNews》
【速報】ロジャー・ハリスCEO、自身の搭乗機から緊急ライブ配信。米政府判断への批判高まる。
《普通の高校生》
頼む、誰か止めてくれ。こんなのおかしいだろ……
@アメリカ本土 ワシントンD.C. Department of Homeland Security(DHS)本庁舎
「……何が起きてる?」
「オンラインで公開された映像をご覧ください。“Flight JP-88”、現場からの配信です!」
「ウチの代表番号に市民からの通報が殺到しています、“やめてくれ”って」
@連邦航空局(FAA) Operational Response Desk
「旅客便から配信されたって……!? なんだこれは」
「撃墜判断を支持したとして、今この瞬間、我々は米国民から“加害者”扱いを受けつつあります」
「対応保留に切り替えろ! 緊急ミーティングにかける! NORADに再確認だ!」
@機外 機体下面 MECアクセスパネル前
暴風のような風圧が、スーツの装甲ごしに骨を鳴らす。エミリーは金属殻に貼りついたまま、冷却ガスと油の臭いが入り混じる空気の中で、ついに最後のピンを嵌め込んだ。
「──ッよっしゃ!」
バックルを固定、セーフティシグナルを解除。彼女の指先が、最後の一線に触れる。
「こちらエミリー、ミッションコンプリートや!」
『さすが、NINJA! いや、ただのNINJAじゃない。スーパーNINJAだな』
ダグは興奮した声で応答する。対照的に久我は冷静な声で告げた。
『よくやった、エミリー。ついでといってはなんだが、頼みたいことがある。そのまま貨物室に向かってくれないか? ハッチはダグが開ける』
エミリーは文句の代わりに理由を尋ねると、久我は端的に応えすぐに納得した。
「なるほど。確かにその通りや。NINJA大活躍やな、しかしぃ!」
@機内 ギャレースペース
デバイスの物理的接続が完了した瞬間には、本来計画されていた撃墜予定時刻は既に過ぎていた。だが、配信の影響で本部が混乱し、まだ撃墜命令は下っていなかった。
今、この飛行機は大空を飛んでいるのではなく、薄氷の上を滑っているのだ。
ダグが接続完了の報を聞いて、即座にコマンドウィンドウを開く。
「アレもコレもと…人使いが荒いぞ!!」
ダグはそう言いながらも嬉しそうな表情だ。指がキーボードを叩きつけるように走る。ファームウェアの確認、コマンド送信、既存プロトコルのバイパス、擬似信号の挿入──全てを10秒以内に。
「応答きたッ! MEC、奴は……生きてる! いける!」
最後の改行キーが叩き込まれると同時に、端末に青色のコードラインが流れた。
『CONTROL CHANNEL ESTABLISHED──PRIMARY LINK SECURED』
それは、果てしない砂嵐の中から、一本の針を探し出すような困難さだった。飛行機外壁へのアプローチという物理的障壁。迷路のように絡んだ回路、時間制限付きの一発勝負、誰も試したことのない通信手段── あらゆる条件が“不可能”を突きつける中で、唯一の解に辿り着いた。
まさに、技術の力で勝ち取った“奇跡”と呼ぶに相応しい出来事だった。
「はいハック完了!お疲れ、俺!! これにて空飛ぶ棺桶、営業終了! この飛行機、今から俺が“パイロット”や!」
『さすがどら〇もん、ようやった!』
「はっ。アイツより俺の方が優秀だね」
ダグとエミリーの軽口に笑いながら久我は無言で手を掲げる。二人は強くハイタッチをした。
@空テロ オペレーションルーム
佐藤が叫ぶ。
「MECに接続成功! テレメトリが回復! ジャイロ値、制御系統、全部戻ってきてます!」
松永がすぐさま、DHSとの回線を再開する。
『こちら日本、Flight JP-88の制御回復を確認。現在、搭載コンピュータによる正常飛行状態へ復旧中──撃墜命令の延期判断を再要請する!』
配信の件もあり、申請が即時承認され、オペレーションルームに安堵の空気が広がる中、それを切り裂くように電子音がけたたましく鳴り響いた。
システム警報。しかも複数。同時多発的に。
「警報!? 今度は何だ?」
「高度3万フィート上空にて、未確認の高速飛来物を探知!」
オペレーターの一人が、モニターを指差しながら叫ぶ。軌道表示画面に、一つの“影”が現れた。飛行機でもドローンでもない、だが明確に飛行している“何か”が、JP-88の進路上を交差しようとしていた。
「IFF《敵味方識別信号》は?」
「──反応なし! 航空局データベースにも該当機体なし! 所属不明です!」
佐藤が眉を寄せながら端末に向き直り、別のセンサーデータを呼び出す。
「電波遮蔽なし、しかし内部構造に金属反応もない……反射波が曖昧すぎる。これは……」
彼の表情が凍りついた。
「……“生物”の可能性があります」
「──生物!?」
オペレーションルームの空気が一瞬で凍りついた。高度三万フィートを飛翔する巨大生物など、想定されていない。いや──あり得るはずがないのだ。
「どうなってんだ、撃墜は中止されたはずだろ!? 米軍が新たな機体を出してきたのか!?」
「違います。これ……軍の運用空域に登録されていない。応答なし、明らかに独立行動です」
松永が深く椅子にもたれかけ、唸るように口を開く。
「このタイミングで、“第三勢力”か……?」
佐藤が冷静に言い添えた。
「──状況は不明ですが、当該飛行物体がFlight JP-88の進路を狙って接近しているのは、間違いありません」
モニターの上に、未確認飛来体の航跡が、真っ赤なラインを描いた。
それはまるで、獲物に狙いを定めた猛禽のように──鋭く、一直線に。