第12話 NINJA、発進
@機内 ビジネスクラス前方 ギャレースペース
コードで束ねられた端末、分解されたWi-Fi中継ユニット、液晶基板、電源制御モジュールのかけら。
それらが無数に散らばるギャレースペースの一角に、彼──FinalPatchことダグは仁王立ちしていた。
「完成ッ!!」
雄叫びと共に掲げられたのは、複数の電子機器を繋ぎ合わせて作られた即席の灰色デバイス。サイズは両手の平に収まるぐらいだ。
四角い筐体の側面に、マジックで『SyncHammer』と書き殴られている。
「……本当にそれで完成なのか?」
久我にガラクタにしか見えなかった。
彼が無表情のまま突っ込むと、ダグはむしろ得意満面で顎をしゃくった。
「これだからルッキズムに侵されたパンピーは……。大事なのは中身、スペックだぜ。これぞ我が人生の総決算にして、全ネット民の夢──飛行機のOSに物理パッチを当てる反逆のアート!」
「しょーもな……」
エミリーが露骨に眉をひそめた。
『さすが、FinalPatch。この機内の設備だけで、よくぞ』
佐藤が通信越しに感嘆する。その瞬間、ダグがスイッチが入ったかのように早口で語り出した。
「聞け、これはただのパッチやない! このType-βはな、Wi-Fi中継器のMACアドレスを疑似変換して認証ハンドシェイクを回避、そこから電源制御系統のバックドアを経由してMECの通信用プロトコルに擬似パルスを同期送信する設計や。しかもな、既存のOS言語に合わせて動的にプロトコルを再構成してくれるから、これ一個で多機種対応の夢のデバイスなんや。つまりは、俺は今この機体の神になったも同然ってわけやな!」
「……何ひとつ分からんけど、大事なのはちゃんと動くことやで。お空の大冒険をした後にやっぱり動きませんでしたってなったら、ワシキレてまうかもしれへんで」
エミリーが肩をすくめながら呟く。
『こちらで動作確認してみます』
佐藤の声音が切り替わる。端末側でPing応答チェック、通電反応、ノイズ測定などが自動で走り始めた。
ダグの顔に緊張が走る。発汗量が尋常ではない。
しばらくの沈黙──。ギャレー内の機器が静かに作動音を立てる。
『……OKです。正常に作動してます』
「と、当然だな。俺を誰だと思っている」
言葉とは裏腹に、安堵のため息をダグは密かについた。
「よくやった。お前はヒーローだ」
「やめてくれ。俺はただの通りすがりのオタクだ」
久我はわずかに口元を緩め、エミリーは満面の笑みでサムズアップし、ダグは照れくさそうに鼻を掻く。束の間、ギャレーにあたたかい空気が流れるが、久我はすぐに表情を引き締めて言った。
「デバイスが完成した以上、あとは外に取り付けるだけだ」
──その言葉に、ギャレー内の空気が一変した。
機外、それも高速航行中の機体外部。そこへ出るということが、どういう意味を持つか。誰もが理解していた。
しかし、その張本人は素知らぬ顔で言い放つ。
「ヒーローの次はNINJAの出番やな!」
そう言って、エミリーが腰に手を当て、胸を張った。
「準備は整ってる。スーツも機材も確認済み。体温調節は自動、圧力補正と酸素供給はマニュアル制御やけど、そこは慣れてる」
彼女はギャレー脇のコンテナを開け、中から折りたたまれた特殊スーツを取り出す。黒地に微細な銀のラインが走る、米軍仕様の戦術活動用軽量スーツ。
「NINJAスーツ、ね。正式名称:可変圧式外骨格型対外活動装備。名前がダサいからワイが勝手にそう呼んでるだけや」
エミリーは動作確認のように関節を伸ばし、手早くスーツを身に着けていく。その姿は普段の軽妙な彼女とは異なり、まるで舞台に立つ演者のような気迫に満ちていた。
「エミリー、無理はするな。お前が墜ちたら元も子もない。最悪、別案を考える」
久我が低く静かな声で言う。
「分かっとる。けどな、ワシはな許せへんねん。皆の希望の空の旅を、自分勝手な都合で絶望に変える奴等を。だから、絶対に好きにはさせへん」
その声は今までのお道化た様子は一切なく、日本刀の切っ先のような鋭さを纏っていた。エミリーの目には、迷いは一切なく、あるのは静かな闘志だけだった。
@機内 非常口前
非常口の圧力差警告ランプが、けたたましく赤を点滅させていた。機体を軋ませるような風音が、まだ閉ざされた扉の向こうから聞こえてくる。それはまるで、全てを飲み込む怪物の咆哮だった。
エミリーは最後の装備チェックを終え、深く息を吸った。
腰のハーネス、膝の補助ブースター、背面の酸素ボンベ。そして、胸元にしっかりと装着されたSyncHammer。
『シール、正常。空調、良し。酸素供給、稼働中』
フルフェイスのヘルメットに搭載された通信機ごしに自分に言い聞かせるように小さく呟く声が久我に届く。
エミリーは非常口の手動レバーに手をかけた。
──そして、開放。
その瞬間、凄まじい暴風が機内を襲った。
機内の空気が爆ぜたかのような音。風圧がまるで見えない猛獣のように通路を駆け抜け、天井の配線が唸りを上げ、未固定のコンテナがガタガタと悲鳴を上げた。
もし遮音シールドが作動していなければ、その瞬間に全員の鼓膜が破れていたに違いない。それほどまでに、異常な空気の圧縮と引き裂きがそこにあった。
NINJAスーツの生地が張りつめる音が聞こえる。開け放たれた先に広がるのは、吸い込まれるような濃い蒼の空。
そこには地平も重力も存在しない、“境界の外”だった。
『──行くで』
口角をわずかに上げ、彼女は言った。
『NINJA、発進!』
次の瞬間──
エミリーの姿は、暴風の中に吸い込まれるようにして消えた。
その直後──久我はふと視界の端に違和感を覚える。
「……今のは……」
非常口から見えた外空に、何かが一瞬だけ影を落とした。だが、距離が遠すぎて判別がつかない。
揺らめく陽光、わずかに屈折する空気、雲の切れ間──そのすべての合間を縫うように、なにかが『在った』。
久我は眉を寄せ、無言のまま通路を駆けて客席へ。最も視界の開けた窓へ顔を押しつけるようにして覗き込む。
──いた。
雲を切り裂き、銀色の鋭い影が滑空している。反射する光が機体の輪郭を浮かび上がらせる。
機体前方、双尾翼、カナードの無い鋭いライン。尾翼の先に、うっすらと見える星条旗のマーク。
久我は唇を結び、低く、呟いた。
「F-22……ラプター。なんで、今、ここに──」
久我はすぐにインカムに切り替え、佐藤へ呼びかける。
「本部、こちら久我。機外にF-22を確認した。間違いない、米軍機だ。どういうことだ」
佐藤が言葉を詰まらせるのが伝わった直後、通信が切り替わる。今度は、松永の声だ。
『久我……まず、落ち着け』
「落ち着いていられるわけがない。あの機体は、俺たちを狙っているんでしょう。……判断が早すぎないですか?」
『合衆国政府の決定だ……だが、猶予はあと30分残っている』
久我は無言になった。風が吹き抜けるわけでもないのに、頬が冷えた気がした。あの国の事情は久我もよく理解している。むしろ、ここまで猶予されたのは、松永の抵抗があったからなのだろうと彼の声色から推測できた。
「30分、ギリギリだな」
久我の声が、低く硬くなった。
『……すまない。だが、ドラゴン。俺は信じている。お前ならやり遂げられる』
松永の言葉は最早命令ではなく、願いであった。