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第11話 撃墜命令

@空テロ オペレーションルーム



 コンクリートの壁に囲まれた無機質な室内に、電子音が一つ鳴り響いた。それは他の雑多なモニター音とは異なり、どこか重く、冷たい響きを持っていた。


「──来た」


 佐藤が席を立ち、即座に端末に歩み寄る。その端末には、米軍からの暗号化された戦術通信が赤文字で表示されていた。


【Target: Civilian Aircraft AAC108 / Action: Intercept & Contain / Countdown: 02:00:00】


「撃墜準備、正式に入ってます。これは……本気ですね」


 佐藤の声が、普段の飄々とした調子から一変していた。


 当該機がコントロール不能状態であることを各所に通達した後、米軍の対応は早かった。911の苦い経験、及び直近で高まる国内のナショナリズムの影響からテロに対する対抗心は凄まじく苛烈だ。

 当該機がどこへ向かうか分からない。それはホワイトハウスかもしれない。で、あれば乗客を犠牲にしても撃墜命令が早々に下るのは、決しておかしな話ではなかった。幸いなことに閑散期で、アメリカ国籍の乗客がそんなに多くない事も少なからず影響しているだろう。


 米軍の判断の重さを理解して辺りが静まり返る。


 彼は組んでいた腕をほどくと、ゆっくりと立ち上がった。無言のまま、デスク端末の受話器を取り、別ラインに回線を切り替える。


「内閣危機管理監に緊急回線をつなげ」


 その一言に、場の空気がまた一段階、重くなる。通信班の隊員たちも自然と背筋を伸ばしていた。


 松永の表情は、まるで岩のように硬かった。その目は、正面の大型モニターに映る航空機のシルエット──Flight AAC108を見据えていた。


 静かに、だが確実に。

 「最悪の結果」が迫っていた。 


 回線がつながるまでの数秒が、異様に長く感じられた。


 ノイズ交じりの声がスピーカーに乗ると同時に、松永の声色が鋭さを増した。


「松永です。……撃墜の件、間違いありませんか?」


『確認したくなる気持ちも分からんでもないが、合衆国と我が国の政府の決定だ。 当該航空機、Flight AAC108 は国家緊急事態として処理しろ』


「“処理”とは、撃墜の意志ありと理解してよろしいか?」


『公式には我々は静観だ。東京から出発しているが、向こうの航空会社だからな。判断と実行は米側に一任された』


 明らかに責任を逃れるような我が国の態度に皮肉のひとつでも言ってやりたくなるが松永はぐっと堪える。交渉は感情的になったら負けだ。我が国の上層部とのそれは、もしかたらテロリストとのそれよりも厄介かもしれないと松永は常々思っている。

 松永は息を吐き、できるだけ感情を殺して言った。


「管理監のお考えはどうなんですか?」


『これは日米安全保障上の重大な問題だ。私の考えは必要とされていない』


「先の大戦から何も、我々は何も学んでいないのですか? 現場を無視した上層部の尚早かつ稚拙な判断で多くの犠牲が出ましたよね」


 一瞬の沈黙の後、あざけるような口調で返答が返ってくる。


『何年前の話をしている?』


「我々が経験した直近の戦争の話です」


『これは戦争ではない』


「ですが、国家緊急事態なのでしょう?」


『……君が我が国の立場を理解しているのかね?」


 電話越しに溜息が聞こえてきた。溜息をつきたいのはこっちだ、と松永は思いながら冷静に続ける。


「正直に申し上げましょう。私は今、国家の立場などどうでもいい」


「君、その発言は―」


 相手が言葉を続ける前に、松永は静かに遮った。その声音は静かで、礼儀正しく、それでいて圧倒的に冷たい。


「私の部下が、あの機に乗っています。現場の最高責任者として、今も状況を把握・対応している。彼の判断を信じています。彼以上の適任者は、あなたの周りにもいないでしょう?」


 答えは返ってこないが沈黙は肯定と松永は受け取った。


「日本国民も大勢乗っているんですよ。全員が助かる選択肢がまだあるかもしれないのに、そんな安易に見捨てるんですか!?」


 松永はどうしても感情が抑えられなくなり、オペレーションルーム中に響き渡るように強く言い放つ。


『撃墜は米国の判断だ。我々は従わざるを得ない』


「その言い回しは都合が良すぎます。責任を取らない者の論理だ」


 松永は小さく息を吐き、今度は氷のように冷たく言い聞かせるように発言する。


「──情報封鎖がされていますが、撃墜が行われた場合、私は全記録を公にします。希望を捨て米国に言われるがままに多くの国民を犠牲にしたことが明るみになりますよ。今の政権がどれほど世論の逆風に晒されるか、ご想像できますね?」


『……それは、脅しか?』


「違います。予告です。事実を守るための、最も誠実な選択です」


 再び、長い沈黙。やがて、その奥から絞り出すように返答があった。


『……2時間。2時間だけ、判断を留保させる。それが限界だ』


「感謝します。……決して無駄にはしません」


『時間が無い。米軍とのホットラインでそちらから連絡しろ』


 佐藤が短く頷き、すぐさま米軍との通信を開始する。空テロはその特性上、主要各国の空軍とのホットラインが存在する。緊急事態下においては、指示系統を省略してその連絡、指示事項が最優先される。


『こちら日本政府代表。Flight AAC108に関する撃墜判断について、遅延要請があります』


 短く明確に。佐藤の言葉に対し、米軍側の通信士官は冷静かつ即答で返してきた。


『理由を確認する。米政府はすでに“敵性航空機”としての扱いを許可済みだ。引き延ばしの根拠は?』


「現場において制圧行動が進行中。なお、機体制御の復元と副操縦士の拘束が見込まれる情報あり。最大2時間のうちに結果が出ると見込まれています」


『日本政府からの正式要請と認識していいか?』


「Yes. 国務省にはすでに連絡済です。形式処理は外務省経由で追って通達されます」


 数秒の無音。無機質な空気が、通信回線にまで滲み出す。


 そして──


『了解した。インターセプト態勢は維持しつつ、武力行使は2時間延期する』


 佐藤が受信ログを確認し、松永の方へ小さく親指を立てる。


「2時間──通りました」


 松永はわずかにうなずき、額の奥を軽く指先で押さえた。


 ほんの一呼吸分の休息。

 しかし、それは“決して長くはない”と、彼自身が誰よりも知っていた。


 通信班が一斉に動き始め、延長された2時間を最大限活用すべく新たな対応策が整理されていく。

 だがその最中、佐藤は席から松永の元へと歩み寄った。手には久我との通信ラインの端末。


「……久我さんに、撃墜判断の件。知らせますか?」


 問いかけは淡々としていた。が、その目は真剣だった。

 佐藤なりに、現場のことを考えた上での確認だった。


 松永はしばらく無言で考える。

 目を閉じ、拳を握り、ほんのわずかだが唇が震えた。


「……まだ伝えるべき時ではない」


 佐藤はうなずいたが、その手は通信機の上でしばらく止まっていた。松永は内心でつぶやいた。


 焦りは判断を鈍らせる。久我ドラゴンは優秀だが……無敵ではない。今は“救う”ことに集中させる。


「了解。2時間……奇跡を起こすには、十分な時間ですかね?」


「足りるさ。奴なら、どんな手を使っても手繰り寄せる」


 モニターに映る当該機のシルエットを松永はじっと見つめた。

 その視線には、部下というよりも、“一人の希望”への信頼が込められていた。


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