第1話 不運のスカイマーシャル、離陸前
@東京国際空港 109番搭乗口付近待合スペース
嫌な予感が胸をよぎる。
せめて晴れていれば。
久我は大きな窓越しに見事なまでの曇天を見て、憂鬱な気分になった。嵐の予感さえする真っ黒な雲だ。習慣で持ち込んでいる体積の割に異様に重たい手荷物もその憂鬱さを加速させる。
久我と同じ飛行機に搭乗するらしき幼児は、大きな窓に張り付いて発着する飛行機を夢中で見ている。
そう、飛行機は良いものだ。1日中だって見ていられる。
「……相変わらず、スカイマーシャルは便利屋だな」
久我はふと、上司がよく言う愚痴を思い出した。
対航空犯罪武装私服警察官。(SM)
乗客に紛れて潜伏し、万が一を防ぐ“最後の保険”。 派手な活躍はない。だが、異常を察知した時点で、即座に動かなくてはいけない。
つまり──バレないことが、仕事の第一条件だった。
そんな地味で危険な仕事を天職と思うくらい、飛行機が好きだ。もっといえば、空を飛ぶモノは自由を感じて全般的に好きだった。
だから、上司の気遣いで取れた久々の長期休暇でも飛行機に乗るのは当然の帰着であり、目的地も飛行に関する事だった。フロリダのシャトル展示施設を見学する予定だ。宇宙も自由でいいと久我は思っている。
だけど、心は浮かない。大きすぎる不安が重しになっていた。
久我は圧倒的についていないのだ。運に見放されていると言っても過言ではない。
子供の頃からそうだった。
くじはいつもハズレだが、何かの当番を決めるなどネガティブなくじだと必ず当選する。
各種受験の時は、前日にどんなに体調が良くても必ず謎の発熱や腹痛に襲われる。ストレスによるものかと思い、精神科医も含む各種医者の診療を受けたが異常は見当たらかった。
多分、呪いだ。恨まれる覚えはないが。
デートの時は、必ずと言っていいほど交通機関に遅れが生じたり、道中でひったくりが発生して追いかけることを余儀なくされたりで、1時間くらいは遅れるのがデフォだ。それが原因で4回振られた。
ただ、久我は強靭だった。不運にめげず、経験として武器に変え、あらゆるリスクに備えるスキルを身につけた。そのスキルを活かし、警察官となったのは必然かもしれない。
そして、警察の中でもその不運さが威力を発揮し、多くの凶悪犯確保実績を積み上げて、現職にスカウトされたのだった。彼はそれを誇っている。
しかし、運が悪い割には、任務ではやたらと平穏。……それも不気味だった。確かにセキュリティ体制が強化された近年では、ハイジャック発生件数が世界で見ても両手数えられるくらいしかない。SM不要論も囁かれているくらいだ。
だが、その宝くじ一等のような確率を久我は引き当てる自信があった。
今日は丸腰。完璧にオフの、ただの客。不運の悪魔には最高の餌になる——久我はそう思っていた。
その皮切りがこの曇天。
久我は溜息をつく。
過去に何度もパワースポットの参拝や厄除けで有名な神社仏閣でお祓いを試して、その効果の無さに絶望しているが、彼は神頼みせずにはいられない。
「ア、アノ、スイマセン」
確か、この空港にも神社があったはず。
「スイマ!チョ、チョ、アノ」
しかし、保安検査も終わった今、最早参拝は叶わない。せめて、神社の方向に向けて拝もう。
久我は立ち上がって神社のある第一ターミナルの方へ体を向ける。
「おわ! 誰だ、アンタ」
そこで初めて、久我は目の前の人物に気づいた。
オフで完全に油断しているな、と任務搭乗なら命取りになるミスをした自分を久我は戒める。
「サッキカラ、ズット、話ス」
久我は不満そうな顔をする男女2人組を素早く観察した。
コスプレだろうか? 久我はその方面に明るくないが、彼が子供の頃に遊んだゲームに出てくる戦士と魔法使いのような恰好をしていたのでそう判断した。
旅行中もコスプレするのは普通なのか? 随分軽装だが着替えはどこにある? という自然と湧いて出てくる疑問を久我は意識的に封殺して、クリティカルになりえる疑問だけを解決しようと脳のリソースを割く。
ずばり、当該人物の危険性判断。
今は任務搭乗ではないため、要注意人物を警戒する必要はないが、不運に常に備える久我はその癖がプライベートでも抜けない。
警戒心からこの人物と関連した久我の記憶が高速で蘇る。保安検査場で、大振りの剣(恐らくレプリカ)と1M以上ある鈍器として十分使えそうな杖を、何喰わぬ顔で持ち込んで止められていた。
聞きなれない言語で持ち込むことを懇願していたようだが、怖い顔した保安スタッフに別室に連れて行かれていたのを思い出す。
95%くらいの確度でシロ。
これから事を起こそうとする人物が詳細に荷物検査を受けるリスクを取るとは思えない。
十中八九、初の日本旅行でコスプレ文化に浮かれた善良な市民だ。つまり守るべき対象……いや、と久我は思い直す。今日は別に守らなくてもいんだな。
「アノー、キコエ、オケ?」
「ああ、申し訳ない。何か御用ですか?」
「コノヒッコーキ、フロリダ、オケ?」
久我はあえて英語で話したがコスプレ旅行者は拙い日本語で返してきた。
……明らかに欧米系の見た目なのに、なぜ英語が通じない?
久我のセンサーが再度反応しかけるが、これは任務ではないと自分に言い聞かせた。
運が悪い久我は不確定な情報で断定するのを避ける。自分の搭乗する旅客機は確かにフロリダ行ではあるが、彼らが同じ便かどうかは分からない。
瞬時にその可能性を巡らせて、日本語で言葉を返す。
「良かったら、チケットを見せてもらえます?」
「オー、ェチケット、ワカルヨ」
カップルは顔を見合わせ、なぜか深々とお辞儀をした。
「いや、あのなんでお辞儀……チケットってわかりますか?」
「エ、ナンデ。イマ、ェチケット、ミセタ。ナゼ、コマル。コノクニノェチケット、オジギ!」
なるほど、言語は難しい。エチケットなんて言葉、なんで教えた、誰かさんよ。
久我は辟易しながらもジャケットの内ポケットから自分のチケットを取り出し、同じものを見せるように伝えると無事本意が伝わった。
結果、見事に同じ便だった。後ろの席。最悪だ、タイミングをずらして乗ろう。
思わぬ副産物もあった。
その出来事がナーバスになっていた久我を落ち着かせて周りを見る余裕をもたらした。
搭乗口付近の待合スペースに座る乗客はまばらだ。閑散期の11月の水曜日、早朝便。乗客は余生を楽しむ高齢者かビジネスパーソンくらいだ。
子供連れは先ほどから窓に張り付いている幼児と母親くらいしかいない。その中でコスプレ組と同等に異質な空気を放つ人物に久我の目は吸い寄せられる。
「何見てんだ、ファ⚪︎キンジャップ。黒人のオタクがそんなに珍しいか!?」
目が合った瞬間、肥満体型の巨漢黒人が立ち上がり英語のスラングで捲し立てながら久我に向かってきた。
今日も不運続き。通常営業だ。
11月で薄手のコートを着ている者も多い中、彼は半袖ハーフパンツ姿だ。Tシャツにはアニメの女性キャラが大きくプリントされている。
久我にはそれが何のキャラかは分からなかったが、不自然に露出が多い服装だなという感想を抱いた。
その振る舞いからこの黒人がどういう人物かを久我は瞬時に理解する。自分より|体格が劣るひ弱な日本人を威嚇して思い通りにした成功体験を積んで、イイ気になっているのだろう。
確かにこの体のデカさは怖いかもしれない、一般人にはな。
しかし、久我には憐憫の感情しか浮かばない。彼は隙だらけで素手でも5秒で制圧できる。幼児が戦隊ごっこで悪者を必死で演じているような滑稽さが漂っている。
自分にさえ絡んで来なければ、気持ち良く母国に帰れただろうに。だが、リスクは摘む。被害は久我が被ることになるからだ。
仕方なく釘を刺すことにした。
「英語が堪能で勇敢な侍もこの国にはいる。喧嘩を売る相手を間違えない方が良い。少し声が震えているぞ」
聞き取りやすいがドスを効かせたネイティブ顔負けの英語と猛禽類を思わせる久我の鋭い視線に面食らい、巨漢は立ち止まる。
「はは、冗談だよ、ブラザー! そんな怖い顔をするなよ。……ガム噛む? このガム、すげぇぞ。飲み込める上に、超うまいんだぜ。なんて読むんだっけな、これ。あ、そうだ! ハイチ―」
こいつ、意外とまだ野生の勘は死んでないらしい
彼はヒエラルキーを瞬時に理解し、陽気な黒人オタク(ハイチュウ大好き)にクラスチェンジした。
しかし、これはこれで面倒くさい。久我は溜息をつくと、菓子とアニメの話を捲し立てる巨漢を無視して、再度周囲をそれとなく観察するが他に気になるものは無かった。
何も問題は無い、久我は自分にそう言い聞かせる度に不安が募っていった。