STORIES 075: 大切なひとは見分けられる?
STORIES 075
自分を育ててくれた父母や祖父母。
幼い頃から、楽しいことや辛いことをともに経験してきた兄弟姉妹。
何かあると集まって助け合ってきた親類、縁者。
自分の子供たち、孫たち。
実際の血の繋がりはともかく、そうした絆が強い人たちというのは、存在の重みが周囲の他の人たちとは違う。
特別な関係といえるだろう。
もちろん、育ってきた環境によって、それぞれ感じ方は異なる。
絆が深いからこそ、憎しみが刻まれてしまったケースなども世の中にはあると思う。
存在の大きさ=愛情の深さ、という訳でもない。
でも割合的には、私と同じように感じている人が多いと思う。
大切な人たち。
.
社会に出ると、とても高度な関係を強いられる。
初めて会う人と上手く話さないといけないとか、ご近所さんとの付き合い方とか、理不尽な上司に我慢したりとか…
結婚やそれに関連するいろんな問題とか。
でもね、本当に嫌なら他の生き方をすればいいだけだ。
会社員が嫌なら自分で起業すればいいし、
家庭に縛られたくないなら単身生活を続ければいい。
都会に出れば、近所付き合いなしでも生きていけるところはある。
それはそれで、大変な苦労を伴うけれど。
いまの日本人なら、多くは自分で選んだ道を歩いているのだろう。
誰に強制されるでもなく、自分で決めたはずだ。
それでも不満は募る。
そう、どんな生き方をしていても、不平不満を言う人はずっと言い続けるのだろう。
例えそれが自分で選んだ結果であり、他の誰のせいでもないとわかっていたとしても。
ひとのせいにすれば、たやすく心が楽になるのだから。
.
若気の至りで別れてしまった、過去の恋人。
数十年経ったいまも、悔いの気持ちが消えない。
そんな想いを心に秘めて暮らしている人は、多いかもしれない。
あの日、あの時、ああするべきじゃ無かった。
でも、その日に戻ってやり直せても、いずれは離れてしまうのではないだろうか。
何度やり直せたとしても。
私が私で、あなたがあなたである限り。
失くしてしまったものは、記憶の中で実物以上に輝いて見える。
すべては自分で選んだ結果であり、その時はもっと大切な何かがあった…
或いは、あると信じていたのだろう。
.
幼く、不安定で、頼りない心を抱えて、何かにすがりたかった10代の頃。
そうした自分の中に、染み込むように入ってくる音楽が沢山あった。
擦り切れるくらいに聴き、言葉を取り込み…
自分の中の朧げなかたちに、意味を持たせようとした。
青臭い自己満足、承認要求。
でも、だいぶ大人になったいまでは、まるで心に響いてこないものも多い。
ヒーロー、ヒロインたちの冒険譚はすっかり色褪せてしまい…
今では、ただ懐かしいだけの音楽になってしまった。
環境が変われば自分も変わる。
優先順位が変化してゆくことだってある。
大切だった人たちは、どこへ行ってしまったのか。
そう感じていた自分の心は、どこへ消えたのだろう。
.
そんな曲のなかのひとつに、とても印象に残っているフレーズがある。
大切な人はみわけられるはず
それはある歌い手のマイナーな曲の一節で、特にお気に入りの曲という訳でもない。
けれど、人間関係に悩むときなどに、呪いの言葉のように何度も何度も思い浮かんでくるのだ…
.
三十数年後の自分に問う。
君は大切な人を見分けられるようになったか?
どうかな。
まだ自信ないなぁ。
信じていた人にあっさり裏切られてしまったり、
好感を抱いていなかった人から親切にされて驚いたり、
分かり合えていると思っていた人から責められたり、
突然、猜疑心に苛まれ、自分の居場所すら見失ってしまったり…
これからもたくさん繰り返してゆくのだろう。
大切な人を、見分けられるようになりたい。
大切なものを、大切に扱える自分でありたい。