06 中世の巻
「この星では人間の居住地域はほぼひとつの大陸に集中していて、その周囲を亜人や魔族が住む領域が取り囲んでいるという感じですかね。
それでも一応人間は世界各地にまばらには存在していて、それぞれ国や共同体を作って亜人たちと共存しています。
しかし他の種族と比較して、圧倒的に数が多いのはやはり人間といえるでしょう」
女神がスクリーンを指差しながら、滔々と説明している。
その指先からは細いレーザービームのようなものが放出され、それが赤いポインターとなってスクリーン上に現れる。
彼女が今指し示しているのは、北半球をほぼ占めていると言っていい巨大大陸だ。
「この大陸が主に人間が住む地域です。
ただ北方を東西に横断する山脈を境として、北部は魔族の住処となっています。
大陸の中心部はこの星で最も高い山を擁する山岳地帯で、そこには教主国家と呼ばれる小さな国があり、その周囲に規模は大小まちまちな複数の国家が乱立しているといった状態です。
各国の政治システムは、世襲による王制、もしくは形式的に王を擁きながらも実質は貴族制、といったところでしょうか」
俺は女神の説明についていくのがやっとながら、質問を投げかける。
「えーと、教主国家っていうのは…」
「この星の人間たちには女神信仰という宗教的基盤があり、教主国家とはその総本山ともいうべき存在です。
この国の首領は、女神の代行として人間世界に君臨し、各国家はそこに従属する形になっています。
各国それぞれの君主がその国の王として世界から認められるためには、教主国家の首領――教皇――の任命が必要となるわけです。
ただこれはあくまで形ばかりの任命であり、じっさいのところ各国から依頼されて教皇が儀式を執り行っているに過ぎません。
しかしこのお墨付きがなければ他国からは国王として認められず、国際会議への出席もままならないので、各国はこのシステムをとりあえず尊重するポーズをとっています。
それでも教主国家に権力が集中しそうな体制ではありますが、表向きは国際政治や国家間の紛争には一切介入しないという建前を掲げています」
再び俺は質問する。
「その、女神信仰ってどういうものなのでしょう?」
「ま、ある程度歴史のある信仰なので、儀式や規範といったものが色々と組み立てられたりはしてますが、簡単に言ってしまうと、この世界を作り出した女神に祈りを捧げ加護を得るっていう感じですかね。
それで――」
女神は俺の顔を覗き込むような仕草を見せる。
「何か気づきませんか?」
突然の問いに、俺は戸惑うしかなかった。
「えーと…何でしょう?全く分かりませんが…」
女神はそこでなぜか誇らしげな態度を見せた。
「そうです。私がその女神です」
たしかに世界を作り出したのだから、人々が崇め奉る対象としては申し分ないはずだ。
しかし変なおじさん風に名乗られてしまうと、まるで女神の威厳を感じない。
ここで俺は女神から説明された世界を今一度想像してみるが、まだどこか漠然としていることは否めなかった。
俺は思いついた質問を口にしてみる。
「この星の人間は皆魔法が使えるんですか?」
「はい。当然個人によって能力差はありますが、ほとんどの人間が何がしかの魔法を使うことができます。
でも、魔法の話はそこそこ長くなるので、後でまとめてお話しましょう」
「そうですか…じゃあ、この星の人間社会には身分制度みたいなものはあるんでしょうか?」
「はい、ありますね。
国によって若干違いがある場合もありますが、大きく分けて王族・貴族・平民・奴隷といった区分になります。
平民が人口の九割以上を占めますけどね」
「へー、奴隷もいるんですね」
「奴隷となるのは、犯罪者、破産者、敗戦国の人間などですね。
子供の頃に攫われて奴隷に堕とされるといったケースもあります。
それから亜人種を奴隷とすることも多いですね。
高値で取引されるので、奴隷を保有するのは王侯貴族や豪商、豪農といった資産家に限られますが」
なるほど。奴隷に転生することだけは一応避けたい。
いや、生まれた時から奴隷ということはないか。
「この星の産業や経済ってどうなってるんですか?」
「これまた国によって違いはありますが、平民のうち八割は農民といっていいでしょう。
残りは商業工業に携わる者や職業軍人や冒険者や何だか分からない人などですかね。
それから、この星の人間の主食はパンっぽいものです。
その原料は小麦っぽいものなので、多くの農民はその小麦っぽいものを栽培しています。
面倒なのでこの先はパンと小麦と言います。
貨幣は大国が鋳造したものが世界で幅を利かせていて、辺境国以外では大体使えるように思います。紙幣はまだ作られてませんね。
それと、税金についてですが、各国の領土の中はさらに領地に細分化されて、それぞれの領主を貴族が担っています。
領主は領民から税金を徴収しますが、農民によっては農作物を納めることも多いですね。要するに年貢ですね。
国へは領主からその一部が納められることになっています」
「そうすると、あまり詳しくはないですが、俺がいた世界の『中世ヨーロッパ』って感じなんですかね」
「そうですね。都市部の街並みもそれっぽい雰囲気になっています」
俺は続けて質問する。
「科学技術が発展していないって女神様は言ってましたけど、交通手段とか通信手段ってどうなってるんですか?」
「まず交通手段についてですが、あなたの世界の電車や自動車といったものはまだ存在せず、馬っぽい生き物に車を牽かせてますね」
「要は馬車ですね」
「幻獣に牽かせるケースもあって、これは馬っぽいものより格段に速いです。場合によっては空も飛べます。
ただ、高度なテイマースキルが必要であり、幻獣自体がレアなこともあって、この方式はほとんど普及していません。
まあ、他に最も便利な交通手段があるにはありますが…」
女神がなぜか勿体をつけているのを見て、俺は先に答えてみる。
「あ、分かりました。転移魔法ですね」
「ええ、そうです。
ただこれはレア中のレアともいうべき手段で、一部の王侯貴族の屋敷に『転移室』といった部屋が設けられていて、これは主に教主国家との行き来に使っているようです。
転移魔法陣の設定に莫大な金額と時間がかかるようで、王族の間でさえあまり普及していない方式ですね」
「呪文唱えたらポンと飛んでくってわけにはいかないんですね」
それを聞いた女神はニヤリと笑ってみせた。
「本当は可能ですよ。ほとんどの人間が気づかないだけで…」
「え、そうなんですか?」
「まあ、その件については後でお話しましょう。
それと通信手段についてでしたっけね。
遠方へと緊急のメッセージを送るには、鳥を使って手紙を送るという古典的なやり方が主流ですね」
「鳥っぽいものではないんですね」
「鳥は鳥です。
それからこれまた高価なので一部の人間しか使えないですが、魔道具を使う方法もありますね」
「携帯電話みたいに話せるんですか?」
「これも結構大がかりな装置を使うので、場所が限定されてしまいます。
もっと簡易的にできる方法もあるはずなんですが、転移魔法同様その術式が特権階級の間に秘匿されている分、イノベーションがなされないんですね」
女神のひととおりの説明を聞いて、何となくこの星の社会構造は分かった気がした。
まさに近代化の進んでいない世界だと考えていい。
ただ、俺のいた世界にない「魔法」については、全く未知の要素なので詳しく確認する必要があるだろう。
それにしても――俺はこの世界に転生してうまくやっていけるのだろうか?
自分の記憶がないので実感はないものの、俺は日本の平和な時期に生まれ育ったはずなのだ。
「この世界って…結局平和と言えるんでしょうか?」
女神は少し意表を突かれたような表情をする。
「平和、ですか…
今こちらで紹介させてもらっている時間軸は、社会システムが出来上がって割と安定している時期のものですね。
それでも国家間の小競り合いや表に出てこない権力争いなんかは頻発しているようですが、大きな戦乱にはなかなか発展しないです。
これは魔族の力が大きいですね」
そこまで聞いて俺はあることを思い出す。
「あ、俺、魔族加えてくださいって言いましたっけ?」
「あれ?魔族マシマシでって言わなかったですか?」
「いやいやいや、まだそこは決めてなかったですよ」
「そうですか…でもですねえ――」
そう言って女神は大陸の北方をポインターで囲むように動かしてみせる。
「ここに魔族がいることで、人間たちへの牽制が働いているのです。
人間が大きな争いを起こせば、彼らは確実にそれに乗じて攻め入ってきます。
だから結果的に戦争の抑止力にもなってるんですねえ。魔族は」
「そういうものですか…」
どこか女神に丸め込まれたような気もするが、俺も戦乱の地へ飛び込みたいとは思わないので、魔族が存在しても致し方ないような気がしてきた。
だが、魔族以外との関係はどうなのだろう。
「人間と魔族は対立してる状態っていうのは何となく分かったんですが、亜人とはどうなんですか?」
「まあ、亜人種にもよりますし、地域にもよりますね。
人間と亜人の間の争いも時たま起こります。異なる亜人種間というのもありますけどね。
多くの亜人種の本拠地は、この大陸外となりますが、一部は大陸の中にも暮らしていて、特にエルフやドワーフなどは、人間とは比較的良好な関係を結んでいると言っていいでしょう。
都市部なんかですと、人間社会の中で暮らす亜人も多く見られます」
「人間と共存してるんですね」
「ええ、そうです。
亜人種は人間社会の中で時に差別的な扱いを受ける場面も多いですが、あなたがいた時代のように平等を是とする価値観が薄いので、彼らが腹を立てても特に問題にはなっていません」
女神はそこまで言うと、突如正座したまま座布団ごと宙へと浮き上がり、そのまま滑るように宴会場のステージ方向へ移動していった。
「え、えーとどこへ…」
そして慌てる俺をよそに、女神は膝元の座布団を放り投げると、ステージにすっくと仁王立ちした。
「それでは次はいよいよ魔法についてお話ししましょうか」