03 ビッグバンセット
「で、俺が次に向かうのはどんな世界なんでしょうか?」
俺は女神の説明が始まる前に、つい急いたトーンで言葉を発した。
そんな俺に対して、女神はなだめるような口調で答える。
「まあ、それについてはこれからじっくり考えていきましょう」
「考える?決まってるわけではないんですか?」
女神はニッコリと笑って俺に顔を近づけてくる。
「はい。最終的に決めるのはあなたです。
私にできるのはそのお手伝いとちょっとしたアドバイス程度です。
あくまであなたの自己責任です」
「そ、そうですか…」
「自己責任」という言葉の重さと、迫りくる女神の顔圧に、俺はついたじろいでしまう。ついでに言うと、女神が顔を近づけてくるとき、床と身体が平行になる形で宙に浮いているのも怖い。
「次にあなたが向かう世界は、一から組み立てることができます」
女神はそう言って、再び石畳の上に立ったかと思うと、なんとその場に正座してしまった。
突然の謎の行動に戸惑っていると、女神は右手を顔の位置まで上げてそのままパチンと指を鳴らす。
すると――
辺りが暗闇に覆われたと思ったが、それは一瞬のことで、すぐにその場は明るさを取り戻した。
「!?」
周囲の様相が一変している。今俺と女神がいる場所は、先ほどの円形の石畳ではなかった。
足元には畳――石畳ではなく、日本の伝統的なイグサで編まれたアレ――があって、それが床一面に敷き詰められている。壁に閉ざされた部屋の中のようだが、広さはそこそこあって、奥にはなぜかステージのようなものが見える。
「ん?ここは…宴会場?」
先ほど正座した女神は、いつの間にかちゃっかり座布団の上に座っていた。
「あなたの記憶の中からそれなりに広い部屋を引っ張りだしてみたんですけど…」
当然ながらまるで覚えてはいないが、社員旅行での思い出の場所か何かだろうか?
「どうしてこの部屋に変えたんですか?」
「えーと、映像を見ながらのほうが話しやすいと思いまして――」
女神が再びパチンと指を鳴らすと、俺から見て右側の壁が一瞬にして全面ガラス張りのように変化した。
「お、オーシャンビュー…」
俺はつい感嘆の声を上げてしまう。ガラスの向こう側に、雲一つない青空とエメラルドグリーンに輝く一面に広がる海原を望むことができた。
「まあ、これからの話は長くなりそうなので、どうぞこれに座ってください」
そう言って女神は俺にも座布団を勧めてきた。立ち尽くしていた俺は、「ど、どうも」と言いつつその言葉に甘んじる。
「それでは次に向かう世界のお話をしましょうか。
先ほど私は、あなたが決めると申し上げましたが、例えば――」
そう言って女神が指を鳴らすと、これまでオーシャンビューを映し出していたスクリーンが真っ黒に塗りつぶされた。
「これは何もない空間です。
ここにあなたが次に暮らす世界を作り出してください、と言われたらどうします?」
何だろう、これは頓智クイズなのだろうか?当然地球は必要。恒星として太陽も必要で――
「まあ、あなたの暮らしていた世界の常識に即せば、地球とか太陽とかを用意しますよね。
その場合、太陽はどのような物質で構成されているのか、太陽が燃え続けるためにはどうしたらよいのか、地球は太陽からどの程度の距離にあればいいのか、大気はどのような成分なのか、動植物それぞれの生態はどうすればいいのか、そもそも太陽と地球以外の星々は必要ないのか等々、決めることが沢山あります。
素材は指示されたものをこちらで用意しますし、あなたがかつて生きていた宇宙をそのままモデルにすればいいのですが、決定することが多すぎて人間には土台無理な作業でしょう。
神にしか成しえない内容です」
やはり答えても全否定されるクイズだったか…自分としては宇宙を一から作り上げようとは思ってないのだけど、そこから考えないとダメなんだろうか…
「宇宙を自分たちから見えるものだけで構成させるという方法もあります。
いわゆる地動説的な発想ですね。
これであれば先ほどの方法よりも考えるべき内容をグッと減らすことができます。
大地を巨大な亀の背中に乗せることも可能ですね。
しかしこの方法は、自然科学的な裏付けがない分、生態系システムがうまく回っていくか等の心配があります。
やはりおすすめはできません」
俺はいつの間にかスクリーンに映し出された巨大ガメを見ながら考える。
女神の言うとおりであれば一体どうすればいいんだ…
「そういった場合、やはりおすすめは『ビッグバンセット』ですね」
「何ですか?そのハンバーガー屋のメニューみたいなのは」
「初めにビッグバンを起こして宇宙の生成を自然に任せればよいのです。あなたはただ地球が出来上がるのを待っていればいいので楽チンですね。スマホの放置ゲーみたいなものです」
「ああ、それならば…ただ――」
俺は頭に浮かんだ疑問を口にする
「それはどれぐらい時間がかかるもんなんですか?」
女神はそれを聞くとニッコリ微笑んだ。
「あなたが生きていた時代はビッグバンから138億年経っていますが、そこまでは待つ必要はありません。
地球が動植物が暮らせるハビタブルゾーンになるまで、100億年ぐらいですかねえ」
俺はつい座布団の上に立ち上がる。
「100億年!?俺はその間どうしてればいいんですか?」
「あ、ここに映像を映しっぱなしにしておくので、それを眺めててください」
「100億年間、ここでそれをずっと見てるってこと?」
「ええ。あなたの今の身体は空腹も便意もありませんし、眠くなることもありません。
病気になることもないので、1億年に一回健康診断とかそういうのも必要ないですよ」
「だけど100億年って...」
「でも、意外とあっという間ですよ。100億年。
その場合、私は一旦この場を外しますが、100億年経ったら呼んでください」
ふうとため息をついて俺は再び座布団へと座り直す。
「100億年待ち続けるっていうのは、いくら何でも無理です」
「やっぱり、ひとり寂しいからですかね…あっ――」
女神が何かよいことを思いついたように目を輝かせる
「最初の1億年だけ一緒にいてあげましょうか?
それぐらいだったら調整できますけど、それ以上は私もちょっと忙しいもので…」
女神の提案内容の魅力のなさに失望しつつ、俺は嘆くように言う。
「そのー、100億年待つ以外に手はないんですかね。
それはもう新手の地獄というか何というか…」
俺の言葉を聞いた女神は、少し不本意といった表情になったが、どこか諦めたようにまた指を鳴らす。
すると、スクリーン上に宇宙空間に浮かぶ地球の姿が映し出された。
「こちらが前に100億年かけて作り出した地球に似た惑星です」
「え、もうあるんですか?」
「ええ」
「ちょっと、そういうの先に言ってくださいよ!」
「でも、自分の手で作り出したほうが愛着がわくでしょ?」
「いやいや、地球ってそういうもんじゃないですから。
しかも、ほとんど放置するだけじゃないですか」
気を取り直したように、女神は説明を始める。
「こちらの地球に似た惑星には人間は存在していません。
転移であれば唯一の人類となり、狩りをしたりして生きていくことになるでしょう。
ただ死ぬまでひとりぼっちになりますから、さびしんぼのあなたには向かないでしょうね」
「100億年ひとりきりを嫌がるのは、さびしんぼとは言わないですよ」
先ほど100億年待機を断ったのを根に持っているのか、女神の口調が少し厳しい。
「あなたの場合は転生となりますけど、ここには人間がいませんので、例えば――」
女神は少し考えるように目線を上に向ける
「猿として生まれるというのはどうでしょう?」
「猿ですか…」
「はい。猿の世界の中で人間の知恵を持っていれば、チートスキルに頼らずとも簡単に無双できます。
猿という種を進化へと導く存在となることさえできるのではないでしょうか」
「う〜ん、猿かあ…さっき異世界には美少女が必須と言いましたよね?
この場合はどうなるんです?」
「美しいメスザルになります」
猿として生きる自分を想像してみるが、あまりイメージも湧かず、正直気が乗らない。猿だし。
「やっぱり人間のいる世界じゃダメですかね?」
「なるほど、そういうご要望ですか…」
俺の中では当たり前の要望としか思えないのだが、女神は少し考える素振りを見せる。
「人間がいるとなると、先ほどの自然科学的な前提に加え、社会科学的な条件も考慮する必要があります。
人間にはやはり社会システムというものがセットでついてきますからね」
「またそれを一から考えていかないとダメなんですか?」
女神は天を仰ぐように宴会場の天井を見上げる。
「これがなかなか難しいんですよねー。
人間には意志がありますから、こういう条件を与えたらこうなるっていう、自然法則みたいな感じにはいかないんですよ。
人間の中でも『地上の楽園』を作ろうって動き、たまにあるじゃないですか。
新たな社会システムを考えて運用していこうっていう。
ああいうの大抵失敗するんですよね。
神でさえ難しいのに、人間が…ククッ…やれるわけが…クククッ」
人間を露骨に下に見ていて、あからさまに感じの悪い女神だが、まあ言ってることは間違っていないのだろう。
女神は俺の(多分)ドン引きしている視線に気づき、誤魔化すように咳払いをすると、まるで何事もなかったかのように説明を続けた。
「ですので、神は人間社会に対して幾つかの条件を与えたり方向づけをしたりして、後は自然に任せるってやり方が常ですね。
あなたが前に生きていた世界もそのひとつではあります。
まあ、割とうまくいってるほうかなあ、とも思いますけど」
「うまくいかないケースもあるんですか?」
「そうですね。
神が人間の前で言うことじゃないですけど、結構失敗してますね。
ま、常にトライ&エラー、試行錯誤って感じです」
俺は恐る恐る疑問を投げかけてみる。
「あの…うまくいかなかったら、その世界はどうなるんでしょう?…」
「放置して自滅待ちっていうのが多いですかね。稀に『もう見てらんないわー』っていうときもあるんですけど、そういう場合は派手にラッパ鳴らしてブッ潰しちゃいますけどね」
「まんま黙示録じゃないですか…」