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01 石板と土器の部屋

「あなたは死にました」


 暗闇の中、はっきりとした女性の声が響いた。


(…何だ?…今どういう状態なんだ?)


 ふと自分の瞼が閉じられていることを自覚し、俺はゆっくりとその重い緞帳を上げていく。


(俺は眠っていたのか…?)


 そして何度か目を瞬き、次第に辺りの光に慣れてくると、覗き込むように自分を伺う女性の顔が目の前にあることに気づく。

 いきなりの死亡宣告の声を発したのは、彼女のようだ。


「え、誰?」


 今の状況が全くつかめず、眼前に現れた存在に大いなる不可解を抱きつつも、思わず辺りを見回す。


 周囲には何もない真っ白な空間が広がっていて、そこに浮かぶように半径5メートルほどの円形の石畳があり、まさに俺はその上で寝そべっていたようだ。

 石畳の上には数本のギリシャ神殿式の円柱が据えられており、そこかしこに未知の文字が刻まれた石板や土器のようなものが転がっている。


「ここは一体…」


 俺の問いかけとも独語ともつかぬ呟きを聞くと、目の前の女性は少しほっとしたように微笑んだ後、そのままふわりと宙に浮かび上がった。


「え?」


 俺はただ呆気にとられて、その謎の女性を見上げている。


 彼女の服装は周囲に似つかわしくギリシャ神話風とでも呼ぶべきか、真っ白な布地にドレープの沢山ついた衣装で、一枚の布から拵えられている様子だ。肩から先は何も覆っておらず、腰から下のスカート部分は両脇に大きなスリットが入っていて、そこから白い太ももが覗いていた。


 さらにその背中からは大きな白い翼が生えていて、宙に浮かびながらゆったりとそれをなびかせている。果たしてそんな速度の羽ばたきで空を飛べるのか疑問だが、じっさいに浮いているのだから不思議としか言いようがない。


「この場所は、あなたを次の世界へ送り出すための中継地点のようなところです」


 そう語る女性の背後からは金色の後光が差していて、細かな光の粒が辺りを舞っているようにも見えた。


 彼女の髪型はどこか透明感を感じさせるピンク色のロングヘアーであり、それが軽くカールしつつ胸のあたりまで伸びている。

 そしてその顔立ちは少女のようでもあり大人の女性にも見えて、不思議に年齢不詳であり、さらには東洋人なのか西洋人なのかもよく分からない。ただ、いずれにしろ彼女の顔は美しく整っており、その表情には優しげで柔和な微笑みを浮かべていた。


 俺は身体を起こし、やおら立ち上がると、彼女が醸す謎の神々しさに気後れしながらも、絞り出すように声を発した。

「あの…あなたは…」


「私は女神です」


(…女神?は?)


 その言葉に絶句する俺をよそに、彼女――女神は軽く宙を旋回すると、石畳の上に静かに降り立った。


「あなたは死にました」

 再びそう口にすると、女神は俺の死を悼むかのように自分の胸の上で両手を合わせた。


「えーと…それはどういう――」

「言葉どおりの意味です」

「ちょっと何を言ってるか分からないんだけど…」


 俺の理解が追いつかないことが少しばかり不服なのか、女神は軽くため息をつくも、すぐに顔を上げてにこやかな笑みを浮かべた。

「あなたは死んだばかりなので、混乱しているのは致し方がないことです。

 まずは事実を受け入れることから始めましょう」

「事実ってそれはつまり…俺が死んだっていうこと?」


 女神は深く頷くと話を続ける。

「そうです。現世のあなたは死亡し、今は魂だけの状態になってここにいます。

 ただここでは、私とのコミュニケーションに支障がないよう、かつての身体を持たせて衣服も着用してもらってますけど」


 俺は自分の手を広げてそれを見つめ、さらにその手で身体のあちこちに触れてみる。自分の身体が女神の言うような「借り物」であるような実感はない。


「ちなみに私のこの姿も、あなたの考える『女神っぽい』感じにコーディネートしています。

 女神がドンキで買った芋ジャー着てたら説得力がないですからね」

 そう言って女神はランウェイ上のファッションモデルかのようにその場で華麗に回転してみせた。


「あ、私が普段、芋ジャー着て寝そべりながらポテチむさぼってる、ってわけではないですよ。

 あくまで例えです」


 女神を名乗る割には随分俗っぽい発言内容に、多少の違和感を抱きつつも、俺は彼女へと言葉を返す。

「あの…話が進まなそうなので、あなたの話を一旦受け入れますけど…それで…俺はどうして死ん――」そこまで言葉を紡いだ時に、俺は深刻な事態に思い至る「え?俺って…」


 その「気づき」は、俺の全身を震わせるに余りあった。


(一体誰なんだ!?俺は?)


 何故死んだかを云々する前に、自分がどんな名前で、どんな生い立ちで、死ぬ前にどんな仕事をしていたのか、家族や恋人や友人はいたのか、そういった一切が何も思い出せないのだ。俺は必死に記憶を掘り起こそうと、うなりつつ頭をかかえた。


「あのですねえ、亡くなった時に過去の記憶を失ってしまう方は一定数いらっしゃいます。

 それでも生まれ育った時代の一般常識は大抵覚えたままなので、あまり心配しなくても大丈夫だと思いますよ」

 そんな反応は見飽きたと言わんばかりに、女神は鷹揚に頷いてみせた。

「あなたは――女神様は、知ってるんですか?俺が一体何者だったのかを……」


「いやあ、それがですねえ――」

 そう言って女神は申し訳なさそうに頭をかく

「私もあなたの生い立ちや死因などの詳しいことは聞かされてないんですよ。

 この業界は意外と縦割りなもので」

「業界?何の業界です?」

 女神は立てた人差し指を唇に当て、上に目線を向ける。

「んー神業界?」

「えーと、それは――」


 俺が疑問を差しはさむのを遮るかのように、女神は早口で説明を加える。

「あのー、神の世界のことは説明が難しいんですよ。

 ホント人智を越えてるっていうか?

 だからあなたにも分かりやすそうな例えで言いました。

 ま、『業界』とか。

 マジで人智越えちゃうと人間に説明できなくて。

 なんていうかなあ、神の世界のことを人に伝えようとすると、相対性理論をカニクリームコロッケのレシピで説明するみたいな?そんな感じになっちゃうんです。

 うーん、この例え、合ってるかな?」


「…そうですか…」

 そこを追究しても、恐らく不毛な結果にしかならない予感がする

「じゃあ、とりあえずそこについてはいいです…」

「はあ、すみません…」


 女神は殊勝な面持ちで一旦うなだれるも、すぐに気を取り直したように溌剌とした笑顔を見せる。

「でもですねえ、あなたのことについては、大体推測できますよ。

 私がここで発する言葉は、あなたの言語や語彙といったあなた自身の記憶貯蔵庫の中から再構成しているんです。

 そうしないと会話が成立しませんからね。

 ここには英語圏やら北京語圏やらスワヒリ語圏やら各国の色んな老若男女が訪れます。

 そういった人たちの知識レベルや言語能力に合わせて、私は言葉を発しているわけなんですよね。

 それで――」

 そこで彼女は腕を組んでは、右手の人差し指を顔の前で立ててみせた

「あなたの記憶と今のその風体を総合した結果、導き出せるのは、あなたは恐らく『21世紀前半の日本の30代独身サラリーマン』だろうということです」


 今の俺の姿は白いワイシャツにグレーのスラックスといった全くといって面白味のない格好で、サラリーマンと言われればそんな感じに思える。ただ、石畳の上だというのに靴は履いていない。黒い靴下のみである。

 ここに鏡はないので顔は確認出来ないが、恐らく俺は子供でも年寄りでもない。まあ、その辺は自分の手の皺なんかを見てそう思う。

 自分の年齢の記憶とは全く結びつかないのだが、20世紀末から21世紀にかけての日本の出来事は、何となく覚えているような気がする。


 女神の俺に関する想定は、やはり非常にしっくりきたので、おそらくはその辺が正解で間違いないんだろうと感じた。俺自身のことは全く何も思い出せないけど。

 しかし、なぜそんな若さで死んでしまったのかという点は気になるところだが。


「あ、死因、やっぱり気になります?」

「え、ま、まあ…」

 いきなり心の中を読まれたと感じて、俺は動揺を隠せなかった。

 たしかに人の記憶を読み取れるぐらいなのだから、考えを読まれたとしても不思議ではない。

 

「あ、あなた今、私が神の力で心を読み取ったと思ってます?

 まあ、当然出来なくはないですけど、今は人間同士のやり取りを真似てあなたの表情や振る舞いから推定してるだけですよ。

 それでも人間の推定力を遥かに超えた洞察力ですけどね。

 言うなれば神察しですね」


 まあ、そもそも神なんだからその辺も神なんでしょうどうせ、と俺は段々考えるのが少し面倒くさくなってきているのを感じていた。


 いきなり不可思議な状況に置かれて、何者かもわからぬ俺自身のことや、女神が提示する「事実」やらが一気に押し寄せてきて、もはや自分の処理能力を超えてしまっていると言ってもいい。


(しかし――)

 と、俺は一旦自分を落ち着かせる。


 己れの過去のことはたしかに気になるが、今はそれはあくまで二の次だ。たしか女神はこの場所を「次の世界に送り出すための中継地点」と言っていた。記憶を失った俺は、もはや前を見据えるしかない。そう、何より気にすべきはこれから先、自分がどうなってしまうかなのだ。


(まさかこの後地獄に堕とされて…俺はそんな悪いことをしたんだろうか…でも生前の自分が何をやったか知らないし…)


「次は地獄じゃないですよ」女神の「神察し」がまた発動した「あ、でもチョイスによっては地獄にも天国にもなるかなあ?」

 女神がとぼけた様子で目線を上に向ける。


「え、自分で選択できるんですか?わざわざ地獄を選ぶ人なんて――」

「地獄っていうわけじゃないですけど、過酷な道を選ぶ人はいますねー。まあ、人それぞれ趣味嗜好が違いますからね」


 趣味で修羅の道を行く人間がいるのか。俺はそんな軽はずみなことはしないし、マゾでもない。多分。


「私は『次の世界』って言いましたけど、あなたには異世界と言ったほうが分かりやすいかしら」

「え、つまり、俺はこれから異世界に転生するってわけですか?」


 女神は理由は分からないが再び宙へと浮かび上がった。

「そうです。これからあなたのよき異世界転生に向けてガイダンスを始めますので、よく聞いてくださいね」

 







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