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婚約したこともないのに婚約破棄される女

作者: アカネコ

「コンスタンツァ・ジョバンニ!お前との婚約は破棄させてもらう!」


 ドランダーコ国中の貴族令嬢令息が通うドランダーコ学園の卒業パーティ。宴もたけなわ、たいそう盛り上がっていたパーティ会場は、一瞬にして静まりかえった。

 

 そこで今、大声を張り上げているこの男はバルツァーノ・ドランダーコという。この国の第一王子なのだが、どうやらこの卒業パーティの最中に婚約破棄をするつもりらしい。


「おい、こっちを向け。そのように無視をしてもこれは覆らないからな。こちらを向いて、私の愛しいフランソワにおこなった悪事のすべてに謝罪しろ!」

「そ、そうですわ。いつも私に酷いことを言ってお友達を引き離そうとしたり、教科書を盗んだり、か、家宝のネックレスまで引きちぎったり…全て、全てを皆の前で、謝罪してもらいたいのですわ。私がバルツァーノ様の寵愛を受けているからと言って酷い事ばかりして。あんまりですわ」


 バルツァーノ第一王子の横にいるクレイボワ男爵家令嬢のフランソワも、大きな声を張り上げた。


「お前が私の愛しいフランソワへ嫌がらせをしていたのは知っている。まさかとは思うが、ここでみっともなく言い訳などするなよ」

「この場で謝って頂けたら、私が王妃になってもジョバンニ公爵家を罪に問うような事はしませんわ。だから、どうか…」

「私の愛しいフランソワ、泣かないでおくれ。おい、お前!いいかげんにこちらを向いたらどうだ?」


 バルツァーノ第一王子は、黄金色に淡く輝き、波打つように緩やかなウェーブ揺らめく艶やかな髪を持つ令嬢に、ツカツカと踵を鳴らし近づいていく。皆が固唾をのんで見守るなか、その令嬢の髪の毛をぐいっと引っ張り自分の方へと振り向かせた。


 §


「コンスタンツァ・ジョバンニ!お前との婚約は破棄させてもらう!」


 げっ。

 卒業パーティで婚約破棄なんて、そんなはた迷惑な事が現実世界に起こるとは!

 さすがオバカーノ・ドラムスーコ!あ、違った。よっ、バルツァーノ・ドランダーコ!


 さてと…みんながあっち(婚約破棄)に注目している間に、私はありがたく、この素晴らしいお料理を堪能しようではありませんか。

 ふふふっ。卒業生に王家縁の者がいると、衛生面やら異物混入阻止(警備)やらの観点から、王宮のシェフがパーティ料理のケータリングをしてくれるという情報は、事前に掴んでいたのだよ。

 

 この素敵なお料理を前にして、オバカーノ劇場なんて一瞬たりとも見る価値なーし!

 いや、むしろ絶好のチャンス。この隙に全種類制覇せねばなりませんよ。そう、私はその為にいつもは出席しない学園のパーティなぞに出席したのですから!ふはははは。


 あ、嘘です。

 「パーティなぞお金がかかるばっかりで、時間の無駄だから行きません」と家族に伝えたら、お父様が半泣きになりながら、「リディア、頼むから卒業パーティくらいは出席しておくれ」と言ってきたので、仕方なく来たのでした。

 私に社交はもう必要ないのだと何度も言っているのに…。


 私ももう来月には立派な成人ですし、お茶会や社交パーティではなく打合せと会議の人生が待っている。だから、これがほんの少しでも親孝行になるのならと出席した次第。

 

 ドレスの出費だって決してお安くなかったのに、やんごとなき高貴なお方のやんごとなき事情により、出席したパーティ自体が崩壊寸前というささやかな親孝行が吹っ飛ぶオチが待っていようとはね。

 ま、いっか。いただきまーす。


 §


 皆がオバカーノ独壇場~バルツァーノ第一王子による婚約破棄~に釘付けなのを良い事に、リディアは一人堂々と、素晴らしい料理の数々に舌鼓を打っている。

 リディアは子だくさん貧乏子爵家の次女である。高位貴族の争いごとには全く興味がない。


 頭が良くて努力家で、そして魔力も多かったリディアは、座学だけでなく魔法実技もトップで卒業できたのだ。さらには学内でも(もちろん内申点目当)、誰もがやりたがらない地味で煙たがれがちな委員活動も率先して行い…その甲斐あって先生方の覚えめでたく、実力、且つ、学園推薦枠で世界法務機関への就職が決まっていた。


 “世界〇〇機関”と名のつく先への就職は、超エリートへの道を約束されたようなもの。そして機関の権限は世界中に及び、どの国の王家やら貴族制度やらからも、完全に独立している。

 ここに就職するという事は、リディア個人としてならば、貴族としてのしがらみからも、同時に解放されるということに他ならない。


 たとえもし、生涯独身だとしても、世界のどこに住もうとも、誰にも文句一つ言われない。

 まだ小さな妹や弟達がいて、マルゴ子爵家にはお金が要りような行事が今後も続々てんこもり。だからこそ、リディアは支度金を払ってまで、自分が他家へ嫁がなくとも大手を振って許されるこの就職先を、己の力でゲットした。


 という訳で、リディアは社交にも高位貴族にも全く興味がない。ただひたすら目の前の食べ物に全神経を傾けている。


 §


 妹と弟達にも食べさせてあげたい。この固めのクッキーならハンカチに包んでこっそり持ち帰ってもいけるんじゃないだろうか。


「おい、こっちを向け。そのように無視をしてもこれは覆らないからな。こちらを向いて、私の愛しいフランソワにおこなった悪事のすべてに謝罪しろ!」


 ‥‥‥。

 見るのもアホらしいので見ませんが、コンスタンツァ様のことを悪役令嬢とかなんとかいう変なあだ名を付けて、あることないことを吹聴している人たちがいるのは知っています。誰も信じてはいないって思ってましたけど…まさか…まさかねぇ…?


 正直、オバカーノ(バルツァーノ)ドラムスーコ(ドランダーコ)に、コンスタンツァ様はもったいないと思う。コンスタンツァ様も、とっとと婚約破棄を受けてしまえば良いのに、とすら思う。


 ぶっちゃけ陰では、第二王子とのほうがお似合いだってみんな言ってるし。コンスタンツァ様だって本当は第二王子の事が…ゴホンゴホン。とは言え、貴族の結婚に好きも嫌いもない訳で、こればっかりは仕方がないけどさ。


 こんな状態で婚約破棄されたとしても、あのコンスタンツァ様ならばノーダメージでしょ。むしろ第二王子とのロマンスに期待しちゃう派閥が勢いづいて、国内貴族の勢力分布図が変わるかもね。

 何故かって?それは私の読みでは、第一王子が次王になる為には“コンスタンツァ様ありき”なのではないかと思ってるから。


「そ、そうですわ。いつも私に酷いことを言ってお友達を引き離そうとしたり、教科書を盗んだり、か、家宝のネックレスまで引きちぎったり…全て、全てを皆の前で、謝罪してもらいたいのですわ。私がバルツァーノ様の寵愛を受けているからと言って酷い事ばかりして。あんまりですわ」


 フランソワ・クレイボワの声が聞こえる。クレイボア男爵家の令嬢で通称デスワデスワ。あのキンキン声とデスワ構文で見なくとも誰だかすぐにわかっちゃう。


 それにしても…コンスタンツァ様が人の教科書を盗むとはこれ如何(いか)に?あの方にそんな暇がある訳ないでしょうよ。

 そもそもクラスだって全く違うのに。どこでデスワデスワの教科書をゲットするの?


 コンスタンツァ様は特進Sクラス。教室自体も桜棟でデスワデスワとは別棟。同じ桜棟にある特進A(下級貴族が入れる最高位クラス)だった私ですら、お見かけする事が稀なのに…デスワデスワもオバカーノも、二人ともEクラスじゃん。


 デスワデスワは基本マナーの習得が入学までに終わっておらず、有無を言わさずEクラス。オバカーノは、“ひぃぃ、王家なのにEクラス!?”と、学園始まって以来の衝撃を教師陣に与えたらしいと、あれこれ噂になってたもんね。


 あら、このレバーパテ、すっごく滑らかで臭みがなくて美味しい!うち(マルゴ子爵家領)でもこういう加工品を作ってみたらどうだろう。養豚だけじゃなく、これからの時代は加工まで一貫した生産体制を…


「お前が私の愛しいフランソワへ嫌がらせをしていたのは知っている。まさかとは思うが、ここでみっともなく言い訳などするなよ」


 こんな個人的なこと(他人の婚約破棄)をめでたい卒業パーティで聞かされるなんて、今日が主役のはずだった他の卒業生が本当にお可哀想~。って、よく考えたら私も卒業生でした。ぷぷっ。

 

 はっっ!こ、これはっ!な、なんと可愛いカナッペなのでしょうか!こういうのはすぐにトッピングがカピカピで、クラッカーが妙にウエッティになるのですが、どうやってこんなに互いの鮮度を保っていられるのかしら。うーーーん、カラスミ最高!キャビア絶品!


「この場で謝って頂けたら、私が王妃になってもジョバンニ公爵家を罪に問うような事はしませんわ。だから、どうか…」


 ゴフッ、ゴホゴホッ。黒トリュフが喉にはりついて…ゴホッホゴッ…う、嘘ですよね?デスワデスワ(フランソワ)が今、とんでもない事を言いませんでしたか?


 “私が王妃になっても”って今、言いました?言いましたよね?次期王の指名もまだなのに一足飛びに“私が王妃になっても”って!


 しかも我が家と同じ下級貴族で王妃!百歩譲って…我が家なら貧乏だけど歴史だけは超古いから、まぁ…頑張れば可能性がなくもないかもだけど。でも、デスワデスワの家は確か当主がまだ五代目の新興男爵家じゃん。


 さすがに…どう頑張っても王妃は無理ゲー。必死に画策しまくっても、せいぜい側室どまり。側室からの下剋上という事であれば、過去には何例かあったと学んだけど…そもそも側室制度は三十年前に廃止されたからね。


 あ、さては王室パワーで無理矢理王室法典を改変する気?それとも高位貴族の養子になって捻じ込むパターン?どっちにしろ…こっわ。王家パワーが届かない系の就職先が決まって本当に良かった~!


「私の愛しいフランソワ、泣かないでおくれ。おい、お前!いいかげんにこちらを向いたらどうだ?」


 あっら~、ケーキも豊富に用意してくださって!こんなに小さなサイズにしてあるという事は、やはり全種類食べられるようにって、気をつかってくださったのに違いない。やはり王室お抱えシェフはわかってるぅ。


 未だに後ろではオバカーノ達がうるさくてかないませんが…コンスタンツァ様は全くお相手にもされていないっぽいんね。

 うんうんそうでしょうそうでしょう。きっとコンスタンツァ様の事ですから、何か策があるのでしょう。

 

 国の為、家の為にと、あのオバカーノと生涯を共にするというのは、いくら高位貴族の務めと言えども、自己犠牲が過ぎるのでは?と常々思ってたから、これはこれで(この婚約破棄は)とっても喜ばしい気がする。

 婚約破棄だかこんにゃく巻きだか知らんけども、コンスタンツァ様の事を責め立てる声なんて聞きたくないから早く誰か…さっさと終わらせてほしいもんだ。


 さてと、このケーキは絶対に制覇して…んんん~!このモンブランの栗はもしや東国の栗じゃない?一度だけ食べた事があるけど、やはり全然味も香りも舌触りも違う!あぁ、幸せ!

 

 リディアが幸せ(モンブラン)を噛み締めているその時、バルツァーノ第一王子は、黄金色に淡く輝き、波打つように緩やかなウェーブ揺らめく艶やかな髪を持つ令嬢に、ツカツカと踵を鳴らし近づいていく。皆が固唾をのんで見守るなか、その令嬢の髪の毛をぐいっと引っ張り自分の方へと振り向かせた。


「ぎゃっ!い、痛い痛い!髪、髪を引っ張らないでください!ななな、何ですか急に…って、あ、あれ?オバk…バルツァーノ第一王子???」


 §


 そう、髪を引っ張られているのはリディア。今まさに三つ目のモンブランにかぶりつこうとしたその瞬間、思いっきり髪の毛を後ろにぐいっと引っ張られ、モンブランが放物線を描いて床にぐしゃりと着地した。


「おい…いいかげんにしろよ。そうやって私を無視して無言を貫こうと、お前の罪は消える事はない、決してな!」

「へ?」


 怒りで目がつり上がって真っ赤な顔をした第一王子、バルツァーノ・ドランダーコが、ポカン顔のリディアを睨みつけている。


「お前とは婚約破棄だと言っているのに、何故、無視を決め込んでいられるのだ。黙っていないで何か言ったらどうだ!」

「わ、私ったらいつの間にかパラレルワールドに瞬間転移したとか?実はここでは私が第一王子の婚約者になってる世界線だとか、そういうパターンの…」

「何をブツブツ言っているんだ?誰よりも頭脳明晰だと崇め奉られているお前が、たかが私との婚約破棄でおかしくなったフリとは。笑わせるな!」


 §


 どゆこと?

 確かに私も頭脳明晰とはよく言われるけど…って、そこではなく、これでは私、婚約したこともないのに婚約破棄されている?え?え?なんで?

 

 これはもう、逆に凄い事かも。パラレルパラレルルルルルル~。違う違う!早くどうにかしてこの意味不明な誤解を解かなくては!


「えっと…その…私、そちら様方の婚約破棄には無関係だと思いますが…」


 あ、すっごい間抜けな事を言ってしまった。無関係なのは誰が見ても明らかなのに…周囲の空気も若干ひんやり。


 §


「この私がお前との婚約を破棄すると言っているんだ。無関係とはどういう言いぐさだ!」

「ぶふふっ」


 バルツァーノの怒声と緊迫した空気。そしてポカン顔のリディア。そこに、こらえきれず失笑、と言ったていの笑い声があがる。


「リディア嬢、ずいぶんと面白いことに巻き込まれているのだな」


 バルツァーノの周囲に出来た人の輪が崩れたその先には、一人の男性が立っていた。


「パ、パトリック様!?何故ここに?い、いつからいらっしゃったのですか?」

「いやーごめんごめん。結構前から見ていたのだけれど、あまりに急展開で止められなかったんだよ。たぶん、周りの皆もそうだろうけれどね。ぶふふっ」

「そ、それならば笑っていないで、助けて下さいよっ!」

「リディア嬢が私に助けを求めてくれるなんてなんたる光栄!おい、バルツァーノ、その手をどけろ。失礼だぞ」

「お、叔父上!?何故ここにいらっしゃるのですか?」

「いや~、婚活してこいって兄貴…国王がうるさくてなぁ」


 パトリックの言葉を聞いて、にわかに周囲の令嬢たちが色めき立った。

 それもそうだろう。この男、パトリック・ドランダーコは現国王の実の弟。その好物件が“婚活”などと口にしたのだから。


 パトリックは王の家臣にくだった際に得た公爵位とは別に、己の功績から得た爵位も持ち、さらには最年少で世界魔法機関長官に就任という、エリート中のエリートだ。


 そしてその身分からしたら到底信じられない事だが、婚約者なしの独身。さらにはウィットに富んだ会話がスマートと定評で、国内外にファンが多い。極めつけにとっても下世話な話だが、イケメン。


 貧乏子爵家の娘であるリディアにとって、普通だったら接点などない雲の上の存在、別世界の住人だろう。なのにパトリックとリディアが、何故このように親し気に会話するようになったのかと問われれば、パトリックが長官を務める世界魔法機関とリディアの卒業後の就職先、世界法務機関が昨今の情勢絡みで、タッグを組むことが多いからに他ならない。


 近年、魔法や魔道具関連の犯罪が急激に増え、世界中で法律の改正が叫ばれていた。旧魔法法を刷新し、新しい法案、世界魔法法案の制定は必至。そんな時代の流れで二人は出会ったのだ。


 リディアは学園在学中に学業と並行し、インターンシップを利用して、すでに世界法務機関でバリバリと働いてもいた。そして機関で新法案の制定に是非とも若者の考えを取り入れたいと請われ、早い段階で世界魔法法案の制定にも深く関わるようになっていたのだ。


 そこで全体の総括として舵を取っていたのが、ここ、ドランダーコ王国の王弟陛下にして、世界魔法機関長官パトリック・ドランダーコ、その人だった。


 頼りがいがあってカリスマ性も高く、それでいて休憩中にはリディアの様な下っ端との雑談にも気軽に応じ、その口調はざっくばらん。それなのに、仕事になれば誰よりもキレ者で…。


 リディアと同じ年頃の女子、憧れの男性ナンバーワンは現状、このパトリックなのだというが、リディアの中では恋だの愛だのではなくて、それは純粋に尊敬の念。理想の上司ランキング一位のような存在だ。


 だから、どんなに親しく会話をするようになったとて、特にどうこうなろうなんて事は、リディアは露ほども思ってはいない。パトリックが難しい局面を難なくいなす様を幾度となく傍で見てきたリディアにとっては、この何とも言えない芳ばしい場面にあって、すこぶる力強い存在でしかない。


 ここに来たのが婚活だろうがなんだろうが地獄に仏、リディアにとってはありがたい事この上なかった。


「まぁ実は…これは婚活というかなんと言うか…なんだけどな…うん。あ、ほら、今は国王と王妃が外遊中だろう?学園の卒業パーティに王家側として出席してくれと頼まれていたんだよ。それで来てみればこんなことに…」

「なんと!それでは是非、叔父上が証人になって下さい。私はこのコンスタンツァ・ジョバンニ、ジョバンニ公爵令嬢との婚約を破棄したいと思っています。コンスタンツァの心根の悪さから端を発した婚約破棄であり、私には一切非はありません。私の話を聞いて頂ければ、これは、コンスタンツァの…ジョバンニ公爵家の有責だとわかっていただけるはずです」


 §


 オバカーノ…バルツァーノ第一王子は“このコンスタンツァ・ジョバンニ”と言いながら、この私、リディア・マルゴの事をビシッと指差しドヤっているのは…気のせいでしょうか?うん、きっと気のせい。気のせい気のせい気のせい気のせい…


「おーい、リディア嬢。戻ってこい。現実から目を逸らすな」

「パトリック様…こ、これはきっと夢なのです。でもここでパトリック様(理想の上司)が登場するなんて、悪夢のわりには良いほうで…」

「リディア嬢は…相変わらず無自覚に煽ってくれる」


 パトリックがその口に手の甲を当て、もごもごつぶやく言葉も漏れ出す色気も、妄想に逃げ込んでいるリディアには届かない。

 さらりとゆれる髪の隙間から覗くパトリックの耳が、ほんのりと赤くなっている事に気づいた令嬢だけが、うっとりとため息をついていた。


「バルツァーノ…彼女はな、リディア・マルゴ嬢。マルゴ子爵家のご令嬢だぞ」

「へ?」

「ふぁ?」


 パトリックの言葉の後、バルツァーノとフランソワのまぬけな声がパーティ会場にこだまする。


「バルツァーノ、一体どこをどうやったらこんな壮大な勘違いができるんだ?」

「だって、その髪の色は…」

「確かに黄金色に輝く髪はとても珍しくとても美しい。だがな、コンスタンツァ嬢以外にいない訳ではないだろう?」

「それに、そ、そのリボンにも見覚えが…あった…もので…」

「このリボンは学園の成績優秀者に贈られるものだ。…まさかお前、在学中に一度も貰っていないのか?…いや、そんな事はどうでも良い。自分の婚約者を見間違えるとはどういう了見なんだ?毎週、コンスタンツァ嬢とは茶会を催し、親交を深めていたのではないのか?」

「そ、それは…」

「バ、バルがこの女がコンスタンツァだと言ったのですわ!」

「…そこのご令嬢。いくら話の流れだとしても、コンスタンツァ嬢を呼び捨てにするのはいただけない。それに公の場ではバルツァーノをバルと呼ぶことも控えた方が良い。そして何よりリディア嬢に向かってこの女呼ばわりとは…それはわざとなのか無知なのか…」

「パトリック様、それは両方だと思いますよ」と言いたいリディアだが、そこは腐っても王子の御前、ぐっとこらえて挨拶の言葉にかえる。

「ご挨拶申し上げます。マルゴ子爵家が二女、リディアにございます」


 §


「ご挨拶申し上げます。マルゴ子爵家が二女、リディアにございます」


 よし、言ったったぜ!「婚約前に婚約破棄される令嬢になってどうするんだい!」などと、お父様に怒られる(泣かれる)ところだったかも。危ない危ない。

 でも、もう大丈夫。こうやってきちんと名乗れたし、これでこの話は終息するはず。


 これから一人で生きていこうと決めた身、想定外の事案にも毅然と立ち向かわねばならないからね。これはこれで良い社会勉強になったと思う事にしよう。これ以上の想定外なんて、そうそう人生には起こらないはず。


 妙な達成感で、少し冷静さを取り戻したリディアの横では、パトリックが尚もバルツァーノに問いかけている。


「コンスタンツァ嬢はリディア嬢よりずいぶんと背が高いだろう?彼女の容姿さえ、もう忘れてしまったというのかい?」


 バルツァーノの瞳は一時宙を彷徨ってから、リディアと宙を激しく往復しはじめた。

 そしてリディアの顔をじっと見て急に叫ぶ。


「あ!お、お前はもしやあの時の…風紀委員!」


 役目は終わったと思っていたリディアは、話の矛先がまたしても自分に向いた事に驚いた。だが、少なくとも先程の壮大なる人違いよりは、数千倍は驚かずにバルツァーノの問いに答える事ができた。


「はい。私は確かに風紀委員をさせて頂いておりましたが、何故それを?あ!…あぁ…なるほど…これは、なるほどなるほど…そういう事でしたか…」

「どうかしたか、リディア嬢?」


 リディアが急に一人でブツブツ言い始めた事に心配して、パトリックがリディアの顔を覗き込んでいる。

 そしてそのリディアだが、今度は非常に焦っている模様。


 何故ならこの一連の婚約破棄騒動、これはどうやら自分のせいでもあるかもしれないと気づいてしまったからだ。


 §


 そもそも!このような場(卒業パーティ)でオバカーノが婚約破棄なんてしなければ、私がこんな目に遭う事はなかったんだよ。ぷんすこ。


 婚約破棄なんてものは、両家だけがいる場で大人しく粛々と進めれば済むじゃん、たぶん。いや、婚約すらしたことがないもんで、婚約破棄のルールなんて知る訳もないのだけれど、たぶんよ、たぶん。


 自分の正当性だけをむやみやたらに一方的に主張し、公衆の面前で相手を落としめる。コンスタンツァ様はさぞお辛いだろうなぁ。

 

 もちろん“お辛い”というのは、婚約破棄うんぬんという事よりも、こんな浅はかで短慮な婚約者と、長い間婚約関係にあったという悲劇に対しての感想ね。


 そう言えば、とうのコンスタンツァ様は…そう思ってリディアはパーティ会場をぐるりと見まわし、先程までいた料理テーブルが視野に入る。

 

 何事もなければとっくにリディアの胃袋に入っていただろう三つ目のモンブランが哀れ、床でぐしゃりと無残な姿になっていた。


 私のモンブランをよくも、よくも…食べ物の恨みは恐ろしいのだ。すんっとした表情になったリディアは集まっていた一同をぐるりと見回してこう言った。


「皆さま、少し時間を頂いても宜しいでしょうか」


 §


「私、先程はこの婚約破棄には無関係だと申し上げたのですが…“無関係な関係者”である可能性がございます」


 “無関係な関係者”とは?と思いつつも、誰も口を開かない。今やこのパーティ会場にいる全ての人間が、リディアの話を聞きたがっているのだろう。


「クレイボア男爵令嬢がおっしゃっていたお話は…私が風紀委員として業務執行したことと関係しているのではないかと思い至りました」

「リディア嬢、それはどういう意味だい?」


 パトリックが一人語りのリディアの為に、イイ感じに相槌を打って先を促してくる。こういうちょっとした気遣いが出来る所が、見た目や出自だけではない、人気の所以でもあるのだろう。


「これはクレイボア男爵令嬢(フランソワ)のおっしゃったことの復唱となりますが、『いつも私に酷いことを言ってお友達を引き離そうとしたり、教科書を盗んだり、か、家宝のネックレスまで引きちぎったり…全て、全て皆の前で詳らかにして今までの事、謝ってもらいたいのですわ』というくだりがあったと思うのです。クレイボア男爵令嬢、この内容で間違いはございませんでしょうか?」


「え、えぇ。私、確かにそう言いましたわ。一言一句、間違いございませんわ」

「リディア嬢の記憶力はさすがだな。あんなに料理に集中していても、些事をもすべて記憶しているとは…」

「パトリック様…相槌はとてもありがたいのですが、余計なお話はなさらないでくださいませ。コホン、それでは…まず最初の『酷い事を言ってお友達を引き離そうとしたり』というのは、クレイボア男爵令嬢と男子生徒達との不適切な距離感に対して、何度かご注進申し上げた事を指しているのではありませんか?」

「そ、それは…そうだけど…」

「私は風紀委員として、ジョバンニ公爵家令嬢コンスタンツァ様の婚約者であらせられるバルツァーノ・ドランダーコ第一王子はもちろん、ベルサーニ侯爵家令嬢カーティア様の婚約者、サンティーニ侯爵家令息デニス様、ヴェッキオ伯爵家令嬢ジルダ様の婚約者、マエストリ伯爵家のエリク様、ロブスティ伯爵家令嬢ベラ様の婚約者、ジョルジリオ子爵家のレオーニ様…」

「リディア嬢、もうそのくらいで良いんじゃないかな?正確さを求めるその姿勢には、とても好感が持てるけれどね」

「はっっ!パトリック様…ついいつもの癖が…申し訳ございません。えー、今申し上げましたご令息方との交流に関し、確かに私はクレイボア男爵令嬢とバルツァーノ第一王子を含め、他のご令息方にも一言申し上げた事がございます。もちろん風紀委員としてですが」

「そ、そうよ。バルの時もだけど、デニスだってエリクだって…ただ、仲良くしたかっただけなのに、ぎゃぁぎゃぁと文句を言われたのですわ!」

「クレイボア男爵令嬢は婚約者がおられる男性に対し、過度なボディタッチを含む令嬢らしからぬ接し方をなさっていると…そのような現場を多くの生徒から何度も目撃されておりました。しかも二人きりでの逢瀬を試みておられるとの情報もあり、そういう事はマナー違反であると進言したのです。生徒の自主性を鑑みて、クレイボア男爵令嬢やご令息の皆様には、先生からの指導ではなく、風紀委員長である私から進言をするというかたちをとりました。ただし、もし異議反論がある場合は、クラス担任か風紀委員顧問のベッティ先生、もしくは生徒会顧問のアウジリオ先生、または…」

「うんうん。リディア嬢、もうそのくらいで良いんじゃないかな。本当に…法務に取られたことが悔しくてならないなぁ…いや待てよ。同じ機関ってのもやっぱり…」

「はっっ!私ったらまたまた長くなってしまい申し訳ございません。えぇと、ご意見はしかるべき学園側の窓口に申し出て欲しいと、都度都度お伝えしていたかと思うのですが…」


 バルツァーノは暫くフランソワと何かコソコソと話をしている。やがて、フランソワの目に大粒の涙が浮かんだ。それを見たバルツァーノは、何故かリディアをものすごい形相で睨みつけてきた。


 きっとフランソワは、他の男性たちへもすり寄っていた事実を上手い事誤魔化し、さらにはリディアを悪者にする事に成功したのだろう。


 だが、世界法務機関の窓口業務研修で、こういう顔や態度を嫌というほどに見慣れてしまっているリディアは全くダメージを受けない。

 

 しかもバルツァーノは魔力まで使い、リディアに対しかなりの威圧をかけているのだが、魔力も魔力耐性も高いリディアにはまったく通用しなかった。この程度の威圧でどうこうなるようなら、世界法務機関への就職など到底叶わない。


 この世界、自分の意見が通らないとすぐに魔法に頼ろうとする輩のなんと多い事か。しかもそれが一国の王子とは…リディアは心の中で嘆いた。

 

 そう思ってバルツァーノを見れば、ひとり魔力切れをおこしている。ヘトヘトになっているバルツァーノに対し、威圧に気づいたパトリックが盛大にげんこつをくれていた。

 

 無抵抗の相手に対して、魔力による威圧…裁きが緩いと揶揄される旧魔法法ですら、それは犯罪に値する行為だ。もしもリディアが今のこれを訴えれば、必ず勝てる案件だろう。


 威圧に気づいた周囲の令嬢令息達も、卑劣だなんだとざわめいている。そして軽蔑の目をバルツァーノに向けているものだから、さすがのバルツァーノも小さな声でリディアに謝罪しながらうなだれた。


 訴えるには時間も労力もお金も消費する。それはリディアにとって大変にもったいない事なので、しれっと「貸し一つなのです」などと言って謝罪を受け入れた。

 横から「貸しは三つが妥当だな」というパトリックに、顔を若干ひきつらせながらもコクコクと首を縦に振るバルツァーノ。

 

 いくらリディアが王家の力が及ばない職を得たとはいえ、実家は貴族家である事にはかわりない。王家に貸しを作っておけるのは悪くないのだ。ニッコリとパトリックに微笑んだ。


 そんなリディアにパトリックは頬を染め、「ぐぅぅ」と変な声を出し言葉にならない台詞を何やらぶつぶつ言っているのだが、リディアの頭の中は王家への貸し=妹と弟達の事でいっぱいになっていて、そんなパトリックの様子には見向きもしなかった。


 マルゴ子爵家は子だくさん。これから妹、弟、弟、妹、妹…と、社交デビューを控えている。なにがどう必要になるかなんてわからない。

 今日のように、とんでもない斜め上をいく暴走球に巻き込まれる事だってあるかもしれない。そんな時に、使える切り札になる可能性のある物はもぎ取っておいて然るべき…そんな事を考えながらリディアはなおも話を続けた。


「次に『教科書を盗んだり』との事ですが、それは恐らく…盗んだのではないのかと…」


 リディアの発言に、今度はフランソワが食ってかかる。


「え?だって、確かに私の名前を書いた教科書がなくなっていて…表紙がアウグスタラス皇帝(歴史上のイケメン)だったから覚えているのですわ。それにあの日、確かに私のクラスの教室から出ていくコンスタンツァ様の後ろ姿を見たのですわ。間違いありませんわ」

「あぁ、やはりその事でしたか。表紙がアウグスタラス皇帝(歴史上のイケメン)の歴史の教科書は、特進クラスのものでして、どう紛れ込んだのかはわかりませんが…Eクラス担当のストラデッラ先生から差し替えの申請がございました。その旨を付箋に書いて、わかりやすくクレイボア男爵令嬢の新しい教科書には挟んでおいたのですが…ご覧下さってはおりませんか?」

「え!なによそれ。そんなこと知らないわ!」


 教科書の差し替えに風紀委員は関係ないのでは?と思われるかもしれないが、それはその通り。ただし、内申点命な行動を常に心掛けていた風紀委員長リディアとすれば、ついでに頼まれればこれくらいのお手伝いは引き受けてしかるべき、なのだった。


 それにしても、教科書を差し替えたのは今年の年度初めである。このフランソワ、教科書を卒業のこの日まで、どうやらただの一度たりとも開いていないらしい。


「勝手に差し替えた事は大変申し訳なかったのですが、ストラデッラ先生から至急差し替えを、という事でお話があり、その日の終礼で経緯を話しておいてくださると申しておられました。もし覚えがないようでしたら、ストラデッラ先生にも後程確認を取りたく思いますが…如何でしょう?本当に覚えはございませんか?」

「あん?う…ん…そういえば…そんな事があったような…そうかもね…うん…」

 

 先程までの威勢はどこへやら、フランソワの目がおどおどとし始めている。

 

「そして恐らくですが、コンスタンツァ様の後ろ姿と思ったのは、今日のように私と見間違えたのではないかと」


 その場でくるりと背を向けて後ろ姿を見せるとフランソワは完全に戦意喪失状態になってしまった。だが、さっきまで小さくなっていたバルツァーノはいつの間にか復活。失速したフランソワに代わり、威勢よく吠えた。


「そんな事はわからないではないか!実際にコンスタンツァが私達の教室に来て、なにやらよからぬことをやった可能性は十分にある!」

「コンスタンツァ様はまだ婚約者というお立場であるにも関わらず、すでに王族に連なる身分の者として、たくさんのご公務をこなされており、大変にお忙しくされているというお話を伺っております。学園にお越しになる際も、特進Sクラスのある桜棟へしか、顔を出す時間がないのだと嘆いておられました。でも、そうですね…そこまでおっしゃるのであれば、王家の影部隊様方へ確認をしても宜しいかと存じます。パトリック様、如何でしょうか?」


 王家の事には詳しいだろうパトリックに尋ねるリディアの問いに、バルツァーノが小馬鹿にしたような口調で答えた。


「何故だ、私の影は私のいない場所での出来事を、あずかり知らぬに決まっているではないか!」


 さすがオバカーノと呼ばれるバルツァーノ第一王子、話が微妙に通じないな…またもや周囲はざわめき、そしてげんなりし始める。


「あのぉ…そのぉ…バルツァーノ第一王子付きの影の方ではなく、コンスタンツァ様付きの影の事なのですが…」

「はぁ?何故、コンスタンツァに王家の影がついているのだ!」

「そうですわそうですわ」


 ここで誰もが気付いてしまった。

 微妙に話が通じないのではない。これは完全に話が通じていない。


 バルツァーノ第一王子が学園生活(フランソワ)にうつつを抜かしている間の公務を、一体だれが肩代わりしていたのか、()()()()()()をしていたのではなく…まさか()()()()()()()()()のか?


 そう周囲はすでに呆れかえっているのだが、バルツァーノはぎゃあぎゃあと喚くばかりで、パーティ会場に流れるしらけ切った空気には気づきもしない。


「コンスタンツァ嬢付きの影に聞けば、確認は可能だと思う」


 リディアにそう言ったパトリックの背後に突如あらわれた人物は王家の影。

 もしもの時に王家に連なる者を身を挺して守る盾者というだけでなく、対象者とその周辺の行動言動をつぶさにレコーディング…オフィシャルレコーダーとしての側面も強い。


「私が教科書を取り換えた日は九の月、第二の水の日。私がEクラスのある欅棟へ入った時間は、14時20分から30分の間ほどでした。その間のコンスタンツァ様のご予定の確認と、申し訳ございませんが棟の警備記録の方も念の為…」


 パトリック付きの影はリディアの話にひとつ肯き、瞬時に消えた。


「あとは…『家宝のネックレスまで引きちぎった』との訴えですが…」

「そ、そうよ!あれを引きちぎったと言わずになんと言うのよ!」


 フランソワはネックレスと聞いて急に復活したらしく元気にリディアに食ってかかる。

 ただし、お得意のデスワ構文が崩れてきている所を見れば、内心では、やはり分が悪いわかっているのだろう。


「そう私にお訊ねになるという事は、もうコンスタンツァ様がなさった事ではないとお認めになったと考えて宜しいでしょうか?」

「そ、それは…」

「まぁ、恐らく『家宝のネックレスまで引きちぎった』とおっしゃったその行為をしたのも私なのですが…」

「ほら、ほら、やっぱり!さてはあのおんn…コンスタンツァ…様から指示されたのね!」

「そんな事、ある訳がございませんでしょう。それに…そんなに人を貶めるような発言をされるのは、きちんとした根拠がおありなのですよね?」

「え…それは…バルが…」

「根拠が提示できるのであれば私はとやかく申しません。これだけ一人の人間を、公衆の面前で貶める発言をなさったのですから、相当の覚悟がおありなのでしょう。王家へもジョバンニ公爵家にも根拠の提示を求められると思いますし。あぁ、今はそれよりもお伺いしたい事が別にございました。私が処理したあれは、クレイボア男爵家の家宝ではありませんよね?もしあれが家宝であれば、クレイボア男爵家にも累が及びますが…」

「累が及ぶって、どういう事よ!」

「形あるものを家宝とする場合は、必ず鑑定に出した際の目録、鑑定書類がつきます。あのような野良魔道具をそうと知って保管していたのだとしたら、それは立派な犯罪なのです」

「あの…その…あのネックレスはこの間、偶然露店で手に入れたものだったかも…」

「左様でございますか。それならば良かったです。とは言っても、悪質な細工のされている魔道具は見つけ次第排除せねばなりません。学園内で見つかった場合は学園の権限で即没収。これは学園規定にもしっかりと明記されています。もちろん風紀委員も学内で発見した場合は、すみやかに取り除くようにと指示を受けています」

「そ、そんな…」

「あれには何やら奇妙な隠蔽魔法もかかっていて、危険度が高いと判断し、私がその場で即時没収をいたしました。もちろん、風紀委員の顧問へ現物と顛末書は提出済みです。あの時、その旨をきちんとお伝えしたはずなのですが…」

「そ、そうだった…かしら…」

「ネックレスはブラックオニキスと淡水パールが交互に6粒ずつ中央に配置され、チェーンは劣化魔銀だったと記憶しております。お間違いございませんでしょうか?」

「そ、そうよ。私の首からよくもネックレスを引きちぎってくれたわね。引きちぎる事なんてなかったじゃないのさ」

「あの時も申し上げましたが、すでにクレイボア男爵令嬢(フランソワ)の首に、劣化魔銀がくい込み始めていたのです。私は人道的な行動…人助けをしたまでなので、褒められこそすれ被害を訴えられましても…とても心外です」

「それは…その…あ、あのネックレス、まだ返してもらえていないのよ!」

「ああいった野良魔道具は、各国の魔法省へ引き取ってもらう決まりになっています。魔法省でどのような効果があるのかを読み解き検証し、精神障害等が周囲に及ぼされていなかったかどうかを確認しなければなりません。野良魔道具は流通数が多く、現状の法律では、それと知らずに使用した者への罰則は特にありません。しかし、作成者は旧魔法法第三十八条二項により、鉱山労働か禁固刑かの実刑を受けなければならないと決まっているのです。そう言えば、魔道具の種類の内容分析と、隠蔽魔法の痕跡から作成者が判明しそうだと、学園に先日連絡があったようです。あれはあれで第二十九条六項と六十五条に違反…作成者と依頼者には最低でも鉱山労働半年が刑としてくだるでしょうね。依頼者も執行猶予はつかないでしょうし、即実刑が妥当かと…」

「え?そ、そんな…(依頼者も)鉱山労働だなんて…」

「他に…コンスタンツァ様から受けた行為、いえ、コンスタンツァ様に謝罪を要求したいと思われた行為というものはございますか?私が風紀委員として対応した事を、人違いで勘違いされているかもしれないので、どうせならここで…皆様の前で詳らかにしたほうが良いかと思うのですが。コンスタンツァ様の名誉の為にも」

「リディア嬢、もう良いんじゃないかな?法の解釈も知識も素晴らしく、いつまでも聞いていたいのはやまやまだけれど」

「はっっ!またまた長くなってしまい申し訳ございません。バルツァーノ第一王子、クレイボア男爵令嬢、如何でしょう。ご納得いただけましたでしょうか?」


 何も言わないバルツァーノとフランソワをしばし一瞥し、リディアは続ける。


「それでは…以上で、私が関わっていたであろうこの婚約破棄に関しての考察と、コンスタンツァ様の無実の証明とさせて頂ければと思います」


 パーティ会場からパラパラと拍手が起こる。

 そしてその拍手は、やがて大きな波となり会場全体に響きわたった。


「そういえば、先ほどからずっと気になっていたのですが、コンスタンツァ様は…?」

 

 ざわめきが残る会場でリディアが言う。

 その問いにニッコリ笑いながら答えたのはパトリックだ。


「あー、コンスタンツァ嬢はね…私付きの影から彼女付きの影に確認を取ろうとしたんだけれど、今は隣国にいるんだって。もちろん公務でだよ」


 §


 あぁぁぁぁ。もっとたくさん食べられたはずなのに、今日は無念でした。そして、あの三つ目のモンブランの、あの無残な姿を見て、プッツンしてしまいました。

 

 “カーッとなってやった。後悔はしていない”癖があるのです、私。これホントにはやく直さないと、これから一人でちゃんとやっていけるのかと心配です。いやはやお恥ずかしい限り。


 え?あの後の事ですか?

 あの後は、オバカーノ(バルツァーノ)ドラムスーコ(第一王子)とデスワデスワのクレイボア男爵令嬢(フランソワ)が、拘束されるという事態が起こり、パーティ会場は大混乱。


 いくら王子とは言え、公爵令嬢を公衆の面前で罵倒したんだから当然だよね。しかもまったくの事実無根での断罪だったし。

 とうの本人のコンスタンツァ様は国外にいるというオチには、会場にいた全員がずっこけたけど、あんな酷い婚約破棄現場にコンスタンツァ様が居なくて良かったっちゃぁ良かったと思う。


 パトリック様の取りなしもあって、私への詳しい聴取は後日という事になり、やっとのことで会場を脱出した頃には、夜もすっかり更けて…


「そんな顔するなよ。リディアの事だから、きっとあの食べ物を廃棄するなら、妹や弟たちに持って帰ってやりたい、なんて思っているんだろう?」

「な、何故それを…!」


 いつもパトリック様には、私の心の声が時折聞こえているのではないかというくらいにバレてしまうのが不思議だ。

 もしや、そういった魔法…もしくは違法な野良魔道具を保持し…はっっ!パトリック様は地位と権力を笠に着て、犯罪に手を染めているとか!?


「俺、犯罪者じゃないからね。うーん、しいて言えば俺の楽しみ?リディアの事はいつも観察してるから」

「か、観察ですか?私を?」


 それはもしや、貧乏子爵家令嬢を珍獣に見立てる的な?これまたやんごとなき高貴なお方のやんごとなき高貴なお遊び的なやつでしょうか!?


「おいこら、珍獣ってなんだ?俺は…俺はだな、全然俺の方を見向きもしない相手を、どうやって振り向かせようかと思って観察してただけなんだ」

「はっっ、そうですか!パトリック様には想い人がいらっしゃるのですね!そうですかそうですか。いや~、これは全令嬢が泣きそうなネタですよ。週刊誌にネタを売っても良いでしょうか?え…う、嘘ですよ、売りません売りませんて。それにしてもそれで何故私の観察を?あぁ、令嬢の観察…なるほどなるほど」


 それだったらもっと良い家柄の令嬢を観察したほうが良いと思いますが、ジロジロと高位貴族令嬢を観察するわけにもいかないでしょう。それでは今日のお礼も込めて…


「わかりました!パトリック様、私で良ければどんどん観察してくださいませ!」

「えっ!?あー、うん…あ、ありがとう?ったく…()()()()()にはリディアの才がまったく発揮されないのはわかってるから、別に俺の心は折れない。心は折れないけれども…ったく、これは骨が折れそうだ」


 §

 side パトリック付きの影


 はぁぁ。パトリック様は肝心な言葉になると、なんとお声が小さくなられる事かねぇ。

 先程の大立ち回りからは考えられないほどの鈍さを発揮しているリディア様を、パトリック様は一体どうその気にさせるおつもりなのだろう。


 今まで色恋に関心を示さなかったパトリック様が唯一、心を動かされているというリディア様の存在は、とうに国王様もご存じだ。


 今日の、この学園の卒業パーティにパトリック様を向かわせたのは、王妃様の一計だし、その王妃様に唆されて、なんとか今日こそ良い雰囲気に持ち込む手はずだったパトリック様。


 リディア様のご両親にももちろん根回し済みで、ご当主からは「リディアの事はリディア本人に任せている」と言われつつも、「リディアが是というならば、家族としては応援したい」と前向きな回答も頂いているというのに、どうもパトリック様の押しは相変わらずお弱い。仕事では完璧と謳われるパトリック様なのに、何故自身の事になると…全くおいたわしい。


 しかし、国王様も王妃様も、まさかこのような事態になるとは思いもしなかっただろう。けれど、今日の事でパトリック様とリディア様の距離は、少し縮まったのではないだろうか。


 それにしても見事な手腕だった。

 パトリック様が好意を持っている女性(リディア様)にも、もちろん王家の影が付いている。

 万が一のことがあれば、いつでも、いくらでも影である我々がお助けする事はできたのだ。


 だがしかし、あのとんでもない状況下、彼女は毅然と対処していた。

 そして、あの場で「無関係」だと言うだけでなく、明日には第二王子の婚約者となるべく今まさに協議中だろうコンスタンツァ様の名誉までも守ったのだから。

 誰に頼まれた訳でもないのにな…。


 夜風にあたりながら馬車を待っているパトリック様とリディア様。話が弾む姿からは、この場を去ることへの名残惜しさが見て取れ、思わず頬が緩んだ。

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