批評家
絵画、音楽、小説、映画、料理。
このあたりは、誰よりも目が肥えている自信がある。
筆のタッチから滲む、作者の迷い。
言葉の節々に現れる癖。
今も目の前で繰り広げられる「演劇」という名の
お遊戯を見つめ、批評記事を認めている。
役者の演技力、間の取り方は論外だが、
台本も直前で何度も書き換えたのだろう、ストーリー展開に無理が生じている。
思えば、幼い頃から審美眼を持っていると言われてきた。
クラスメイトの絵を見て入賞作を言い当てたり、
味噌汁を一口飲んで、ダシの取り方が違うと指摘したり、
もちろん、ブラスバンド部員からは嫌われた。
だがこの審美眼のおかげで、人生を棒に振らずに済んだのも事実だ。
初めて描いた水彩画を見て画家を諦め、
隣の席の少年の方が演技が上手いと気づき、
自分の班の味噌汁に落胆し、己の言葉選びと不器用さにも驚いた。
気付かぬまま突き進んでいたら、どうなっていたことか。
所謂「夢」というのが私にもあった。役者だ。
舞台やカメラの前で誰にでもなれる、己を己以外の姿で表現できる、
なんと素晴らしいことか。
この舞台でも輝きを放っている役者はたしかにいる。
主役の彼は、必死さが滲み出ているが、
舞台に立つ喜びと、物語のストーリーに全身を委ねている。
彼の名は..高島和樹。私と同い年。
...そうか。かの隣の席の少年はあのまま演劇の道に進んだのか。
あの時諦めずに演劇をやっていれば、とは思わない。
何しろ、小学生にして彼の才能を見抜いていたのだから。
自分の審美眼に気付くだけの才能を持っていることに感謝しないといけない。