プロローグ(3) 『平和の代償』
――俺は、間違った選択をしなかったはずだ。
ああするしかなかった。
三番街を救うためには、あの魔族の存在が大きな障害になったから。
それに奴は一度セリシアが提示した【懺悔】を拒否し、更にまたしても聖神騎士団の騎士を危険に晒した。
そんな奴は平和を壊す大罪者だから。
だから、【断罪】する必要があった。
『い、いやだ! いやだあああ!! 死にたくない! 私はまだ、死にたくないッッ!!』
……正当な、裁きだったはずだ。
そのおかげで今も三番街は平和な日々を過ごせていて、セリシアも何の気概もなく毎日を過ごせてる。
――アルヴァロさんだって、そうだ。
天界に戻るためとはいえ、何の罪もないセリシアを利用しようとした。
動機は違えど、結果だけならそれはクーフルと同じものだ。
それにまだ子供だったテーラを何年も拘束し、あまつさえ実験と称して幼かった少女に大きなトラウマを植え付けさせていた。
アルヴァロさんを止める方法など見つからなくて、それではテーラを助けることが出来なくて、セリシアを守ることが出来なくなって。
そんな奴は平和を壊す大罪者だから。
だから、【断罪】する必要があったはずだ。
『……わかっているのかい!? これを逃せば、天界に帰ることも愛する家族と会うことも出来なくなってしまうんだよ……!? 君は本当に想像出来ているのか!? 家族が帰りを待っているかもしれない。何か病気になってしまっているかもしれないと! 私と同様、君だって他人事ではないはずだ!』
……それでも、この場所を守ることを選んだんだ。
天界ではなく、教会のみんなの平和な日常を守ることを選んだ。
選んだから、あれからみんなは自由に日々を生きていて……笑って、怒って、はしゃいで。
俺がずっと求めていたものは全て取りこぼさずに済んでいる。
ずっと曇っていたテーラの顔を、ようやく晴れさせることも出来た。
だから俺は間違ってない。
間違った選択を、してなどいないはずなのに。
『助けてよぉ……お兄ちゃん』
「エウ、ス……」
俺のこの手には、唯一収められていないものがある。
ずっと大事にしてきて、俺の生きる原動力だった一番大事な家族だけはどうしてか今も尚取り溢し続けてきた。
天界を選ぶのか、人間界を選ぶのか。
その選択肢を提示されて……俺は人間界を選んだ。
それなのにこの世界に来てから俺の手は徐々に真っ赤に染まっていっているような気がして、自分の選択は間違っていたのではないかと、ふと思ってしまうことがある。
『どうして……助けに来てくれなかったの……?』
「ち、違う……どうしても、アルヴァロさんを止めなくちゃならなくて……」
『お兄ちゃんは家族より、その人たちを選んじゃうの……?』
「そ、それは……もちろん、お前を選ぶに決まってて……でも、だけど」
……それこそ、夢の中でよく思う。
救えなかった者の悲しみや悲鳴が、深く俺の心に突き刺さり続けていた。
真っ暗な世界に、二つだけ光が照らされている。
目の前にいる大切な妹はどうしてか深く俯いていて、傍に寄り添おうにも俺の身体は思い通りに動くことはなかった。
ただ、呆然とエウスの発する言葉を否定しようとして。
それでも、説得力のある言葉を吐き出すことは出来ずにいる。
『痛いのに』
ふと、エウスの頬から一滴の雫が零れた。
『苦しいのに』
「――ッッ!? エウスッ!!」
大量の真剣が、妹の華奢な身体に突き刺さる。
唯一動いた腕をめいいっぱい突き出して手を差し伸べようとするものの、俺の指に最愛な妹の身体が触れることはなかった。
『――それなのにお兄ちゃんは、選んだんだね』
「――――まっ」
そして――漆黒に染まった刀が、妹の心臓を貫いた。
その刹那、エウスの悲しそうな笑みがやけに鮮明に俺の脳へと刻み込まれて。
『人生は、選択の繰り返しだ』
誰が言ったのかも覚えていないこの言葉を、俺の脳はずっと刻み続けていた。
――
世界が、暗転する。
「――――っっ!!」
夢では思うように動かなかった身体を強く跳ねさせ、俺は勢いよくベッドから飛び起きた。
既に身体中には気持ち悪いくらい多くの汗が流れ落ちていて、同時に心臓をぐちゃぐちゃにこねくり回すような強烈な不快感が俺に襲い掛かる。
「ぅあっ……!!」
反射的に心臓を押さえて蹲る。
ここ最近ずっと感じてきたストレスが俺の心臓を弱らせているのかもしれないと何処か他人事のように思いながら、ゆっくりと自身の身体を落ち着かせることに努めた。
呼吸も浅く、身体が震えているのを感じる。
それでも俺は時間が立ち、状態が正常になって来るにつれ妙な違和感を感じた。
「……どんな夢を、見てたんだっけ」
悪夢のような世界だったことは覚えてる。
何か大切なことを突き付けられたような気がする。
それでも夢というのは儚く、脆いもので、俺はどうしてもその内容を思い出すことが出来なかった。
唯一思い出せるものでも、誰かの顔に黒塗りのモヤが掛かっていて記憶に定着出来そうにない。
けれど俺の心はどうしてか、言いようのない焦りを感じていた。
それはここ数日ずっと抱いていたものだ。
「……」
でもそれを解消する方法を俺は知っている。
起き上がって軽く身嗜みだけ整えて部屋を出た。
廊下に入り、そのまま奥の……子供たちのいる大部屋へと向かう。
まだ太陽も昇り切っておらず早朝に近い時間帯だ。
当然まだ幼い子供達が自発的に起きるような時間ではないため、起こさないよう細心の注意を払って扉を開ける。
……そこには三人揃って川の字になった男の子三人組がぐっすりと眠っていた。
真ん中のメイトは綺麗な姿勢で眠っていて、その身体に入り込むようにリッタが丸まっている。
カイルは寝てる時も見事な暴れっぷりで布団を蹴り、中々凄い体勢で気持ちよさそうに口を開けていた。
「……ははっ、風邪引くぞ」
それを見るだけで、先程まで荒れ切っていた心が安らいでいくような気がした。
足音を立てないように部屋に入り、カイルに布団を掛け直す。
普段は真面目に気を張ってるメイトも、寝ている間だけは子供のように無垢な姿を見せていた。
……俺が守りきれた平穏の証だ。
俺がもしもあの時別の選択肢を取っていたら、二度と見ることが出来なかった景色だ。
「……お前たちは、ずっと笑った日々を過ごしてくれればそれで充分だ。そうだろ?」
まるで自分に言い聞かせるように、俺は子供たちの寝顔を眺めながら頬を綻ばせた。
軽く頭を撫でると子供特有の暖かい体温が手へと伝わり、生きているのだと実感するに相応しいものだった。
「お前たちは、どんな人生を送るんだろうな」
顔を軽く撫でながら、ふとそんなことを言ってみる。
どんな人生を送ろうが構わない。
きっとこれからは辛いことや納得出来ないことに直面することが必ずあるだろう。
でもそれは幸せなことだ。
みんなは当たり前だと思ってるだろうけど……誰も死んでいないだけで、生きてるだけで幸せなことなんだ。
だから頑張って生きてほしい。
少なくとも、俺みたいな人生だけは送ってほしくない。
「……」
最後に軽く布団の乱れを整えて、俺はゆっくりと部屋を出た。
そのまま隣の大部屋にも顔を出したい所だが、それについてはユリアとパオラから侵入を許されていないので大人しく諦め一階に降りる。
さすがの俺も年頃の女の子の言葉を無視するようなことはしない。
だから一階に降りて礼拝堂に入った後、俺はそのままリビングへと向かう。
そして扉の目の前で少しだけ漏れ出た、嗅ぎ慣れた匂いが鼻孔をくすぐった。
……扉を、開ける。
リビングへと入り視線を彷徨わせていると、キッチンには髪を後ろに結びエプロンを身に付けて料理をしている三人の女の子の後ろ姿が見えた。
「んー……料理ってなんでこんなにムズいん……? 適量じゃなくてグラム単位で指定してほしいんやけど……」
「適量と書かれているのはきっと、食べてくれる人によって好きな味付けが違うからだと思います。ですからお料理は入れる量よりも一番重要な調味料があるんです!」
「……そんなのあるん?」
「はいっ! 神様への信仰心を持って祈りを捧げれば、どんな料理もきっと美味しくなりますよ」
「急に胡散臭いことを言うやん聖女様……」
「……だったらルナのは美味しくないかも」
その三人組。
セリシアとテーラ、そしてルナが一緒に朝食の準備をしてるみたいだ。
セリシア料理長の指示のもと、どうやら料理を教えてもらっているらしい。
そして聞いた感じ俺もテーラの言葉に同感してしまう。
なんだそれ。
そんなんで美味しくなるんだったら俺が作った料理はドブか何かになるんですけど。
……ふっ。
わかってないなぁ。
「おいおい、料理に必要なのはそんなたいそれたもんじゃねーだろ」
「――! メビウス君!」
後ろから声を掛けると、一瞬だけビクッと肩を震わせたセリシアだったが振り向いて俺を視界に捉えるとは表情を明るくして笑みを浮かべた。
そんな姿を俺も見つつ、ズカズカとキッチンへ侵入し三人に向け指を振った。
「料理に必要なのは信仰心なんかじゃ……信仰心の線も濃厚だが、それだけじゃあない。大事なのは誰に食べてもらいたいか。つまり『愛情』をどれだけ注げるかが大事なんだ」
「……! それは盲点でした!」
「まあ俺の妹の受け売りなんだけど。その人に食べてもらって、笑顔を見せてほしいって思った時、たとえそれがどんな代物でも相手は美味しく感じるんだよ」
「じゃあ愛情ちゅーにゅー! ってやればええの?」
「それは物理的過ぎるな」
「……愛情ってなに?」
「……それは追々な」
急に会話に入り込んだというのに、三人は嬉々として俺を輪に入れてくれる。
俺がふざけたことを言えば笑って、賛同して、疑問を示して。
そうして部屋の中には温かい空気が流れ続けていた。
ずっと俺が欲しくて、守りたかったものだ。
「――あっ! 大切なことを言い忘れていました!」
そんなみんなの姿を視界に収めていると、ふとセリシアが何か思い出したかのようにハッと口元に手を当てる。
いきなりで目を丸くした俺とは対照的にテーラやルナも彼女の言葉の真意に気付いたようで、セリシア同様視線をこちらに向けると、柔らかで慈愛の籠った瞳で俺をゆっくり見つめて。
「おはようございます、メビウス君っ」
「おはよ、じーぶん」
「シロカミ、おはよう」
そんな一日の始まりを教えてくれる大切な言葉を、言葉にしてくれた。
温かくて、胸から何かが溢れ出しそうな気持ちになって。
「……ああ、おはよう」
俺も負けじと、屈託のない笑みを見せ返した。
この日々を、俺が守り抜いたんだ。
悩んで、罪を背負って……それでも決死の選択をした。
クーフルの時とは違い、アルヴァロさんの時はどちらの選択肢も選ぶことは出来なかったけど。
それでも今この光景に俺がいるというだけで、救われた気持ちになる。
だから俺は間違ってないって……そうやって逃げ続けることが出来たんだ。
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