第7話(8) 『救われた断罪』
大量の岩柱が巨大な氷塊を破壊し、俺達の立っている地面へと一斉に叩き付けられた。
この場にいるのは全員が天使で、身体的耐久力の高さは同じ種族の誰もが自分のことのように理解している。
だからこそアルヴァロさんも一切の手心を加えなかったのだろう。
聖剣を振り続けていた右腕に大きな疲労感があるのか、翼を羽ばたかせその場に浮かびながらも若干息を切らしつつ肩を押さえていた。
「老体にこんなことさせるなんて、天界に帰ったらしっかりとお灸を据えなければならないね……妻にも叱ってもらわなければ」
天界に帰りさえすれば必ず俺がいつも通りの俺に戻ってくれると、アルヴァロさんはまだ信じてくれていた。
だからそんな平凡で幸せな日々を思い浮かべて小さく顔を綻ばせてくれている。
本当に、俺もアルヴァロさんも……どうして【罪人】になってしまったんだろうって思う。
どんな人にも大なり小なり悪意の心があるにしても、少なくともこんなことだけはしないでほしかった。
でも過去は変わらない。
変えることは出来ない。
アルヴァロさんがこれまでの自分の行動に罪悪感を抱き、アルヴァロさんなりの贖罪をテーラに行っていたとしてもその罪が無くなるわけではないことをテーラと過ごして気付いてしまった。
「……俺も、そんな日々を過ごせたらって思います。それでも、俺もアルヴァロさんも……無条件でその未来を掴むことはもう出来ませんよ」
「――――ッッ!?」
岩柱の下敷きとなり気絶したと思い込んでいたであろうアルヴァロさんが慌てて声がした背後へ振り向いた。
――そこにいたのは当然のことながら先程までの独り言を聞いていた俺で、空中を浮いているのに加え身体の何処にも大きなダメージを受けていないことに驚きのあまり目を見開いていた。
俺には翼も光輪も現れていないのに当たり前のように同じ空を滞空していることが理解出来なかったのだろう。
「何故――」
空を飛べるのかと。
そう聞こうとしたはずだ。
だが俺の両手首、両足首には吹き付けられている小さな竜巻があった。
その風を見てアルヴァロさんは俺に風魔法が掛かっていることを理解する。
メビウス、デルラルトは雷魔法だけでなく風魔法も使えた。
そうはきっと思わないだろう。
仮にそうだとしたらアルヴァロさんが空を飛んだ時点で無様に地に這いつくばらず追いかけて来るはずだから。
では何か。
アルヴァロさんはその可能性の一つに気付いて視線を地上側へ動かし、視界に映る全ての情報を捉えようとした所で俺同様に無傷で事を見守っているテーラの姿を見つけた。
「――っっ!?」
どうして俺もテーラも無傷なのかと、そう思った所でテーラを囲むように設置されたドーム状の結界をアルヴァロさんは視界に収める。
まるで教会の入口にあった光の結界と同様のものがテーラの身を守っていて、アルヴァロさんは様々な状況の変化に思考が追い付かずゆっくりと頭を押さえた。
「訳が分からないよ……どうやら私はデルラルト君を見誤っていたみたいだ……君が予測不能なことをしでかすのはわかっていたのに、まだまだだったみたいだね」
「お互い様ですよ。俺も、アルヴァロさんのやって来たことに気付きませんでした」
「……魔力を、明け渡されたんだね」
「凄いことに、それでもまだ充分な程の魔力量を持っているらしいですけどね。さすがは天才魔法使い様って奴です」
どうやら俺の風の正体は看破したようだ。
魔法は使えなくとも、俺の身体にアルヴァロさんと同じテーラの魔力がより濃く宿っていることを感じ取ったのだろう。
当たり前のことだが、テーラの魔力を受け取ったからと言って風魔法が使えるようになったわけではない。
あくまで今俺の身体に纏っている風も以前同様テーラが発動させてくれているもので、その操作のみを任せられている状態だ。
だが自分の魔力量が確実に上がっているのを自覚する。
それは同時に、俺の雷魔法の威力もまた増大していることを意味していた。
アルヴァロさんもテーラの魔力についてだけはこの世の誰よりも理解しているはずだ。
先程の余裕を見せていた態度とは違い、腕の疲労も相まって明らかに俺に警戒の目を向けていた。
それは、もしかしたら殺されるかもしれないという可能性の恐怖心を抱いているからだ。
俺の自信のある瞳も合わせて、説得のための言葉は強みが増し始めていた。
「……わかっているのかい!? これを逃せば、天界に帰ることも愛する家族と会うことも出来なくなってしまうんだよ……!? 君は本当に想像出来ているのか!? 家族が帰りを待っているかもしれない。何か病気になってしまっているかもしれないと! 私と同様、君だって他人事ではないはずだ!」
「……」
……もう聞き飽きたよ、アルヴァロさん。
充分悩んで、そうして俺は選んだんだ。
全部は手に入らない。
それをクーフルの時に知った。
『選択しなければならない』のだと、この世界の真理を知った。
綺麗事や上っ面ばかりの言葉ではどうにもならないのだということを知った。
俺は選んだ。
であれば、むしろ何度も何度も決めたのに躊躇してしまうような愚か者になるわけにはいかない。
アルヴァロさんの言葉に正しさがあっても、【断罪】することにはもう迷わない。
「もう、気絶させるだなんて甘いこと考えないで下さい。俺にとってアルヴァロさんが【犯罪者】なように、アルヴァロさんにとっては俺も【犯罪者】なんですから」
「殺し合いをしろって言うのか……!?」
「アルヴァロさんも、現実を見てください。俺は、あなたを裁きます……!」
その言葉を合図に、俺は風魔法を正確に操り高速移動でアルヴァロさんの前へ到達すると、雷鳴を纏わせ大きく開いた左手を既に引き伸ばしていた。
「――くっ!!」
その勢いに気圧されつつもアルヴァロさんは距離を取らせようと大きく聖剣を横に薙いだ。
だが左手はあくまでブラフ。
最小限の動きで急降下した俺は頬に触れようと迫ってきた刃をギリギリで受け流し、そのまま聖剣をアルヴァロさんの横腹へと叩き付ける。
大きく呻きよろけたアルヴァロさんだが、それでも天使の忍耐力はかなりのもので、眉を潜めながらも『聖手』を発動させようと左手を大きく伸ばした。
……『聖手』では、鈍痛的ダメージは与えられても致命傷でない限り天使を殺すことは絶対に出来ない。
相手を殺すつもりなら、聖手ではなく聖剣で斬るための方法を考えるべきなのに、アルヴァロさんは未だに俺を気絶させることを優先している。
それでも、だからといって俺はもう対等な殺し合いにすることを固辞するようなことはしない。
そういうつもりなら……もう、その優しさを受け入れるしかないから。
「――ふっ!!」
「――ぐぅっ!」
風魔法を操作し、小回りを利かせて最小限の動きでアルヴァロさんの反撃を回避。
そしてこの距離で『聖手』を使おうとしたことで僅かな隙が生まれ、内側に潜り込んだ俺の聖剣がアルヴァロさんの身体を薙いだ。
やはり地上戦より空中戦の方が三次元的動きで非常にやりやすいと改めて実感する。
天界時代でも空中戦での戦績は他の天使より圧倒的に高かったと自負する程、俺の空中移動は精確だった。
空を飛べるという事実が天使であった俺にとってしっくり来るのも当然のことで、打撃武器の聖剣がアルヴァロさんを確実に翻弄させていた。
「本当にたった一人を選ぶというのか……!? 常識的に考えて世界と個人、どちらを優先するべきかは決まっているはずだ!」
「理屈でばかり物事を考えるから、テーラのような悲劇を生んだんでしょう!?」
「感情で行動出来るのはっ、子供だけだ! 私は、愛する妻の……天界の未来のために――!」
「俺はアルヴァロさんみたいにはなれません!!」
アルヴァロさんにも守りたいものがある。
お互いに守るための方法が違うだけで、もしも何か歯車が狂ってなかったら今まで以上に俺とアルヴァロさんは深く絆を深められていたのかもしれない。
でもその未来も来ない。
アルヴァロさんは必死に聖剣で攻撃を防ぎつつも、俺のスピードを力に変えた連撃が叩き込まれることにより徐々に押され、地へ着々と距離を近付けていた。
そして俺は振り払われた聖剣を受け流し、アルヴァロさんの真横へと滑り込む。
空中から天使を一度だけ落とせる一番の方法……翼へと狙いを定め、ありったけの力を籠めて聖剣を叩き付けた。
「――――ぐあっ!!」
天使としての致命傷が――通った。
翼に強烈なダメージを負ったアルヴァロさんが飛翔を維持することは出来ず、まるで撃墜された鳥のように無数の羽を散らして天使は地へと叩き落される。
「《ライトニング――」
そんな一人の天使を見下ろしながら、右手に持つ聖剣を逆手に持ち直し、腕を大きく後ろに引いて雷の魔力を腕一点に集中させる。
その魔力は強い火花となって右腕全体、そして聖剣の剣先までをも包み込み凝縮された魔力が飛び散る程だった。
地に落ち、立ち上がろうとするアルヴァロさんへ狙いを定める。
――そして。
「【狙撃】》!!」
通常の比ではない程の弾速と射程を持った《ライトニング》が、弾丸を聖剣に変えることにより威力すらも増幅させた強雷弾となって放たれた。
「――――ッッ!?」
たとえ俺の聖剣が刃を持たない打撃武器だとしても、超加速で撃たれた鈍器が直撃すればそれは充分凶器になり得る。
明確な殺意と死を感じさせる一撃。
最早打ち返すことなど不可能だと本能で察したアルヴァロさんは立ち上がることを放棄し、自身の軸をズラしてなんとか回避することに成功した。
聖剣が轟音を鳴らして地面へ深く突き刺さる。
……しかし、決して逃さぬようアルヴァロさんが回避する前に既に俺は次なる行動へ移っていた。
「――ルナ!!」
一人の、女の子の名前を叫んだ。
この場に一度も姿を見せず、それでもずっと近くで見守ってくれていた紫髪の少女の名を。
作戦通り名前を呼ぶのを合図に、俺がここに到着したのと同様突如現れた闇の裂け目が俺の身体を包み込む。
「ディス、トーション……!」
「なっ――!?」
……そしてアルヴァロさんが立ち上がる時には既に目の前に第二の裂け目が現れ、中から左手で右手首を押さえ右手を構える俺が飛び出した。
「断罪の時です……地獄で、また会いましょう」
「くっ――!!」
視界いっぱいに映り込んだ俺の姿に反射的に後退してしまったアルヴァロさん。
体勢を崩しながらも俺の右手に蓄積する魔力の強大さを既に肌で感じ取っていた。
「《ライトニング……!!」
それは生命の本能として、これだけは絶対に受けてはいけないという警鐘だ。
中指と薬指を親指で押さえ、俺は腕をアルヴァロさんの心臓に向けて既に突き出した。
「『聖手』ッッ!!」
「――ッッ!!」
だがその瞬間、身体に沁み込んだ動作かアルヴァロさんは俺より早く腕を突き出し、俺の眉間に向けて渾身の『聖手』が放たれる。
アルヴァロさんの手のひらが俺の眉間へと触れたことにより、それは巨大な風圧となって俺の頭を弾け飛ばし、脳全てを強く揺らした。
「――――――」
視界が真っ白になる。
身体ごと大きく後方へと弾かれ、まるで時が遅くなったかのような感覚に陥り、俺の意識は確実に刈り取られた。
――それ、でも。
瞳に宿る覚悟を、力へと変えて。
「――――!!!!」
思い切り足を地にめり込ませ、飛ばされるのを強制的に停止させる。
顔を勢いよく前へ突き出し、眉間から血を流しながらも歯を喰いしばって絶えずアルヴァロさんを捉えていた。
一瞬だけ安堵していたアルヴァロさんの表情が、驚愕へと変わる。
既に、右腕に宿る雷の魔力は三つの指先へと完全に注がれていた。
「デルラルト君っっ!!」
「――【散弾】》!!」
そして――心臓に、渾身の《ライトニング》を放った。
小さな光球となったそれは瞬時に大量の雷弾となって拡散し、弾け飛ぶ破裂音と共に大量の赤い水が俺の全身へと降り掛かっていく。
――そんな現実を、気合で持ち堪えていた意識が薄れゆきつつぼんやりと感じていた。
「…………」
そのまま、視界が大きく歪んで……立っているのか倒れているのかわからないまま、土の味だけが妙に味覚として理解出来た。
「――――じぶんっ!」
……ただ、急いで近付いてくる音もまだ聞こえてくれていて。
誰かが俺の頭を抱き抱えた感覚と共に、ぽろぽろと水滴のようなものが頬に垂れた。
「殺してくれてっ……ありがとう……!」
薄れゆく意識の中、最後に優しく俺の頭を支えてくれたテーラの涙ぐむ笑顔が見えた。
それは俺がずっと求めて、頑張り続けていた結果の賜物だ。
更にもう一つ、小さな足音も聞こえてくる。
「……ははっ」
その姿を何とか視界に収めて、小さな音を聞き取って。
ようやく取り戻したかった笑顔を見ることが出来たと、そんな満足感を抱いたまま……俺はゆっくりと意識を手放した。