第7話(6) 『迷いを断ち切り』
言った。
覚悟を見せるために、正面からその言葉を吐き出してしまった。
だからもう戻ることも、躊躇することも絶対に許されない。
震えた手を引いて抱き寄せてしまったから、俺はテーラのために目の前の大切な人を手に掛けることを証明しなければならないのだ。
「断、罪……? 君が、私を、裁くと言うのか……!?」
だが決意を固めた俺とは対称的に、アルヴァロさんの困惑した表情が視界に映る。
それもそうだろう。
【断罪】などという言葉は日常的に出てくるわけではないし、しかも身内に対してそんな言葉を吐き出す者などいるはずがない。
それに人間界でも同じように天界でも俺は犯罪者に【断罪】している姿を誰にも見せたことなどなかった。
だから妹も幼馴染みのみんなも、当然アルヴァロさんも俺の裁きを知りはしない。
断罪という言葉の意味することがわからなかったであろうアルヴァロさんが、戸惑いつつも口を開く。
「どう、やって」
「罪人が世に居続ける限り、被害者が安心して日々を過ごすことは出来ない。だから何もしてくれない神の代わりに、俺がやるって決めたんです。アルヴァロさんのやって来たことは小さい裁きじゃ償いきれない……俺は、あなたを殺します」
「――ッ!? 冗談じゃ済まされないぞ……!?」
「……」
冗談なんかじゃない。
だから否定もせず、ただ事実を突き付けるようにジッとアルヴァロさんを正面から見つめた。
そんな俺を見てようやくアルヴァロさんは俺が冗談でも、ましてや言葉を取り消す気もないことを理解したのだろう。
目を見開き、完全に敵対されたという強いショックを受けたように顔を強張らせていた。
「本気、なのか……?」
「もうこの世界に来て、一度やったんです。二度目も、変わらないはずです」
「――っっ!?」
そうだ。
これでもう二度目になる。
どれも必要だったものだ。
更生すれば許されるような罪ではないから、断罪する必要があった。
俺の手を、赤く汚す必要があった。
「そん、な……」
アルヴァロさんもこの『二度目』がどういう意味を持つのかわかってしまったのだろう。
有難いことに大切に想ってくれている子が殺人を犯してしまったという事実に、一瞬だけ身体の力が抜けよろけてしまう。
……その身体を支えることはもう出来ない。
俺の覚悟が伝わったのか、アルヴァロさんは瞳を揺らがせながらもゆっくりと眼鏡を外した。
言っても止まらないと理解したのだろう。
そして腰に固定されていた自身の聖剣を引き抜き、俺を捉える。
だが俺とは違い、未だアルヴァロさんの瞳には敵意が籠っていなかった。
それでも真っ向から俺と対峙する気はあるという事実はわかり、俺は傍に寄せていたテーラから距離を取る。
既に辺りは戦いのオーラに包まれていた。
天界の人生は白兵戦が基本。
互いに剣を抜いた時点で、戦いは既に始まっている。
だからスムーズにお互いに距離を取り、お互いを見合う。
「――――ッ!!」
――最初に戦いの口火を切ったのは、俺だった。
大きく地を踏み締め、一気に距離を詰めて下段から斬り上げる。
だが直後、アルヴァロさんは一切の回避行動を取らずカウンター気味に引き絞った腕を勢いよく突き付けた。
聖剣の剣先が、俺の視界の全てを覆う。
咄嗟に首を傾けて回避行動を取る俺だったが、それをアルヴァロさんは読み、逆手に持ち直した柄で俺の頬を殴打する。
「――っ!」
全身が回転したと錯覚する程の振動が脳へと響いた。
身体のコントロールが一瞬だけブレるが、それでも俺は瞳孔を大きく開き反動を利用して回し蹴りを放った。
「《ライトニング》……!!」
「なっ――!?」
防がれるのは想定内。
回し蹴りを腕で防がれたと同時に宙に浮いた全身から左腕を突き付け、一閃の雷鳴が轟いた。
――天使は魔法を使えない。
それは誰しもの共通認識であり、この世界に来て俺が魔法を手に入れたことを知らないアルヴァロさんは当然のことながら知らない魔法属性に目を見開いていた。
だが戦闘とは常に、予測不能な事態を引き起こすものだ。
それは俺も、そしてアルヴァロさんも同じだった。
それを人生経験の長さから俺より理解しているアルヴァロさんは咄嗟に自身の左手に身に付けた白手袋を俺の浮いた腹に当て、手を開いた。
「『聖手・ウインドインパクト』ッ!」
「――っ!?!? がっ!?」
――その刹那、当てられた手の平から突如として強烈な突風による衝撃波が吹き荒れ、強大な風圧が俺の腹へと直撃する。
肺に溜まった酸素が一気に口から放出され、あまりの衝撃に俺の視界は一瞬だけ真っ白になった。
……聖装の一つ『聖手』。
風の魔力を宿した『ウインドインパクト』その名の通り圧縮した風を瞬時に生み出し、衝撃波を生ませる聖装だ。
その強大な風圧によって俺は大きく吹き飛ばされ、森を突き抜ける程の勢いは止まることはなかった。
だが咄嗟に通過しそうになった木の枝を掴むことで何とか風の勢いを止めることに成功する。
「げほっげほっ!」
開幕のわからん殺し対決は結果的に《ライトニング》も軸がズレて当たらずアルヴァロさんが制してしまった。
お互いの距離が離れてしまう。
重力で落下した俺は何とか着地し、腹を押さえながらもアルヴァロさんの動向を捉えた。
「驚いたよ。君がまさか聖装無しに魔法を使えるようになっているとは思わなかった。そもそもあの地下室に転移出来ていたということは、彼女の魔力を受け継いだんだね」
「……アルヴァロさんだって、そうでしょ」
「私は残念ながら魔法を使うことが出来なかったよ。いや、単に使い方を知らないだけなのかもしれないけどね」
アルヴァロさんだって転移魔法陣を通れるということは、既にテーラの魔力を受け継いでいるということになる。
ということはきっと俺と同じように魔法を使うことは出来るのだろう。
だが確かにアルヴァロさんの言う通りなのかもしれない。
俺だってテーラの言葉通り擬音イメージ法を使用して何とか感覚を掴むことに成功したのだ。
きっとやり方を教わっていないであろうアルヴァロさんでは、魔法の使用方法など皆目見当が付かないはずだ。
……けれど、今更魔法がどうとかなどどうだっていい。
「……どうして、殺そうとしないんですか」
俺にとって不可解なのは、この戦闘に対してのアルヴァロさんの意志だった。
アルヴァロさんの持つ聖剣は俺のとは違い立派な刃のある真剣だ。
直撃すれば肌は裂け、血は飛び散り、激痛を与える立派な凶器だ。
それなのにアルヴァロさんはどうにも聖剣を当てるつもりがないように見えた。
俺の聖剣を弾くのに加えブラフにだけ使い、本命として使ったのは殺傷能力のない聖手だけ。
俺はあなたを殺そうとしていて、私刑を下そうとしていて……それなのに、どうして。
そんな俺の疑問を受けたアルヴァロさんは、いつも通りの柔らかな笑みを浮かべていた。
「人間界に来てしまったせいで、君は取り返しのつかないことをしてしまった。人殺しは罪だ。罪は、人ではなく神によって裁かれなければならない」
「……」
「それでも、子供の失敗を許して、それを正すのも大人としての役割だよ。あの聖女と人間界の環境のせいで君は堕ちてしまった。私は君を連れ戻して、わかってもらえるよう伝え続ける。それが、クレス君の願いでもあるだろうからね」
こんな状況下でも、アルヴァロさんは俺の為を思ってくれていた。
優しく受け入れて、俺のやり方は間違っているのだと見捨てるのではなく諭そうとしてくれていた。
その言葉に、どうしようもなく俺の心は苦しみを感じてしまう。
胸を押さえ、顔を歪め、湧き上がる感情を押さえ付ける。
……でも、それなら。
「俺にっ、そう思ってくれるのなら……!!」
どうしてテーラには、その優しさを向けてくれなかったんだ。
聖剣を握る手に、より力が籠った。
目尻に涙が溜まりそうになる。
それでも、アルヴァロさんがテーラを傷付け、一生消えることのない心の傷を与えたのは事実だ。
アルヴァロさんが救いようのない『悪』だったら良かった。
そうだったら、俺はここまで苦しみを覚えることなく自分の信念に基づいて正しいことを行うことが出来るのに。
「《ライトニング》――!!」
湧き上がる悲しみを捨てるために雷魔法を放つ。
回避前提の攻撃を当然の如くアルヴァロさんは回避し、距離を詰めたお互いの剣が何度も跳ねた。
アルヴァロさんは研究者であるが、それでも立派に学園を卒業し、そして俺より何十年も多く生きてきたベテランだ。
それでも単純な戦闘能力で言えば俺の方に分があるだろう。
だがアルヴァロさんには自身の身体に装着されている無数の聖装という武器がある。
雷魔法自体はアルヴァロさんも初手の対処に困っただろうが、ここから派生出来る魔法の手札を俺は多く持っていない。
その点、アルヴァロさんの持つ聖装は単純ながら強力で俺に決定的な不利を作り出していた。
「――ぅっ!」
そして同時に、テーラに一度殺されたことで大量に消費した血液の不足が俺の動きに正確性を与えられずにいることも要因の一つだろう。
大きく一歩を踏み出した刹那、一瞬だけ視界がぐにゃりと大きく歪む。
貧血気味の症状により頭痛や平衡感覚の乱れがこの状況下で何度か起こっていた。
「聖手!!」
「がっ――!!」
そこを、アルヴァロさんは見逃さない。
アルヴァロさんの左手が俺の脇腹に触れる。
瞬間突風が俺の身体を抉り、強大な風圧が殴打となって俺の身体を貫いた。
全身に風圧による衝撃波が襲い掛かり、俺の意識を刈り取ろうと躍起になっている。
触れては、駄目だ……!!
剣先のリーチ以上に距離を詰めては駄目だと理解する。
よろけつつもステップを踏み、距離を維持しつつアルヴァロさんにラッシュを放った。
アルヴァロさんの剣技を弾き、縦横無尽に地を駆け。
木々をバネに宙を舞い、足を狙って横に薙ぐ。
それでも大きな痛手になることなくアルヴァロさんは剣の腹で受け止めた。
「《ライトニング――!」
「――ッッ!?」
けれどそれを布石に懐に潜り込んだ俺は片腕に強烈な火花を飛び散らせ、手の平に輝く光球を創り出す。
それを――アルヴァロさんの顔面へと突き付けた。
「閃光爆弾》!!」
「――――ッッ!?」
そして最大威力の閃光を放つ。
その光は瞼を閉じていた俺ですらまるで世界全てが光に包まれたかのような錯覚に陥る程の光量を持ち、明確なダメージとしてアルヴァロさんの瞳を一時的に使用不可にする。
あの状況下で動きを止めるなら本当は閃光爆弾ではなく、普通の爆弾にした方が確実だったはずだ。
それでもあの魔法ではアルヴァロさんを一撃で殺す程の殺傷能力を持ってはいない。
俺は断罪すると言いながら、アルヴァロさんにはせめて苦しまずに殺すという想いを持ってしまっていた。
それでも――今しかない。
アルヴァロさんの眉間めがけて左指を突き付け、魔法を放つだけでアルヴァロさんは……死ぬ。
「……っ」
そう思った瞬間俺の腕は大きく震え、瞳すらも揺れ動き一瞬だけ身体を硬直させてしまう。
先程のアルヴァロさんの言葉もあって、自分が大切な人を手に掛けるという現実が酷く俺の心を乱していた。
……だが戦闘においてその数秒が戦況を変える。
アルヴァロさんは目を押さえながらも横薙ぎに聖剣を振り払い俺を離れさせると、森全体に響く程の声量で強く喉を震わせた。
「『被検体01』!!」
「――――ひっ」
助けたい女の子の、小さな悲鳴が鼓膜に響く。
「デルラルト君を捕えなければ、結局君がまた実験を受けることになるぞ!!」
「――っっ!!」
それは、先程から俺とアルヴァロさんの行く末を見届けていたテーラに放った言葉だった。
せっかくアルヴァロさんの意識をなるべくテーラへ向けないよう計らっていたというのに、やはりテーラのことももちろん忘れていなかったようだ。
アルヴァロさんの『被検体01』という言葉によって、恐らくテーラは自身の過去の一部を思い出してしまったのだろう。
――そして続けて口にした言葉。
それは言ってはいけない言葉だろ。
それはまさしく脅していると一緒の事柄のはずだ。
「~~っ!! アルヴァロさんッ!!」
震えていた腕も瞳も、全て怒りへと塗り替えされていく。
顔を強張らせ、俺の中でアルヴァロさんへの怒りがより増幅していた。
やはり罪人は変われないのだと、目の前で突き付けられた気分だった。
「……《アイシクル・ランス》」
「――っっ!!」
助けたいのに、テーラはアルヴァロさんには逆らえない。
苦しそうな表情を俺へと向けながら腕を突き付け、展開した氷の槍を一斉に放出させて来た。
「――くっ」
大きく距離を離し、襲い掛かる氷槍を回避し、砕き、叩き壊す。
それでも無数の氷槍を全て破壊することは叶わず、数個の刃が俺の頬と腕、そして足を掠め切った。
「ぁ……!」
俺の身体から鮮血が飛び散る度、テーラの瞳に涙が浮かぶ。
また、その顔をさせてしまった。
「《ライトニング》!!」
もうそんな顔をさせないように、今度は全力の殺意を用いてアルヴァロさんの顔面に《ライトニング》を放った。
だがそれすらテーラが反射的に発動した土魔法の岩壁によって防がれ、稲妻の光は粒子となって宙を舞う。
殺してほしいと願っているのに守ろうとするなんて、なんとも矛盾した話だ。
それでも彼女が求めているのはただ一つ。
怯えることのない、平和な日々だって分かっているから。
「……賭けだったけど、君が私を守ってくれて助かったよ」
「アルヴァロさん……!!」
先程までとは打って変わって、俺は殺意の瞳でアルヴァロさんを射抜いた。
視力が回復してきたアルヴァロさんは軽く目を擦って一度外した眼鏡をかけ直すとその場で静止し、ゆっくりと呼吸を整えている。
……そして。
「――――さて」
――太陽の光がアルヴァロさんをまるでベールのように包み込んだ。
すると背中から粒子の光が翻し、頭上には淡い光が個性的な塊を創り出す。
光が収まると、今まで何度も見てきて人間界ではめっきり見ることが減ってしまった……今のテーラと同様、純白の翼と個性のある光輪がその姿を現していた。
アルヴァロさんは翼を使い空へ浮かぶ。
太陽の光に照らされて俺を見下ろすその姿は。
「……その顔に、させたくはなかったね」
まるで本当の神の遣いだと錯覚してしまうような、神聖なる天使そのものだった。