第7話(3) 『自分の信念だけは』
『人殺しは罪かどうか』。
俺にそれを聞く資格などあるのだろうか。
クーフルを殺した。
自分も犯罪者になるとわかった上で殺した。
既に俺の中で答えは出ているというのに、こうして目の前の少女にも同じ問いかけをしてしまっている。
「……うん、罪だと思う」
もちろん、ルナもそれはわかっているようで当たり前のようにそう口にした。
「そう、だよな」
そう思った理由など聞く必要がない。
そうだ。
人殺しは罪だ。
テーラが殺してほしいと願ったとしても、俺にはアルヴァロさんを殺す理由もないし、身内を殺すなんてこと出来るわけがない。
殺人というのは何も考える必要が無くなるという楽な行為だ。
アルヴァロさんを説得することも、テーラを助けることも、セリシアを守ることも何もかも考えなくて済む。
だけどそれは、まさしく『堕落』と同じだった。
楽な方へ楽な方へ……そんなことをしてしまったら俺はきっと戻れなくなる。
殺しに理由を付けることが出来なくなってしまう。
だとしたらどうする?
散々考えたはずだ。
どうすればテーラも、アルヴァロさんも納得する結末になれるのかを。
でも時間が無くて、セリシアも危なくて……手に入れたものはテーラの泣き顔ただ一つ。
俺は……どうすればいい。
「一人で抱え込むのはよくない」
「……うお」
頭の中がぐるぐると回り八方塞がりになっていた時、不意に目の前にいたルナがしゃがみ込み俺の瞳を下から覗き込んできた。
いつもいつもどうして目を合わせようとしてくるのかわからないものの、急に下から顔が出て来て驚きのあまり少しだけ肩を跳ねさせてしまう。
「今はそんなことしてる場合じゃ――」
「悩んでるの?」
「……っ」
「悩んでいること、教えて?」
悩んでいる……。
そうだ、俺は悩んでいるんだ。
ずっと一人で何とかしなくちゃと思ってた。
セリシアを巻き込むわけにはいかず、そしてテーラとアルヴァロさんに捕まってしまった関係上相談出来る人もいなくて。
それにこんな人殺しがどうとかなんて話題、きっと相談しても綺麗事を語られるだけだと、何処か諦めていたように思える。
チラリとルナを見る。
……相談しても良いのだろうか。
一人で抱え込まなくてもいいのだろうか。
……いや、ルナを巻き込むわけにはいかない。
彼女はこの件に何の関係もないし、そもそも協力する義理だってない。
「……教えられない。お前には関係のないことだろ」
「関係ない。でも、シロカミを手伝いたい。それじゃ駄目……?」
駄目、じゃない。
むしろ素直に嬉しいことだ。
でも俺はお前にたくさん酷いことをして、都合の良い時だけお前の力を借りるような下劣な奴にはなりたくないんだ。
結果的にそうなってしまうならともかく、自分からそんな奴になろうとは思わない。
けれど本心は違うということも気付いていた。
本当は手伝ってほしい。
手を貸してほしいと願ってる。
だけど、こんなことで甘えるだなんて俺には……
「約束」
「……ぁ?」
「言わないって約束した。だから、大丈夫だよ」
「――――」
きっとルナは勘違いしている。
俺がルナに話そうとしないのはバラされるのが怖いからだと思ったのだろう。
だからあの日、俺達が人殺しをカミングアウトした日のことを口にしたのだ。
どうしてそこまで俺に気を遣ってくれるのだろう。
テーラも、ルナも。
俺はお前たちに何一つやってあげることなど出来ていないのに。
協力してもらうようなこと、一つだって出来なかったのに。
だけど心を打たれてしまった。
ルナの気遣いが憔悴していた俺の心を深く癒してくれたから。
俺のことを理解しようとしてくれる少女を、一体どうして振り払えるというのか。
「……実は」
そしてテーラの時のように、俺はルナに弱音を吐いてしまう。
「前に教会に来た白髪の男の人……アルヴァロさんからテーラを救い出さなくちゃいけなくなった。テーラを救えなきゃセリシアも守れない。だけど、アルヴァロさんを殺すわけにはいかなくて……でも、テーラに巻き付けられた鎖を砕くにはアルヴァロさんを殺すのが最適なんだって、そう言われたんだ」
「うん」
「俺はっ……テーラを助けたい。でも助ける方法を探す時間もない。あいつはそう遠くないうちにセリシアを狙う。そうなってしまえば俺はあいつからセリシアを守らなきゃいけなくなる。だからといって、ずっと一緒にいたアルヴァロさんを殺すなんて……俺には、出来ないっ……!」
何かを捨てなければならないのだ。
いっそアルヴァロさんがクーフルのような【魔族】という絶対悪なら良かった。
そしたら俺は、こんなに悩むことなくアルヴァロさんの立場を持つ【悪】を殺すことが出来たのに。
今回はセリシアもテーラも、アルヴァロさんだって信念があった。
セリシアを守りたい。
テーラを助けたい。
別の方法でアルヴァロさんに協力したい。
だけどテーラも言っていた。
全部を救えるのは勇者や英雄だけなんだって。
俺は勇者にも、英雄にもなれない。
だから、選ばなければならない。
「俺は……どうしたら……」
頭を抱える。
視界がくらくらしてくる。
ここまで悩んだのは生まれて初めてかもしれなかった。
俺には出来ないことなんてないと思っていた。
守れないものはないって高を括ってた。
けれど人間界に来てから何度も思い知らされている。
自分一人じゃ出来ることの方が少ないということを。
この世界は天界よりもよっぽど生きるのが大変だということを。
「シロカミは……」
女の子に見せるべきではない醜態を晒していた。
それでもルナは無表情のままジッと俺を見続けていて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「シロカミは、どうして人を殺したの?」
「どう、して……?」
「初めて人を殺した、理由はないの?」
ルナが放った言葉に瞬時に断言することが出来なかった。
思わず俯きがちだった顔を上げる。
初めて人を殺した理由……。
そんなのクーフルは、三番街を危機へ陥らせてたくさんの人を危険に晒し、大熊に街を破壊させてセリシアに選択を強要させていたから。
子供たちも危険だった。
メイトに至ってはもう少し遅かったら重症以上の結末を迎えていたかもしれないから。
だから……。
……だから、なんだ?
「――――!」
……そうだ。
クーフルはみんなを苦しめて、悩ませて……大罪を犯したから。
――だから殺した。
それは一重に、俺の中にある一番大事な信念があったからだ。
「平和を壊す奴には……【断罪】しなくちゃ、いけないから……」
俺は平和や平穏を守りたかった。
それを失いたくなかったから、俺からそれを奪おうとした奴を殺した。
二度と、みんなが苦しまずに済むように。
ずっとみんなが笑っていられるように。
……なら、アルヴァロさんはどうなんだ?
アルヴァロさんはセリシアを狙った。
テーラを7年も苦しめた。
天界の未来のためにやったという大義名分があるとしても、どんな理由であれ俺にとって大事な人の平和や平穏を乱したのは事実だ。
身内なら、赦されるのか……?
人を裁くことに、贔屓があって良いというのだろうか。
「……駄目だろ」
駄目だ。
それを認めてしまうわけにはいかない。
当事者でもない他人が人を裁くことを嫌う俺が、個々の感情で平等でない裁きを認めるわけにはいかない。
「……アルヴァロさんは『罪人』だ」
アルヴァロさんはまだ小さな子供を何年も監禁した。
実験や研究を強制した。
そしてテーラに今も尚、精神的・肉体的苦痛を与え続けている。
それを『罪人』以外に何と言うというのか。
クズを裁けるのはクズだけだけど。
『罪人』を裁けるのもまた、同じ『罪人』だけなんだ。
「……平和を壊す奴には【断罪】を。神サマが何もしてくれないから俺がやらなきゃいけないって、そう決めたんだろ……メビウス・デルラルト」
一度ルナの首を絞めて殺そうとしてしまったが、あれは俺の信念に反することだ。
俺が人を殺める理由はただ一つでなければならない。
そしてそれを俺自身が有耶無耶にしてはいけない。
メビウス・デルラルトという天使は、そうでなければただの犯罪者に成り下がってしまうから。
「……ルナ」
「うん」
「お前のおかげで、俺は大事なことを忘れずに済んだよ。そうだよな……俺が人を裁く理由を、俺自身が忘れちゃいけなかった」
私刑は、私刑そのものこそが犯罪だ。
だから俺も、俺自身が裁く相手と同じ『罪人』なんだ。
だからこそ自分自身でその線引きをしっかりと引かなければならない。
私刑や復讐も全て俺の心に抱え込むのが俺の人生だと決めたのだから。
俺はその選択をした。
罪を受け入れ、罪を償わないことを決意した。
だから今回も迷ってはいけないものなんだと、そう思うとやけに心のざわつきに静けさが訪れて、血の抜けた身体に鞭打って立ち上がりゆっくりと顔を上げた。
「俺は……アルヴァロさんを殺す」
決意の光を瞳に宿し、俺はルナの薄紫色の瞳をしっかりと見つめる。
「だけどきっと、いくら決意を固めた所で俺一人じゃ最後の最後まで悩んでしまうんだと思う。躊躇して、手が震えて……そしてまたあいつを失望させてしまうことになるかもしれない」
もう嫌なんだ。
俺のせいであいつの泣き顔も、苦しんだ顔も、後悔した顔を見るのも、もう二度と見たくないんだ。
「だからルナ、もう一つ頼んでもいいか」
人の決意は脆く、弱い。
俺もまた、堕落したまま未だに何も変えることが出来ていない天使だ。
……だから。
「俺の、共犯者になってくれ」
誰かの手を貸してほしい。
誰かに俺の決意を見届けてほしい。
「俺一人じゃ変われない。そしてお前以外じゃきっと俺のことをわかってくれない。止めた方がいい、他に方法があるって綺麗事は……もう充分考えたんだ」
「うん」
「俺はアルヴァロさんを殺す。そしてテーラを助ける。そしてセリシアを守る。だから、お前の力を貸してくれ。報酬が欲しいのなら、俺に出来ることなら何でもやるから。……だから、頼む」
手を差し出した。
ルナの瞳から目を逸らさずに自身の手を握り、小指だけ前に突き出す。
お互いに裏切らないようにする契約……約束をこうしてまた結ぶことで俺は本当の意味で彼女を信じることが出来る。
ルナも俺の瞳から目を逸らさない。
相変わらずの無表情で俺の決意の光をジッと見続けているようだった。
そしてゆっくりと視線を小指へと向ける。
「うん、いいよ」
そう言って、ルナは自身の小指を交わらせてくれた。
「……約束」
小さな指を絡めて、誓いの約束が終結した。
クーフルの一件について使用したこの指切りは、俺達にとって契約書以上に重いものだった。
だからこれでいい。
これだけでいい。
裏切らないという確認は、俺達にとってこれだけで充分だった。
「ああ、約束だ」
……指を放す。
血を失っているからかやけに彼女の暖かい体温が指へ伝わってくる。
想いも、覚悟も、全て受け止めた。
過去でも未来でもなく、大事なのは『今』幸せかどうかだと思うから。
「あの時、選んだんだ」
俺を殺した直前、大粒の涙を流していた少女の姿を思い出す。
あいつを幸せにしてやりたい。
過去も未来も何を考える必要もなく、今を好きに生きていけるように手助けをしてあげたい。
そのために俺は誓った。
自分の心に鎖を敢えて巻き付けて、死んでも忘れないように俺の中で誓いを立てた。
「俺があいつの、【救世主】になるって」
空を見上げる。
照らされた太陽は、俺の門出を祝ってくれている。
手を握り締めると左手甲に宿る『聖女の聖痕』が太陽に照らされて、まるで俺を祝福してくれているかのように強く光り輝いていた。
……見守ってくれている。
――俺は選択を、決めた。