第7話(2) 『罪の意識』
終始手の甲の聖痕は神秘的な輝きを放っていた。
ゆっくり、ゆっくりと。
魂が再構築されていく感覚があった。
真っ暗な世界の中で、『メビウス・デルラルト』という存在には数えきれない程の致命傷がある。
けれど、その傷は癒えてゆく。
月は落ち、日は昇って……そしてまた夕日が落ちる時まで。
……氷が、魔力の粒子となって消滅する。
……穴が開いた全身が塞がっていく。
……抉られた筋肉がもう一度強く結びついていく。
……ぐちゃぐちゃになった両腕の手首の皮膚が、再生していく。
――身体に、魂が、宿った。
――
おぼろげながらも意識を取り戻した。
ぼんやりとした感覚を抱き、思考はまだ正常に機能しないもののゆっくりと瞼を開ける。
生気を失っていた瞳には輝きが灯っていて『俺』という存在がまだ生きていたという実感を得るには充分だった。
「お、れ……いきてる、のか……?」
正直、最後だったであろう時の記憶は無い。
どこが痛いどころか全身に激痛が走っていたため最後の一撃も喰らったのかもよくわからなかったし、ガルクに首を斬られた時もそうだが死んだという感覚を抱くことはきっと無いんだろうなと何となく思った。
地面に倒れ、土や砂が肌を擦り上げるがとりあえず生きていたことには感謝するべきだろう。
……いや、土とか砂どころじゃない。
自分の血溜まりに寝てるんですけど。
やはり辛うじて考えていた夢の世界エンドとかではないらしい。
「……うえぇ」
鉄臭さに加え血液特有の苦い味に顔を顰め、更に血溜まりによって全身は濡れ気分は最悪だ。
どうやら身体が脱力し現状上手く動けないのも大量の血液を失ったからのようだ。
要するに貧血ということだろう。
……しかし、どうして俺は生きてるんだろう。
正直さすがにあれは天使の生命力を持ってしてもどうしようもないバッドエンドだったはずだ。
さすがに全身を貫かれて死なないのは最早人類というカテゴリーに収めることは出来ないだろう。
受けた傷も全て治癒されているし、わからないことだらけだった。
「……もう一度、チャンスをくれるって言うのか」
それでも生きているということは、まだ出来ることがある。
諦めない理由になる。
「とに、かく……生きてるのなら、まだどうにでもなる……。テーラにあそこまで啖呵を切った以上何とかしないと……」
段々意識も覚醒してきた。
それと同時に意識を失う前のテーラの最後の表情を思い出してしまう。
もう、二度とあんな悲しい想いをしてほしくない。
それは紛れもない事実だが、その実どうすれば彼女を助けることが出来るのかという方法は未だ頭に浮かぶことはなかった。
だが生きていて、尚且つ傷が完全回復しているのであれば時間は有限な以上それを模索する必要性は現時点ではないだろう。
それよりも一刻も早く立ち上がることから始めなければならない。
だから俺は両腕を地面に置き、勢いを籠めて身体を跳ねさせた。
「ふぬっ……! くっ……!! ……無理だわこれ」
……駄目でした。
やはりどうにも血液が身体を回っていないからか上手く身体を動かせない。
現状生きていることは出来ているものの、水分も栄養も取らずにこのまま森の中に放置され続けてしまえば、血も増えないしどの道待っているのは餓死だけだ。
誰かが森の中を通って来るまで待つか。
だがそれだとこの惨状を見て何かが起きたという事実が確定してしまい、事情を聞かれるとかでかなりの時間を消費するはずだ。
そうなればテーラを救うのも、セリシアを守ることも出来なくなる。
アルヴァロさんの研究が本格化する前にどうにかしなければならない。
だが理屈はそうでも現実は上手くついて行かず、その覚悟を持ってしても立ち上がることは出来そうになかった。
少なくとも誰かの協力が無ければどうにもならない。
「……死んでるの?」
「……!」
――そんな時、不意に聞き覚えのある抑揚のない声が俺の耳に届いた。
それと同時に土と砂が踏み付けられる音が聞こえ、俺はゆっくりと顔を上げる。
「……大丈夫?」
紫色の髪をサイドアップで結び、猫耳フードのある漆黒ローブに身を包んだ少女。
「……ル、ナ」
教会にいるはずのルナが無表情のまま首を傾げて、地面にうつ伏せになっている俺を見下ろしていた。
どうして、こいつがここに。
そんな驚きはあったが、俺自身身体も心も弱っているためルナと会ったことで逆に安心感のようなものを抱いた。
何よりルナは俺が人殺しとなったのを唯一知っている人間のためこの状況下でも大丈夫だという妙な信頼もあった。
セリシアやテーラが無理でも……彼女なら。
ルナなら協力してくれるかもしれない。
「久し振りだな、ルナ……元気そうでっ、何よりだよ……」
「シロカミは元気?」
「そう見えるならお前の目はお花畑だな……」
元気なわけないだろ。
むしろ絶賛絶不調である。
だがこの少女が人の感情に鈍感なのは既に周知の事実だ。
さすがに元気かどうかぐらいの判断はしてほしいものだが、そういった面で彼女にそこまでの期待はしていない。
ルナには察してと言っても難しいだろうし、ここは包み隠さず要求を話すことにする。
「すまんが、身体が怠くて立つのがきついんだ。ちょっと肩だけでも貸してくれないか?」
「うん、いいよ」
変な読み合いをせずとも、大体のことはルナも了承してくれる。
彼女の背丈では俺に肩を貸すという行為自体難しいかもしれないが、ルナなりに精一杯の力を籠めて俺を支えようとしてくれていた。
有難く体重を預け、俺はとりあえず傍にあった木の幹に寄り掛かった。
何故かルナも俺の隣に腰掛けたが、話を聞いてくれる体勢を取ってくれるのは有難い。
……てかセリシアから貰った純白の上着が真っ赤に染まっちゃってるんですけど。
穴も開いてしまってるし、早速一着駄目にしてしまったという事実が思ってた以上にメンタルにくる。
「……ありがとな、助かった」
「うん」
だが落胆しつつも感謝の言葉は忘れず口にして、一呼吸置くことにした。
……さて。
「……で、なんでお前がこんな場所にいるんだ?」
「……シロカミを探してた。最近教会で見ないから。聖女に聞いたら信じて待とうって言っていたけど、よくわからなかった」
「それは教会から出るなって意味だったんだと思うぞ……」
「……どうして?」
「いや知らんけど……」
確か地下室にいた時アルヴァロさんが『聖書による【神託】によって面会を拒否された』と言ってたはずだ。
恐らくそれが関係しているのだろうが、セリシアの判断を無視した以上その【神託】のしわ寄せがルナに来てしまっている気がしてならない。
俺を探そうとしてくれたのは有難いため何も言えないが、結果としてこうして見つけてくれたという事実に最近傷を負い続けていた俺の心が癒えてくる。
「……血だらけ」
何考えてるかわからないルナに苦笑していると、不意にルナがジッと俺を見つめていることに気付いた。
さすがに血で染まりきった服を着続けられるほどマイペースな性格ではないし、心配されるのも申し訳ないので大人しく上着を脱ぐ。
だがそれでもルナは視線を逸らすことはなく、小さく首を傾げている。
「シロカミは、どうして死んでたの?」
……まあ、そう聞かれるとは思っていたから驚きはない。
逆にこれで現状をスルーするようなら少々頭を心配するぐらいだ。
俺としても、ここまで見られてしまって隠し事をしようとは思えない。
……だが妙にルナの言葉が引っ掛かる。
「死んでた? 生きてるじゃねぇか」
「脈はなかった。心臓も動いてなかった。だから急に生き返って驚いたよ」
「生き……返った?」
そんなはずがない。
仮にルナの言う通り死んでいたとしても、死人が蘇るなんて非現実的なことが起こるわけがないだろう。
もしもそれが出来るのなら……母さんも父さんが死んでしまった意味がわからなくなる。
だがそれでも、彼女の言葉がスッと心に入り込む自分もいた。
俺もさすがにあの状況で死なないなんてことは無いとわかっている。
今は瀕死でギリギリ生きていたのかなと思い込むことで納得していたが、何らかの力が働いていたことは俺自身気付いていた。
「でも聖女の加護があるのなら納得出来る」
「……聖痕のことか?」
「うん。『聖女の祝福』なら可能」
確か『祝福』は対象を治癒出来る権能だった気がする。
改めて自身の左手甲にある聖痕に目を向けると、確かに神秘的な光を放ち続けていたことに気付いた。
となるとルナの言う通り、俺が今生きているのは『聖女の聖痕』のおかげだということになる。
初めてセリシアと聖痕を共有した時はクーフルの攻撃を『聖女の奇跡』で防いだのだが、あれも勝手に権能が発動しただけでイマイチ適用タイミングがわからなかった。
あれ以来『聖痕』の力を見ていなかったから意識を向けたことなどほとんどなかったが、セリシアが見守ってくれていたと思うと少しだけ心が温かい気持ちになった。
「……逆に、守られちまったな」
小さく、そう呟く。
守りたくて、助けたくて、救いたかったはずなのに。
俺の手がそれらを抱き抱えることはなくて、代わりに守りたい子たちに助けられ続ける始末。
セリシアもテーラも守りたい。
助けてあげたいって、そう思わせてくれるからやっぱり俺はまだ俺なりに頑張ることが出来そうだった。
……何か引っ掛かる気がするが、わからないものに思考を割く時間はないので割合し顔を上げた。
「……そっか。なんにせよ、俺はまだ生きている。生きている限り出来ることはまだたくさんあるはずなんだ」
「うん」
「だから一刻も早くセリシアのもとに……いや、駄目だ。セリシアに事情を話したらテーラとの仲に亀裂が入っちまう……あいつがセリシアを狙っていることを知られる前に事を収めないと……」
そんな二人の仲に亀裂を入らせてしまう可能性が出てくる程に、テーラを追い詰めたのは俺だ。
俺は彼女の味方になってやることが出来なかった。
アルヴァロさんとテーラを天秤に掛けるような真似をして、結局どちらの均衡に差を付けることが出来なかった。
いっそ完全にアルヴァロさんの味方になっていたら、きっとテーラが悩むようなことはなかったんだと思う。
きっと俺がアルヴァロさんよりもテーラを優先していたら、彼女も俺を本当の意味で頼ってくれたんだと思う。
どっちつかずな愚か者のせいで、彼女は最後の最後まで悩み続けていたんだ。
もしも俺があの時逃げ出さなかったら、きっとテーラは俺を見捨てることが出来ずにずっと地下室で地獄の日々を送り続けていたかもしれない。
結局、どの選択肢でも俺が関わったせいで彼女を地獄へと叩き落してしまった。
『自分と、出会わなければよかった』
「――っ」
そして一番言われたくない言葉まで口にさせてしまった。
俺はあいつに何が出来る……?
どうしたら助けてあげることが出来る……
『あの人を……殺して』
「――――」
……そうだ。
何が出来るかどうかすら、俺はテーラに教えてもらったんだろ。
「……ルナ」
何度も考えて、何度も決められなかったこの言葉を。
「人殺しは、罪だと思うか……?」
俺は同じ殺人者の少女に、問いかけた。