第6話(12) 『――待ってろ』
『あの人』というのが『アルヴァロさん』だということは知っている。
そしてアルヴァロさんはテーラに酷いことをして、何年も彼女を苦しめトラウマを植え付けた張本人だということも。
だけどアルヴァロさんは全て天使のため、天界をより良くしようと仕事をしていたに過ぎなくて。
実際に俺も、他の天使もみんな『聖装』という無くては困るものを使用することが出来ていた。
そして何より……アルヴァロさんは俺にとっても大切な人だ。
それを、殺してくれと彼女は言っている。
「そ、それ、は……」
上手く言葉を繋げることが出来なかった。
自分で殺すという選択を取ったことはあるが誰かにそれを頼まれるという経験など一切無かったし、何より他人ならともかく身内を殺せと言われて快諾出来る程狂人になった覚えなどない。
呼吸が浅くなっている自覚がある。
想像してしまったのだ。
俺が……仮にアルヴァロさんに手を掛けてしまった時のことを。
「~~~~っっ!」
強烈な吐き気が襲い掛かる。
クーフルを殺したという事実が俺に殺害という想像に現実味を帯びさせていた。
「私だって……殺そうとした。でも『あの人』は私の魔力のほとんどを持ってる」
「……っ」
「それに、怖いの……! もしも失敗したら、きっと普段の実験だけじゃ済まされない。きっともっと酷い目に遭うことになる! そう思ったら、怖くて何も出来なくて……」
アルヴァロさんがテーラの創った転移魔法陣を行き来出来る理由がわかってしまった。
恐らく俺と同様に、実験の過程でテーラに自分の魔力を解放してもらったのだろう。
テーラの魔力が俺の中にも存在しているということは、もしかして魔力を解放するというのはテーラの魔力の源のようなものを明け渡しているのかもしれない。
真意はわからないにせよ、勝てる保証がないからずっと歯向かうことなくアルヴァロさんの命令を聞いていたのだろう。
「……言いたくなかった。言ったら、自分は無駄に悩むことになるだろうから」
自分じゃアルヴァロさんを殺せない。
殺さなければ本当の意味で解放されるという保証はない。
それは現状の俺の立場と一緒だった。
だが彼女は俺とアルヴァロさんの関係を鑑みて、俺ではテーラの願いを叶えることが出来ないことを理解していた。
だから、期待もせず助けを求めても来なかったのだ。
そして他人のことなど考えてる暇なんて無いだろうに、それでも尚俺のことを考えてくれていた。
お前は、優しすぎる。
「自分は選べない。私を取るか『あの人』を取るかすら。そんな人にどうやって助けを求めれば良いって言うの……?」
「お、れは……ほ、他に方法が、方法があるはずだろ……? そ、そうだ。まずはっ、一旦教会に逃げよう! 結界に入りさえすれば少なくともアルヴァロさんは近付けない。そこからみんなが納得出来るような方法を――」
「全部救おうっていうのは、勇者や英雄が出来ることなんだよ……」
「――っ」
「自分は、違うでしょ……?」
言葉のナイフとなって俺の心に突き刺さる。
酷く心臓が締め付けられた気分だった。
選ばない選択を俺なら取れるはずなのだ。
クーフルの一件だって全てを助けることが出来た、今までの人生だって何一つ取りこぼすことなんて無かったはずだ。
なのにテーラの言葉が酷く俺の心を揺さぶっていて、動揺のあまり身体を震わせている。
「おれ、は……」
「怖くて、何も出来ないから。私は……聖女様を攫う」
「――ッッ!?」
「私の代わりに聖女様を『あの人』に差し出して、私は解放されるの。『あの人』が天界にさえ帰ってくれれば、今度こそ私はもう一度自由を手にすることが出来るはずだから」
「……」
「そのためなら……どんなことだってするつもりだよ」
テーラの覚悟は本気だ。
彼女の事情を全て聞いて、テーラにはもうこの方法しか救われる未来がやって来ないと決め付けているように見えた。
実際、それが一番手っ取り早い方法なのだろう。
両方納得させるよりも誰かを蹴落とした方が目的を達成しやすいのは誰にでもわかることだ。
特にテーラには余裕がなく、きっと何度も悩んで決めた結論のはずだ。
ちょっとやそっと他人に何か言われたぐらいで考えを変えないのも理解出来る。
……けど。
「させ、ねぇよ……」
まだ選択することも出来ない、本当に優柔不断で救いようのない大馬鹿者の俺でも、テーラにセリシアを陥れるようなことをしてほしくないのは紛れもない事実だ。
「確かに俺は……勇者でも英雄でもない。簡単に解決出来るような力だってない。おとぎ話みたいな主人公になれないのもわかってる。けどさ、それと全部救うことは出来ないって諦めるのとは関係ないことだろ。俺は俺の求める理想のために行動する。それは今も昔も変わらない。お前には、決めさせない」
「……選びもしないくせに、よくそんなことが言えるね」
「……それでも。だったら俺は、勇者でも英雄でもなく……お前の、【救世主】になる」
「――――」
一体この言葉でテーラの心に変化が生じるとでも思ってるのだろうか。
相変わらず何の根拠もない、都合が良くて耳障りのいい言葉を並べているだけなのかもしれない。
それでも俺は時間切れだとわかっていながら、彼女には笑ってほしいとずっと思っていた。
大人数や世界などどうでもいい。
俺はただ、テーラだけの【救世主】になれればそれでいいのだ。
そう思うと、自分で吐き出した言葉ながらすんなりと脳に入っていく感覚があった。
テーラは終始無言だった。
心無しか腰部の翼が少しだけ垂れ下がっていて、まるで聞き飽きたようなテーラの心情を表しているようで。
「……」
右手を俺の前へと突き付ける。
俺はもう一度木に寄り掛かりつつもゆっくりと立ち上がり、結果的に傷だらけの姿をテーラの前へと晒した。
彼女の腕は、小さく震えていた。
けれど既に止めるという選択肢は出来ないようで、彼女の腕に魔力が纏っていく姿が見える。
……まだ、諦めない。
「――――ッ!」
俺は激痛による警報を鳴らし続けている神経に鞭打って、強く地を踏み締めて走った。
「――《ロック・バレット》」
「《ライト、ニング》……!」
俺の動きと同時に、テーラの手のひらから土魔法による岩の塊が射出された。
球技用のボール程の中型サイズの岩砲弾が異様な速度で迫ってくる。
瞬時に踵を返し、それを雷魔法によって狙い撃ち破壊した。
「――ッッ!!」
……破壊、出来た。
あまりにもすんなりと、砕けた岩欠片が俺の周りを囲むように飛び散って行く。
――誘われた。
砕いたという事実が悪手だったということに今更ながら気付いてしまった。
もう遅い。
だから、精一杯の不敵な笑みを浮かべて。
「必ず、助ける……待ってろ……!!」
「――――《アイシクル【氷の処女】》」
――その刹那。
テーラが魔法を詠唱すると飛び散った岩欠片全てから氷の針が一斉に出現し、俺の全身を勢いよく突き刺していった。
「――――ッ――ッッ」
大量の鮮血が飛び散り、全身に穴を開けて息が出来ているのからすらもわからなくなる。
世界が紅くなり、ぼやけて、白くなって。
自分がどうなっているのかすら怪しくなってきて。
……ゆっくり、ゆっくり。
思考すら、怪しくなって。
さいごのことばは……きこえていただろうか。
薄れゆく意識の中で、ただ一つ……涙を流し続けているテーラを、見続けていた気がした。
――
森の中で、白髪の少年が若干宙に浮きつつ静止し続けていた。
巨大な氷の針が全身を貫き、今も尚重力によってその深さをより強くしている。
垂れ下がる指先からは一筋の赤い水滴が絶えず垂れ落ち続けていた。
真下には血溜まりがあって、彼の瞳には一切の生気が感じられない。
……死んだ。
死んだのだ。
……私が、殺した。
「…………」
足取りがおぼつかない自覚を持ちつつも、ゆっくりと彼へ近付く。
貫通している全身から鑑みるに、きっと急所を貫いているのは間違いないだろう。
天使が非常に強い生命力を持っているとしても、生命を維持出来なければそれも関係のないことだ。
大量の傷を残し、裏切られ、それでも助けると言ってくれた少年を……テーラが殺したのだ。
「~~~~っっ」
意識を失いそうになった。
強い立ち眩みに襲われたが、なんとかふらつくだけに収める。
「こう、するしか……こうするしかなかったんだよ……」
メビウスが聖女様のもとへと辿り着いてしまえば、必ず『あの人』の計画が失敗してしまう。
それはつまり自身が救われる未来を閉ざしてしまうのと一緒だった。
しょうがなかったのだ。
テーラが助かるためには、何よりも自分自身のことを考えなくてはいけなかった。
それでもそれは誰かを踏み台にしなければ成し遂げられないもので、結局テーラが彼に吐き出してきたものが全て返ってきていると自覚する。
「……行かなきゃ」
そうだとしてもそれを受け入れてこの場を、離れなければならない。
仮に彼を殺したことが『あの人』にバレれば、二人の関係上自身も無事では済まないのはわかってる。
だから別の部屋に匿ったことにしなければならない。
匿ったとしてもどうせいつかはバレてしまうが、聖女様さえ『あの人』に引き渡すことが出来ればいつでも逃げ出す準備は整えられるはずなのだ。
逃げたとしても、聖女様を捕らえている以上『あの人』も無理に行動することは出来ない。
その流れで遠くまで逃げることが出来れば、あとは彼を殺したことを墓まで共に持って行くだけで済む。
そのためにも、すぐに行動を始めなければならない。
そう思い、教会へ向かおうとメビウスから離れた。
するとふと、地面に落ちている紙袋の存在に気付く。
「……あれって」
そういえば地下室にいた時も同じような物が床に置いてあったような気がする。
てっきり『あの人』が持って来ただけかと思っていたが、彼の傍にあるということは即ち彼の私物だということを証明していた。
「……」
テーラはふと気になって、そっと紙袋を拾い上げる。
ずっしりとした重さが身体に伝わり、疑問を抱きつつも固定具を外して紙袋を開けた。
そして――開けたことを後悔するとは思わなかった。
「これ……」
紙袋から出したものは、白熊のぬいぐるみだった。
ご丁寧に赤色のリボンが首に結ばれていて、いかにもプレゼント用の装飾だということを醸し出している。
そしてテーラはこれを見たことがあった。
見てしまって、指摘され諦めてしまったものがここにあった。
彼が誰にこれを渡そうとしていたのか、わからない程鈍感ではない。
わざわざ教会ではなく『魔導具屋』にまで持ってきていたことから、わからないはずがなかった。
「~~~~っっ!!」
ゆっくりと、プレゼントしてくれるはずだった彼の方へ視線を向ける。
……死んでいた。
死んでいるのだ。
私が、殺した。
ずっと私のことを気にかけてくれていたたった一人の味方を……裏切って殺してしまった。
「ごめん……なさい」
ポツリと、口を開く。
「ごめん、なさい……ごめん、なさい、ごめんなさい……!!」
身体に力が入らず、そのまま地面に崩れ落ちてしまう。
大粒の涙を流し、何度も謝罪の言葉を口にする。
ぎゅっと白熊のぬいぐるみを抱き締めながら、後悔の念がテーラの心に押し寄せてくる。
全身が小刻みに震えていた。
「うぅ……ぐすっ、ごめんなさい……! こんなに、酷い事、を……!」
彼の姿は、それはもう酷い有様だった。
全身が貫かれているのはもちろんのこと、両腕は焼かれ、頭には包帯を巻かれていて横腹も切られている。
更に片腕、片足には氷槍が突き刺さっていてとてもじゃないがあれでマトモに会話出来るのが不思議なくらいだった。
治したい、生き返らせたい。
謝りたい、許してもらえなくてもいい。
ぬいぐるみをありがとう、と。
それだけでも言いたかった。
だけど声はきっと届かない。
治してあげられる方法もない。
一生、この気持ちを抱えながら生きていくことになる。
「……ぐすっ」
流れ続ける涙を必死に押さえながら、テーラはぬいぐるみを抱き寄せて立ち上がった。
歩く方向は教会とは真逆、『魔導具店』の方角だ。
今の彼女には、このまま聖女様を攫うことなど出来なくて。
白熊のぬいぐるみを心の拠り所に、また地獄へと舞い戻る選択を取ってしまった。
……夕日は沈み、月の光が森を照らす。
そんな中で彼の血に染まった左手の甲に宿る『聖女の聖痕』が……ずっと、光り輝いていた。