第6話(11) 『彼女を救う選択肢』
テーラが人間ではなく天使というだけで、わからなかったものが全てわかってしまった。
「お前が、天使を知っていたのは……」
「うちが、天使やからやね」
「アルヴァロさんが、実験していた被検体ってのは」
「……うちのことやね」
「お前が……天使を恨んでるって言ってたのは……」
「うちが、『あの人』に人生をめちゃくちゃにされたから」
「――っっ!!」
全ての回答が成されてしまう。
俺が疑問に思っていたこと、疑問に思っていて尚、聞かなかったことも全て答えられてしまった。
「……7年だよ」
「……え?」
「『私』が、『あの人』の実験に協力することになってから7年の月日が経ってた」
「……っ!?」
7年……それはあまりに長い月日だ。
しかし仮に7年間より前に天界にいたとしても、アルヴァロさんの実験に巻き込まれていたとしたら【エンデイル】に住んでいたということになる。
だが俺はテーラという少女など聞いたことがない。
でも彼女が俺と同い年で7年間の月日が経過していたということは。
「何歳の頃、からだ……?」
「……5歳」
「――――」
絶句してしまった。
5歳ということは12歳までずっとアルヴァロさんの実験を受け、研究室に閉じ込められていたということだ。
俺が12歳の時、父さんをガルクに殺されて人生をめちゃくちゃにされるよりも前に、既にテーラの人生はアルヴァロさんによって粉々にされていたというのか。
そして何よりテーラが5歳の頃……俺は、何を……していた?
……テーラがいたであろう研究室の前で、遊び惚けていた。
「……ずっと、鎖に繋がれていた」
「――っ」
「天使の中で魔族以上に膨大な魔力があることを『あの人』に知られてから、ずっと私は実験に参加させられていた。毎日毎日毎日毎日、針を刺されて、肉を取られて傷を付けられて、天使だから大丈夫だろうって、ずっと痛い思いも苦しい思いも我慢してきたのッッ!!」
「……ぅぁ」
「耐え切れなかった……でも、一度した約束を反故にすることは出来なくて……パパとママのために、耐えるしかなかった……。天界のためになるから、天使がより良い世界になるために必要なことだからって、『あの人』にそう……言われて」
信じられなかった。
アルヴァロさんがそんなことをするはずがないと、俺は今も尚アルヴァロさんを擁護するための言葉を頭の中で探している。
しかしテーラの表情を見て、それが嘘偽りだとは到底思うことなど出来なくて。
彼女の注射に対する異常な恐怖心もアルヴァロさんに対する恐怖心も、鎖に対する恐怖心も全てが、それを証明させるものだった。
何より、テーラの言う『天使がより良い世界になるため』という言葉と12歳の頃に変わったことを照らし合わせると、どうしようもないくらいに一つの仮説が浮かび上がってしまう。
「まさ、か……」
チラリと、自分の腰に固定されていた『聖剣』に視線を移した。
『聖剣』の摩訶不思議な能力。
その原理を創ったのがアルヴァロさんであり、その時期にテーラが実験を強要されていたということは。
……俺達天使は、テーラの人生を踏み台にして今まで何の気兼ねなく生きていたということだ。
そして被検体01がテーラだと確定した今、俺が今まで口にして来たことは全てテーラに対する言葉だったということになってしまう。
俺はあの時、アルヴァロさんに『被検体01の力を使えばいい』と、そう言ってしまった。
それはまさしく、アルヴァロさんが考えていることと全く同じ方法だということで。
「――ち、ちが、う……俺は――!」
そんなつもりじゃなかった。
被検体01がテーラだと知っていたら、そんなこと言おうとなんて思わなかった。
だけど俺の言葉をあの時確かにテーラも聞いていて、だからアルヴァロさんも嬉しそうにしていたんだということに今更ながら気付いてしまう。
……もう、駄目だ。
言い訳を封じられた今、俺が彼女に掛けられる言葉は何一つない。
傍にあった木を支えに、ゆっくりと身体を起こす。
「……《ウインド・ブラスト》」
「~~~~ッッ!! ぐぁッ!!」
――瞬間、テーラの手のひらから放たれた風の刃が俺の横腹を斬り裂き、体勢を整えることが出来ず再度地面に膝を付けてしまう。
鮮血が飛び散り、身体が斬り裂かれる感覚が脳へと伝わり反射的に横腹を押さえる。
だがまたしても火傷のダメージが響きそれすらも留める結果となってしまった。
全身が痛い。
痛くない場所を探す方が難しいぐらいに俺の身体は深く切り刻まれていた。
それでも『天使』は死なない。
テーラが実験で、アルヴァロさんに酷いことをされ続けても生きていたように。
「……どうして、雷魔法を使わないの」
俺が今にも意識を失いそうになっている時、困惑したような声が耳に届いた。
ゆっくりと顔を上げると、俺の状態を見て酷く苦しそうな表情をしつつ身体を震わせているテーラの姿がある。
こんなクズの姿を見てもまだ幻滅せずにテーラは自身の心を痛めていた。
……やっぱり、お前は優しすぎる。
思わず、乾いた笑みを浮かべてしまう。
「……何、言ってんだよ。俺は、お前のことを敵だと思ったことはっ、一度だってないっつーの……!」
「……っ。ふざけてる場合……?」
「ふざけるさ……俺は、それでもお前を救いたいって思ってる」
「~~~~っ」
耳障りの良い言葉だ。
出来るわけがなく、むしろ俺がテーラを『救い』から最も遠い場所に向かわせていたというのに、どうしてそれでもまだそんなことを言えるというのか。
不敵に笑ってみせる。
強がることしか出来なくとも、弱い所だけはもう見せたくないから。
「……自分と、出会わなければよかった」
「――っ」
だけどそれも全てテーラの一言によって簡単に崩されそうになってしまう。
それだけは言われたくなかったのに、言われたくない言葉を遂に言われてしまった。
「自分と出会わなければ、私はずっと家に引き籠ってた。自分と出会わなければあの日教会にいることもなかった。自分と出会わなければっ、『あの人』と出会うことなんてなかった!!」
「……ぅ」
「自分と出会わなければ……こんなっ、苦しい思いをしなくて済んだのに……」
聞きたくない。
逃げ出したい。
耳を塞いで聞かなかったことにしたい。
でも現実はいつも非情だ。
何処までも嫌なことばかり突き付けてくる。
テーラは恨みの籠ったような、それでいて複雑な想いを抱えた瞳で俺を睨み付けた。
「私……勘違いしてるかもしれないって思ってた。自分と出会って、関わって……天使全員が『あの人』みたいな奴じゃないのかもしれないって。天使である私と『あの人』は違うから……自分のような天使もいるなら、そろそろ向き合った方が良いのかもしれないって」
「……っ」
「でも、自分も『あの人』と同じだった! 誰かを簡単に切り捨てて、簡単に利用して! 大切な人を守るためなら誰かを踏み台にしても構わないなんてっ、そんなこと、良いはずがない!」
「うぐっ……」
「でも……きっと、同じ『天使』である私も、同じなんだ」
それは純粋な非難だったんだと思う。
けれど同時に、テーラは自分自身で己の心を痛め付けているような気がした。
天使という一括りではなく一個人として扱ってほしかったはずなのに、結局テーラからしてみれば俺も彼女の思う天使像となんら変わりなかったのだ。
感情が昂り、抱え込んでいた感情が爆発したからかテーラは涙を流している。
「私っ……12歳の時にこの世界に来て、やっと解放されたって思ったの。失ったものはたくさんあったけど、やっと自由になれて自分の人生を歩けるんだって、そう思うことが出来たの……」
言葉を続ける。
「子供だったから、この世界で生きていくのは大変だった……危ない場面に遭った時だってあった。でも地獄と比べたらずっとずっとマシだった!」
言葉を、続ける。
「『あの人』が人間界に来るかもしれない恐怖はずっとあったから。だから入念に準備した! 髪色も変えて、口調も変えて、いつでも逃げられるために何年も掛けて転移魔法陣も開発して! でもっ、それも全部無駄になっちゃった……」
それは後悔か、はたまた諦めなのか。
きっと同情してほしいわけでも、可哀想だと思ってほしいわけでもないのだろう。
それでもテーラの声質には絶望が混じっていた。
意味のないことだったと、希望を打ち捨てられたような失意を感じた。
でも俺は……テーラの人生を、無駄だったと言ってほしくない。
そんな人生を過ごしたテーラに、僅かでも俺は確かに変えてもらったんだから。
「……どうしたら、お前を救うことが出来る」
だからやっぱり、俺の答えは終始変わることはなかった。
身勝手な言い分を懲りずに何度も問い掛ける。
決してテーラのためにとか、そんな大層なことは言えない。
言う権限も既にない。
更に言えば俺の心の中に、俺自身が彼女を助けてあげたいという傲慢な考えがあるのも否定出来ないだろう。
でも救いたい。
助けてあげたい。
方法でも何でも、一緒に考えてあげたい。
今俺は拘束されていた時のような障害など何一つないのだから、助けてくれと言ってほしい。
そんな意志の籠った瞳でテーラを捉える。
一瞬だけ眉が跳ねたテーラだったが、それでもやっぱり諦めたように目を伏せてしまった。
「自分じゃ……私を救えないよ」
「わからないだろ……? お前はいつもそうやって俺をお前から遠ざけようとしてくるけど、お前が俺に手を貸してくれたように、俺もお前に手を貸してあげたいんだ! 何度も言っているこの言葉は俺の中の本心なんだよ!」
「気持ちだけじゃ何も出来ない……」
「気持ち、だけって……なんでそこまで断言出来るんだ」
「……だったら」
ムキになってしまっている自覚はある。
ここまで傷付けられ、痛め付けられても尚、俺は俺が彼女の役に立ってみせるという使命に似た決意を抱いていた。
そして同時に、ほんの小さな片隅に解決さえ出来る目途があればこの殺意を無くしてくれるはずだという打算もあった。
諦めの悪い俺でも救うことを諦めるしかなかったら、今度は俺自身が生きることを諦めないだろうから。
その意志が伝わったのか、言わなければわからないと気付いたのか。
テーラはそっと目を逸らし再度強く自身の身体を抱くように腕を回しながら、ぼそりと小さく呟いた。
「『あの人』を……殺して」
「――ぇ」
そんな彼女が本心で口にした言葉に先程までの意志は簡単に崩れ、俺の声は思わず裏返ってしまった。