第6話(10) 『輝いていた』
貫かれた肩、腕、太ももから大量の血が流れている。
両手首には爛れた火傷の跡。
そして腹には土魔法による打撲痕が残されていた。
それでも人間と違い天使には強靭な生命力と頑丈な肉体があった。
だからまだ意識を保ち、尚且つ活動することが出来ている。
しかし、肉体など今の俺には心底どうでもいいことだった。
その痛みすら忘れてしまうほど俺にとっては肉体よりも、心の方がダメージが大きかったから。
「……」
それは一重に、目の前にいる淡紅色の髪を持つ少女が原因だ。
「お前が、こんなことを……」
震えた声でそう呟く。
頭の中で困惑という文字がいくつも重なって回り続けていた。
逃げ出したのは……悪かった。
確かにテーラの善意を踏み躙った行為だったかもしれない。
でもここまでされる謂れはないはずだ。
連れ戻そうとしているだけだと、そう思いたかった。
連れ戻すために少々手荒な真似をしているだけだと、そう思いたかった。
「逃げ出すと思っとったよ。腕を犠牲にしてまで逃げるとは……思わへんかったけど」
けどいくらそう思いたくともテーラの瞳に宿る冷たい光にはそういった優しさなど微塵も感じることが出来なくて。
だからこそ動揺で目の焦点が合わずにいる。
「……俺が、お前に何かした、のか……?」
「……してへんよ」
「だったらっ、どうしてここまでされなくちゃいけないんだよ……!」
感情のない返答しかしないテーラの声を聞き、思わず歯を食いしばった。
痛い、苦しい。
身体中が悲鳴を上げているのがわかる。
それでも俺はまだ彼女のことを信じたくて、縋るように目を合わせた。
けれど、テーラは俺から目を逸らすばかりで。
「……『あの人』に命令されたんや。もしも自分が逃げ出したら、捕まえて地下室では無い所に閉じ込めてくれって。地下室にいたら実験に支障が出てしまうから、場所を移動させた方が都合が良いって」
「アルヴァロさんがここまでしろって、言ったのか……?」
「……そんなことあらへんよ。『あの人』は……気絶させて、逃げ出せないようにしてくれたら良いって言っとった」
「それ、なら……! どうして!」
「――信じられるわけない!」
「……っ!?」
仮にアルヴァロさんがここまでやれとテーラに命じたのであれば、アルヴァロさんにこの感情を抱くだけでテーラは被害者だと思うことが出来た。
だけどこれはテーラの独断で、そして俺の問い掛けに対して彼女は声を荒げ泣きそうな顔でこちらを睨み付けている。
「……自分が、うちを騙したんやろ……?」
「……は?」
「自分が逃げ出すためにうちを騙して、鎖を解かせたんやろ!?」
「それはっ……」
確かに騙した。
鎖では逃げられないから、麻縄に変えてくれるよう彼女を言い包めた。
でもそれはああしなければ俺もテーラも救われないから、だから仕方なく――
「信じてたのに……」
「――ぁ」
「自分は、うちを裏切るんやろ……?」
――いや、仕方なくなんてない。
それはあくまで俺の都合であり、テーラは俺の言葉を信じて身を案じてくれたからこそ俺の要求に応えてくれたのだ。
俺はテーラに信じてくれと言っておきながらその信頼を自分の都合で裏切った。
「い、いや……それ、は……」
でも俺からしてみればそうするしか無かったのだ。
俺の要求にテーラは応えてくれなかったじゃないか。
けれどそれを口にすることは出来ない。
言い訳を口にしてしまったら、今度こそ俺は彼女と一緒にいることが出来なくなってしまいそうだったから。
それに……テーラの裏切られた、泣きそうな目を見てそんなことを吐き出すことは出来なくて。
瞳と声を震わせてテーラは叫ぶ。
「捕まえても自分はまた逃げ出す。色んな方法を使って逃げ出す! それで今みたいに教会に逃げられたら……今度こそうちは『あの人』に縛られることになる……!」
「うぐっ……」
「もう、裏切られるのは嫌なの……もう、酷いことされるのは嫌なのっ!! だから、こうするしかないって、そう……」
自分の身体を抱き抱えるように、テーラは記憶の中の『あの人』から自身を守っている。
その姿に俺は何も言えなくて、彼女の口調が標準語になっていることすら気にすることができなかった。
テーラは……殺る気だ。
彼女の瞳に光が灯り、確かな殺意があることを俺は自分の経験から気付いてしまった。
そしてそれは、俺がルナに抱いた殺意と同じものだ。
信じられないから、殺すしかない。
俺がルナに『バラすかもしれないから殺す』と思ったように、テーラもまた俺を『また逃げ出して教会を守るかもしれないから殺す』のだ。
それはお互いに相手を信頼していないからだ。
同時にどうしようもないくらいに追い詰められているからこその行動でもある。
そしてルナと違い、俺はテーラと何日も一緒にいたのに信頼をずっと裏切ってきた。
そのツケが……今来ている。
「だと、しても……それが俺にはわからない。お前はアルヴァロさんと出会ったことは無いはずだ! だってアルヴァロさんは天使で、お前は人間だろ……!? アルヴァロさんが天界から消失した時期なんて無かった!」
「……そうやね」
「だからっ、お前がわからない……それなのに、俺だってお前を信じることなんて」
「自分だってそうなのにうちだけは信じてほしいって、そう言うんやね……」
「――っ」
図星だった。
どうしようもないくらい都合の良い言葉を吐いている自覚があった。
結局これも言い訳で、押し付けがましい考えを持っている愚か者であることを露呈しているだけだ。
だから何も言えない。
何かを言おうとすれば、また都合の良い言葉を吐き出してしまう自信があったから。
「……結局、見ないと人は気付けないんよね」
それでも、そんな愚か者の俺相手でもやはりテーラは見捨てることはなくて。
「なに……を」
テーラは目を伏せると、ポケットから何やら赤色の小瓶を取り出した。
小瓶には液体が入っているようで、テーラは黙々と小瓶の蓋を開けている。
「これで、満足やろ?」
そして蓋を開けた小瓶の液体を自身の髪の毛へ降り掛けた。
不可解な行動に困惑する俺を置いて、その液体はテーラの髪の毛に浸透していく。
――すると、特徴的な淡紅色だった髪の色素が徐々に失われていったのだ。
そして浸透し切ったテーラの髪色は。
『純白』に輝いていた。
「……は?」
言葉を、失う。
そんなはずがないと、自分の目すら疑った。
更に驚くことにその腰部には同じく純白の翼が現れ、そして頭上には特徴的な光輪までが浮かんでいる。
人間界に来てからめっきり天使らしい姿を出せずにいた俺とは違い、まさに天使の象徴がそこにあった。
どうやって翼と光輪を出現させているのか、その方法はわからない。
聞くタイミングでもない。
だけどここまで見せられたらもう……認めるしかなかった。
テーラは――――
「天使、だったのか……?」
「……うん」
俺やアルヴァロさんと同じ、天界に住んでいた天使だったのだと。
欠けていると思っていたピースがたったそれだけのことで……全て、埋まる。