第6話(9) 『二度目の失敗』
転移魔法陣で『魔導具店』に転移し、書斎の部屋へと戻って来た。
実は俺のこの行動を読んでアルヴァロさんが待ち伏せしているのではないかという不安が若干あったものの、書斎には人一人の気配すら感じない。
そのことにとりあえず安堵しつつも、一階にはテーラが夕食の準備をしてくれていることを思い出す。
しっかりとした料理はしていないだろうからそう長い時間を掛けずに戻って来るだろう。
となると足音を立てないように一階から抜け出すのはかなり厳しい。
であれば……二階から逃げるしか選択肢はない。
チラリと、書斎の壁に取り付けられた窓に視線を移した。
「こういう場面に遭うと、翼って偉大だったんだなって気付かされるわ……。結局俺も、あるのが当たり前だと思ってたってこと、だな……」
無くなってから大切だったことに気付く。
人生においては良くあることだ。
俺も、テーラがいて当たり前だと思っていた。
「うぐっ……!」
窓の鍵に手を掛ける。
腕を上げただけでも火傷した腕は悲鳴をあげて思わず動きを止め顔を顰めてしまった。
だがそれでも我慢して鍵を開け、窓を開ける。
高さは二階ということもありそこそこ高く、骨が折れることはないだろうがかなりの負荷が全身に掛かるのは間違いないだろう。
火傷した両腕を見る。
その時、果たして俺は絶叫を上げずに耐えることが出来るだろうか……。
「やるしかないだろ……根性見せろよ、俺」
でも出来るか出来ないかの次元はもう超えたんだ。
俺が地下室から逃げ出した時点で、もうやらなければならない。
「……っ」
窓枠を掴み、足を掛ける。
高さは3~5mぐらいあるだろうか。
細かい高さはわからないものの、満身創痍の人が跳んでいい高さではない。
「……すぅ」
深く、深呼吸し心を落ち着かせる。
「――ッッ!!」
そして意を決して二階から飛び降りた。
「――~~~~ぐっぁあッッ……!!」
――受け身を取ろうとすれば腕に大ダメージを負ってしまうため、頑丈な天使である利点を活かし両足でしっかりと着地した。
だが衝撃を分散しない関係上着地による強烈な衝撃が足から全身を駆け巡り、やはり一番ダメージを負っている腕の神経が絶叫を上げる。
「ぐ、ぐうぅぅ……!!」
少しでも痛みから逃げようと声を吐き出したくなる気持ちをグッと抑え、喉を強く締めて声を落とした。
着地音は結構響いてしまったが、室内であれば意識しないと気付きはしないぐらいの音量だ。
バレていないことを願いつつ、俺は力が抜けて落としそうになる紙袋を何とか抱え込む。
「はぁ、はぁ……! どう、だ……! さすが俺、だろ……!」
自画自賛でもしなければ弱音を吐きそうになってしまう。
痛い、辛いと逃げ出したくなってしまう。
でも何とか頭の中にセリシアとテーラの姿を思い浮かべることで平常心を保ち、俺はゆっくりと足を前に踏み込んだ。
「一度教会に、戻ろう……この状態のまま動き回るのはっ、さすがの俺でもかなりキツい……」
教会にさえ戻ればアルヴァロさんが近付いてくることはない。
この火傷も教会であれば応急処置をしてくれるはずだ。
その代わりセリシアや子供たちに心配されて根掘り葉掘り聞かれるかも知れないが、少なくともセリシアには現状を話した方が良いだろう。
今回の件、アルヴァロさんを止めるだけなら聖女の立場でどうにでもなる。
セリシアが一言言えば三番街の住民たちは聖神騎士団を筆頭に総出でアルヴァロさんを捕らえようとするはずだ。
「けどそれじゃあ、今度は天界に帰る方法が無くなってしまう……」
それに大切な人であるアルヴァロさんを差し出すのには抵抗がある。
だからこの方法は無しだ。
結局天界に戻るための最善はアルヴァロさんの力を借りることしかないのだから。
それに俺のことをよく知っているアルヴァロさんなら、最悪テーラを人質に取られる可能性だってある。
それも含めてこの案は無し。
どの道俺の傷を回復させてテーラ以上の力を持つ『物』を見つけるしかない。
「大通りを通るのも無理だ……この状態を見られたら結局大事になっちまうから」
三番街の住民にバレれば先程の流れと同様にアルヴァロさん撃退の動きが始まってしまうかもしれない。
それは防がなければならない。
だからこそ、俺は大通りではなく森の中を進むしかなかった。
「くっそ……人間界に来てからっ……動き回ってばっかじゃねぇか……!」
思わず悪態を吐く。
足場の悪い森の中を進むのはかなり体力を使う行為だ。
更に身体が揺れることで火傷に振動が響くのも辛い。
文句の一つぐらい吐いてもさすがに許されるはず。
どうにも人間界に来てから森と縁があるが、何だかんだで助けられているのも事実。
森から教会に戻るルートは何となくわかるため、今回も何とかなるはずだ。
――
森の中を進む。
若干引き摺り気味に歩いているためちょくちょく木の根っこに足を引っ掛けそうになるが何とか足を上げつつ歩いて行く。
太陽は既に夕日へと変わり、その夕日もそろそろ沈んでくる頃合いだ。
世界は茜色に照らされ、森の静けさもあって僅かな恐怖を与えている。
もう夜の森の中を歩くのは懲り懲りなので、早々に教会へ戻りたいところではある。
「教会に帰るのも、久し振りって感じがするな……」
まだ拘束されて二日だというのに、なんだか妙に懐かしく感じた。
帰ったらほんの少しだけだけど、束の間の休息を堪能しよう。
教会に戻って、セリシアたちに心配されて。
傷の手当てをしてもらって色々なことを話すんだ。
そうだ、傷がある程度癒えたらもう一度テーラと話して、俺が代わりになる『物』を探すまで教会の中にいてもらうのも良いかも知れない。
結界という最強の盾があれば、あいつもそれなりに安心出来るはずだ。
アルヴァロさんは決してテーラに執着しているわけではないし、代わりの物さえあれば納得してくれるに違いない。
……そうしたら。
自身の腕で抱えているぬいぐるみの入った紙袋に視線を向ける。
全部解決したら、このぬいぐるみをプレゼントしよう。
そしたら俺はきっと、ユリアの言うカッコいい奴になれていると思うから。
抱えている紙袋をしっかりと持ち直し、俺は楽しいことを考えて気持ちを高揚させつつ一歩を踏み込んだ。
――――殺気を、感じた。
「――――ッッ!? がっ!?」
突如背後に感じた明確な殺気を感じ慌てて後ろを振り向くと、同時に強烈な冷気が俺の右肩を深く突き抜けた。
「――ッッ!? ぐ、あっ!?」
それだけでは終わらず、正面から続く冷気の影の猛攻は止まらなかった。
一度目の攻撃は何とか回避するが、受けたダメージにより動きが鈍った所を冷気の影が俺の左腕、そして左太ももを捉える。
強烈な痛みと腕を貫かれたことによる火傷の痛みが更に増幅し、俺は大きくよろめいて顔を顰めた。
反射的に攻撃を受けた場所に冷気の影があることを理解し視線を動かす。
――俺の身体には、大きめの『氷塊の槍』が深く突き刺さっていた。
「~~~~~~ぃッッ!!」
その視覚情報が脳に届いた瞬間、『激痛』という感覚となって全身の神経にそれが流れ込んで耐え切れずに声にならない絶叫を上げる。
全身に響く激痛を受けつつも反射的に氷槍が飛んできた方向に視線を移した。
……誰もいない。
そう思った瞬間――今度は地面から強固な土の柱が飛び出し、俺の腹を強打した。
「――ごっ!?」
抱えていた白熊の入った紙袋が、飛んで行った。
肺に溜め込んだ空気が全て排出され、そのまま身体ごと地面へと崩れ落ちてしまう。
両腕に左足、更に腹を負傷し、俺は苦痛に呻きすぐに起き上がることが出来ずにいた。
突然の攻撃に、精確な魔法。
相手は相当な実力者であることは間違いないが、突然の敵意に俺は混乱を隠しきれずにいた。
正直人間界で狙われるような、思い当たる節はない。
非教徒やクーフルには恨まれているだろうが、クーフルは死んでいるし非教徒の奴だとしても俺が馬鹿共の安い殺気に後れを取るはずがない。
「かはっ……はあ、はぁ……!」
必死に酸素を肺に送り込む。
恨みを買った覚えはないし、こんな的確に攻撃出来るような奴と人間界で会ったことなどないはずだ。
「まず、い……!」
自傷のダメージもあるが、先手で大きく有利を取られた以上、このままではマトモな戦いは出来そうにない。
頭が混乱が解消することはなく、正常な判断が出来ずにいた。
けれど、ふと俺は自身が受けた攻撃に引っ掛かりのようなものを感じてしまう。
氷に……土。
何処かで、見た覚えがある。
けれど確証を持つことは出来なくて。
――けれどその確証を敢えて持たせるかのように、氷槍が飛んできた方向に一陣の風が吹いた。
「…………まさ、か」
認めたくない。
信じたくない。
あれだけ協力してくれて、あれだけ笑顔を見せてくれて。
確かに、守れなかった。
救ってやれなかった。
何処までも何処までも悪手ばかりだった記憶しかない。
でも……俺達は、仲間で。
協力し合う、関係だったはずで。
なのに……
なのにこんなことするなんて、そんなこと……
「初めて会った日のこと、覚えとる?」
ありえない。
そう、思いたかったのに、現実はいつも非情で聞き覚えのある声が耳に届いてしまった。
足音が闇の奥から聞こえてきた。
地に倒れながらも何とか顔を上げてその方向を凝視する。
信じたくないから。
間違いであってほしかったから。
だけど――
「言ったやろ? ……天使のことは、信じられないって」
「テー、ラ……!」
影から姿を現した少女、テーラは酷く乾いた笑みを浮かべながら、悲しそうに……俺を、見下ろしていた。