第6話(6) 『口だけの意志は強く』
俺の口を塞ぎ、テーラを拘束して。
そうして行われた採血の時間は、俺にとって酷く耳を塞ぎたくなるような悲劇だった。
「ひぐっ……えぐっ……!」
散々叫び、子供のように泣きじゃくっていたテーラは、今は恐怖に負けてしまったようで零れた嗚咽声が地下室に反響している。
そんなテーラを落ち着かせるかのように、アルヴァロさんは彼女の頭を軽く撫でた。
「――ひっ!」
だが完全に怯えてしまったテーラは反射的に身体を跳ねさせ、我慢するように目を瞑り大粒の涙を流すことで抵抗の意志を示している。
そんな姿を見て小さくため息を吐いたアルヴァロさんは大人しく頭から手を放し、その後の対応を行った。
血を冷蔵ボックスの中に保管し、様々な後片付けをして。
そうして採血後の対応も終了した後、今度は俺の背後に回り労わるように優しく口の拘束を解いてくれた。
「…………」
対して俺は絶えずアルヴァロさんへ完全な怒気を含んだ視線を向け、ずっと睨み続けている。
「……そんな顔しないでくれ。これも仕方のないことなんだ」
「仕方のない、こと……? あれだけ悲鳴を上げて、あれだけ恐怖心を抱いていた女の子の気持ちを無視することが仕方のないことだって言うんですか!?」
「彼女は天使にも人間にも持たない非常に膨大な魔力を保有している。現状の1日の回復量を把握することが出来れば、これから先しっかりとした実験プランを立てることが出来る。これは彼女のためにもなることなんだよ」
「彼女のためって……! そんなの単なる押し付けでしょ!? テーラはこんなこと望んでないし、そもそも――!」
「これは彼女が了承したと言ったはずだよ、デルラルト君」
「……っ!」
そう言われてしまえば、俺は言葉を詰まらせることしか出来ない。
どうしてここまで嫌がって泣いて苦しんでいるのにテーラは現状を受け入れているのか、それが俺にはどうしてもわからなかった。
わからないから、わからないなりに現状の状態から鑑みて仮説を立てる。
「……脅してるんじゃないんですか」
「本当にそう思うかい? 君にそう思われているなら少しショックだけど、まあ……聖女様に脅迫しようとした事実はあるし、好きに受け取ってくれて構わない。甘んじて受け入れるよ」
「うっ……」
心無いことを言ってしまった。
テーラにあれだけ酷いことをしたアルヴァロさんだが、彼が決して安易に人を脅すような人物ではないことは俺自身よくわかっているつもりだ。
身内贔屓とか関係無しに、実際人間界で関わってる際もアルヴァロさんはセリシア以外に脅迫じみたことはしていない。
怒りや憤りはあるがそれでもアルヴァロさんに憎しみを抱くことは俺には出来ず、またしても言葉に詰まってしまう。
「……テーラの拘束を、解いてあげて下さい。もう、充分でしょう?」
「……わかった」
身体も、腕も、足も動けないようにして強引に目的を達成するなんてよくない。
あまりにもあいつが可哀想だ。
だから助けてあげたいと思うのに、俺にはアルヴァロさんに主導権を持たせる要求をすることしか出来なくて、自分の無力さに強く歯噛みした。
アルヴァロさんは俺の言葉に頷いてくれて、テーラの拘束を解き始める。
その間、アルヴァロさんの手が身体に触れる度に、彼女は酷く怯えた姿を見せていた。
……なのに、彼女は逃げない。
どうして……
一体何があいつをそうさせている。
疑問は尽きないままテーラの拘束が解かれると、彼女は椅子から立ち上がろうとせず身体を抱えるようにして蹲ってしまった。
「とりあえず、もう夜だ。これ以上デルラルト君に敵意を向けられたくはないし、今日の所はこれぐらいにしておこう。どの道機材が揃わなければ血液中の魔力量も確認出来ないしね。電気があればもっと簡単に機器を動かせたんだけど、この世界ではエネルギーとしての役割は魔力を溜めた魔導具を使うんだって」
「……!」
「充電式は効率を酷く落とす。……はあ。せめて動力源を交換出来ればいいのに、どうして内臓式なのか理解に苦しむね」
人間界の不便さにうんざりしたような顔で大きくため息を吐くアルヴァロさん。
そういえばアルヴァロさんは俺が『雷魔法』を使えるということを知らないのを思い出した。
仮に馬鹿正直に『雷魔法』なら行けるんじゃないですか? とでも言えば、途端に実験プランは繰り上がってしまうだろう。
そうなってしまえば実験対象になってしまっているテーラに更なる負担を強いてしまいかねない。
「……」
テーラも俺が『雷魔法』を使えることを伝えていないのを見るに、彼女も公言することを良しとはしていないはずだ。
俺はこれ以上、テーラを苦しめたくなんかなかった。
「デルラルト君が魔法を使えれば協力してくれるかはともかく常に魔力を供給出来たのに。その観点だけで見れば、天使という種族は魔族よりも劣っていると言わざるを得ないね」
「……天使は魔法を使えないんですか?」
「現状の研究結果では、ね。君も魔法を使えないだろう?」
「……まあ」
「そもそも魔法を具現化するという方法が未だ解明されていない。魔力自体は天使にもあるだろうけど……その方法を研究するという話を出したとしても、笑われて一蹴されるのがオチだ。魔法は魔族にしか使えないなどという頭の固い上がいる以上、天使が本格的に魔法を使用出来るようになるのは果たして何十年後なんだろうね……」
確かにアルヴァロさんの言う通り、『魔法』など天界ではおとぎ話に出てくるような非現実的な言葉だ。
魔族がそれらしき物を使うというのが『魔族の力』で、魔族の魔法を見ても尚天使たちはそれを『魔法』と認識してはいなかった。
お偉いさんの思考関係なく、きっと当時の俺含めほとんどの天使がアルヴァロさんの提案を一蹴していたと思う。
だがそれは、天界時代のアルヴァロさんも同じではないのだろうか。
「アルヴァロさんはこの世界に来て魔法という存在を知ったんですよね? 個人的にアルヴァロさんなら魔法にもっと驚くかと思ってたんですが、少し意外でした」
「……? 君は私の計画書を見たんじゃないのかい?」
「そりゃあ見ましたけど……被検体01がどうとか……」
「そうさっ」
そう言うとアルヴァロさんは過去を思い出し、気持ちが昂ったのか噛み締めるように言葉を紡ぐ。
それはまるで嬉しさを共有しようとしているかのようだった。
「当時の01は素晴らしかったよ。なんせ天使だというのに誰もが出来なかった魔法の具現化を原理がわからなくとも行うことが出来た、最大級の魔力量の持ち主だったからね! あの頃の研究は非常に画期的で常識が覆される気分だった……!」
あの頃の研究というのがいつのことかはわからないが、やはり昔からそれなりに人権を無視した研究を行っていたという事実が酷く俺の心に傷を与えていた。
俺と楽しく、優しく話していたあの時も、アルヴァロさんは何処かの天使を『被検体』などと称して扱い、何かしらの研究を行っていたらしい。
ということは当時は天界で唯一アルヴァロさんが『魔法』という存在の実在を知っていたということになる。
なんにせよ、俺はアルヴァロさんのことを知った気になって、その実何も知らなかったという事実を突きつけられた気分だった。
「その研究の甲斐あって、【聖装】という素晴らしい武具の原理を生み出すことが出来た。私は自分の行いを、今は誇りに思っているよ」
「――ッ!? 【聖装】って……その研究と何の関係が――!」
「……おっと。これは極秘情報だった」
「……っ?」
アルヴァロさんの研究と【聖装】に何の関係があるのか。
その真意を問いかけようとするが、開示してはいけないものだったらしくアルヴァロさんは何事も無かったかのように口を閉じてしまった。
きっと問い続けても答えは出てこないのだろう。
何にせよたとえ被検体という存在がいたとしても、それは俺には関係のないことだ。
俺の知らない奴が不幸になっていようとどうでもいい。
俺はおとぎ話の勇者や、英雄のように全てを守れるような男じゃない。
そんな人らしくない異常者の思考など、持っているわけがない。
俺は俺が守りたい、助けたいって思う奴だけ守れればそれでいいんだ。
だから……
「……だったら、その01って奴の力を使えば良いじゃないですか」
だから、助けたいって思うテーラが現状から解放されるのなら、他者を蹴落とすぐらいいくらでもやってやるつもりだ。
だが俺の非道な言葉にアルヴァロさんは眉を潜めることなく、むしろ嬉しそうに微笑を浮かべた。
「……ふふっ。やっぱりデルラルト君もそう思うかい?」
「そりゃあ、俺には関係ない奴ですし……今も天界にいるんですか?」
「……さあ、どうだろうね。でも……君も、いつか会う時が来るさ」
「……?」
会える日などあるのだろうか。
こんな提案を簡単に口にするような下劣な俺に。
「……とにかく、食事の準備をしよう。私は今日も『魔導具』についての知識を深めたいから、拘束してはいるけどあまりデルラルト君に割ける時間はない。だから君と知り合いの『彼女』に、君の世話を任せるね」
「……俺がコイツと協同して脱出するかもしれませんよ」
「……ははっ、それはきっと無理だよ。少なくとも彼女はね」
「……?」
さすがにテーラと関わる時間が増えれば共謀する時間だって増えるわけで、それはアルヴァロさんにとってもよろしくないはずだ。
だというのにアルヴァロさんのこの余裕。
それはまさしくテーラが自分を絶対に裏切らないという信用に酷似した『何か』があるようだった。
テーラが逃げ出すことに反対するなど、そんなわけがない。
だが先程アルヴァロさんの言った『実験に協力する』という事実が俺の心に軽い棘を刺している。
「それじゃあ私がいると使い物にならないだろうし、私は書庫に戻る。座ったままだと寝にくいだろうけどそう遠くない内に背もたれを倒せる椅子でも買ってくるから、それまで我慢してね」
良い意味でも悪い意味でも、アルヴァロさんは俺達に気を遣ったのだろう。
昨日まではここで本を読んでいたはずなのに、律儀にこの場を離れようとしていた。
転移魔法陣へと近付き、今にも転移しようとしている。
だがここで放置されるわけになどいかなかった。
「――ちょっと待って下さいよ」
「……まだ、何かあるのかい? デルラルト君」
力強い目付きでアルヴァロさんの背を捉えつつ呼びかける。
アルヴァロさんも語気の強い俺の言葉に警戒したのかチラリと横目で俺を捉えた。
拘束するだけ拘束して、後のことは任せるなどそうは問屋が卸さない。
俺は一切引く気のない意志を見せつつ、真剣な表情を向けた。
「布団が欲しいです」
こんな無機質な部屋で、何のクッションもない椅子に座りながら寝ろなど、つい最近までゆとり生活を送っていた天使にはあまりにもキツ過ぎる。
寝れるわけがないのでこの要求だけは絶対に通すという意気込みだったのだが、そんなことを言われるとは思っていなかったのかアルヴァロさんは目を丸くし、呆けた姿を曝け出していた。
そして湧き上がるものを吐き出すように、柔らかな笑みを浮かべる。
「――あははっ! 地味に自分の立場を弁えてるんだね、デルラルト君。わかった、用意するよ」
機嫌が良くなったのかアルヴァロさんは懐かしそうに笑うと、そのまま転移魔法陣に手を添えて『魔導具屋』へと転移してしまった。
そして地下室には拘束されたままの俺と、膝を抱え、蹲っているテーラだけが残る。
「……さて」
アルヴァロさんはいなくなった。
……いや、どの道転移先は『魔導具屋』で確定しているし、布団も持ってきてくれるためいない時間は限りなく少ない。
とはいえ、話すだけなら充分な時間がある。
チラリと、全身を震えさせたまま固まっているテーラへ視線を向けた。
今も彼女は動かない。
身体を小刻みに震わせながら、焦点の合わない暗い瞳で床を見ている。
……こんな所に、テーラを残すわけにはいかない。
自分の無力さを痛感して、そして今も尚俺は無様に縛り付けられ、誰かの力無くしては何も出来ない状態のままだ。
それでも。
その誰かの力さえあれば、俺は必ず役に立てるはずなんだ。
「……テーラ」
「――ッ!!」
だから。
お前も逃げたいはずだろ、テーラ。
「俺が、お前を逃がしてやる」
そう呼びかけるとテーラの身体は、やけに強く跳ねた気がした。