第6話(4) 『悲劇の裏側で』
メビウスが『魔導具店』へ不法侵入をかましテーラに気絶させられた頃、教会の礼拝堂の長椅子に腰掛けたセリシアは『聖書』に記載された神託の言葉について悩んでいた。
『聖書』に記された言葉は【三日後まで神の権能を持たず、教会に所属する者以外の面会を禁ずる】という簡潔なものだった。
教会に所属する者というのは恐らく自分と子供たちのことだと思う。
神託に含まれたものが無ければ、メビウスは教会に所属するための諸々を行っていないため所属しているという扱いではないだろう。
だがメビウスはセリシアとの誓いで『聖女の聖痕』を共有している。
元々彼は許可なく教会に出入り出来るため、この神託の枠組みには入らない。
そして『面会』という言葉を使用したことにも意味があるとセリシアは思っていた。
何故なら既に教会には神託に当てはまるルナが滞在していて、本来であれば神託が出た瞬間【聖神の加護】の効果でルナは教会から弾かれてしまうはずなのだ。
だが『面会』であるなら、既に対面しているルナは教会から出なければその対象にならない。
けれど神様がそこまで絞って神託を下す理由をセリシアは思い浮かべることが出来ずにいた。
「メビウス君も帰って来ません……」
礼拝堂の壁に取り付けられた窓に視線を向ける。
既に太陽は落ち、月が昇って世界に僅かな光を灯している。
今まで彼が夜まで帰って来ないことなど無かったため『聖書』を読み続けることで平常心を保っているものの、内心は気が気でなかった。
何かあったのではないか。
テーラを探しに行くと言っていたと、子供たちから聞かされた。
見つからなければ一度教会に戻って来るのが普通だが、人探しだけでここまで何の音沙汰がないのもおかしい。
……まるであの日のメイトの時のような、そんな不安がセリシアの心を包んだ。
「……メビウス君を、信じなくてはなりません」
けれど子供ならともかく、彼は物事をきちんと考え自分なりに最善の結論を出すことの出来る立派な人だ。
案外時間が掛かっているだけで、彼女の思い悩んでいたものを全て解決しようと奮闘しているのかもしれない。
もしもそうなら、帰ってきたらきっと誇らしく胸を張って、得意げで頼もしい顔をするのだろう。
そう思うとセリシアの中で少しだけ不安が和らいだ気がした。
「大丈夫ですよね、メビウス君……」
きっともうすぐ帰ってくる。
いつもであれば礼拝堂から教会を見守る像、聖神ラトナに祈りを捧げるセリシアだが、神様に祈るという行為が彼に好まれないというのはこの一か月弱を通してよく理解していた。
だからただただ信じて帰ってくる時を待つ。
それはセリシアだけでなく、外の庭で帰りを待っているルナや子供たちも同じだった。
既に時刻は夜で、子供たちは寝る時間だ。
だというのにずっと外で彼の帰りを待っていて、寝る時間だと諭しても結局窓から外を覗き込んで寝る気配がなかったので現状最終的にセリシアが折れた形である。
「聖女様!」
「……!」
そんな子供たちの代表、年長者のメイトが慌てた様子で礼拝堂の扉を勢いよく開けた。
「どうしましたか!?」
「外で師匠の知り合いの人が来ました! 師匠について聖女様に話したいことがあると言って門の前で待っています!」
「――っ! わかりました、すぐに――」
勢いよく立ち上がる。
すぐにメイトと共に外に出よう。
そう思った瞬間、手に持つ『聖書』の重さに気付き反射的に足を止めてしまった。
……これは、『面会』に値する。
神託の導きにより、アルヴァロと対面することは許されない。
「……っ」
前に出かかっていた足を、完全に戻してしまった。
不思議そうに眉を潜めるメイトが視界へと入り、思わず手に持っていた『聖書』を抱き締める。
「……ゾルターノさんとお会いすることは出来ません」
「えっ!? ど、どうして」
「聖神ラトナ様より、神託が下されました。教会に関係のない者との面会を禁ずると。たとえメビウス君の情報をあの方が持っていたとしても、神の遣いである聖女として彼と会話をすることは出来ないのです」
「神様が……!?」
本人が不在でアルヴァロが訪問してきたということは、きっとメビウスに何かが起きたのは間違いない。
だとしても神託に行動が記されている以上、神託の通りに動くのが【聖女】としての役割だった。
子供とはいえ神を信仰しているメイトも、神託がどれ程重要な言葉なのかを充分に理解している。
だから神託の通りに動くという【聖女】の言葉には何の懸念も抱かない。
だがそれでも、何も考えずに神託の言葉を妄信的に信じるのはまた別の話で。
「そ、それは……どうなんでしょう……」
「……神託の『面会』が何処まで許されているのかがわからない以上、迂闊に姿を見せるわけにはいきません。すみませんが『聖書』の神託により面会を行うことは出来ないと、そう伝えてはいただけませんか?」
「それは構いませんが……師匠はどうするんですか……? だって、話を聞かないと師匠に何があったのかわからないですよ?」
「それは……」
そして【聖女】としてではないセリシアという人間もまた、問いかけるメイトと想いは同じだった。
アルヴァロが訪問してきた時点でメビウスが帰って来れない、または何かを求めているのは何となくわかる。
これから行おうとしていることは、そんな彼の気持ちを無視するという行為と同じことだ。
自分の考えではなく、神様の言葉の通りにする。
それはメビウスにとって何よりも嫌悪することと同じもので、セリシアは一瞬だけ言葉に詰まってしまった。
だがそれは結局、『神様の言葉』である神託の前には何一つ判断基準にならないことで。
「聖神ラトナ様のお考えを私達が理解することは出来ません。神様のお言葉を代わりに世界に届かせる。それが【聖女】としての私の使命です。ですから敬虔なる信徒として、メイト君もどうかご理解下さい」
「……っ。わかり、ました」
これが【聖女】として発する言葉だ。
神託に人間の意志が介入しては、神の言葉を伝える意味が無くなってしまう。
それはセリシア含め全ての信者が納得していることで、この世界の共通認識でもあった。
……それでも、聖女として落ちこぼれでもいいと言っていた自分の言葉を否定するようで、セリシアの心はズキリと痛む。
そんなセリシアを他所に、神に救われ、幸せを掴むことが出来たメイトも小さく頷く。
「師匠は、大丈夫ですよね……?」
けれどそれでも解決にはなっていなくて、不安げな表情でセリシアを見つめていた。
「……っ」
メイトの不安を和らげるような確信的な言葉をセリシアは吐くことが出来ない。
確信的なことは何も言えないから、セリシアは唯一自分の中に残る僅かな可能性に縋った。
メビウスはセリシアを信じてくれると、『聖女の聖痕』を共有する時に約束してくれたから。
だから私もメビウス君を信じたい。
それが彼女の中で想い続けていた唯一の感情だった。
「大丈夫ですよ。メビウス君を信じましょう」
「……そうですね。わかりました、言ってきます」
「はい……お願いします」
セリシアの言葉にメイトもまた頷いて、踵を返して礼拝堂を出て行った。
静けさの残った礼拝堂の中で、固く閉ざされた扉をセリシアは複雑そうに見つめている。
「これが、ラトナ様のお導きなのですよね……」
胸に両手を添え、ぎゅっと握った。
もしかしたら間違っているのかもしれない。
大切だと思うのなら、自分の意志で決めるべきなのかもしれない。
『お互い、頼り頼られの関係を築こう』
あの日、一緒に森に入った時、そう言ってくれたのに。
それなのに自分ばかり頼って、頼られている時はその手を振り払ってしまっている。
神託が無ければ必ずアルヴァロと対面し事情を聞いて外に出ていただろう。
だが神様はそれをわかっているからこそ、神託を行ってセリシアを良い方向に導いたのだ。
話を聞いては駄目だと、神はそう仰っている。
それがわかっていても自分が彼の期待を、信頼を裏切っているのではないかという思いが酷くセリシアの心にのしかかっていた。
「神様ではなく聖女としてでも構いません。聖痕よ……どうか、メビウス君をお守り下さい……」
膝を折り、聖神ラトナの像に背を向け、礼拝堂の入口に向け祈りを捧げる。
動けず何も出来ない自分には、聖女として祈ることしか出来ないから。
ありったけの気持ちを籠めて、メビウスの無事を願い続けた。