第6話(2) 『正しさの矛先』
転移魔法陣から現れたアルヴァロさんの姿を見ても、俺の心は不思議と荒んだりすることはなかった。
それはきっと単純に、アルヴァロさんがここにやって来ることを予想していたからだと理解する。
アルヴァロさん自身も既に捕まって鎖で縛られている俺を見て驚きの表情を浮かべることはなくて、更に協力しない俺に対して失望することも見下すこともなかった。
ただただいつも通り、俺を安心させるよう気を遣った笑みを浮かべている。
そんなアルヴァロさんを見たからか。
俺はあんな『計画書』を見たというのに怒りや憤りを感じることはなかった。
俺と違って信念のある行動をしているのだとわかっているから。
……それでも、怒りを感じていないというのには語弊があるのかもしれない。
「――――ひっ!」
少なくともテーラにこんな怯えた顔をさせる『アルヴァロ・ゾルターノ』という俺の知らない『あの人』には行き場のない確かな怒りを覚えていた。
そんなアルヴァロさんは特に拘束を解く素振りを見せることなく柔らかな笑みを俺へと見せた。
「座り心地は悪いだろうけど我慢してね。何十年も付き合いがあるから、君をある程度自由にさせたらどんな結果になるのかはわかる」
「……信用されてないってことですか」
「いいや。信用しているよ。……君は必ず、ここで大人しくはしないってね」
「……」
やはり天界でのやんちゃばかりしていた行動がここに来て裏目に出てしまっているらしい。
だがアルヴァロさんの懸念は正解であり、現時点で俺が大人しく捕まったままでいることなどあり得ない。
ここで足を止めてしまえば何のために来たのかがわからなくなってしまう。
俺がどうしてセリシアを、テーラを、アルヴァロさんを何とかしたいって思ったのかわからなくなってしまうから。
足を止めて立ち止まるなんてこと、絶対にあり得ない。
「手荒い真似をしたのは私の責任でもあるから謝る。でもね、私は約束したはずだよ。待っているだけでいい。だから、見ていない振りをしてくれと」
「……出来るとは思ってなかったんでしょう?」
「もちろん。必ず魔導具店に来ると思っていたよ。まさか地下室に来れるとは思っていなかったけどね」
事実俺はきっと何の事前情報も無しに捜索をしていたからきっと一生ここに辿り着くことはなかったと思う。
既に『魔導具店』へ一度来ていて、結果的に聖神騎士団の門番もテーラやアルヴァロさんの姿を見てはいなかった。
ここまでこれたのはルナの証言があったからだ。
彼女が二人を尾行してくれていたから、俺は今こうしてここへと辿り着けている。
……その結果、こうして無様にも背後を取られ監禁されているのは世話無いが。
だが俺が捕まったかどうかは今更考えた所でもどうにもならないことだ。
問題は俺が捕まった後どうなったか。
アルヴァロさんの標的になっていたセリシアはついて来てしまったのか。
……きっと、ついて来てしまったのだろう。
いつまでも帰って来ない俺を心配して、アルヴァロさんから告げられた言葉を信じて無謀にも一人だけで来てしまったかもしれない。
ついて来てしまったとしたら、どうすればいいのか。
セリシアを守るためには、どうするのが正解なのか。
そのことを考えなくてはならない。
少しだけ緊張した面持ちで、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「俺を拘束して、アルヴァロさんの計画通りにはなったんですか」
「……残念だけど、結果だけ言うならそうはならなかった。教会へ訪問し、君を助けるには聖女の力が必要だと打診したわけだが……聖女様は応じなかったよ」
「――――っっ!?!?」
「……えっ」
だがそんな俺の想像とは裏腹に、アルヴァロさんから告げられた言葉は酷く無慈悲なものだった。
アルヴァロさんの発した言葉にテーラは驚愕に目を見開き顔を震わせていたが、そんなテーラに意識を向ける余裕もなく、俺も思わず顔を硬直させてしまう。
……事情を説明したはずなのに、セリシアは俺を救出しようとは思わなかったらしい。
でも、リスクを考えれば本来はそれが正しいことだ。
俺もそれを望んでいたはずだろ。
セリシアがここに来なければアルヴァロさんの計画は始まらず、セリシアも傷付かなくて済む。
そうなることを、俺は望んでいたはずだ。
……なのに。
「あ、あー……そう、ですか。まあ、そうでしょう、ね」
自分で認めたくなどないが、俺は確かなショックを受けていた。
まるでセリシアにとって俺は助ける価値もない男だと、そう言われたような気がして。
「……はっ」
思わず自嘲した笑いが漏れてしまう。
結局助けたいと、笑顔のままでいて欲しいと望んだのはどうやら俺の一方通行だったようだ。
別にそれが悪いわけでも、それで俺が助けようと思うことを止めるわけではないが、助けるだなんて押し付けがましい言葉を吐いて、こうして拘束されている俺が酷く惨めな存在に思えてしまう。
……事実、惨めな存在なんだろう。
実際こうして俺がここにいるのは、あくまで俺の自己満足のためだけで、自分が選べない選択肢を変える為だけにこうして躍起になっているだけだ。
――それでも、ついて来て欲しかった。
そんな押し付けがましい願望を心の奥底で思ってしまっていた自分に気付いて、乾いた息を思わず吐き出す。
だがアルヴァロさんの言葉にはまだ続きがあったようで、忌々しそうに顔を歪めつつ頭を掻いていた。
「聖書に記載された神託により私と面会することは出来ないと、そう言われてしまったんだ」
「……神、託?」
「ああそうさ。神様は一体何を考えている……私達天使は、神様のために……神は私達の味方ではないのか……!?」
……そうか、また神サマか。
どうやら先の言葉はセリシアの総意ではなく、あくまで神サマがセリシアに指示をしただけのようだ。
つまりセリシアという一人の女の子ではなく、『聖女』の言葉ということである。
「……そっか」
であれば、そんな言葉どうでもいい。
クソったれの神も、聖女のお言葉も、俺の心には何一つ響かないのだから。
沈んでいた気持ちに、太陽が光を照らしてくれた気がした。
「当てが外れてしまった以上、やはり正攻法で聖女様を釣るのは無理か……権能も邪魔をし、神様も味方になってはくれない。……やはり簡単に目的を達成することは出来ないということだね」
「昔から何度も言ってるじゃないですか。神を信じるより、自分を信じた方が救われるって」
「……そうだね。私もこの世界に来て、そう思ってしまいそうになるよ」
今回だけはその『神託』とやらに助けられたことになるが、それでも結局守ったのは贔屓している『聖女』だけ。
俺やアルヴァロさん……そしてテーラにすら、神サマは手を貸してくれないじゃないか。
それでも、結果的にアルヴァロさんの計画はまた振り出しに戻ったということになる。
どんな神託を受けたかは知らないが、今回の主張でセリシアが出て来なかったということは、もうアルヴァロさんを教会の中に入れるつもりはないのだろう。
アルヴァロさんの計画さえ中断されれば、今度こそ誰も傷付かなくて済む最善の方法を一緒に見つけられるはずなのだ。
アルヴァロさんも目先の希望が見えなければきっと俺の言葉を受け入れてくれる。
だから俺はなるべく心境を変えなくて済むよう頭の中で言葉を構築させつつ説得をしようと口を開く。
が、言葉として発する前に、アルヴァロさんは突然俺に柔らかな視線を向けた。
「君だけは、必ず天界に帰してみせるよ。デルラルト君」
「……? アルヴァロ、さん……?」
「……だから、『魔法』を使うしか方法は無さそうだ」
どういうことだろうか。
その言葉が嘘だと感じられなくて、そう思ってくれていることは素直に嬉しく思うものだ。
だがそれとは別に何かモヤモヤとした感覚が俺の中で蠢いている気がした。
違和感を感じる。
それは一重に、アルヴァロさんが作成した『計画書』の内容を思い出したからだ。
「…………ぃゃ」
「うおっ」
俺が思考の中へと身を投げようとした時、不意に傍にいたはずのテーラの姿が突如消失する。
慌てて横に視線を向けるとどうやら力が抜けてしまったらしく床に尻餅を付いてしまっていた。
だがそんな行動よりも、俺が眉を潜めたのは彼女の表情の変化だった。
あまりにもおかしかった。
目の焦点が合っておらず、全身が恐怖で震えてしまっていて涙すら流している。
そしてその視線の先は、やはりアルヴァロさんに向けられていて。
今ならわかる。
テーラは、本当にアルヴァロさんに恐怖を抱いているのだと。
……そして、アルヴァロさんも身体を震わせながら自身を見上げているテーラへと視線を落とす。
……嫌な、予感がした。
「……聖女様の力を借りれない以上、計画の固定化を行わざるを得ない。魔力が少なくなってしまっているのがやはり課題だが、聖女様のおかげで神様が敵対してくるよりはマシだと思えるようになったよ」
「な、何を……」
状況が理解出来ない。
困惑する俺を放置し、アルヴァロさんは持っていた布製のアタッシュケースを開けると中から注射器のような物が出てきた。
それは天界でアルヴァロさんが常備していないもののはずだ。
恐らく人間界に来てから手に入れたものなのだろう。
確か人間界では基本的に聖女が治癒を行うものの、一応一番街には大型の診療所があるという話だ。
となれば医療器具も何処かで売られているんだろうが、そもそも医療器具というのは一般販売されているのかという疑問がある。
詳しいわけではないため確証はないが、薬ならともかく注射器ぐらいであれば何処かで売っていてもおかしくないのかもしれない。
既に何個か血液が保管されていたことから昨日の時点で各器具の調達は完了していたのだろう。
門番によれば一番街の門は通っていないはずなのだが、何処かに裏ルートなるものがあるのだろうか。
入手ルートに関してはこの際どうでもいい。
アルヴァロさんは更にアタッシュケースからアルコール液とガーゼのような物を取り出した。
「ぃゃ……! ぃや……!」
尻餅を付いたテーラは自身の身体を引き摺りながら、異常な程大きく目を見開いてアルヴァロさんの動向から目を離さずにいる。
全身が震えながらも必死に両腕を動かして後退しようとしているように見えるが、全く力が入っていないようでほとんど移動出来ていない。
……なんだ?
なんで、テーラはそんなにも注射器に怯えているんだ……?
言いようのない焦りを感じていた。
今すぐ何とかしなければならないのではないかと、内なる自分が俺の身体を急かしているようにも思える。
それでも俺は身動きを取ることは出来ないから。
だからこの光景を、静観することしか出来ない。
そしてアルヴァロさんはアタッシュケースに固定されていた付属の針を注射器へ取り付けると立ち上がり、チラリとテーラを見降ろして。
「……さて、今日の魔力回復量の調査をしよう」
そう、当然のように言い放った。