第6話(1) 『助けたいのに』
夢を、見ていた。
『こらー! 待ちなさいっ!!』
『あははは!!』
幼い頃の記憶。
あれは俺が6歳の時だったか。
幼馴染みたちと一緒に王城に忍び込んで、騎士たちに追われながら壮大な探検をしようと意気込んでいたやんちゃばかりしていた頃の記憶。
時間が立つにつれて増えていく騎士を振り切るために、総勢4人が別々に移動することによって追っ手を分断させようと悪知恵を働かせてた。
他の三人がどれぐらいの時間逃げ切ったのかは知らないが、少なくとも俺は縦横無尽に駆け回り追っ手をそこそこ長い時間振り切っていたと自負している。
そんな俺がある一室の前を通ったんだ。
あの時、真っ白に塗り潰された扉の前で俺は反射的に足を止めていた。
『――――』
『……?』
何か、気になった。
何かが、聞こえた気がした。
『やっと捕まえた、デルラルト君』
だけど突然後ろから抱き上げられてしまって、その思考が無くなってしまう。
『うわっ!? アルヴァロさんにバレた!』
『騎士団のみんなが血眼になって君のこと探してたよ。相変わらず逃げるのが上手なのは結構だけど、あんまり逃げ続けるとクレス君も心配してしまうからそろそろ遊びの時間は終わりにしようね』
『うっ……は~い』
見た目はほとんど変わっていないが、若かりし頃のアルヴァロさんに捕まってしまったのだ。
さすがに子供の力では抱き上げた大人から逃げることは出来なくて。
諦めて大人しくアルヴァロさんに抱えられながら長い廊下を歩いていた。
『ねぇ、アルヴァロさん』
『ん? なんだい?』
『あそこの部屋、入ってみたい』
それでもやはり子供の直感というものなのかは知らないが、俺はやけにあの部屋が気になっていた。
だから指を指してアルヴァロさんにお願いをしたけど。
『駄目だよ』
『なんで?』
『あそこは、危ない場所だからね』
結局そう言われて、無垢な頃の俺は何も思わず納得してしまったんだ。
……声らしき何かは、もう聞こえない。
でも、大人になった今ならわかる。
あそこは確かに、アルヴァロさんの『研究室』だった。
――
ぼんやりと、視界がふわふわとしている実感があった。
思考が正常に働いていないのが何となくわかる。
まるで寝ぼけているような感覚があって、少しでも覚醒を促そうと身じろぎしてみるがどうにも身体は思うように動いてくれはしなかった。
まるで、身体と何かがくっついているような。
背もたれと背中が離れない、そんな感覚で。
「……――っっ!」
少し強めに身体を前に倒しても変化はなく、その不可解な現象に俺の目は一気に覚める。
何度も強く身体を動かすがビクともせず、俺が椅子に鎖で縛り付けられているとわかったのはそれから数秒後のことだ。
「――っっ!? ぅっ!」
幸いにも目や口は塞がれていない。
だから感覚的に少しでも早く拘束を解くべきだと判断した俺は大きく身体を動かすが、頭部に突如襲い掛かる鈍痛によってそれは中断されてしまった。
頭が痛い。
痛みで吐き気すらして、俺は身体を動かすのを諦めてしまった。
「くっそ、なんで俺は縛られて……」
若干記憶が曖昧だ。
零れ落ちそうになった記憶を搔き集めるように、俺は少しずつ思い出せる範囲で記憶の整理に努めてみる。
「確か、アルヴァロさんとテーラを探そうとして……そうだ、テーラの家に入ったんだ。で、隠し部屋を見つけて、アルヴァロさんの目的もわかって、それで……」
「――うちに、気絶させられたんや」
「――ッッ!?」
突然背後から聞き覚えのある声がして、継続する頭痛に苛まれながらも慌てて後ろを振り返る。
そこには気を失う前と同様、純白のローブを着ていない淡紅色の髪を持つ少女が立っていた。
普段はフードで見えづらい、ふわっとした髪型が露わになっている。
きっとこれがいつも通りの日常の間であれば何かしらの反応を取っていたんだろうが、今の俺の感情は困惑と怒りで支配されていた。
「テーラ……!! お前――っ!?」
「……」
「なんで、そんな酷い顔してんだよ……」
だがその僅かな怒りもすぐに飛散してしまって、結局残ったのは困惑だけとなってしまう。
……彼女は、とても苦しそうだった。
教会にいた時よりも更に酷く憔悴した表情をしていて、俺は思わず言葉に詰まる。
「恨まないんか?」
「は……?」
「うちは、自分を攻撃した。明らかな敵意を見せた。なのに、なんで自分もうちにそんな顔をするん?」
淡々と確認だけを取ろうとするような口調だ。
テーラの表情豊かな笑顔も何もかも全部捨ててしまったような、そんな危うささえも見えてしまっている。
自分がどんな顔をしているのか。
それは俺自身もわからない。
だけど恨んでいるのかいないのか、その答えだけなら迷わずに出せる自信があった。
だからなるべく軽い口調を意識して言葉を吐き出す。
「恨むわけないだろ。これぐらいで恨むような小さい男に成り下がるぐらいなら、最初からここになんて来ていない。ま、さすがに追い打ち攻撃されるとは思ってなかったけど。相手が人間だったら死んでたぞ……」
「自分は天使やから、一撃じゃ絶対気絶せぇへんかったもん。それでも自分の生命力は天使の中でも群を抜いてると思うから自信持ってええよ」
「それはどうも……」
そんな自信いらないんだけど。
あんな辛そうな顔をしているテーラだが、やっぱり話していると彼女は変わっていないんだなとわかる。
変わらないからこそ俺はこの子を『守りたい』のではなく、『助けたい』と思うんだ。
守ることは、もう出来なかったから。
冷静になって頭の感触を感じてみれば、頭部にはきちんと包帯が巻かれ手当てされている。
テーラの目を見て俺は強く身体に力を籠めた。
「……俺はそんな泣きそうな顔をして、それでもこんな手厚く手当てしてくれたお前を、恨むなんて絶対にしない」
「……っ」
「お前が俺をこうして拘束してるのは、あの計画書に書かれたことを実行してるってことでいいんだよな」
「……そうやね」
「てことは、やっぱりアルヴァロさんに協力しているのか」
「……そうや」
ここまではあくまで想定内だ。
正直、それが本当に『協力』なのかはわからない。
考えたくはないがテーラの表情から見るに彼女も決して自分の意志で行動を起こしているわけではないような気がする。
俺の思考に『脅迫』という言葉が浮かぶが、二人の接点がわからない以上思い込みで決め付けることは出来ない。
「……俺はいつまで気を失ってた」
「思ってたより起きるのが早くてびっくりしとるよ。……半日やね。今はもう夜や」
「夜……」
ということは、そろそろ教会の子たちが心配してしまう頃合いだ。
一応セリシアや子供たちには出かけるという旨は伝えてある。
門限があるわけではないためすぐに心配されるということはないだろうが、地味に俺はクーフルの時を除いて遅くまで出歩いたことは一度たりともなかった。
となるとメイトの一件で一度そういった心配を感じてしまったセリシアが、仮にも大人とはいえ俺に対して待ち続けるという選択肢を取るのかは疑問に思う。
セリシアならきっと心配して心配して、子供たちに心配させないよう振舞って、そうして何がなんでも探そうと躍起になるはずだ。
そして……それを利用される可能性は充分にある。
計画書を思い出し、俺は眉を潜めて思わず怒気を強めた。
「アルヴァロさんはどこにいる……!」
「……『あの人』は聖女様の所へ行った。結界で入れないことはもう知っとるから、聖女様を外に出すことだけを考えるなら自分の存在が非常に役に立つって」
「――っっ!! ここに連れて来るつもりなのか……!」
「それは今は無理やね」
「あ……?」
テーラの言葉に思わず腑抜けた声が漏れ出てしまう。
てっきりここを人間界での仮研究室として機能させるのだと思っていたのだが、別の場所にするつもりなのだろうか。
そんな適当な考えも、テーラの言葉で見当違いだと否定された。
「ここはうちの魔力を持つ者しか転移出来ない。そのための魔法陣なんやから」
「……? でも俺は入れたぞ」
「自分はうちの魔力を持っとるやろ? ……『あの人』も、持っとる」
「俺が、お前の魔力を……?」
言われて考えてみる。
魔力というものは個人個人で些細な、時に大きな変化があるはずだ。
決して同じ魔力を持っているというのはあり得ないだろうし、『あの人』がアルヴァロさんだということを仮定したとしても、三人同じ魔力などという馬鹿げた可能性はさすがにないはずだ。
そこまで考えて、ふと俺は初めて魔法を使えるようになったことを思い出していた。
俺が魔法を使えるようになった要因。
それがテーラだ。
彼女は俺の胸に手を当てて魔力を流していた。
もしかしたら強引に魔力を解放するに当たって、彼女の魔力の一部を混合させたりしたのかもしれない。
何にせよ、テーラの魔力を持っていないセリシアは現状この部屋には入れないということだ。
「だから自分を移動させる。聖女様を脅して『あの人』の研究に協力してもらう」
「お前はっ、それでいいのかよ!? セリシアとだってここ最近ずっと一緒に過ごして来た友達なんじゃないのか!? それにあいつはこの世界で大事な【聖女】なんだぞ! あいつを利用すれば世界中を敵に回すことにだってなるかもしれない!」
「いいに決まっとるやん」
「なんでっ……!」
「うちが、研究対象にはならないから」
「……っ!?」
それは、あまりにも極論だ。
確かにセリシアさえ手に入れてしまえば他の誰もいらなくなる可能性はある。
『聖神の加護』以上の力は俺も結局見つけられなくて、計画書に書かれていた犠牲を払った研究もセリシアにさえ目を瞑れば行われないかもしれない。
だからといって、それで知り合いを……一緒に過ごしてきた人を簡単に明け渡すことなどあってはならないはずだ。
少なくとも俺は一瞬だけテーラの口にした言葉が理解出来ずにいた。
「なん、は……?」
「……自分は、うちのことわかっとらんよ。うちは誰かのためにうちを差し出すことは出来ない。自分自身を捨てて誰かに優しくすることは出来ない。たとえそれで失望されるようなことがあっても、うちは何よりもうちのことを大切に想っとる。誰かのために悩んで、走り続けることが出来る自分とは……違うんよ」
「でもセリシアはお前のこと…………」
楽しんで欲しいって、今度こそ楽しませてみせるんだって、そう言っていたのに。
なのにお前がそんなことを思っているって知ったら、きっとあいつは……
これを俺から言ってしまっていいのか悩む。
これを口にしたとして、果たしてテーラは考えを変えるだろうか。
「……」
否。
きっと変わることはないだろう。
何かが変わらない限り。
「うちは……」
それでも俺の言いたいことは何となくわかったのだろう。
テーラは口籠り、俯いてしまっていた。
「だから、うちは……」
「……っ」
身体を抱き抱えるように、テーラは右腕に左手を添える。
それだけで彼女の葛藤、辛さは充分にわかって、俺はそれ以上言葉を吐き出せずにいた。
でも、だからこそ。
きっとテーラにまだ手を差し伸べることは出来るはずだ。
まだ彼女は堕ちていない、堕ちきっていない。
堕落している俺が、それを一番よくわかるから。
「テーラ――――ッ!?」
だから語り掛けようと口を開く。
その瞬間、俺の感情を邪魔するかのようにテーラの背後から眩い水色の閃光が灯った。
拘束されているため目を隠すことも出来ず、耐え切れずに目を瞑る。
……そして光が収まりゆっくりと目を開けると、視界に長い純白の髪が靡いた。
「やあ、お目覚めかな。デルラルト君」
見慣れた、長身で眼鏡を掛けた好青年の姿を見せて。
「……アルヴァロ、さん」
転移魔法陣の先には何も変わらないいつも通りの日常と同じ、柔らかな表情で俺を捉えるアルヴァロさんが立っていた。