第5話(12) 『信頼を背負って』
次の日。
アルヴァロさんも、そしてテーラも教会に顔を出すことはなかった。
テーラについての情報が不足しているため昨日のうちに三番街全域を探しつつ彼女の経営する『魔導具店』へと足を運んだのだ。
しかし相変わらず入口には強固な岩壁が立ち塞がっていて、うんともすんとも言わなかった。
大声を出して呼びかけても反応がなく、更には気配もしなかったからきっとあの場所にはいなかったと推測出来る。
つまり、アルヴァロさんとテーラは行方不明になった。
二人同時に。
どう考えても偶々で受け入れられるものじゃない。
何かしらの関係性があるのはさすがの俺でもわかる。
でもテーラは人間で、アルヴァロさんは天使だ。
アルヴァロさんが人間界に来たことは一度もないはずだし、天界に人間が転移してきたという話も聞いたことがない。
つまり面識などあるはずがないのだ。
『自分にそっくりな人は世界に三人いる』と言われるが、似ているだけにしてはアルヴァロさんの反応もいささかおかしかったような気もする。
愛妻家であるアルヴァロさんが必要以上に女性に手を差し伸べるというのも初めて見た。
それから鑑みるに、やはり二人に何かしらの面識があるのは間違いないだろう。
……駄目だ。
必要なピースが揃っていないからかどうにも思考が堂々巡りになってしまっている。
そもそも、やらないと決めたが俺がアルヴァロさんの言葉通りにセリシアを言い包め攫ったとして、一体何処に連れて行けばいいというのだろうか。
逆にこのまま待っていたらいつの日かひょっこり顔を出したりするのかもしれない。
しかし最初から伝えればいい作戦を伝え忘れるというのはどうにもアルヴァロさんらしくないため、やはり納得できはしなかった。
「セリシア、皿洗い手伝うよ」
「ありがとうございます、メビウス君」
そんなことを考えていただけで午前中は終わってしまった。
昼ご飯を食べ、気を紛らわせるために俺はこうして手伝いと称して貴重な時間を浪費してしまっている。
でもこうした平凡も今まさに失われようとしている。
このままアルヴァロさんを放置し、セリシアに接触するようならこんな肩を並べて食器を洗うという簡単なことすら出来なくなってしまう。
テーラのこともそうだが、まずは目の前のセリシアのことを考えなくてはならない。
アルヴァロさんを説得する方法は神の権能に匹敵する『モノ』を早急に探し出すこと。
『物』でなくとも、他人であれば俺は幸せな人だろうが何の罪もない子供だろうが、簡単に『者』を用意してみせる覚悟はある。
俺の周りの平和が崩されないためなら、何だってやるつもりだ。
隣にいる正しい女の子の未来を守るためなら、いくらでも罪を重ねるつもりだ。
でも神の権能に匹敵する力を持つ存在が仮にいるのであれば、それこそ聖女並みに厳重に扱われてもおかしくない。
力がバレていなくとも、バレていない人物を探し出すのは『物』並みに難易度が跳ね上がってしまう。
……『者』も『物』も、どう考えても現実的ではない。
諦めるという言葉が、俺の脳裏にチラついているのが不快で仕方がなかった。
「なあ、セリシア。この世界に凄い力を宿している秘宝みたいな物とかってないか?」
「秘宝、ですか?」
「ああ。おとぎ話によくある、何か大きな事を成すためのキーアイテムみたいなものとか」
「きーあいてむ? ……すみません、私そういうことには疎くってメビウス君の期待には応えられそうにないです……」
「あー聖女だもんな。あんまそういうの見ないか」
「はい……」
キーアイテムという単語自体は知っているだろうが、それに通ずるものが関連付けられないのだろう。
確かに聖女という役割を持つ関係上、そういった勉強しかしてない故に娯楽などには触れていなさそうだ。
もしかしたらマトモに遊んだことすらないのかもしれない。
だとしても、この世界の常識を知らないということはないはずだ。
そういった特別なアイテムがあるとすればすぐさま世界中に広がるものだろう。
それを知らないということは、やはりこの世界にはそういった物は無さそうだ。
世界的な知名度を持っていない神の権能以上の力を持つ『物』の捜索。
明らかに現実的ではない。
俺は今もまだ、アルヴァロさんのセリシアに協力してもらった方が簡単だという言葉を未だ否定出来ずにいた。
「何か気になることでもあるんですか?」
「ん、いやちょっと気になっただけだ。もっと気になることと言えばテーラのことだから」
「そうですね。昨日に引き続き今日も予定があるのでしょうか……何も言わずに帰ってしまわれるのは、少し寂しいですね」
「何か急ぎの理由があったんだろ。あんま責めないでやってくれな」
「はい、もちろんです」
彼女が何も言わずに帰ってしまうような薄情な人間でないことはたとえ関わる時間が少なくともわかる。
それはセリシアも充分わかっているようで、洗った皿を俺に手渡しつつ表情に影がかかった。
「テーラさん、具合が悪そうでしたから私達に気を遣わせないように振舞っていたように思えます。何か解決できる手助けになれれば良かったのですけど、しっかりと話を聞くべきでした。待っているだけでは駄目だとわかっていたのに……聖女として不甲斐ない限りです」
「いやっセリシアは悪くないだろ。丁度アルヴァロさんも来ていたし、君に指示を出したのは俺だ。アルヴァロさんの件が終わった後ゆっくり話を聞くつもりだったんだろ? 俺だって同じ考えだったし、あんま自分を責めるなよ」
「……ありがとうございます」
セリシアは他のことに関してはポジティブだが、自分のことに関してだけはネガティブになりがちなのが良くない。
他の聖女がどんな感じなのかわからないため確証を持って言うことは出来ないが、それでも彼女は聖女としてしっかりと日々を過ごしている。
もっと自分を誇っていいと俺は思うのだが、何かきっかけがない限り改善するのは難しそうだ。
「私、テーラさんとルナちゃんがお泊りに来た時、聖女としては落第点かもしれませんが凄く楽しかったんです。同年代の女の子とああやって話すのは初めてで、実は緊張していたんですよ」
「そうなのか?」
それは意外だ。
いつも信者たちによる大量の視線に晒されていても凛としているのに。
「同じ部屋でお泊りするのも初めてで、夜に座りながらお話をするのも初めてでした。ふふっ、メビウス君は知っていますか? テーラさんは虫を見るとびっくり仰天するらしいですよ」
「盛りすぎだろあいつ」
そんな言葉を使うということはどうせ会話に困って周りを盛り上げようと悪戦苦闘していたに違いない。
天然を晒すセリシアに無表情でYESしか言わないルナ。
そんな二人に囲まれる中、内心だらだらと汗を出しながら引き攣った笑みを浮かべているテーラが容易に想像出来て思わず笑いそうになってしまう。
それをネタに今すぐテーラを揶揄ってやりたい。
でも同時に彼女のあの酷く恐怖に塗り固められた顔を思い出してしまって。
皿を拭いていた手に、思わず力が入ってしまった。
「だからテーラさんには教会に泊まって楽しかったって、そう思って欲しいなって思ったんです」
「……」
俺も同じだ。
俺が……俺が未熟で無様を晒したから、テーラは俺のために教会にまでついて来てくれた。
俺が教会のみんなと完全に仲直り出来るまで、ルナとそれなりに良好な関係を築けるまで傍にいてくれると約束してくれた。
そんな優しすぎる女の子が、俺が教会に連れて来たせいであんな酷い表情をしてしまった。
泊まっている間はテーラにとって有意義な日々にしようって、そう思っていたのに。
きっと、元々もう少ししたら教会から出て行っていたのかもしれない。
でもその時はきっとテーラの表情も笑みを浮かべていたはずなのだ。
なのに現実は非情で、俺はテーラが教会を出た時の表情すら見ることが出来ずにいる。
やっぱり俺はセリシアを助けたいのと同じようにテーラのことを後回しにすることも出来そうになかった。
「だから、次にまたお会いすることが出来たら、リベンジしたいなって思うんです! テーラさんは乗り気にならないかもしれませんが……」
拭き終わった皿を専用の籠に並べ終える。
所定の位置にそれを戻し、セリシアは水で服が濡れないように付けていたエプロンを外してハンガーに掛けた。
そんな様子を眺めながら俺も小さく頷く。
「絶対乗り気にさせるよ。俺も、あいつに謝りたいことがあるから」
謝りたいことがたくさんあるんだ。
俺はまだ、あいつに何一つ借りを返すことが出来てない。
迷惑をかけるばかりで、本当に助けて欲しいと思ってる時ですら自分のことで精一杯で手を差し伸べることが出来ずにいた。
本当にクソ野郎だ。
施しを受けることしか出来ない、落ちぶれた最低な天使だ。
思うばかりで行動しない自分をいつも見てきてるから。
だから洗った手を拭かずに一度大きく頬を叩いて、俺は自分に喝を入れた。
「……はい、信じています」
セリシアもこう言ってくれている。
俺を信じてくれている。
「じゃあちょっと外出てくるな」
「はい、気を付けて下さいね」
「ああ」
軽く手を振り合って、俺は信頼を背中に背負いながらリビングを出た。
セリシアの期待に応えなければならないという気持ちが、俺に強く覚悟を持たせてくれる。
「……っ! 聖書が……」
その覚悟と引き換えに、セリシアのその言葉と共にブックホルダーに収納された聖書が神々しく輝いていたのを、俺は見ることが出来なかった。