第5話(11) 『一度目の失敗』
自力ではなく、他者の力を借りた方がより早く目的を達成出来る場合が多いということはわかる。
それが常識では考えられない程特別な能力を持っていたのなら尚更だ。
『借りる』なら、わかる。
でもアルヴァロさんが言った言葉が今も尚俺には理解することが出来なかった。
いや、出来ないのではなく拒んでいただけなのかもしれない。
アルヴァロさんが何を思っているのか、俺にも何となくわかるから。
「言いたい、ことはわかります。でも実験って、具体的に何をするんですか……?」
「神の力を持つというのはそれだけで特別な存在だというのは君もわかるだろう。神を謳ってる以上恐らく私が思っている以上の権能を持っているのは間違いないはずだ。だからその力を聖女様からお借りする。そのために、君にも協力してほしいんだ」
「俺に、何をしろと……?」
「恐らく『聖女』という役割を持っている以上、私的に力を使うことは許されないだろう。私がここに来た時、たくさんの人間が教会から出て行くのを見た。そのおかげでここに辿り着けたわけだが、聖女という役職自体もきっと多忙な毎日のはずだ。そこまでの時間を待つことは出来ない」
「……」
「だから聖女様を攫う。そのためには信用を勝ち取っている君に協力してもらうしかないんだ。君なら、きっと簡単に彼女を攫うことが出来るだろうからね」
「それはっ……」
話を聞けば、アルヴァロさんの言葉に納得してしまう自分がいた。
天界に戻ることを第一に考えれば時間は有限だ。
一刻も早く戻る方法を考えなければならない状況で神の力があるという事実はアルヴァロさんにとって希望の星となっているはずだ。
理屈はわかる。
きっと他にも方法はあるのかもしれないが、現状で最有力候補なのがそれならやってみるに越したことはないのだろう。
……けど。
「……他に方法を探した方がいいんじゃないですか?」
「……? あるかもしれないけど、神の力を持つ者以上のことが出来るモノなどあるのかな?」
「……そ、それは、ないかもしれませんけど」
きっと人体に対してなら同じことになる。
それがセリシアかセリシアじゃないかの違いだけだ。
そして仮に物を探すのであれば、この広い世界だと途方もない時間がかかるはず。
だから出来れば『人』の方が都合がいい。
その通りだ。
俺もきっと、今アルヴァロさんと一緒に人間界に転移されていたとしたら嬉々として様々な方法を用いり、セリシアを攫っていたと思う。
だから人間界に来たばかりのアルヴァロさんの言っていることは天界に帰る方法として非常に正しく、確実性のあることだ。
それでも、人間界で過ごしてきた俺は素直に頷くことは出来ない。
みんなを知ってしまったから。
嫌な所を見せても、子供みたいな醜態を晒しても、それでも俺に手を差し伸べてくれたから。
一筋の汗が、首から垂れる。
「だ、だって……俺達は天使ですよ? ほら、神サマはいつも俺達を見ているって言うじゃないですか! 聖女に手を出せば、それこそ神の怒りに触れてしまうかもしれません!」
「もちろん彼女に危害を加えるつもりはないよ。それに、神様も天界が壊滅しそうになっている現状を良しとしてはいないはずだ。私達天使の祈りで、神様は力を蓄えることが出来ている。であればきっと協力して頂けるはずだよ」
「そ、そんなのっ」
そうとは限らないじゃないか。
憶測で何かを決めるのはよくない。
これで何の成果も得られなかったら、それこそセリシアに顔向けが出来ない。
でも、断ることが出来る正当な理由も俺にはなかった。
だから逃げるように俯くことしか出来ない。
その様子にアルヴァロさんは怪訝を抱いたようで眉を潜める。
「何を迷っているんだ。君も天界に帰りたいんじゃないのかい?」
「……っ」
天界には、帰りたいと思う。
エウスも心配だし、アルヴァロさんのこともある。
それはわかっている。
だけど駄目なんだ。
自分たちの都合で聖女の力を求める。
過程がどうあれ結果が同じようなら、それはクーフルとやってることが同じになってしまうから。
たとえ危害を加える気は無いとしても、必ずセリシアや子供たちは不幸になる。
みんなが幸せになって欲しいといつも思ってるのに、俺自身がそれを砕くことなんて出来るわけがない。
だから言葉に詰まった。
けど、なら天界には戻りたいけどアルヴァロさんに協力は出来ないとでも言うのか。
そんなの都合が良すぎる。
アルヴァロさんに失望されてしまう。
でも素直に頷くことは出来なくて、どう説得すればいいかわからず頭の中を思考がぐるぐると回り続けていた。
そんな煮え切らない俺の態度をジッと見続けていたアルヴァロさんが、ポツリと小さく呟いた。
「……まさか、人間なんかに絆されたのかい?」
「――っっ!!」
絆されたわけじゃない。
だけど天界と同等にこの教会が大切な場所になっているということなら否定は出来なかった。
仮にセリシアを攫ったとして。
メイトが悲しむ。
ユリアが悲しむ。
カイルも悲しむしパオラも悲しむ。
そしてまだ5歳のリッタも、みんな揃って必死にセリシアを探して俺に助けを求めるはずだ。
そんな時、嘘で塗り固められた俺は一体どんな顔をすればいいというのか。
……出来ない。
みんなを傷付けることなんて、出来っこないっ。
うじうじと顔を曇らせ、はっきりとした回答が出来ずにいる俺にアルヴァロさんは深いため息を吐いた。
「……はあ。全く、君は相変わらず甘すぎる。私達は天使なんだよ? 彼女たちとは住む世界が違うんだ。天界にさえ戻ることが出来たら二度と会うこともない、本当にいたかどうかもわからなくなる別世界の住民だ。君が気負う必要なんかないじゃないか」
そんなのはもう、あの日に違うと気付いたんだ。
「いやっ、でも……今生きてるじゃないですか! あいつらだって俺達天使と同じ、魂のある人たちなんです。たとえ会えなくなるとしても、俺はみんなとの思い出が偽りだとは思えないですよ……!」
みんなから貰った、純白の上着をぎゅっと握る。
アルヴァロさんはアルヴァロさんなりに必死に天界に戻るための策を考えていた。
なのに俺はそれでも尚、人の好意を無碍にすることが出来ず、裏切ることも出来ずに悩み続けている。
アルヴァロさんの中ではセリシアへの実験は一過程に過ぎない。
だからきっと、アルヴァロさんの考えが変わることがないこともわかる。
「……甘いね、君は」
「……ぅ」
「神の力というものは何も天界へ戻るためだけに必要なものじゃない。仮にこれを流用出来れば、更に天界の発展へと繋がるものなんだ。魔族との戦争に大きく貢献出来るかも知れないし、天使の平和を守るために必要な、絶対の力になるのは間違いないんだよ」
「……っ」
アルヴァロさんは俺と違って、どこまでも天界のためを思って行動していた。
まだ転移して一日も立っていないのにも関わらず、だ。
そこには人間界に滞在しようという考えは微塵も感じられず、己の理念を信じて行動する立派な大人の姿があった。
対して俺は天界に戻りたいと言いながらだらだらと毎日を過ごし、人間と交流を深めようなどという馬鹿げた考えを持ち続けていた。
たとえ16歳が成人でも、本当の大人にとってはどこまでいっても俺は子供だと突き付けられた気分だった。
それがわかった今も、みんなを悲しませたくないと思いながらアルヴァロさんに失望されたくないと思い続ける優柔不断な愚か者になり続けている。
「そんな顔しないでくれ、デルラルト君」
……そして、そんな俺にすらこの人は気を遣ってくれるんだ。
「……そうだね。君にその役をやらせるのは少々酷だったかもしれない。正義感が強いことは決して悪いことじゃないと私は思うよ。それが君の良さでもあるからね。だけどせめて、邪魔だけはしないでもらえると助かるかな」
「そ、それは……」
「協力しなくても、もちろん天界に戻る方法が分かれば君にも共有するから安心してくれていいよ。君は最悪待っているだけでいい。だから見なかったことにだけ、それだけでもいいから、お願いできないかな……?」
「ぅ……」
妥協案まで、提示してくれている。
見なかったことにするだけ。
子供でも出来る非常に簡単なお仕事だ。
何かも知らないふりをして日々を生きる。
それだけで後はアルヴァロさんが何とかしてくれるのだと、この人はそう言ってくれている。
頷かなければならない。
ここまでしてもらって、自分のことだけじゃなく、俺のことまで考えてくれるアルヴァロさんの唯一の願い。
それを聞かなければ必ず失望されてしまうとわかった。
……だから。
「わ、わわ……」
声が震え、顔が強張る。
『人生は選択の繰り返し』。
そんな言葉が今俺の頭の中で反響していた。
あいつらとは、たった一か月弱の付き合いだ。
対してアルヴァロさんとはもう10年以上になるし、天界で過ごした日々も掛けがえのないものだった。
ここで頷かなければたくさんの天使が路頭に迷うことになる。
戦争が再開すればたくさんの天使の命が失われることになる。
全部、俺のせいになる。
俺にはそこまでたくさんの命を背負い続けることは出来そうになかった。
『メビウス君っ』
セリシアの柔らかな笑みが浮かぶ。
『お兄ちゃんっ!』
魔族の奇襲が起きる前の、幸せそうな笑みを浮かべて家を出たエウスの姿が浮かぶ。
俺は……
俺、は…………
「……わかり、ました」
俺は、どこまでも堕落していた。
「………………ならよかった」
アルヴァロさんの安心したような顔が視界に入る。
俺の肩を軽く叩き、気を利かせてくれたのか「先に戻るね」と言って裏庭へ行ってしまった。
通路に残るのは醜い姿を晒す愚者一人だけ。
顔を片手で覆い、揺れ続ける瞳を必死に抑えようと俯いていた。
「しょうが、ないだろ……俺は……俺だって、エウスが……」
俺にはエウスしかいないんだ。
まだ14歳の、未来がある大切な妹がいるんだ。
失いたくない。
後悔したくない。
そう思うから、俺はどちらかを選択するしかなかったんだ。
そう自分に言い聞かせるように何度も頭の中で言葉を作る。
おとぎ話の勇者みたいに、全部救えるような奴になれればよかった。
でも……俺は勇者でも、ましてや英雄でもない、むしろ天使の中でも落ちぶれた下劣な男だ。
見ていてやるって、約束したのに。
あいつはただ、【聖女】としてみんなのために頑張りたいだけなのに。
『これからもっと、カッコいい所を見せてくれるんでしょ? お兄さん』
「……!!」
……違う。
セリシアだけの問題じゃない。
たくさん約束したんだ。
もう既に一度、後悔しているんだ。
「…………無理だ」
見て見ぬふりなんて、出来っこない。
たとえどんなにアルヴァロさんに失望されても、俺は俺自身を騙すことなんて出来ない。
アルヴァロさんは決して悪い人じゃない。
だから別の方法を俺が探すんだ。
天界に戻る代わりとなる、実験の余地がある代物を。
探さなくてはならない。
でも俺は教会を仮拠点だと言いながら、その実三番街から出たことは一度もなかった。
いや、それどころか教会から出たことすらほとんどない。
「……テーラなら、何か知ってるかも」
もちろん初めて会った時、天界に戻る方法は知らないと言っていたのは覚えている。
でも何か神の力並みに強力な物があるかもしれなくて、それを知っている可能性はある。
俺がそう思うのは極々自然のことで。
テーラなら、テーラだったらきっと。
非常に優秀なテーラだったら、何かそれらしいことを知っているかもしれないと。
そう、思った。
「俺も戻ろう……」
すぐには出来ない。
彼女にも何か抱えているものがある。
俺の都合でまた彼女に負担を強いるわけにはいかないのだ。
まずはテーラの抱えているものを何とかする。
それは今までと変わらないし、何度も思ったことだ。
思ってばかりで、後回しにして行動しなかったものだ。
逃げてばかりじゃいられない。
俺は通路から裏庭へと出て、先程までいたテーブルの方へと視線を向けた。
……そこにアルヴァロさんとテーラの姿はなく、ただ一人セリシアだけが俺の帰りを待ってくれていた。
「メビウス君っ」
「……ぁ」
セリシアが立ち上がり、こちらへと駆けてくる。
この笑みを壊そうとしていた事実に今更ながら胸が痛くなる。
しかし気を取り直して俺は辺りを見回し、アルヴァロさんが何処にいるのかを必死に探した。
だが何処を見てもこの場で一番身長の高い目立つ男の姿は見当たらない。
駆け寄って来てくれたセリシアにすぐさま声を掛けた。
「セリシアっ、アルヴァロさんは?」
「あ、そのことですが、どうやら予定があったようでメビウス君によろしくと、そう言って帰ってしまいました」
「……なんで」
それはおかしい。
俺と違い一度でも教会を出てしまえばアルヴァロさんは教会へ入ることが出来なくなってしまうはずだ。
もしまた入ろうとしても、俺はきっとセリシアに釘を刺して中へ入れないようにするだろう。
確かに説明していなかったが、仮に入れないと分かれば諦めてくれるかもしれないという希望が持てた。
だが、テーラもいないのはどういうことなのだろう。
「なら、テーラは? もしかして部屋で休んでるのか?」
「具合も悪そうでしたので止めたのですが……テーラさんもゾルターノさんがお帰りになってしばらくしたら、予定があったと急にそう言って教会を出てしまいました」
「は!? そ、そんなわけっ!」
そんなこと、あいつから一度も言われてなどいない。
あれから彼女が教会から出たことは一度もないから新たな予定が生まれるということもないはずだ。
それに彼女の家の扉は破壊されていて、魔法で壁を作ったとしてもあそこで寝泊まりするのは難しい。
なのに、いきなり教会を出るなんて。
どう考えても予定があるというのは嘘に違いなかった。
であれば、テーラにその行動をさせるものは何なのか。
「……?」
そこでふと、俺は初めてテーラに会った日のことを思い出していた。
テーラは俺が天使だということを知っている。
そして純白の髪色を持つ者は信じられないと言っていたはずだ。
だから俺の弁明も聞かずに攻撃してきた。
最悪なファーストコンタクトだった。
……であれば、どうしてアルヴァロさんには何もしないのだろうか。
彼も、純白の長い髪を持っているというのに。
「……っ?」
何かが引っ掛かる。
何かが、おかしい。
そもそもテーラはどうして、急に異常な反応を示していたんだろうか。
わからない。
可能性としてはアルヴァロさんだが、だとしてもどうしてテーラがあそこまでの反応をするのかはわからない。
でも、テーラはアルヴァロさんを見て顔色を悪くしていたように思う。
それに彼女は『ここで(・・・)天使に会うのは初めて』と言っていた。
人間界で天使と会うのは、俺が初めてだと。
俺の中で、ピースがまだ欠けていると実感する。
でもいくら考えた所で、結局テーラが出て行ってしまったことには変わりなくて。
持て成すと豪語しておきながら何も出来なかった事実と、静けさのあるこの場に俺は空虚な気持ちを抱いていた。
ただ一つ言えることは。
それからテーラが教会に帰ってくることはなかった。
更に言えば、ルナもあれから姿を現すことはなかった。
――何かを、失敗した。