第5話(10) 『帰る方法』
俯きがちになってしまっていたが、ふとアルヴァロさんの様子を見ると、彼は覚悟を持った目で俺を射抜いていた。
「君の前で言うのもあれだが、私の妻は今回の転移に巻き込まれていないはずなんだ。一緒にいたが彼女に転移特有の閃光は出ていなかった。だから私の帰りを待っていてくれている彼女のためにも、私は一刻も早くエンデイルへ帰らなければならない」
アルヴァロさんの言う通りだ。
【城塞都市イクルス】に大量の人間が現れたという情報は入っていない。
であれば転移先は完全なランダムとなっているはず。
仮に大切な人が転移されていなかったとしても、今後転移される可能性は充分にある。
安否を確認し、仮に転移が起こってもその前に天界に戻る方法があることを確立させなければならない。
「それは、俺も同じです。姉さんは何でもできるからそこまで心配してないけど、エウスはまだ高校生なんです。だから一刻も早く探し出さないと……」
「そうだね。だから――」
「メビウス君っ。おやつの追加を持ってきました!」
そうアルヴァロさんが言葉を続けようとした時、それを遮ったのは裏口から出て来たセリシアだった。
扉を開けた関係上片手で持った大皿には今テーブルに置かれているお菓子より手間のかかった物が置かれている。
気合を入れたのかパンのようなお菓子が大皿に乗せられているが、両手ならともかくセリシアの小さな手のひら一つでバランスを取れる程の大きさではない。
動きも危なっかしく、一緒に過ごして来た中でこの後の展開は手を取るようにわかった。
「――わわっ!」
大皿が指からズレ、慌てて前のめりに身体を動かすセリシア。
そして当然の如くバランスを崩し、そのまま前に転ぶ形になってしまう。
だが俺は既に椅子から立ち上がっていた。
本来であればここはお菓子を無視してセリシアのカバーに入るべき状況。
しかしここでお菓子を地面に落としてしまえば彼女が悲しむ姿を見せることは考えなくともわかる。
「ほっ、ほっ、ほっ!」
裏庭のため周りに危ない物が落ちているわけではない。
なのでセリシアの意向を尊重し、俺は彼女より宙を舞った大皿を掴み取ることを優先した。
そのまま素早く落ちるお菓子をキャッチしていく。
ふっ……完璧だ。
きっとこの場にエウスがいたら新たな称号を獲得させてくれるに違いない。
そんなことをしている内にセリシアの【聖神の奇跡】が発動し、彼女は結界に守られ無傷で転んだ事実が無かったことになる。
「す、すみませんメビウス君っ! お話し中なのにお手を煩わせてしまって……!」
「いや、大丈夫だ。むしろ作ってくれてさんきゅ。セリシアも座れよ」
「でも、お話の邪魔になったりしませんか?」
「ならないよ。ほら」
「で、では失礼します」
テーラの時とは違い気を遣うことが無いので椅子を引いてはんば強制的に座らせる流れを作る。
その最中、座っていないテーラにセリシアは疑問を覚えたようだが、テーラが喉を詰まらせつつそっと目を逸らすと、セリシアも少しだけ困った顔をしつつも特に何か言うことなく着席した。
「――素晴らしい」
「――――ッ!」
二人して座り、オシャレなパン生地っぽいお菓子を食べていると先程から静観していたアルヴァロさんがそう小さく呟いたのが耳に届いた。
そして同時にテーラが肩をビクッと震わせているのも視界に入る。
「この教会を守る結界のようなものも、今の非現実的な能力も初めて見るものだ。強力な魔法を持っているのですね、聖女様は」
「あ、いえ。私は魔法を使うことは出来ません」
「……ではあれは?」
「私は聖女ですから、神の寵愛を受けているんです。聖神ラトナ様のご加護を授からせていただいています」
「神の加護を持っているということですか!?」
セリシアがそう言うと、アルヴァロさんは眼鏡を光らせ衝動的故か勢いよく立ち上がった。
カップに入った紅茶が揺れ、俺含めその場にいる全員の身体が跳ねる。
「その加護はどういう原理で発動しているのでしょうか? 結界を構成している物質は? 他にも神の権能は持っているのですか?」
「アルヴァロさん落ち着いて下さい。驚く気持ちも分かりますけど!」
「あ、そ、そうだね。申し訳ありません聖女様、少々興奮してしまいました」
「いえ、初めて見る方はみんな驚くので慣れています。気にしないで下さい」
アルヴァロさんのテンションがここまで高い姿など初めて見たため少々固まってしまったがセリシアも驚いているので慌てて止める。
やはり研究者だからそういう非科学的な現象に強烈な興味を持つのだろうか。
いつも冷静沈着で紳士的な姿ばかり見ていたから、こんな興奮した姿を見るのは何だか新鮮な気分になる。
「【聖神の加護】はラトナ様から授かった力で、それ以上でもそれ以下でもありません。神様のお力ですから」
「なるほど……文字通り神の遣いということなのですね」
「はい。神様はいつも私達を見守っていてくれています。清く正しい世の中を作るため、私達聖女にその手助けとなる力を貸す慈悲深い存在なんですよ」
耳に不快感の残る言葉だ。
聞いていて気持ちのいい言葉ではないが、敬虔な信徒であるアルヴァロさんにとっては非常に説得力のある言葉だったようで、感嘆の息を吐いた。
「……ふむ」
しかしアルヴァロさんは勢いよく立ち上がったまま椅子に座ろうとはせず、何か考えているようだった。
心無しか表情に真剣みを帯びさせている。
「アルヴァロさん?」
軽く眉を潜めつつ声をかける。
その声に反応したのかアルヴァロさんは横目だけで俺を捉えた。
「申し訳ありません聖女様。少しだけ席を外してもよろしいでしょうか」
「……? はい、もちろん大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。……デルラルト君、少しいいかい」
「……? はい」
セリシアに退出の許可を取りアルヴァロさんに連れられてその場を離れ、表庭に続く通路の方に向かう。
何かあの場では話しにくいことでもあるのだろうと推測出来るが、現状ではイマイチ内容の予測が出来なかった。
「何か二人に聞かれたくないことでもあるんですか?」
「そうだね、もちろんさっきの話だ。一応聞くがデルラルト君。君は本当に天界に帰りたいと願うかい?」
アルヴァロさんから発せられた言葉は熟考する必要もないものだった。
エウスと姉さんが見つかっていない以上、人間界に滞在し続けるのもよくないと思っている。
「当たり前じゃないですか。俺の気持ちはアルヴァロさんと一緒ですよ」
「そうかい……なら協力しよう。一緒に天界に戻る方法を模索しようじゃないか」
「はいっ、わかっています。アルヴァロさんがいれば百人力ですね」
元々俺もそういう話に持って行くつもりだった。
アルヴァロさん一人にだけ帰還方法を探させるわけにはいかないし、何よりアルヴァロさんの説明で危機感を覚えた今、一刻も早く帰還方法を探さなければならない。
だから俺は大きく頷く。
セリシアにはああ言ったが、やはり教会からそろそろ離れることになるかもしれないな。
けれど、恐らく当たりが付くまではしばらくアルヴァロさんも三番街に仮拠点を構えるはずだ。
教会に泊まらせられるかはわからないが、三番街には小さな宿もある。
土下座してでも頼み込めば、きっとセリシアが多少の融通を利かせてくれるはず。
「もちろんデルラルト君にも手伝ってもらうよ。既に私の中では帰還方法の可能性を見出しているからね」
「ホントですか!?」
かなりの長丁場になると予想していた俺だったが、アルヴァロさんが口にした言葉は俺の想像を遥かに超えていたため驚きの声を上げる。
それが本当であれば、もちろん協力は惜しまない。
たとえ何か必要な物があれば、泥棒でも何でもしてやる意気込みだ。
自分に手伝えることはないのか。
あるのであれば何をすればいいのか。
完全に指示待ち天使と化してしまっているが、こういうのは変に自分の意志で行動を起こすとかえって良からぬことが起きるものなのだ。
故にアルヴァロさんの言葉を嬉々として待つ。
そして極々自然な口調で、アルヴァロさんは口を開いた。
「――聖女様で実験しよう」
「…………え?」
だがその想いとは裏腹に……思考が、一瞬だけ停止する。
あまりにも自然な声で言うものだから、聞き間違いという可能性を捨てきれないでいた。
「え、実験って……セリシアを、利用しようってことですか……?」
「うん、そうだよ」
だから、聞き間違いだと信じてそう問いかけたというのに。
彼はあくまで、淡々と頷いて。
「聖女様の持つ神のお力。それを使って天界へと戻るんだ」
まるでそれが最善だと確信しているかのように、アルヴァロさんはそう告げていた。