第5話(9) 『天界の現状は』
礼拝堂へと入ると、意外にもテーラはアルヴァロさんと何か話しているようだった。
ここから会話は聞き取れないが、やはりアルヴァロさんは場を和ませようと大人として気を遣ってくれていたのだと察する。
その行動に感謝しつつ、気付いてくれるよう音を大きく立てながら扉を開く。
それが功を成したのかアルヴァロさんとテーラはこちらに視線を向けていた。
「アルヴァロさん、準備が終わりました」
「ああ、わかった。わざわざありがとう」
「いえいえ。じゃあ裏庭に案内しますね」
アルヴァロさんのお礼を聞きつつ、横目でテーラの表情をこっそり伺う。
……やっぱり顔色が悪い。
アルヴァロさんが気を遣ってくれてもその表情にほとんど変化は感じられなかった。
むしろ悪化してきているようにも見える。
「……テーラ。思ったんだがちょっと休んだ方が良いんじゃないか? 良かったら俺の部屋貸すぞ。嫌だったらセリシアの部屋でもいい。顔色も悪いし、心配だ」
「……っ」
俯きがちだったテーラの眉がピクっと動いた気がした。
だが反応をする様子はない。
やはり今の彼女をいつものように連れて行くのは厳しいだろう。
一度家に帰すべきだとすら思う。
だがテーラ自身がその判断をしないし、安心出来るはずの我が家は俺が扉をぶち壊したせいで少々問題があった。
原因がわからない以上、せめてここで休ませることが改善の一歩になるはずだ。
アルヴァロさんには悪いが、もう少しだけ待ってもらおう。
「キツいようなら肩貸すぞ。ほら、捕まってくれ」
「――ひっ、やっ……!」
「――うおっ」
傍に寄り添いテーラの手を取った瞬間、その手は彼女の手を掬うことなく宙を切る。
怯えたような目で俺を射抜いていた。
テーラにそんな顔をされたのは、初めてだった。
自分の手のひらを見る。
拒否されたことを証明するかのように、その手に少ない痛みが走っていた。
「……っ」
どうして俺が怯えられているのだろうか。
拒否されたという現実が俺の心を酷く傷付けているのがわかる。
……でも、何か理由があるはずだと。
そう頭で理解していても、その真意を問おうと不安げな目でテーラを見てしまう。
そんな俺と目が合ったからか、顔を強張らせていたテーラは慌てて表情を取り繕った。
「……っ。あ、あはは……すまんすまん。ちょっち驚いてしまっただけやねん。うちは、大丈夫やから」
「いやっ大丈夫なわけないだろ! お前、誰が見たっていつも通りじゃないじゃないか! さすがにずっと見過ごすわけには――」
「……いいから。もう、構わんといてよ……」
「……っ」
これは拒否じゃない、拒絶だ。
彼女の貼り付けられた笑みから、確かな拒絶の意志を感じ取ってしまった。
テーラ自身が言ったんだ。
構わないでくれと。
だったら、そういうなら文字通り――
そうしてまた、同じことを繰り返してしまいそうになる自分に気付く。
……落ち着け。
ここでテーラを見捨てようとするなんてありえない。
ユリアの二の舞になってはいけないんだ。
「――――」
深く、一度深呼吸をして脳内をクリアにする。
テーラがああなったのには必ず理由がある。
つい数十分前までは俺といつものように話していたんだ。
こんなことで投げ出したら、本当の意味で自分自身に失望することになってしまうだろう。
俺はもう、カッコ悪いところを見せたくない。
必ず原因を見つけ出す。
拒絶されたとしても、それだけは忘れてはならないことだ。
「……わかった。でも辛いようなら無理しないで言ってくれよ」
「……っ」
「お待たせしてすみません、アルヴァロさん」
「良いんだよ。それでは行こうか」
「はい。案内します」
謝罪しつつアルヴァロさんを連れて教会を出る。
その間、テーラは俯きつつ重い足取りで後ろをついて来ていた。
――
通路を通って裏庭へと進み椅子を引いてアルヴァロさんを先に座らせる。
セリシアかユリアかはわからないが、有難いことにお茶の入ったポットとカップが既にテーブルに置かれていた。
テーラは、アルヴァロさんの斜め後ろに待機して用意した椅子に座ろうとはしていない。
「テーラも座れよ」
「いやっ、うちは大丈夫や……」
「……そっか」
そう言うなら仕方ない。
それ以上は何も言わずカップに紅茶を注ぎ渡して、大人しくアルヴァロさんの対面に着席した。
「あはは。もしかして嫌われてしまってるのかな」
「え?」
早速情報交換をしようとした所で、不意にアルヴァロさんは視線を上げ苦笑いを浮かべていた。
何処を見ているのかわからず俺も振り返って確認してみると、視線の先は教会の二階。
その窓に子供たちが張り付きつつこちらの様子を伺っているのが見えた。
俺の視線に気付いた子供たちは慌てて顔を引っ込める。
……何やってんだあいつら。
やっぱり多少なりとも気になっていたらしい。
「き、緊張してるだけですよきっと。みんなアルヴァロさんに興味があるんです」
何とか取り繕う。
持て成すと豪語しておきながらアルヴァロさんには気を遣わせてばかりだ。
さすがに子供たちも歓迎していないのだと思われるわけにはいかない。
「ふふっ、わかっているよ。いつも注目を集めているデルラルト君が知り合いを連れて来たとなれば、誰だって一目見ようとするだろうからね」
「え゛っ、い、いやぁ……」
注目を集めると言っても悪い意味での注目ばかりだったような気もするが。
「そ、それより話をしましょう。聞きたいことがあるんです」
「ああ。お互いにね」
誤魔化す感じになってしまったが、実際早々に持っている情報を交換しなければならない。
持て成すことを第一に考えていたとはいえ、アルヴァロさんも一刻も早く天界に帰りたいと思っているはずだ。
きっと聞きたいことは同じなはず。
テーラもいるが、天使のことを唯一知っているためこちらの事情が耳に届いても大丈夫だろうという判断だ。
アルヴァロさんも特に静止させるような言動はない。
まずは俺の情報を知ってもらおうと紅茶を一口飲んで口内を潤し、ゆっくりと口を開いた。
「俺は……魔族の襲撃があった日に世界樹の前で父さんを殺した奴に返り討ちにあって殺されました。殺された、はずなんです。でも気付いたらここで倒れていたらしくて、それでここに」
「……そうか。聖剣を持ってしても、やはり無理だったか……」
「いや! ……俺の、力不足でした。勝つビジョンすら浮かばなかったです」
聖剣が悪いわけじゃない。
復讐のためだけに人生を浪費したと思っていた俺が口先だけの愚か者で、死ぬ気の努力をしてこなかったツケが返って来ただけだ。
今だからこそ思う。
俺はもしかしたら、復讐するという自分に酔っていただけなのかもしれないと。
何の、覚悟も出来てはいなかった。
アルヴァロさん含め、俺の復讐心を知っているたくさんの人が俺を応援してくれていたというのに。
でもガルクへの復讐心は今も尚俺の心の中で燃え盛っている。
だから今はそれを嘆いていい時間じゃない。
「アルヴァロさんも同時期に来たんですか?」
「その前にあの日のことを少し語ろう。……まず大前提として恐らく君は死んでいない。殺される直前に人間界に飛ばされたと推測される。そして同じ時間に、大量の天使がここに転移されたはずだ」
「――っ!? なんでっ」
「幸いにも私は転移されなかったが、王城でも何十人もの天使が突如消えた。それを確認した数十分後に魔族は撤退したことから、原因はわからないけど魔族側の策略と見て間違いないだろうね」
「――っ」
ただ首を切断された感覚はあったとはいえ、死んでいないという可能性は確かに俺の中にあった。
だが仮に魔族がそれを行ったとして、何故そのまま攻めて来ないのかが謎だ。
大量の天使がいなくなった今こそ絶好のチャンスではないのか。
あの日の魔族の行動には非常に強い違和感を抱いてしまう。
……けど、そんなの俺には関係ない。
俺にはもっと重要な、知らなければならないことがある。
「姉さん、そして妹は……エウスも消えたんですか!?」
家族の安否。
たとえガルクへの復讐が果たせなかったとしても、大切な家族だけは生きているかどうか知らなければならなかった。
もしくは転移されてるかどうかだけでもいい。
語気を強めてしまったことに負い目を感じつつもアルヴァロさんの返答を待つ。
しかし彼は小さく首を横に振り、目を伏せてしまった。
「……申し訳ないが、君の家族の確認を行うという優先順位は低かった。そもそも具体的に誰が消えたかすら私にはわからない。私は原因の究明を行う仕事があったからね」
「……そ、うですよね」
当たり前のことだ。
落胆してはいけないこと。
アルヴァロさんとは昔ながらの仲とはいえ、何でもかんでもやってくれるわけがない。
彼にも奥さんがいる。
状況を教えてくれるだけでも有難いことなのだ。
「だが、大事なのはここからだよ、デルラルト君」
「え?」
「原因の調査と魔族の襲撃に備え警戒が強まっていた頃、また転移が始まった」
「なっ!?」
「それに私が巻き込まれたことになるね。そうして今日、この街の森に飛ばされたんだ」
「今日……」
ということは天界は今非常に危険な立場にあるということだ。
一度だけでなく二度も。
そしてきっと、二度目があるということは三度目もあるはずだ。
たった一ヵ月弱で二度目の転移が始まったとなればじきにほとんどの天使が人間界に降り立つことになる可能性だってある。
目の前のアルヴァロさんにも、天使の翼と光輪は見当たらない。
他人が人間界に落とされることに関しては特に何も思わないが、エンデイル自体が破滅の危機に陥っているのなら話は別だ。
……もしかしたら、家族どころか幼馴染みたちもみんな人間界に転移されているのかもしれない。
俺は偶々優しいセリシアのおかげでこうして拠点を構えることが出来ているが、他の天使はみんな無一文の宿無しになっているはず。
嫌な想像が頭の中を、ぐるぐると……回った。
幸せが少しずつ壊れ始めているのだと、アルヴァロさんがここにいることで実感として俺に突き付けられている気分だった。