第5話(8) 『おもてなしするべく』
アルヴァロさんとテーラを礼拝堂に残し、俺はリビングへと繋がる扉を開けた。
辺りを見回してみるがセリシアの姿はない。
そもそもリビング内に外用のテーブル等があればさすがの俺でも気付くので、何処か別の部屋へ行っているのだろう。
セリシアのいないリビングでも、何かが動く音は耳へ届いている。
それから察するに、恐らく倉庫の方にいるのではないかと仮定を作った。
キッチンとは逆方向にある一回も開けたことのない扉。
そこを開くとそれなりに整理された小さな倉庫部屋へと続いており、正面では何かを探しているセリシアの後ろ姿があった。
「セリシア」
「きゃっ!?」
後ろから呼びかけると、セリシアは身体を大きく跳ねさせ慌ててこちらに振り返る。
そして声を掛けたのが俺だと気付くと、ホッと胸をなで下ろしていた。
「メビウス君でしたか。驚いてしまいました」
「いきなり話しかけてごめんな。何か手伝えることとかあるか?」
「そんな、せっかくお知り合いの方と再会出来たのですからゆっくりお話をしていて大丈夫ですよ?」
「そういうわけにはいかない。セリシアにばかり甘えてると本格的に駄目になってしまう可能性があるからな。自分のことぐらいは自分でやる。だからむしろ手伝わせてくれ」
「メビウス君がそう言うなら……わかりました、ではお願いします」
どうやら納得してくれたらしい。
倉庫内に何があるかはわからないため、物の選出はセリシアに任せ、俺は指定された物を裏庭に続く裏口前へと往復して運び込んでいく。
このペースならそこまでアルヴァロさんを待たせることなく準備は終わるだろう。
……テーラは本当に大丈夫なんだろうか。
ふと、先程残してしまった淡紅色の髪を持つ少女のことを思い浮かべる。
「……テーラさん、本当に大丈夫なんでしょうか……?」
すると丁度椅子を手渡された所で、セリシアも俺と同じ想いを口にした。
だがそう思うのも当然だ。
俺とセリシアも、テーラの様子がおかしいことには気付いている。
むしろ数分であそこまで状態が変わって気付かないわけがない。
相談に乗ってあげなければならない。
だがタイミングとテーラ自身からの言葉が無いせいでどうにも踏ん切りが付かなかった。
人の心に、土足で押し入るわけにはいかない。
少なくとも仮に俺が彼女の立場であれば無理に聞き出そうとしてくる相手に八つ当たりするのは確実だ。
既に限界を迎えていると思っていたが、それでも彼女は強がった。
一度両手で持っていた椅子を置きつつ、口を開く。
「大丈夫かと聞かれれば大丈夫じゃないと言うけど、実際あいつが俺達に相談してくれるまで待つしかないだろうな……あいつの力になってあげたいけど、無理に聞き出そうとすればそれこそ言ってくれなくなる場合だってある」
「そうですよね……三番街のことも、メビウス君とルナちゃんとのことでも、テーラさんにはたくさん助けていただきました。私も何か出来ればいいと思うのですが……」
「……だな」
セリシアの言う通りだ。
テーラにはたくさん助けてもらった。
メリットなんて無いはずなのに快く引き受けてくれて、いくら愚痴を言っても真摯に寄り添ってくれた。
何とかしてあげたい。
またいつもの騒がしい彼女に戻って欲しい。
そう思って何か考えようとしても、テーラについての思考が纏まることはなかった。
考えてみれば、俺はあいつのこと何にも知らないことに気付く。
また、今まで知ろうともしなかった。
「……はぁ」
頭を抱える。
こんなので相談に乗ろうと簡単にのたまう自分に嫌気が差す。
何も知らないのにわかったようなことを言って良い気分になるはずがないだろうに。
今日アルヴァロさんとの話が終わったらきちんと話そう。
わからなくとも、知ろうとしなければ何もわからないままになってしまうから。
「自分が嫌になるな、マジで……」
つい、そんなことを呟いてしまった。
自虐に近い乾いた笑みを浮かべつつ椅子を持って行こうと持ち上げると、不意にその手を小さな手が掴んできた。
「そんなこと、言わないで下さい」
意図して口にした言葉ではないが、それはセリシアにとって容認出来ないものだったらしく、悲しそうな顔をして俺を見つめていた。
急すぎて、思わず動揺してしまう。
「え、あ」
「メビウス君は凄い人です。もっと自信を持って下さい!」
「お、おう」
これはマズいかもしれない。
きっとルナとユリアの件が尾を引いて、彼女の中で俺の精神状態を不安視しているのだろう。
そんな対応をされたらまるで俺がメンヘラか何かみたいに思われてしまうではないか。
というかそもそもセリシアが今の言葉をスルー出来るわけがないだろうに。
「ごめん、冗談だって。むしろ今の俺は、アルヴァロさんと再会出来たおかげでテンションぶちアゲだ。まさか会えるなんて思ってもなかったからな!」
「ぶち……? でも確かにゾルターノさんが来た時のメビウス君はとても楽しそうでした。……ふふっ、メビウス君のあんな姿初めて見たので暖かい気持ちになりました!」
「うっ……! 恥ずいから言わないでくれ」
そういえばあの姿をセリシアも見ていたんだった。
さぞかし酷く子供っぽかったに違いない。
思い出そうとすると恥ずかしさで死にたくなってくる。
「ゾルターノさんとメビウス君は、昔からの知り合いなんですか?」
「ん、そうだな。アルヴァロさんは王城に勤める偉い研究者でさ。俺の持ってる聖剣……『聖装』の原理を作った第一人者なんだ。騎士団長だった父さん経由で知り合って、子供の頃からの付き合いなんだよ。俺が幼馴染みたちと一緒に城に忍び込んで研究室に入ろうとした時も止めつつ構ってくれてさ。かけがえのない大人の一人だった」
「そうなん……え!? 今凄いことを聞いてしまったような気がします!?」
「……あっ」
そういえば確かに子供が城に忍び込むって常識じゃ考えられない行動なんだった。
まあ昔はやんちゃしていたから仕方ない。
ここを掘り下げられても言葉に困るのでとりあえず誤魔化しておこう。
「と、とにかくそんなアルヴァロさんとまさか再会出来るなんて思わなかった。今日は俺にとって最高の日……とは言えんけど、出来ればアルヴァロさんには気持ちよく過ごして欲しいんだ」
父さんと母さんがまだ生きていた頃の日々だ。
一番幸せで、幸せを当たり前だと思っていた愚かな日々のことだ。
そんな1ページを築き上げてくれたアルヴァロさんには、せめてもの恩返しがしたい。
そしてテーラの問題も解決して最高の日にする。
それが今回のミッションだ。
それに俺以外の天使が人間界にいるということについて、聞きたいこともあるし。
「そうだったんですね……」
俺がここまでアルヴァロさんに懐いている理由は何となくわかっただろう。
セリシアは俺を掴んでいた手をゆっくり放しつつ小さな笑みを浮かべて胸に手を当てた。
「私、ゾルターノさんが来てくれて良かったと思っているんです。最初は戸惑ってしまいましたけど、メビウス君がこうして積極的に何かをするなんて初めてのことですから本当に嬉しいんだなって、そう思えました」
「うぐっ!? ……ごめん」
「あ、怒っているわけでは!」
確かに自主的に持て成しをしようだなんて今まで考えたこともなかった気がする。
全部セリシアに任せとけばいいや~とか思ってたし。
セリシアは怒ってないと慌てているが、むしろ怒るべきとすら思う。
「私はとても嬉しかったんです。ここはメビウス君の故郷ではなくて……血だらけで倒れていた時はここを故郷だと思ってくれたらいいなって思ってましたけど……やっぱり何処か寂しそうでした」
やっぱり、セリシアは俺のことをよく見ている。
堕落した生活を送って、子供たちと遊んで、三番街の住民たちと交流を深めて……とても充実した日々だったと思うと同時に、確かにふと寂しさや不安を覚えることはあった。
本当にこんなことをしていていいのかと、自問自答することもあった。
そしてそれは、アルヴァロさんと再会したおかげでかなり和らいだのは間違いない。
止まっていた俺の道が示されているとすら思い始めている。
「メビウス君は、これからどうするんですか?」
「え?」
最後の椅子を裏口前へ運び終わり、三角巾とエプロンを付けて髪を縛りつつ茶菓子の準備を始めるセリシアが、不意にそんなことを言ってくる。
キッチンへ向かう後ろ姿のせいで、彼女の表情を見ることは出来なかった。
これからどうするか、か。
つまりこのまま教会にいるのかアルヴァロさんと行動を共にするのか選ばせてくれるということなのだろう。
そんな問いかけを自分からしてくれるセリシアには頭が上がらない。
でも、俺が教会に滞在している理由を加味するのであれば。
「そうだな……多分、アルヴァロさんと一緒に行くことになる、かも」
「…………そう、ですよね」
今の今までそうする理由など出来なかったが、同じ天使で、しかも知り合いと再会してしまった以上このまま教会に滞在するという選択肢はない。
当初の予定通り、あくまで天界に戻るための方法を見つけるまでの仮拠点なのだ、ここは。
それにしてはたくさんの思い出と約束に溢れてしまったこの場所だが、それを全て成し遂げるにはあまりにも時間が足りないだろう。
みんなを裏切ることになる。
でも俺にとって何よりも大切なのは家族で、それは今でも変わることはありえない。
理屈では、そうなる。
「……まあ、でも。もう少しここにいることになるかもな」
「――!!」
だが理屈だけで何かを決められる人は珍しいものだ。
それは人間だろうが天使だろうが変わらない。
理屈の他に感情があるだけで、浮かび出る選択肢は大きく異なるのだから。
俺の回答に曇りを見せていたセリシアの表情が晴れた。
表情を明るくさせて嬉しそうな笑みを浮かべている。
そして両手で小さな握り拳を作った。
「ではもっとおもてなししなければいけませんね! 私、腕によりをかけてお菓子を作ります!」
「回答によってグレードに差を付けるつもりだったのかよ……」
「そ、そんなつもりでは! やる気満々になったということですっ!」
もちろんセリシアにそんな意図がないことなんてわかっている。
揶揄いがいのある慌てようを見せてくれたことに苦笑しつつ、俺は裏口前に集めたテーブルを一つ持ち上げた。
「わかってるよ。じゃあ俺はここにある奴裏庭に持ってっちゃうな」
「はいっ。よろしくお願いします」
扉を開けて裏口へ出る。
上手いことテーブルを押し込んで出し、それを裏庭の中心部へと設置した。
「あれ、テーブル出すなんて珍しいね」
「何かするんですか……?」
すると、奥の方でカイルたちの遊びを傍観していたユリアとパオラが俺に気付きこちらへと近付いて来る。
そのついでに辺りを見回してみるがいなくなったルナの姿は発見出来なかった。
「俺の知り合いが教会に来たんだよ。昔馴染みの人でな? 精一杯持て成そうと思って準備してんの」
「お兄さんの知り合い? ……お兄さんって【イクルス】の人じゃないんじゃないの?」
「お兄さん血だらけでした」
「あー……」
「あ、ごめんね? 言いにくいなら言わなくていいよ」
「じゃあ有難く。そこらへんはおいおいな。それより物運ぶの手伝ってくれないか? その人を待たせてるんだよ」
「うん、いいよ」
「わかりました」
誤魔化しつつ頼むと、二人は快く引き受けてくれた。
あの遊び盛りの男共にも見習って欲しいものだが、物自体はそこまで多くないし、一番重いテーブルは既に運び終えている。
なのでわざわざ男陣を呼ぶ程でもないため、二人に感謝しつつ椅子を裏庭へと運び出した。
全部で四つ。
俺とアルヴァロさん以外に、一応セリシアと念のためテーラ用のも設置しておく。
「これで全部だよね?」
「おう。手伝ってくれてありがとな、助かった」
「うん。私達は別のとこ行った方がいい?」
「そ、うだな。あれだったら紹介するぞ」
「えっ……い、いいです」
「突然紹介されても何話せばいいかわかんないよ」
「そ、それもそうか」
閉鎖的だなぁ。
だが俺もそっち側だったら無駄なことすんなよと心の中で悪態を吐いてしまうかもしれない。
それを子供たちに思われるとなれば一気に紹介する気が失せてくる。
メンタルブレイクされたくはないので、ここはユリアの気遣いに乗っかろう。
「じゃあ呼んで来るわ」
「は~い」
「は、は~い」
拙いながらユリアの真似をするパオラに苦笑しつつ二人に見送られ、俺は正門側に続く通路を進んで表庭へと入った。
アルヴァロさんが場を和ませてくれているとは思うが、あまりテーラを待たせたくはない。
そもそもの話テーラをアルヴァロさんの再会に巻き込ませるのはお門違いだったと今更ながら気付く。
具合が悪いわけではないだろうが、今は誰かと話したい気分ではないかもしれない。
であれば、礼拝堂で待たせるより部屋でも貸して一人にさせてあげるべきだった。
反省だ。
一旦落ち着かせるべきだったのに、俺はテーラに何の気遣いも出来ていなかったと自覚する。
アルヴァロさんを裏庭へ案内させたら俺かセリシアの部屋を貸してあげよう。
そう思いながら、俺は礼拝堂に続く教会の扉を開いた。