第4話(14) 『腐った性根と向き合う時』
結んだ指を放し、壁に押し付けていたルナを離れさせ何事も無かったかのようにフードを被せる。
「お~い、じぶ~ん……!」
「――っっ!!」
そのギリギリのタイミングで突然ひょっこりと裏庭から出てきたテーラの声により思わず身体が跳ね上がってしまった。
慌てて後ろを振り向く。
何故か小声で入ってきたテーラの表情は心無しか落ち込んでいるようだった。
全然気付かなかったが見られてないだろうな……?
表情を見る限りでは今来たっぽいから大丈夫だろうが。
というかこんなに早く来るのならルナに手をかけなくて本当によかった。
仮にルナを殺れても、恐らく森の中に運び出す時間は無かっただろう。
「クソが」
「急に暴言言うのはなんなん!?」
とりあえず無駄な驚きをさせてきたので悪態だけ吐き捨てておく。
いつもの流れはさておいて、気を取り直してテーラの背後を覗いてみた。
……が、ユリアの姿はない。
こいつユリアを呼びに行ったんじゃなかったっけ?
何しに行ったんだ?
「……ユリアを連れてきたんじゃないのか?」
「あー……いやぁそれがな? パオラちゃんの完璧ブロックのせいで近付けないんよ……」
「完璧ブロック?」
「お兄さんじゃないと駄目です……! っつって、涙目で睨んでくるんやもん。うちはもう駄目や。子供に泣かれでもしたら一緒に泣く自信があるで」
「脆弱メンタル過ぎるだろ……」
テーラの性格はこの際どうでもいいが、確かにパオラがその様子だと俺も無理に進むことは出来ないだろう。
俺じゃないと駄目、か。
きっとパオラもパオラなりに俺とユリアの関係を修復しようと色々考えているのだ。
拙いなりに精一杯状況を打開しようと模索している。
事情を知らないカイルやリッタも心配の声は上げただろうが、きっとメイトによって離れさせられていたのだろう。
そう考えるともしかしたらカイルのあの我儘はしゃぎっぷりはもしかしたらユリアとパオラを釣って元気にさせようとした行動なのかもしれないな。
真意はわからんけど、そうだったら優しい子だと思う。
「行くわ」
泣かれたら困る。
もうルナとの件は解決したし、これでユリアが俺に強く言えることはなくなったはずだ。
ユリアはルナを大切にしていて、そのルナを俺が傷付けようとした。
パオラのためにも、一旦はユリアの言葉は俺の中で呑み込むべきもののはずだ。
たとえ向こうに謝る気も、ましてや許す気が無かったとしてもこの際俺は何も言わない。
ユリアも周りに迷惑を掛けようとは思わないだろうし、仮初めの仲直りでもユリアの意向に沿うべきだ。
……大丈夫、謝れる。
一歩、裏庭へと足を踏み込んだ。
「わっ……!」
「うおっ」
だがそこで、突然裏庭側から飛び出してきた小さな影が俺の腹へと飛び込んできた。
咄嗟に受け止め衝撃を吸収する。
視線を下げてみれば、サイズの合ってない大きめのベレー帽を被った、薄黄色の髪を持つ少女が目に映った。
「パオラ、走ったら危ないぞ」
「おにい、さん……」
まさかそっちから来てくれるとは思わなかった。
ただそれなら話は早い。
パオラを仲裁的な立ち位置にしてぱぱっと仲直りしてしまおう。
「お兄さん……!」
ただ、俺の腹に顔を埋めていたパオラは俺という存在を感じたからか耐えていた涙を流し、震える声で俺を呼ぶ。
何かが、おかしかった。
「お、おい。どうしたんだよ……」
嗚咽を洩らす声が聞こえる。
肩を震わせ、幼いなりに必死に感情を伝えようと躍起になっているその姿に、俺の心はざわめき始めていた。
テーラが言っていた言葉を思い出す。
曰く、泣きそうな顔で俺を呼んでいたのだと。
てっきり誇張気味の言葉だと思っていたが、テーラの見た光景と今の光景は確かに狂いなく一致していた。
さすがに焦る。
大切な子がこうして必死に何かを伝えようとしてくれている姿に、俺は言いようのない不安のようなものを感じていた。
「お兄さん!」
俺を必死に呼び続ける。
涙が服に染みていた。
力いっぱい俺を抱き締め顔を腹に擦り付けながら、その実パオラは甘えてきているわけではないことがわかってしまう。
「喧嘩しちゃ、やだよぉ……!!」
「――ッッ!!」
くぐもった、縋るような声を放つ。
何かが引っ掛かっているおかげで無事だが、今にも落ちてしまいそうな大事なベレー帽にすら意識を向けずに、その実パオラはずっと真剣だった。
その姿を間近で見てしまって、どうしようもない程に俺自身の馬鹿さ加減を思い知らされることとなる。
何が……パオラのためだ。
違う、だろ。
誰かのためじゃなく、自分のためにユリアと仲直りしなくちゃいけないんじゃないのか。
俺が、ユリアともう一度話したい、いつもの日々を送りたいって、そう思うから謝らなくちゃいけないんだろ……!?
なんで、ここまでしてもらえなきゃ気が付かないんだ、俺は。
相手は子供だから、別に形上仲直りすればそれでいいって……そんなの、そう思ってる俺こそがクソガキだろ。
『見損なった』と言われて、子供のように不貞腐れていた。
ユリアがどう思ってるかも考えないで、勝手に決めつけて、勝手に諦めて自分の心を守るためにどうしようもない感情を押し付けていた。
「……」
パオラを、そっと離れさせる。
「……ッッ!!」
――走る。
遮る教会を抜け、裏庭へと飛び出す。
裏庭の大きな布が敷かれた場所。
たくさんの花屑がそこにあって、メイトたち男陣が群がっているその中心に。
メイトにでも呼ばれたのかいつの間にか来ていたセリシアと……綺麗に作られた花冠を持ち、大粒の涙を流してセリシアに抱き着いているユリアがいた。
……何やってんだよ、クズ野郎。
俺はもう16歳で、ユリアはまだ、11歳だぞ。
たとえ大人びているように見えても孤児故に俺には到底わからない過去があって、きっとこういった出来事に混乱と困惑を抱いて……
どうしようって、思い悩んでいたはずだ。
……なのに、俺はユリアと会って何をした?
……無視、した。
ルナの方が優先順位が高いと思って、ユリアも話しかけて来ないからと、何処か話しかけづらかったから11歳の女の子相手に無視を決め込んでいた。
なんだよ、7歳の女の子に気を遣わせるべきじゃないって。
この教会に来て、最初に手を差し伸べくれたのは誰だと思ってる。
初めてこの世界に来て、ここで過ごせるか不安だった俺を導いてくれたのは誰だと思ってるんだ!?
「申し訳、なかった!!」
地に膝と肘を付け、地面に擦り付ける程強く頭を下げる。
俺の頭の中で、今は見えないユリアとパオラの泣き顔がずっと映し出されていた。
俺のちっぽけなプライドがずっと邪魔をしていたんだ。
セリシアやみんなに、不甲斐ない所は見せられない。
みんなを助けようとしたんだから間違っているのはユリアで、でもこのままだと空気が悪いから何とも思ってない風を装いつつ仲直りだけはしておこう。
どうせ、ユリアと話さなくなったとしても子供だし良くあることだ。
一人じゃまた喧嘩するかもしれないし、テーラと一緒にルナの流れで謝っておけばいい。
天使どころか、そんな人として堕落した最低な考えを……持っていた。
……何様の、つもりだ。
どこまで自分勝手なことばかり考えていれば気が済むんだ、俺は。
エウスとは喧嘩をしたことなんてほとんどなかった。
無視を決め込んだことなんて一度もない。
妹なのにいつも頑張ってくれていて、かけがえのない大切な家族だから、素直に自分の落ち度を納得することが出来ていた。
……じゃあ、ユリアは違うのかよ。
メイトも、カイルも、パオラも、リッタも、違うのかよ!?
家族だなんて大それたことは言えない。
言う資格なんかない。
でも、俺はどこまでいっても部外者だから、いつもいつも『俺』と『教会のみんな』で区切りを付けていたように思う。
何も知らないくせに、ユリアは頑張ってないからエウスとは違うって、そう言いたいのかよ俺は!?
「俺は……クズだ。救いようのないガキだ。お前の気持ち、何にも考えてなかった。セリシアもみんなも協力してくれていたのに、俺は自分の都合だけでカッとなって不貞腐れてた。大人の、やることじゃない。模範になれるような奴じゃない……」
それこそ、天使のやることなんかじゃない。
何なんだよ天使って……なんで俺みたいな奴が人間界で崇拝される立場になってるんだ。
立場は人を形作るっていうのに、俺は天使……いや人間よりも低能で下劣な存在だ。
魔族すら、俺と大差ないくらいで。
「許して、くれ……本当は仲直りしたいってずっと思ってたんだ! でも、話しづらくて、だから……すまなかった!!」
今の俺は、酷く無様な醜態を晒している。
あれだけカッコ付けたくて、いつも軽薄だけど頼りになる人間を演じていたのに、今は師匠と、お兄ちゃんと呼んでくれている子供たちにすら、小さな女の子相手に土下座している姿を見せている。
セリシアにも、見られてしまっている。
悔しい。
嫌だ、逃げ出したい。
無かったことにしたい。
やり直したい。
ずっと、カッコいい所だけを見て欲しかった。
そんなことを思って、その度にどこまでもどこまでも自分のことしか考えてない自分にまた嫌気が差す。
地を駆ける音が身体から振動として伝わってくる。
……きっと、テーラやルナ、パオラにも見られた。
挫け、そうだ。
最早顔を上げることすら酷く怖いことのように思える。
顔を上げれば、きっとみんな軽蔑した目で俺を見ているのだろう。
大人として恥ずかしくないのか、子供相手に何をしているのか、今更何を言っているのかと、もしかしたら糾弾されるかもしれない。
「――顔を上げてください、メビウス君」
……けれど、そこに優しい柔らかな音色が耳に届いた。
救いの手と錯覚してしまう程、光り輝いたその言葉。
ゆっくりと、顔を上げる。
その目に映ったセリシアや子供たちの顔は、決して失望や軽蔑の表情ではなかった。
セリシアに抱き寄せられているユリアも、嗚咽を洩らしながら必死に言葉を紡ごうとしている。
今まで抱えていた気持ちを吐き出すかのように、大粒の涙が空を舞う。
「わた、しも……酷いこと言ったぁ……!」
「――っ」
「ごめんなさいっ……!!」
「~~っ!」
……泣かないでくれ。
何度目かもわからない程、胸がきゅーっと締め付けられた感覚に陥った。
両手で必死に流れ落ちる涙を拭き、正面から謝罪の言葉を口にするユリアに俺の顔は強く強張ってしまった。
結局、俺自身が平和や平穏を求めそれを望んでいたのに、むしろたった一人の女の子すら泣かせてしまうような馬鹿げた行動を起こしてしまっている。
一体何がしたいというのか。
どうして俺は、こんなことばかりしてしまうような奴なんだろうか。
父さんがガルクに殺されたから?
神サマが見ていないことに気付いたから?
……そんなの、何の関係もないことだ。
全部俺の腐り切った性根が原因で、それでも尚、こんな俺にすらユリアは謝罪の言葉を口にしてくれている。
自分の嫌な部分をたくさん突き付けられた気分だった。
もう絶対に、間違えない。
間違えたくなんかない。
「俺も、ごめん……」
「……うんっ」
堕落している自分を変えたい。
みんなにとって自慢出来るような天使にならなければならない。
笑顔を守るのではなく、笑顔になって欲しいのだと気付いたから。
ユリアの目尻に溜まる、止まらない涙を軽く掬ってあげながら。
押し寄せる後悔の念を抱きつつも、みんなが見守ってくれている前で『仲良し大作戦』は幕を閉じた。