第4話(13) 『純粋な殺意を籠めて』
言葉が、出なかった。
滝のような汗が流れる。
上手く呼吸が出来ず酸素が脳に回っているかすらわからなかった。
視界がぼやけ、心臓が何度も強く鼓動を打っている。
「………………は、え」
止めどなく口は動くが、そこからマトモな声が出ることはほとんどなかった。
声は震え、身体は小刻みに動き、両足に至っては痙攣していて立っているのもやっとだった。
……なん、でだ。
なんでなんでなんでなんでッッ!?
なんでバレた!?
「あ、う……」
身体がルナから露骨に引いているのがわかった。
逃げ出したくて堪らない。
ここは危険だと、脳が警報を鳴らしているのがわかる。
クーフルを殺した時、確かに周りをしっかりと確認はしなかった。
あの日は完全に深夜で、そして森の奥深くだったんだ。
人にバレないよう敢えてクーフルが進むのを待っていたのだから、更に周りを警戒しようだなんて思ってもいなかった。
だがその詰めの甘い、救いようのない堕落した性格のせいで、自分自身を窮地へと陥らせているのだから救えない。
森の中で、偶々見つけたというのか。
それならそもそもあんなド深夜で森の中にいた理由がわからない。
それか最初から付けられていた可能性だってある。
頭の中で思考がぐちゃぐちゃに交じり合い、今にも溶けて消えていってしまいそうだった。
「なななんで、し、知ってる……!?」
拙いがようやく震えながらも声を絞り出すことに成功する。
こんな動揺した姿を見せても、対面するルナの表情は終始変わることはなかった。
「三番街の調査をしてた時に血の臭いがしたから。初めて見た魔法を使ってて凄いと思った」
「うっ、くっ……」
完全に見られてしまっているらしい。
跳ね続けていた心臓は強烈に締め付けられ、苦しさを感じる。
調査とは何なのかわからなかったが、そんなことを今聞いたところで何の解決にもならないのは今の思考でもわかる。
重要なのは、ルナが俺が殺人者だということを知っているという事実だけだ。
どうにか、どうにかしなければならない。
だから俺は……
「だ、だれ、にも……い、いわ、いわないで、くれっ……」
無様に、縋るように頼み込むことしか出来なかった。
もし、セリシアにバレたら。
もしも、子供たちにバレたら。
きっと嫌われてしまう。
いや、それだけでは済まないだろう。
糾弾され、聖痕を共有したことを後悔されることになる。
笑顔を向けてくれたみんなが、俺に軽蔑の目を向けることになる。
純白の上着を力強く握りしめた。
それだけは、それだけは嫌だ。
「うん、言わない」
……無理だ。
信じ、られない。
信じることなんか、出来るはずがない。
ルナの言葉に表裏がないことはさっきわかった。
けど、だからって信じる理由にはならない。
もしもルナがセリシアに言ったら。
もしも、ルナが子供たちに言ったら。
そればかりを考え、怯え続ける毎日を送ることになってしまう。
そんなの嫌だ。
怯えて、ご機嫌伺いをし続ける人生を送るわけにはいかない……。
「…………」
…………殺すしか、ない。
理由自体を無くすしか何も信じられない……!
紅い瞳に、光が灯る。
「ルナ……後ろを、向いてくれないか」
「……? いいよ」
明らかに普段とは違う俺の様子に気付きもせず、ルナはいとも簡単に後ろを向いてくれた。
本当に純粋で、悪い子ではないんだってわかる。
でも、知ってしまった以上、もうしょうがないだろ!?
猫耳のフードを脱がす。
肩よりほんの少し長いくらいの、いかにも女の子らしい綺麗な髪が靡いていた。
髪を軽く掻き分けて首の肌を露出させる。
こんなことをしても、ルナは嫌がる素振りすら見せず微動だにしなかった。
……細い首だ。
こんなの、両腕で抑え込めばきっと簡単に締め落とすことが出来るだろう。
あくまで予想だが、声を出せなければ魔法の詠唱も出来ず抵抗できまい。
今すぐ壁に押さえ付けて締めれば1分もかからないだろう。
「……かは、はあっ……」
息が荒い。
ただの少女に手をかけるのがこんなに精神を擦り減らすことになるとは思わなかった。
心臓の音すら聞こえてくるのだから、その異常な行動は自分でもよくわかる。
両手を首に近付ける度に、目の焦点が合わなくなっているのを感じる。
でも、あと少し。
あと少しで、この不安から解消されるのなら……!!
「く、うっ…………っ!」
手をかけようとしたその時、ふと俺は先程ルナが口にした言葉を思い出した。
伸ばした手に急ブレーキをかける。
そういえば、ルナはさっきなんて言った?
確か、俺とルナが同じだって言ってた。
同じって、なんだ?
手を一度下げ、若干俯きつつポツリと呟く。
「おま、え……さっき同じって、言ったよな……?」
「……? うん、言った」
「それって、どういうことだ……?」
ルナが振り向いてしまう。
そのいつもの無表情の顔を見ただけで、俺の中の殺意はどうしようもなく沈静化してしまった。
こんな小さな少女を殺すのが、堪らなく怖くなってしまった。
自己嫌悪に駆られる。
でも、現状ではそれしか安心出来る方法がないのも事実。
何か、何かきっかけでもあれば、俺は……
「ルナも人を殺したから。だから同じ」
「――っっ!!」
その瞬間、ルナの言葉を聞いた俺は咄嗟に顔を上げ彼女へ詰め寄ると、両肩を掴み教会の壁へと若干気を遣いながらも押し付ける。
それはようやく安心出来るものを見つけた喜びのようなもので。
コイツは同類だと、救いの手が差し出された気分になる。
人を殺したなんてこと、軽々しくと暴露していいものではないはずなのに。
何か理由でもあるのか、あるいは今の俺の状態を見て同情で言ったか。
「……取引をしよう」
「取引?」
それでも、言葉にした時点でまさしくそれは共犯だ。
暗く濁った世界に、一筋の光明が見えた。
「お互い、そのことは誰にも他言しない。もしも公言したら、もう片方も公開する。死ねばもろとも取引だ。もちろん、受けてくれるよな」
「……? うん、言わない」
「……わかった」
やはり即答だった。
むしろ困惑すらしている。
……わかってる。
きっとルナは本当に言わないし、だからこそ俺のこの取引の必要性に疑問を抱いているのだろう。
だけど俺が駄目なんだ。
口約束なんかじゃ信用できない。
人を心の底から信用することなんて出来るわけがない。
お互いにメリットとデメリットがあって、初めて強固な約束を結ぶことが出来る。
そうしないと、俺は……駄目なんだ。
信じられないから、人を殺した。
信じるより、最初から信じなければならない人を殺した方が心が楽だから。
だから今も約束に縋る。
殺した方が気持ちが楽になるはずだけど、それでもお互い共犯者になることを誓うために俺はルナの顔前に小指を差し出した。
「じゃあほれ」
「……?」
「小指出せ」
「うん」
ルナも同じように小指を上げる。
強固な鎖となることを願って、俺は小指同士を強く結んだ。
所謂、指切りげんまんという奴だ。
「どちらかが嘘を付いたら針千本……はグロいから、身体を一刺し。約束だ」
「……? 約束ってなに?」
「えぇ……約束っつーのは、一度決めたことは絶対に成し遂げる盟約だ。言葉にした時点でどんな事情があれ必ずやる! その決意表明みたいなもんだよ。絆の証明でもある」
「……絆?」
「うっ……まあ知らなくていい。説明するのめんどいし」
絆だとか適当に口にした言葉の羅列をいちいち説明する必要は今はない。
何も知らないのには驚きだが、現状は『約束』さえ理解していれば何ら問題ないだろう。
俺の瞳をずっと見ていたルナが、結んだ指をジッと見る。
「……うん、約束」
何を思っているのかは知らないが、ほんの、ほんの少しだけ表情に変化があった気がした。
「絶対誰にも言うなよ? 絶対だぞ?」
「うん」
「もしも口走りでもしたら本当に許さないからな」
「うん」
「大丈夫なんだろうな……」
やっぱり信用出来ないがそれでも俺はルナと共に指を切る。
子供じみた方法だ。
何の効力もなく結局結果的に口約束となんら変わりないことなのに。
「……約束」
ルナも教会のみんなに失望されたくないと思っていることを信じて、この場は殺意を抑えることにした。