第4話(12) 『自分の非を認め』
裏庭へ足を踏み入れる。
その瞬間、建物によって幾分か遮られていたはしゃぎ声が大声となって俺の耳へと届いた。
「おいカイル~! 危ないからそろそろ降りて!」
「あっ! おかえりシロお兄ちゃん!」
「……! お、おかえりなさい師匠」
「わーはっはっは~! お帰りシロ兄~! どこ行ってたの~!?」
「おう、ただいま。散歩してただけだ! お前落っこちるなよ~!」
「うん~!」
「相変わらず元気やなぁ……」
最初に目に映ったのは木の上に立ち得意げな顔をしているカイルと、その様子を下から見上げているリッタ、そして降りさせるよう説得しているメイトだった。
メイトも少しばかり俺のことを気にしているようだが、特に避けている様子もない。
子供の元気エネルギーによってテーラが引き攣った笑みを浮かべているが、特にメイト以外の二人は俺の行動をしらないが故にいつも通りの様子で心が温かくなるのを感じる。
ていうかいつもセリシアに注意されてるのに懲りないなカイルは。
初期の頃に比べて登る高さはだいぶ低くなったが、それでもセリシアのいない時を狙ってやってる時点で確信犯だ。
後でセリシアに叱ってもらお……いや、今の俺はカイル&リッタ甘やかし期間に入っているのでとりあえずスルーする。
ともあれ、男の子グループは今回の件にほとんど関係がない。
俺の小さな疑念も今の会話で完全に解消されてしまったのでひとまず安心だ。
だから問題は……
「……」
「……っ! うっ……」
「……っ」
裏庭の更に奥で、敷かれた大き目の布に腰掛けた三人組の少女がいる。
漆黒のローブに身を包み、ジッとこちらを見つめているルナと、俯くユリア。
そして俺とユリアを交互で見てあたふたとしているパオラがそこにいた。
敷かれた布には花びらが散らばっている。
その光景にそこにいたであろう前の自分の姿を思い出し胸が痛む想いだった。
「自分の言う通りやな……なんでこっちずっと見てくるん?」
「……わからん」
ルナは本当に変わらなかった。
いつも俺の目をじっと見つめてくる。
昨日はそれにずっとイライラしていて、大人げなく怒鳴り散らしてしまったが同じ轍を踏むわけにはいかない。
ゆっくりと近付く。
ルナとユリアは特に拒否することもなくありのままを受け入れていた。
慌てているのはパオラだけだ。
パオラに至っては板挟みな気がしなくもない。
彼女も何を思ってるのかわからない時があるが、ユリアが大好きな優しい女の子だ。
昨日も気を遣ってくれていたし、恐らくどうしたらいいかわからなくなってしまっているのだろう。
7歳の少女にそんなこと、16歳の男がさせていいわけがない。
俯きがちだった顔を、グッと上げた。
「……」
「……」
空気は重い。
主に俺とユリアのせいで。
この空気の中ルナと正面から話すのは少々キツいものがある。
それは隣にいるテーラも思ったのか、くいっと半袖を引き、顔を近付けて耳打ちしてきた。
「自分、ちょっち場所変えた方がええんやない? 少なくともユリアはんとは一対一で話した方がええと思うよ」
「……そうだな」
テーラの言う通り、ルナとの会話にユリアを挟むのはよくない気がする。
理由はわからないがユリアのルナに対する親愛度はかなり高い。
それこそセリシアより高いんじゃないかと錯覚する程には。
仮にまた俺がルナと一方的な言い争いをした時、ユリアがどうしてくるのかわからない以上、こっちで場所を移動するべきだ。
「ルナ。話がしたいんだが、ちょっと場所変えないか?」
「いいよ」
「――っ」
「あっえっと、えっと……」
俺の言葉に、ユリアはビクッと肩を跳ねさせた。
俯いてるため上からでは表情は見えない。
パオラだけがユリアの姿を見て慌てていた。
やはり向こうも向こうなりに思うところがあるのだろう。
快諾したルナはすぐに立ち上がると、布の外にある靴を履き寄ってきた。
……いや、近いな。
「ぎゃっ!?」
至近距離に寄られてビビったテーラは素早い動きで後方に下がり一定の距離を保とうとしていた。
そんなテーラを呆れ顔で見つつユリアたちから離れ、視界に入らない入口側の庭へと戻る。
見方を変えれば完全に『ちょっと面貸せや』状態になっているのが問題だが、特段間違ってないので否定しきれないものがあった。
教会の壁を背にしてルナと改めて目を合わせた。
理由はどうあれ敵意の無かった女の子に手を上げようとしたのは事実だ。
感情表現が苦手かどうかなど一発でわかるのに、それを受け入れようとしなかったのも事実。
「……」
「……うん」
大きく一度深呼吸する。
隣ではテーラが軽く背中を押してくれて、今も尚見守っててくれている。
改めてここにいてくれる彼女の有難みを感じた。
「――すまん!」
だから、その後押しを糧として勢いよく頭を下げる。
潔い、男の渾身の謝罪だった。
「言い訳はしない。頭に血が上って、お前を殴ろうとした。お前はただカイルとリッタを楽しませようとしてくれてただけなのに、俺はお前が闇魔法を使ったというだけで殺意を向けてしまった」
「いいよ」
「いや早いな!? 有難いけども!」
だがその決意とは裏腹に、何の抑揚もなくルナはそう言い放った。
感情表現が薄いとはいえ悪態の一つや二つ言われると思ってた手前、そのあまりの淡泊さに思わずツッコんでしまった。
快諾もそうだが、この少女には怒りや憤りといった感情はないのだろうか?
ルナ視点からしてみれば理不尽に胸倉を掴まれ、怒声を浴びせられた挙句殴られそうになったんだぞ。
自分で言うのも何だが女の子相手にするようなことではないことをしたクズ野郎だ。
一発殴ったってきっと誰も怒らないだろう。
テーラまで連れてきた大がかりな謝罪タイムだったのだが、あまりの一瞬の解決に動揺してしまった。
「ほ、ホントにこんな簡単に許してくれるのか……? これでも結構勇気を出したつもりだったんだが……」
「謝ったら許してもらえる」
「……!」
「悪いことをしたらごめんなさいを言えば良いって、ステラが言ってた」
いや、誰だよステラって。
人名だろうから恐らくルナ側の知り合いなんだろう。
つまりその言葉のおかげで今の俺は簡単に許されているということか。
何処かのステラさん、マジ感謝。
「だから許す。……今、どう思ってる?」
「あ? そりゃあ……有難いなって思ってるよ」
「……有難い?」
許してもらえたのは有難いが、やはりコイツの考えていることはよくわからない。
今も無表情のまま首を傾げているし、毎回毎回どう思ってるか聞いて来て何が知りたいというのか。
「有難い……」
だがそこはもういい。
ルナの寛大さ? のおかげで形上は仲直りすることが出来た。
もっと拗れると思っていたがこうもすんなり行くとなると案外テーラのお泊りはいらなかったかもしれない。
「許してくれてよかったやん。やっぱ自分の考えすぎやったってことやね」
「コイツが何考えてるのかわかんないのが悪いんだよ……」
「確かにうちも全然わからんけど……言ったやろ? 秘密が女を美しくすんねん」
「都合の良い言葉だな……」
てかルナはどっちかって言うと美人系ではなくないか?
いやどの立場で言ってるんだって話だが。
「テーラ、傍にいてくれてありがとな」
「ん、まだユリアはんとの仲直りが終わってないやろ? ありがとうは、全てが終わってから言える言葉やで」
「……だな」
あれだけ愚痴を言ってしまった手前こんなすぐに事が終わるのはかなり気恥ずかしいが、それでもいてくれただけで謝るという行動を取れた。
どんどんテーラに対する恩が積み重なっている。
既に俺の中では頭の上がらないランキング同率1位だ。
ちなみに1位はセリシアである。
彼女の場合は冗談の通じないあの性格がかなり多くのポイントを占めているけど。
とにかく、ここまでしてくれたテーラには何かしらの恩返しをしなければならない。
『借りた恩は必ず返す』はデルラルト家の家訓第7か条の一つに入っている。
例え俺が面倒くさがりのクズ天使だとしても厚意だけ受け取ってさようならは許されることではないのだ。
今度何か困ってることがないか聞いてみよう。
そう思っていた所で、ふとずっと俺と視線を合わせていたルナが俺の向いている方、つまりテーラへ視線を移した。
そして隣にいたテーラが、恥ずかしさのあまり目を逸らすまで見続けた後、またしても首を傾げる。
「……? 誰?」
「「えっ」」
そして放たれた言葉は俺とテーラの思考を一瞬困惑させるのには充分だった。
誰って……さっきからずっとここにいたテーラ様だが?
確かに今の今まで異常なぐらい俺の目だけ見てたからしっかりと顔を見たわけではないだろうが、それにしたって存在ぐらいは何となく把握出来たはずだ。
……ほら今だって真横で凄い暗い、どんよりとしたオーラを感じる。
恐る恐る視線を向けると、俯いたテーラはゆっくりとその場にしゃがみ込み、膝を抱えて蹲ってしまった。
「どうせ、どうせうちは存在感もない日陰に生きてるだけのなめくじみたいな人間なんや……知ってるし」
「い、いやどんな落ち込み方だ。ま、まあおばさんって言われなかっただけマシっていってぇぇ!?」
「すり潰すぞ!」
どうやらやぶ蛇だったらしい。
渾身の一撃をふくらはぎへと叩き付けられ、突然の衝撃に俺は呻き声を上げながら足を抱えてのたうち回る。
「……ユリアはん呼んで来る!!」
「お、怒んなよ! ……あーあ」
どうやら気付かれなかったというのは結構ショックだったようだ。
ぷんぷんと怒りながら裏庭の方へ行ってしまうテーラを眺めつつ、正門側の庭には俺とルナだけが残った。
チラリと元凶のルナの様子を確認する。
「……今の、怒ったの?」
「見ればわかるだろ」
「……そうなんだ」
やはりわかっていないらしい。
ボーっと一連の流れを眺めていただけだった。
「お前なぁ、もう少し人の気持ちってもんを考えた方がいいぞ? ああいうのは思ってても言わないのがデリカシーを手に入れる秘訣なんだよ」
「……どう思ってるのかわからない」
「……? お前がか?」
「ううん。みんな。事実を言っただけなのに」
「……あー」
今までのルナの行動や発言を思い出すと、確かにそんな感じはする。
だからずっとどう思ってるのかを聞いてきたのか。
ようやく頭の中で靄のかかっていた部分が晴れた気分になった。
そして教会のみんなとあれだけ仲が良いのも何となく察した。
この少女にはきっと、表裏がない。
だから発言の裏を読めず人をすぐに信じてしまうセリシアと話しやすくて、事実しか言わないから子供たちにも懐かれやすいのだろう。
そして対照的に、俺みたいな表裏のある隠し事と嘘で塗り固められた大人とは相性が悪い。
事実俺もルナの発言や行動を素直にそのまま信じることなど出来なかった。
何か裏があるんじゃないか、騙そうとしているのではないかと。
そうやってありもしない疑念が膨れ上がり、彼女に酷いことをしてしまった。
そういった面ではセリシアも同じだが、彼女には【聖女】という初手で信用出来る要素があったから警戒しなかったに過ぎない。
……でもそれにしたって、しょうがないとしてもルナにも否がある。
例えば、意味もなくずっと目を見てきたりとか。
「そういや、なんで俺のこといつもジッと見てくるんだよ。そもそも、それが今回のことを助長したまであるんだからな」
「ステラに、人と話す時は目を見て話すのが大事って言われたから」
「……なるほど」
そのステラって奴は随分と面倒見の良い人物らしい。
確かにその人の言う通りだが、それにしたってもう少し捕捉というものを入れて欲しい。
さすがに見過ぎだ。
逆に警戒する。
けれど今までのルナの行動や言動全てにようやく納得が出来、俺は昨日の疲れを吐き出すように大きくため息を吐いた。
気が抜けてしまった。
あれだけ騒いでいた自分が馬鹿らしくなってきて、段々と気恥ずかしさが脳を支配してきてしまう。
「あと、シロカミがルナと同じだから」
「同じ?」
肩の力を抜き、テーラが戻ってくるまで待っていると、ふとルナは先程からその場を微動だにせずにそう呟いた。
同じ、とは何のことだろうか?
第三者が見ても俺とお前に共通点など微塵もないような気がするんだが。
眉を潜めつつルナの顔を見る。
またしても、ルナは俺の瞳と自分の瞳を重ねていた。
ずっと、昨日からずっと、同じ薄紫色の瞳で俺を射抜き続けていた。
それはまるで俺の心を見透かしているかのように、ハイライトのない左目が俺を捉えている。
あれだけ騒がしかった教会の音が、その時だけ消失してしまった気がした。
――何故なら。
「シロカミ、前に魔族殺してたから」
「………………は」
あの日の、誰もいなかったはずの真夜中の一幕を見ていた観客者が一人だけいたと、そう口にしたのだから。