第3話(9) 『堕落天使はおとされる』
クーフルの太ももからは血が流れていて、月明りに照らされて若干の輝きを見せているのがわかる。
驚いたからか腰を抜かして怯えた様子でこちらを見るクーフルに俺は軽く笑みを見せた。
「ど、どう、して……」
「ん?」
「わ、私はしっかりと時間を取った! 周りに誰かいないかも確認した! それなのに、何故……!?」
「……ああ」
どうやら恐怖と同時に困惑もしているらしい。
確かに奴が行動を起こす際、異常な程挙動不審だったのを思い出す。
聖神騎士団の兵士ですら疑問に思って動くなと念押ししていたぐらいだ。
あれだけ周りを確認していれば、確かに庭にいる人間を見つけられないということはなかっただろう。
しかし理由は至って簡単な話だ。
「ずっと見ていたからな」
「……は、はあ?」
「教会の外の森の中で、ずっとお前を見ていたんだよ。クーフル」
「なあっ!? そ、そんなわけがない! 何時間経っていたと思ってる!?」
「そうだな。すげぇ根気のいる監視だった。けど……実際にお前は逃げ出したし時間をかけた甲斐はあったな」
「……っ!」
こういう奴が行動を起こす際は、必ず対処出来る人間しかいない時にやるのはわかっていた。
だから教会から出てクーフルが見える位置の木の上に登ってずっと待っていたのだ。
必ず逃げ出すと確信を持って。
俺はそれが何よりも嬉しく思うよ。
「お前が逃げ出す選択をしてくれて本当に助かったよ。もしも律儀に『懺悔』なんて受け始めたらどうしようかと思った。本当に更生することが出来る奴もいるのかって、不安になるところだった」
「くっ……!」
「けどやっぱり、人の本質は変わらないな。殺しを楽しみ、反省の一つもしないお前も……こうやって罪人に裁きを下すことを生きがいしてる俺も、な」
「ぎ、があああああああああああッッ!?!?」
そんなことを言いながら俺はクーフルに近付き、奴の太ももに深く刺さった短剣を思い切り引き抜く。
耳元で鳴り響く絶叫に顔を顰めつつ、太ももを抑えてのたうち回るクーフルの姿に言いようのない優越感を抱いた。
「どうしたんだよ? 俺は、お前の絶望した顔を拝むのが今から楽しみでしょうがないんだが」
「ひぃ、ひぃ……!!」
「お前があそこで騎士団の騎士を殺そうとしなくて本当によかった。そんなことしたらあそこで飛び出さなくちゃいけないところだったからな。こうしてこんな深い森の中にわざわざ来てくれて……手間が省けたよ」
もしもあそこでクーフルが騎士の首を絞めようものなら、さすがの俺も無視することは出来ない。
そして助けたとしても、その後の展開には必ず神と聖女が割って入ってくるだろう。
コイツに未だに慈悲を設けようとするぐらいなんだから。
そんなのはもう、懲り懲りだ。
本当に人を裁くことは出来るのは神なんかじゃない。
……同じ、『人』なんだよ。
同じクズだけが、お前みたいなクズを裁くことが出来る。
「だからいっちょ、みっともなく喚いてくれ」
「ぐ、ああああああああああああああッッ!!」
漆黒の短剣をもう一度太ももへと突き刺す。
切れ味抜群の刃はいとも簡単にクーフルの肉を斬り裂き、脈打った感覚が短剣を通して俺へと伝わってくるのを感じた。
俺を押し退けようと暴れるがそんなことをすれば短剣に加えている力を強めるだけで。
クーフルは絶叫し、太ももの激痛を我慢することしか出来なかった。
……お前は、これと同じようなことをまだ輝いた未来のある子供へとやろうとしたんだ。
同情もしないし可哀想だとも思わない。
だからこそ、自分が何をしようとしたのかっていうのを身を持って自覚しろ。
『懺悔』なんかより、よっぽど簡単にわかるだろ?
……そしてそれがわかった後は、後悔しながら死んでくれ。
「俺がお前を生かすわけがないだろ」
「いいいッッ!! ……ま、待て! そんな勝手なことをして、せ、聖女が許すと思っているのか!? 貴様が今やろうとしていることは神の神判を無視した立派な非教徒行為だ!!」
「いや、俺そもそも信者じゃないし」
「だって、貴様は天使で……!!」
「そうだ。俺は天使なんだよ。有難いことに、天使ってだけで勝手に俺を信者だと思ってくれる奴もいる。俺を【邪悪】だと言いながらそんな疑問を持つお前みたいに、な」
だから天界でも好き勝手動けた。
まあ関わりの深い天使たちには普通に本来の俺がバレてしまっているので一概には言えないが、かねがねこの風貌のおかげで今まで特に問題なく過ごすことが出来たと言える。
そしてそれは人間界でも同じこと。
きっとクーフルは俺が天使というだけでなく、聖女であるセリシアと一緒にいたから敬虔な信者だとでも思っていたのだろう。
実際は全くの真逆なわけだけど。
「人生は選択の繰り返し。これだけはずっと覚えていられるぜ。正直、感服した」
「いいいいいあああああああああッッ!!」
「これは聞いた話なんだが、この森の奥にはきちんと動物たちの生態系を壊さないよう配慮されていて、肉食動物が案外そこら中をうろうろしているらしいぜ? こんな血が出てたら……その動物、寄って来ちゃうかもな?」
「ひ、ひぃ……!?」
「だから、選択してくれ。『楽に死にたい』か『苦しんで死にたいか』……どっちなんだ?」
あんたが今日、ずっとセリシアに問いかけて来たのと同じことをする。
あんたに選択出来るのか? どちらを選んでも後悔してしまうような選択肢を提示して、本当に相手を意のままに操ることが出来ると本気で思っているのか。
「い、いやだ! いやだあああ!! 死にたくない! 私はまだ、死にたくないッッ!!」
出来ないよな。
出来るはずがない。
だけどそのせいでセリシアはたくさん悩んで、命が掛かっていて。
そうして聖女である自分と、たった一人の少女である自分とで葛藤して。
……そうして、俺を。
俺達を選んでくれた。
神ではなく俺達を選んでくれたことの、期待に応えたいって思う。
そして同時にセリシアにあんなことを言わせたコイツに対して強い憤りを感じているのも確かだった。
「おいおい……非教徒の奴ですら殺されることには躊躇なかったぞ……。やっぱりどこまで行ってもお前は小物なんだな。お前が言ってたんじゃねぇか。選択しないのは、イライラして溜まらないよな?」
クーフルは喚いているが、こんな奴に殺されそうになったというのも人生の汚点だ。
罪人には罰を。
取り消すことなど出来ない罪には、裁きを。
「選ばないのなら……楽に死んで、苦しんで死ね」
それが死刑。
『懺悔』などという甘ったれた刑や牢屋にぶち込まれただけで許されていい罪人など存在しない。
だから殺す。
一切の躊躇なく殺す。
更生する可能性を信じるより、殺してしまった方が確実なのだから。
右腕に雷の魔力が纏われ、破裂音のする火花が飛び散っていた。
《ラーツ》は出せるだけの魔力を放出したことで大火力を生み出している。
だがその代わり魔力消費が激しく、更に命中率もかなり低いと使い勝手の悪さが目立った。
だが魔力を一か所に溜めて出力を抑えれば、威力は下がるが使い勝手はかなり向上すると今日こっそりテーラに聞いた時そう答えてくれた。
丁度いいのでそれを今試そう。
「あ、【悪魔】だ……! 貴様の方がよっぽど【悪魔】じゃないか!!」
クーフルが怯えた様子で身体を震わせながら何か喚いている。
天使だったり悪魔だったり……ころころと主張を変えるその生き様には脱帽だ。
「何言ってんだよ」
いつまでも理解していないようなので、しっかりとその目に焼き付けさせてやる。
「俺は、天使だろ?」
口角を吊り上げて、右手を銃の形にしクーフルの眉間に突き付けた。
紅い瞳が、光り輝いている。
「――《ライトニング》」
「ぃや――――」
小さく、そう呟く。
一閃の雷鳴が轟いた。
雷撃の弾丸がクーフルのみ眉間を貫き、奥の木の幹へ大きな穴を開けた。
「……楽に死ねてよかったな」
『男』は、力なく地面へと倒れピクリとも動かない。
きっと痛みすら感じることはなかったはずだ。
ぶっつけ本番だったが、かねがね思い描いていた魔法を使うことが出来たことに安堵する。
『男』の眉間から行き場のない鮮血が水溜まりを作っていた。
きっともうしばらくしたら何かしらの獣がやってくることだろう。
そうしたら四肢を噛まれて、今度は肉体として苦しんでくれるはずだ。
「……っ?」
ふと、目元から雫のようなものが漏れ出たことに気付き指で掬う。
「……なんで泣いてんだ、俺?」
何故か涙を流していた。
止めどなく流れているわけではないので気付かなかったがもしかして目にゴミでも入ったのかもしれない。
「……でも、これで教会は安心だな」
自分自身がわからない。
まるでこんな俺を見下ろすように。
満月の光は俺を照らし続けている。
失いたくないと思えた平和を、俺はようやく守ることが出来た。