第3話(4) 『天使と魔族』
……危なかった。
ま~じで危なかった。
もしもあのまま教会へ走って向かっていたら完全に手遅れになっていただろう。
こんなに早く教会へ到着出来たのも全部テーラのおかげだった。
テーラを含めた二人だけを乗せることが出来る風魔法を持つ彼女は、その二人分の魔力を全て俺を移動させるために使ってくれて、三番街から一気に教会へと飛ばせてくれたのだ。
テーラと二人で教会へと向かおうとすると速度が低下すると共に入口で足止めを喰ってしまう。
俺が結界を単体で通り抜けることが出来るからこそ出来た作戦だった。
教会までの軌道はテーラがやってくれたのだが、細かな位置調節と解除は俺がやらなければならなかったから天才過ぎる自分を褒め称えたいまである。
そして教会の頭上まで進んだところ今にもメイトが殺されそうになっていたから、魔族の男の顔面を風魔法の勢いを付けたまま蹴り飛ばしたのだ。
蹴った瞬間に魔法を解除出来たので、結果的に超高圧の風があの魔族へと襲い掛かったことだろう。
……やはりあの時すれ違った黒髪の男が黒幕だったんだ。
もしもあそこで魔族だと気付いていたら、事前に対処しこんな事態を引き起こさずに済んだはずだ。
「メビウス君っ!」
「はは、やっと来た……」
こうして誰も死なずにいてくれたことが何よりも嬉しい。
セリシアは嬉しそうにこちらへと寄って来て、倒れているメイトも安堵したように小さく笑みを浮かべていた。
自分がこの教会に必要とされていたのだと実感する。
メイトの気持ちも今ならわかる。
確かにこんな所で過ごしていたら恩を返すために必要とされたいって思うわな。
過去に色々あったメイトなら俺以上にそう思うはずだ。
そしてあいつは成長した。
子供だからという理由でメイトが時間を稼いでくれなかったら、きっと誰かが必ず死んでいたはずだ。
その無茶は自分が倒すという無謀ではなく俺が来るのを信じてくれた故の行動なら、何だか俺も嬉しくなってしまう。
正直少し叱り過ぎたかどうか不安だったから、俺の言葉が響いてくれたようなら何よりだ。
「メイト、よくセリシアを守ったな。今のお前は教会を守るヒーローだぞ」
「子供扱い、するな……」
「してないだろ。お前がいてくれなかったらきっと間に合わなかった。ありがとな」
「……」
照れくさいのかメイトは目を逸らしてしまっている。
カッコ悪い所を俺に見せたくないのかそのまま立ち上がろうとするが、力が入らず崩れ落ちてしまった。
……酷い傷だ。
痛々しい打撲痕がそこかしらに見え隠れしている。
肘や膝の擦り傷も酷い。
12歳なんてまだ子供だ。
よく泣かなかったと褒め倒したいぐらいだ。
子供扱いするなと言われているので嫌われるようなことしないが。
……沸々と、自分の頭の中に熱が帯びていくのがわかる。
「……セリシア。メイトの傷を治してやってくれ」
「……はいっ」
だが冷静な判断が出来なくなってしまっては意味がない。
だから一度深呼吸して気を落ち着かせそう言った。
承諾したセリシアはメイトの傍へと寄ってしゃがみ、祈りを捧げる。
「『聖神ラトナ様……どうかこの者に、癒しと安らぎの祝福をお与え下さい』」
柔らかな光が天から降り落ちる。
【聖神の祝福】の輝きはメイトを包み込むように纏うと、負傷していた傷が再生しているかのように瞬時に治癒されていった。
この魔法以上に不思議な力を見てしまうと、どうしても神の力というものが脳裏にチラつく。
「あ、ありがとうございます、聖女様……ぐっ」
「あ、立たなくて大丈夫です! 壁まで運びますね」
「すみません……」
メイトの負傷は治療され、恐らく闇魔法の効果もほぼ完治したはずだ。
だが闇魔法の呪いは強烈にメイトを蝕んでしまっていたようで、体力をかなり使用してしまったため恐らくしばらく動くことは出来ないだろう。
「――あっははははははははははは!!」
……さて、問題はコイツだ。
メイトを教会の外壁へと寄り掛からせ、こちらへと近付いたセリシアを待っていたかのようなタイミングで鉄格子に寄り掛かっていた魔族の男は盛大に嗤って愉快そうに手を叩いていた。
「いやぁさすが天使だ! まさかあの獣を撃破するだなんて、これは時間稼ぎにまんまと乗ってしまったようです!」
「……」
「あ、あの先程も言っていましたが、天使って……」
「……? おや、もしや言っていませんでしたか」
「……」
恐らく俺が来る前にもコイツに何か言われたのだろう。
天使というワードに反応したセリシアは俺と魔族の男を交互に見て疑問を示していた。
それでも俺は弁解も言い訳もしない。
……言わなかったのは単純に言うタイミングも無かったし、聞かれなかったから言わなかっただけだ。
だが理由としてはそれだけではない。
「そこの少年はあなた方聖女なんか比ではない、正真正銘神に仕えることを生きる理由とした天使そのものなのですよ!!」
「……え?」
「……」
セリシアの、この反応が嫌だったからだ。
驚愕と困惑が入り混じったこの表情。
聖女であるセリシアがそうなってしまうのも当然だった。
聖女について調べている時や勉強している時に話題として出た。
この人間界がおとぎ話の世界に酷似しているように、人間界での天使とは『神に仕え、従って人間を監視し、邪悪なる人間を裁き、神聖なる正しき人間に手を貸す存在』だと神聖視されていた。
そして天界は『そんな天使たちが暮らす楽園』なのだと。
流通している一般聖書などに描かれた絵には必ずと言っていいほど神に纏わりつく天使の想像図が書かれていて個人的に不快に思ったものだ。
「メビウス君が、天使、様……?」
……こうなるから、言いたくなかったんだ。
きっとセリシアの中で結界を通り抜けられたのは俺が天使だったからという理由で納得出来てしまうし、俺の登場を神の導きみたいな意味のわからないものにされてしまうのが嫌だった。
まだセリシアは困惑と疑念を見せてはいる。
きっと天使の象徴として描かれる純白の翼と特徴的な光輪が俺から見当たらないからだろう。
「私も最初は疑問に思うだけでしたよ。街で聖女の行動を監視していた時、ある日突然白髪の男が隣に立っていたのですから。しかし特徴的なのは白髪だけで翼などは無かった。ですから、今日鉢合わせた時は本当に驚きましたよ。……それと同時に、あなたは天使だと確信しましたがね」
どうやらこの計画は随分前から着々と準備を進めていたようだ。
魔族と対峙している以上、きっとそう遠くないうちにセリシアに俺が天使だということが確定してしまうだろう。
……なら、もういいか。
「俺もこの世界に来たばかりで、魔族みたいな人間もいるんだなとしか思わなかったよ。こんなクソみたいな奴ら、見間違うわけがねーのにな」
「おや、私達にとってはあなた方天使の方がクソみたいな奴らなのですが……けれどあなたは他の天使とは違うようだ」
「……」
「あなた……邪悪に染まってしまっていますね?」
俺の心は揺らがない。
神に仕える者にとって、悪というものは万死に値する程の重罪だ。
だが俺はセリシアが思うような天使ではない。
神を忌み嫌い、神を侮辱し堕落の限りを尽くして落ちぶれていった、人間の求める天使と呼んでいいのかすらわからない愚かな存在だ。
だから、きっと失望されてしまうだろうな。
「……なんでお前ら魔族が人間界にいる。魔族は魔族らしく魔界でちゃっちい悪事でも働いてればいいじゃないか」
「そういうわけには行きません。あなたも、私達魔族が何を生きる理由としているかわかっているはずでしょう?」
「……【悪魔】になること、だろ」
「その通りです!!」
ああ……なんで人間界に来たのに嫌なことばかり思い出させるのだろう。
魔族の男は感情が昂りでもしたのか吹き飛ばされたダメージなど無かったかのように勢いよく立ち上がり、恍惚とした表情で空を仰いだ。
「あなた方天使が神を守護する力を手に入れる【神天使】になることを使命としているように、私達魔族は欲望の限りを尽くし、自分の美味となる世界へと変える【悪魔】になることを使命にしている! あんな魔界では【悪魔】になることなんて出来ません!!」
「それが人間界とどういう関係があるって言うんだ」
「だが人間界ならば、聖女がいる! 神の力を与えておきながらその神が干渉出来ない不完全な存在。そんな聖女の持つ神の力を使えばこの世界の全てを統治することだって出来る! それを可能にするのが【聖女の聖痕】なのです! そして全ての人間の負の感情を得ることで、私は魔族から【悪魔】に昇華することが出来るんですよッッ!!」
「……そうかよ」
気持ちが悪いことに、これから起こる未来へ想いを馳せているのか歓喜に打ち震え魔族の男の口からは涎が垂れ落ちていた。
【悪魔】になることを夢見る魔族は大抵こんなのだからなるべく関わりたくなかったんだ。
また新たな【聖女の聖痕】とかいうワードが出て来てしまった。
聞いた感じ聖女の持つ力を一緒に使える……みたいなことだろうか。
天使の使命とやらも反吐が出るが、魔族の使命も同じように気色悪く感じてしまう。
その時点で俺は異端だと周りに思われてしまうのだが、それは今はいいだろう。
どの道、コイツの欲望の矛先が聖女であるセリシアに向けられている以上、退くわけにはいかない。
【聖女の聖痕】がこんな魔族の手に渡れば、後々俺達にも面倒事が舞い込んでくるはずだ。
……それに、天使か天使じゃないかなんてどうでもいいだろ。
そんなことよりも今俺は猛烈にイラついているんだ。
「アンタの欲望とか使命とか、そんなのはどうでもいいんだよ。アンタは教会の人間に手を出した。それだけでアンタを潰す理由は充分だ」
「ほう! 私を潰すと! そうおっしゃるのですかあなたは! いやはや、この状況でそんなことを言えるとは、あなたは少々戦況が読めないお方のようだ」
「あ?」
「聖女は優柔不断で話にならないので、あなたに選択をあげることにします。あなた以外の全員が死んで【聖痕】を明け渡すか、あなたとそこのガキだけを殺してから【聖痕】を明け渡すか! さあ選んで下さい、神聖なる天使よ!!」
魔族の男が突然高々と掲げた選択肢。
その選択肢はあまりにも選びにくい問いだった。
特に選択肢の中に俺一人だけが不幸になるというものがないのが面倒くさい。
きっとセリシアも問われて、同じようにこの男の都合の良い選択に余計な葛藤をしてしまったのだろう。
きっと奴は自分が主役だとでも思っているのだ。
自分が状況を支配出来るという喜びを噛み締めている。
本当に嫌な人種だ。
魔族というものは。
だがそもそも相手の土俵に立つことが間違っているんだ。
それこそ、こういう自己中心的な奴をイラつかせるのは俺の十八番まである。
だから俺は悩む素振りも葛藤する姿も見せることなく、
「んーそうだなぁ。じゃあ俺は……『俺がアンタに裁きを下す』っていう選択肢を選んでやるよ」
「……本当にあなた方はつまらないですね」
へらへらと、嘲笑うように魔族の男を見下した。
瞬間、先程まで歓喜に震えていた魔族の男から感情が消え去り、冷たい視線が俺を射抜いている。
「『よくばり』。『よくばり』ですよ! 欲しいもの全てを手に入れようだなんてなんと強欲な天使なんだ!!」
「おいおい、悪魔になりたい男が強欲を語るのかよ」
欲望を何よりも重視するのが悪魔だというのに、この男は一体何を言ってるのだろうか。
『よくばり』だなんて、お前ら悪魔が一番求めていることだろうに。
だがそんな俺の言葉すら癇に障るようで、苛立ちを隠すように貧乏揺すりが速度を上げる。
一度点火した感情の炎は静かに揺らめいていた水を沸騰させ、魔族の男は奇声を上げながら頭を掻き毟った。
「あああああああ!! 『選べ』って言ってんだよ!!」
魔族の男は、絶叫した。
我儘を言って喚く子供のように地面を踏み付け、激昂した醜態を晒している。
「喚き散らしてるだけの奴が、【悪魔】になりたいだなんて片腹痛いな」
「……もういいです。この劇場の背景は鮮血と悲鳴が塗られた阿鼻叫喚の世界。全て殺して聖女の絶望する様を見届けてあげますよッッ!!」
目が血走って、殺意の風が俺へと襲い掛かっていた。
見るに堪えない、大の大人が見せてはいけない無様な表情だ。
だが俺は聖剣を鞘から抜き取り、魔族の殺意を真っ向から受け止める。
すると表情だけは落ち着きを取り戻し、律儀に頭を下げて一礼し出した。
「改めまして……私の名はクーフル・ゲルマニカ。あなた方全てを残虐に残忍に、命乞いすらも嗤いながら殺して! そうして【聖女の聖痕】を手に入れ、真の【悪魔】の名を手に入れる者ッッ!!」
それでも、目だけは瞳孔が開き俺達への殺意で包まれている。
「この劇場へあなた方をご招待します」
そう言って、クーフルは両腕に紫色の魔法陣を展開させると。
「《コフィン・グラヴィター》」
――その刹那、教会内の全てに強烈な重力が降り注ぐ。
それを受けた瞬間……俺はあの日の、ガルクに殺された日のことを思い出していた。