第3話(3) 『純白色の風を吹かせて』
クーフルは驚きのあまりマトモに受け身を取れず背中を思い切り打ち付ける。
だが拘束してくる深緑色の髪を持つ少年を視界に捉えると、顔を激怒に染め拳を思い切り振り上げた。
「――っっ! このガキ!」
「聖女様から、離れ、ろ……!!」
大人の拳が少年の身体を何度も捉え、鈍い音が教会に響いた。
それでも少年は必死に耐え、決意の籠った瞳をクーフルへと向けており、動かさないように必死になって押さえ付けている。
セリシアはこの少年を見間違うはずがなかった。
「メ、メイト君……!? どうして……」
だがメイトは闇魔法の効果を受けていて、呪いによって動けないはずだ。
それなのに、どうして。
そうセリシアは疑問に思う。
けれどメイトは他の人間とは違った対処法を受けていた。
三番街の住民は闇魔法の効果を受けてからしばらく放置されていたが、メイトだけは闇魔法が発動した瞬間にテーラから応急処置を施されていたのだ。
更に教会にて聖女セリシアによる抱擁を受けていたために聖なる加護をより近くで受け、結果的に《カース・トラジディ》による呪いの浸食が抑えられていた。
だから唯一、この場に飛び出すことが出来た。
だがそれでも呪いの効果は少しずつメイトの身体を蝕んでいて。
「うっざいんだよガキが!!」
「――がっ!!」
「メイト君っ!」
怒りによって豹変したクーフルの拳が頬を捉え、力のあまり入らなかったメイトはいとも容易く吹き飛ばされてしまう。
立ち上がれない。
飛び出したものの呪いによる疲弊は相当なものだ。
地面に倒れるメイトを見て先程の邪魔が脳裏を過るのか、クーフルは起き上がりメイトに近付くとそのまま何度も何度も腹を蹴り上げた。
心なしか口角が釣り上がっている。
その姿は、まさに【悪魔】に等しかった。
「私の劇場を邪魔しやがって……! だから! ガキはッッ! 嫌いなんだ!」
「ぐっ……うっ……!」
「や、止めて下さい!!」
「うるさい!!」
怒号が空気を震わせる。
必死にクーフルを止めようと腕を取るセリシアだったが、力で敵うはずもなく簡単に弾かれてしまいそうになった。
だがクーフルの振り払った腕は、再度【聖神の奇跡】によって防がれる。
「~~~~っっ!!!! ムカつくんですよ、その力は!!」
「――っ」
恐らく澄ました顔をしていたのは状況を楽しむための外面であり、本来の姿がこれなのだろう。
思い通りに行かなかった現状に激昂したクーフルは意味もないというのに短剣を持ち何度も何度もセリシアを斬り付けた。
その全てが【聖神の奇跡】によって弾かれる。
そして……ストレスのあまり周りが見えていなかったクーフルはメイトがふら付きながらもゆっくりと立ち上がっていることに気付かない。
「ああああああああああああッッ!!!!」
「――!? いいっ!?」
メイトが吠えた。
持てる力の全てを溜めた強烈な拳が、短剣を振り上げていたクーフルの脇の下へと突き刺さる。
激痛がクーフルに走る。
しかし同時に闇魔法の効果と蓄積したダメージによってメイトも地へと膝を付いてしまった。
油断していたとはいえ、所詮は子供の攻撃だ。
かなり良い所に入ったもののクーフルを戦闘不能にさせるほどの威力は当然なく、むしろ子供に殴られたという現実がクーフルの怒りを更に上昇させてしまう結果となった。
「しぶ、といんだよ!!」
膝を付いていたメイトの背中に向けて思い切り足を踏み落とす。
力の入らなかったメイトの身体はそのまま地面へと激突してしまった。
何度も、何度も暴力を受けた。
だが暴力なんてものは、昔からずっと受け続けてきたから耐えられる。
そして、耐えられないものだけを何としても守りたいのだ。
――だから、メイトはクーフルの足首を掴む。
「~~~~っっ!! そろそろ諦めなさい、よ!」
「みんなを、守り、たいんだ……」
「アアッ!?」
「オレが、聖女様を守れないなんてこと、わかってる……だから、信じてるんだ……オレが出来ないことは! やってくれるって言ってくれた人がいるから!!」
自分ではクーフルを倒すための力がないことはわかっている。
そして自分が何の役にも立たないなんてこともわかっている。
それでも尚、メイトはまだ諦めていなかった。
決意の瞳が光る。
手を差し伸べてくれた人を求めて、未だメイトはこの状況に絶望してなどいなかった。
「ああ……スマートに終わらせたかったというのに、そうやって邪魔をするんですねあなた方は……」
だがそんな眩いほどの輝きは魔族にとって苦痛でしかない。
抵抗することなく足首を掴まれたまま、クーフルは呆れたように首を振っている。
「わかりました。ああわかりましたとも! もう余計な選択肢などどうでもいい! 私流ではないですが、そちらがそうするのならもういいです!!」
そして劇場に立つ主役のように大きく手を広げて、倒れている少年に嗤いかけた。
「まずは、あなたから殺しましょう。そして一人ずつ殺して、最後に【聖女の聖痕】も貰う! 神聖なる聖女に絶望の選択させたかったのですが、もう仕方ありません!!」
「――っっ!?」
声を張り上げて、クーフルは漆黒の短剣を逆手に握った。
その刃の先がメイトの首元に向けられていることに気付いたセリシアは、首を横に振り身体を震えさせて硬直してしまっている。
「あ、い、いや……!」
セリシアの目の前で、大切な人の命が消え失せようとしていた。
目の前で見ることによって初めて実感する。
人が殺されるということを。
あの短剣を一振りするだけで、簡単に命を失ってしまうということを。
「わ、わかりました!!」
酷く現実として思い知ってしまったから、セリシアは反射的にクーフルを止めてしまった。
口角が釣り上がり瞳孔が開いたクーフルの嗤い顔がセリシアに振り向かれる。
荒い息がセリシアから吐かれる。
心臓が強く鼓動を打っていた。
「【聖痕】を、渡します……」
「せ、聖女様っ……だ、駄目だ……!」
メイトにとって【聖痕】とは何なのかわからない。
それでもセリシアの表情から渡してはいけないものなのだということは瞬時に理解した。
その言葉を聞いたクーフルはニッコリと笑みを見せる。
ようやくわかってくれたのかと。
最初からそうしていればいいのだと。
……だが、しかし。
「そうですか! でもコイツはムカつくので殺してからにしますね!」
【悪魔】は、欲望に忠実であれと。
クーフルは声にならないセリシアの静止も聞かず、漆黒の短剣をメイトへと振り下ろす。
命が、消えていく。
「メイト君っっ!!」
「ギャハハハハハハハ――ぎゃっ!」
――その時、純白色の豪風が吹き荒れた。
短剣がメイトを貫く瞬間、クーフルの顔面に真っ黒な鈍器がめり込む。
そしてクーフルはそのまま突風によって吹き飛ばされ、教会を囲んでいる鉄格子へと激突した。
「……ぇ」
セリシアも、メイトも突然の出来事に思わず呆然と固まってしまう。
――男が、先程までクーフルがいた場所に立っていた。
純白の髪を靡かせ、紅い瞳をセリシアとメイトへ向けて頼もしい笑みを浮かべるその少年。
「……あ、ぶね。間一髪だったわマジで……」
「「……!!」」
安心したようにホッと息を吐いた、その少年は。
「――大丈夫か、お前ら」
「メビウス君っ!」
「はは、やっと来た……」
セリシアの鳴り響いていた心を、いとも簡単に落ち着かせてくれた。